東京工大キャンパスにある有名教授建築家設計の建築

東京工大プロフェッサーアーキテクトたちの

競作となった名建築群

伊達美徳

 わたしの大学母校にある篠原一男設計「百年記念館」にのデザインについて、同期生から聞かれた。嫌いとまでは言わないが、ヘンである、建築出のお前はどう思うか、というのである。

建築学課程しかも建築史研究で卒業したわたし(もっとも、飯は都市計画で食っていましたが)としては、良い意味で挑発されたようで、珍しく気分が高揚した。

なにか言わないと沽券に係わるので、久しぶりに(2014年2月20日)、ワザワザ(7割がたウソ)大岡山に行ってきた。

そして、大岡山キャンパスにある名建築について、ちょっと書くことにした。

はじめに大岡山キャンパスの空中写真(クリック拡大)、こんな建物がある。わたしがいた昔からあるもの、その後消えたもの、その後出現したものなど、もうよくわからない。

とにかく、東京工大のプロフェッサーアーキテクト谷口吉郎を始祖として、清家清、篠原一男、坂本一成、安田幸一たちの作品が並ぶのである。

そしてこれは1960年代のキャンパス風景、ある同期生が提供してくれた。本館屋上から撮影した。 左に見えるのが谷口吉郎設計の「創立七十年記念講堂」(まだ内装工事中)、向こうに見えるアーチは体育館(どこかの飛行機格納庫を持ってきたとか)、本館前の桜並木がなんとも貧弱である。東京南郊の街には高層ビルがひとつもみえない。

さて時代は突然に半世紀ほど飛んで、この写真は2014年2月、大岡山駅改札口を出たところの風景。

わたしが在学のころと違って、東急線電車の線路が地下になって、地上一階が改札口となり、駅を出るとすぐにこういう風景が広がる。

右に「東工大・蔵前会館」(2009年、坂本一成設計)は、わたしが在学中には、ここには上の60年代写真にある体育館が建っていたから、キャンパスの中である。

正面の東急ストアのあるところは、地下ホームと線路の上で、ここは東急の土地。

左に見えるのが「百年記念館」(1987年、篠原一男設計)、その左に小さく「本館」(1934年、時計塔は谷口吉郎デザイン)が見えている。

駅が地下化する前は、狭い道に踏切があって、体育館へはこちらからは入れないし、ごたごたしていたものだ。それが今では、駅を出たらいきなり目の前のほとんど全部が、実は工大キャンパスになっている。

そして東工大・蔵前会館にはファストフード屋もあれば精養軒なんて気取ったレストランもある。これの真正面から広い通路を通り抜けると、いつのまにかキャンパスに入ってしまう。東急ストアと大学キャンパスの区別もつかないほどで、いわばキャンパスは街になったのだ。

そしてここで話題にする百年記念館は、この風景のなかで背高く異様な様相であり、いわばこの風景の中ではランドマークとなっている。

これができた当時は、設計者は駅が地下になってこうなるとは思っていなかっただろう。篠原は、昔からよくある建築の風景づくりで、街の角地の建築に時計塔や階段塔を建てるように、キャンパスの街角隣この位置に目印となるデザインをしたのかもしれない。

この建築は、実は基本的にはしごく簡単な直方体である。中身も会議室と展示室そして喫茶店ですから、難しい機能は何もない。それだけなら何の変哲もない建物であるが、そこから先が篠原一男の凡庸でないところだろう。

その単調な空間に歪みをもたらす仕掛けがいろいろある中で、円筒を半分に断ち割って、直方体の上に半分埋め込んで載せたのである。しかも、その四角な平面に対して斜めになっているのだ。

そう、四角な平面の辺に沿ってまっすぐ置けばいいものを、わざわざ斜めにおいて、その目立つ半円筒の突出はもろに駅に向かっている。口を開けようとしているがごとき半円の断面は、人々を招いているのか、食いつこうとしているのか。

下の写真は、大岡山駅がまだ地下になっていない頃の、駅ホームと百年間の出会う風景である。メカゴジラ出現、、なかなか面白い。

ところがその空に横たわって駅に向いた半円筒は、途中で身をよじらせて折れまがり、駅から反対側は別のところに向く。その先にあるのは「創立七十周年記念講堂」(1958年頃谷口吉郎設計)である。

一方はキャンパスから街へと内外空間をつなごうとし、もう一方は内部に向かって篠原の師清家の師谷口に対する、あるいは東工大の歴史に対するオマージュと読みとろうか。

そして、あの上半分が切れた半円筒形は、下半分が切れた七十年記念館の屋根の、半円筒形のイメージを継承するものかもしれない。

この半円筒の中にある喫茶「角笛」は、細長い途中で曲がった空間になっていて、空間が不思議に歪む。(右がその「角笛」の平面図)

この半円筒は、その下の階のフェライトホールの天井にそのまま出てきて、なかなか不思議な内部空間をもたらしている。

この内部にも外部にもわざと歪めた形態のもたらす街とキャンパスへの空間的ノイズの面白さが、建築家篠原一雄がこれを見るもの使うものたちを挑発している仕掛けである。

そのノイズが気になるって、挑発に乗せられたのがわたしに質問した同期生であり、もちろん他にもいっぱいるはずだし、わたしもその一人である。

いかにも工学的な形態であり、わたしが学生時代に篠原さんが担当していた図学の講義での立体演習課題の実物版だなあと、見るたびに思う。

お堅い工業大学にあって、あのヘンテコリンなものは何だろう、入ってみると(誰でも入れます)、これがワンダーランドの博物館なのである。

中身は、昔理科少年にも面白いし、先輩人間国宝陶芸家の作品があるのがなんといいてもすごい。設計した篠原一男の展示もある。

もっとも、建築単体としては使いやすいかどうかは知らない。多分、使いにくいんだろう。

わたしは、駅前からいきなり大学キャンパスになる街に開かれたことに、おおいに感激している。この百年記念館が学内にも学外にも公開された交流施設であり、博物館であることを気に入っている。本館前の花見といい、大スロープの富士山見物といい、開かれた大学キャンパスになったことが、むかしと大いに違ってて、しかもそれは大学キャンパスのあるべき姿である。そしてそのランドマークとして市民を迎え入れる仕掛けとして、あの百年記念館のデザインを見よう。

まあ、あの建築はよいデザインだって素直にほめないところが、ひねくれていますがね。

◆◆◆◆

百年記念館談義はここまでで、ここからはついでの話。

大岡山キャンパスができたのは1924年4月で、関東大震災で蔵前のキャンパスが壊滅したから移転し来た。ここに東急の持っていたこの土地と、蔵前の土地とを等価で交換したのであったが、住宅地として売れない起伏のあるとても等価とは言えない安くい土地をつかまされ、五藤慶太に騙されたって話がある。これが汚職事件になり、自殺者が出る関東大震災復興の大スキャンダルになった。先ごろお騒がせ前東京都知事だった猪瀬直樹が『土地の神話』という本に書いている。

東工大の有名プロフェッサーアーキテクトたちが設計した学内の建築(できた順)は、こんなところだろう。ほかにあるかもしれないがよく知らない。

西1号館(旧・分析化学教室) 1931年9月 設計 : 東京工業大学復興部 登録文化財

これが東工大で唯一の戦前の西欧様式を模した建築で、多分、キャンパス内最古の建築だろう。

本館 1934 東京工業大学復興部(橘節男、二見秀雄、谷口忠ら、時計塔のデザイン谷口吉郎) 登録文化財

近頃は耐震能力がないって理由で、昔の建築がどんどん壊されていくが、この本館建築の耐震設計は、二見・谷口両建築構造学の大先生がそれぞれ設計をし、両方を足して合わせた無茶苦茶たくさんの鉄筋量なので、絶対に地震で倒れないという話を聞いたことがある。

◆創立七十周年記念講堂 1958年頃 設計 : 谷口吉郎 登録文化財

わたしが入学したころはまだ内装工事中で、コンクリート壁荒壁に鉄筋が飛び出していて危なかったけど、それでも使って入学式をやった。これが東工大の中でもっとも美しい建築だと思う。

事務局1号館 1967年 清家清

清家設計はほかに研究棟もある。

百年記念館・博物館 1987年 篠原一雄

東工大・蔵前会館 2009年 坂本一成

付属図書館 2011年 安田幸一

向こうに百年記念館、見えないけど右に七十年講堂があり、二つの間におおきなクサビを打ち込んでいるようである。ほとんど地下にあるが、地上に出ている部分のニックネームはチーズケーキだそうだ。

ここまで書いてきた設計者たちは、谷口吉郎を始祖として、師匠から弟子へと継承していった、いずれも東工大の有名建築家教授たちだが、そのひとりの仙田満の作品がない。実は長津田キャンパスにあるそうだ。

http://www.arch.titech.ac.jp/toukakai/Letter/13-01.html

わたしが在学中はあったが、今は消え去った戦前の名建築を紹介する。

◆水力実験室 1932年 谷口吉郎

建築界では戦前モダニズムデザインの名作とされていて、文化財的保存の検討がされたが、実験で使った水銀で汚染されているので取り壊しやむなしとなったそうである。わたしは在学中に、この実験室の一部であるプールで泳いだことがある。学内の厚生施設でもあったが、健康に差し障りないのだろうかとおもうが、ここまで生きたから関係ないのだろう。

なお、谷口吉郎については、慶応大学の日吉キャンパスにある彼が設計した学生寮(1937年)が、戦争末期に谷口はもちろん、貸した慶応大学さえも知らない秘密裏に、日本帝国海軍の聯合艦隊司令部になった。そこから太平洋戦争の負け戦さの指令を出し続けたそうだ。数奇な事件である。

「太平洋戦争に翻弄された戦前モダン建築」

https://sites.google.com/site/dandysworldg/hiyosi

最後に建築じゃないけど、本館前の桜並木は、わたしが入学するちょっと前に植えられたようで、ひょろひょろっと立っていて、わずかに花を咲かせていたものだ(最初の写真を参照)。

ところが今は、ブクブク、ガックリ、ヨロヨロ、コブコブ、クログロ、、、この杖を突いたヨレヨレぶりは、あれから半世紀以上も経った後の、わたしの姿そのものである。

ところがどっこい、毎年ちゃんと花を咲かせるのだから、なんとなく勇気づけられる。

あまりにも大勢の花見客がやってくるので、根元を踏み固められると爺さん婆さん桜が弱るってことで、いまはウッドデッキを土から浮かせて張ってある。

なお、工大の建築については下記大学サイトがある。

http://www.titech.ac.jp/about/campus_maps/campus_highlights/

(20140221初稿、20140225改稿)


(追記 202105) 2021年に正門を入って左側に新たな建築が建った。昔々はテニスコートがあり、その次には図書館が建ち、図書館が地下に移転してから「瀧プラザ」なる名称の交流会館が寄付によってたった。設計者は隈研吾で、初めてこのメイン広場に面して谷口吉郎門下でない建築家の作品である。
 そのことを下記に書いた。
https://datey.blogspot.com/2021/03/15242021.html

アクセスカウンター