地震津波原発日記(その3)
2011年7月分

2011年7月1日

「マンション」とは。庭園もある邸宅のことである。典型例はUSA大統領がいるホワイトハウス。
日本のマンションとは、不動産屋がニセ宣伝で勝手つけたいい加減な名称である。わたしは使わない。

ではなんというか、「区分所有共同住宅ビル」ということにしている。 金持ちも貧乏人も堅気もヤクザも若者も年よりも所有者も借家人もいるのだが、切って切り離せない運命共同体の呉越同舟の建物であるから、無理なことがいっぱいある。 東日本大震災では津波被害での街の壊滅が喧伝されているが、阪神淡路大震災のようなビルの被災についての報道は見ない。 今度の地震では壊れたビルはなかったのかと思っていたら、今朝の朝日新聞東京版に「被災マンション解体できない」との見出しで、「仙台市内では少なくとも60棟が「全壊」とされる」とある。 やっぱりあるんだ。今後、これらの建て替えが大問題になるはずだ。 大問題は既におきているとある。

全壊建物の解体のために法的に必要な、区分所有者全員の同意がとれなくて、困っているそうだ。解体だけじゃなくてこれからの建て直しだって、同意をとるのは大変である。他人に貸して外国に住んでいる区分所有者だっているだろうし、なんだかわけの分らない人もいるだろう。規模が大きくなると同意はますます大変だ。

建替えるには巨大な資金の負担が、区分所有者それぞれにかかってくる。それをすぐ出せる金持ちもいれば、二重ローンになってしまうので不可能な貧乏人もいるだろう。それらが同じ権利で建て替えというひとつの舟に乗ろうとしても、無理なことだらけは当然である。はじめに呉越同舟と書いたのはこのことである。

阪神淡路大震災の後でこの困難さが身に沁みたはずなのに、あい変らずマンションという区分所有共同住宅ビルの建設は続く。売るほうは知っていて頬かむりだろうが、買うほうも忘れているらしくて、けっこうな市場である。行政の側でも、公的賃貸住宅の建設はどんどん縮小して、区分所有住宅ビル建設に支援をする制度ばかりをつくる。

なんだかおかしい。原発村の原発事故と同じくらいヘンである。マンション村(建設業界+不動産業界+金融業界)の政治的陰謀じゃないかしら。賃貸住宅なら区分所有のような問題はないのだが、どういうわけか賃借住宅を嫌がる人が多い。戦前は都市の中で住むのは借家が当たり前だったのになあ、。

低金利ローンで借金まみれの不動産でも資産を持つと保守層となるだろうという、保守派の55年体制確立のための国民総中流意識植え付け作戦が成功したらしい。東日本大震災の居住復興政策には、ぜひとも公的賃貸住宅の供給を重点的にやるべきだとおもっている。民主党だからそのような政策が出るかと思っているのだが、どうも二重ローン対策ばかりである。またもや金を貸して借金まみれの持家政策推進であるらしいのが、がっかりである。

●参照→くたばれマンション


2011年7月3日日曜日

なんともはや、年寄りには辛い夏である。とくに世の中の節電による被害がつらい。7月1日、T電K支社を訪ねる用事があった。あ、いや、いま評判?の事件とは何の関係もない、学術的な調査での打ち合わせであった。そのことはまたあらためて書く。
その支社のビルの姿からして暗い。やっぱりなあ、どことなく暗いイメージだよなあ、いやイメージじゃなくて、照明の電灯が暗いのである。玄関ホールも暗いなあ、廊下は特に暗くてケつまづきそうだなあ、会議室は暑いなあ、暗いなあ。なんだか社員の顔も暗そうだが、これは思いすぎか。

歳をとると、体温と外気温との調節機能が衰えてくる。冷房が効いていない室内に入っても、しばらくは身体に貯まった外の暑さを放出できなくて汗がだらだらと続く。ハンカチでたびたび拭き、出された冷たい麦茶をがぶがぶ飲む。視力も衰えているから、暗い室内では小さな字は読めなくて、書類を見るのが面倒だからいい加減な話になる。ついでに言えば,耳も遠くなるからついつい大声で身振りもつけて話すから、体内から熱が発生する。

年寄りにはつらい夏である。ははん、さすがに原発事故の家元だけあって、暗く暑くしっかり節電していらっしゃる、と思ったのだった。ところが実は、その日から東京電力と東北電力のエリアでは、「電力使用制限令」なる経済産業大臣の命令が出て、大口需要者はみんな暗く暑い夏になってしまったらしい。なんだT電だけじゃないのか。

で、その物々しい「制限令」なる戒厳令はどこから出たのか調べると、電気事業法第27条だそうだ。

第27条 経済産業大臣は、電気の需給の調整を行わなければ電気の供給の不足が国民経済及び国民生活に悪影響を及ぼし、公共の利益を阻害するおそれがあると認められるときは、その事態を克服するため必要な限度において、政令で定めるところにより、使用電力量の限度、使用最大電力の限度、用途若しくは使用を停止すべき日時を定めて、一般電気事業者、特定電気事業者若しくは特定規模電気事業者の供給する電気の使用を制限し、又は受電電力の容量の限度を定めて、一般電気事業者からの受電を制限することができる。

ふ~ん、電気を止めないと公共の利益を害する状態なんだ、今は。じゃあ、その逆に、電気を止めると公共の利益を害するって状態はどうなんだろう。電気を止められて、公共公益施設ではではエスカレーター・エレベーターが止まり、執務室は暗く暑いし、街灯が消えて夜道は怖いし、電車の運行本数が減って不便だが、こういうのは公共の利益を害してるって言わないのかしら。

第15条(略)経済産業大臣は、(略)電気事業者がこの法律又はこの法律に基づく命令の規定に違反した場合において、公共の利益を阻害すると認めるときは、第3条第1項の許可を取り消すことができる。

つまり公共の利益を阻害した電力屋さんは、営業許可の取り消しになるんだな。では営業許可条件はどうなんだろう。

第5条 経済産業大臣は、第3条第1項の許可の申請が次の各号のいずれにも適合していると認めるときでなければ、同項の許可をしてはならない。
1.その電気事業の開始が一般の需要、一般電気事業の需要又は供給地点における需要に適合すること。
2.その電気事業を適確に遂行するに足りる経理的基礎及び技術的能力があること。
3.その電気事業の計画が確実であること。
4.一般電気事業又は特定電気事業にあつては、その事業の用に供する電気工作物の能力がその供給区域又は供給地点における電気の需要に応ずることができるものであること。

さてこの項目の中で、こんどの原発事故について考え見ると、第2項の「技術的能力」があったのかしら。あるいは3項に照らして原発は「計画が確実」であったのかしら。

どこもかしこも節電、何でもかんでも節電の世の中になってきた。でも貧乏人のわたしは、エコ電器製品なるものに買い換えるお金がないのだ。
ところで、そのエコ電器製品を生産したり、買い換えた元の古いやつを処分したり、それらの流通や搬送をするだろう。それに要るエネルギーはどう計算するのかしら、
エコ買い替えなんて単なる無駄遣いであるとしか思えない。わたしにはどうも不思議である

一億総懺悔ならぬ一億総節電で、なんだか東電の責任が東日本ばかりか日本全国民の責任に、どんどん薄まってくる感じである。これだけ暑いのに節電で暑く暗い日々を過ごす羽目になって、横浜住いのわたしもとうとう原発被災者の片割れになった。ようやく震災が身に沁みてきた。もしかしたら原発事故補償金がもらえるかと、下種な考えをしたのだが、どうもその方向じゃなくて、発災責任者が不在となりつつある方向だ。
もしかして、それはどこかの陰謀だろうか。

◆◆

陰謀といえば、フランス大統領の有力候補らしいIMF専務理事が、婦女暴行事件でNY警察に拘束されたけど、昨日のニュースではどうも自称被害女の美人局事件のような気配もあるとのこと。これってなんか三文国際サスペンス小説じみてるなあ。
大統領候補を引きず下ろす被害女側の陰謀か、あるいはそう思わせておいて逆転勝ちで人気を博する加害男側の陰謀か、IMF内部の抗争で猿居士とか小浜とかが絡む国際的陰謀か、。ここはフォーサイスさんかフォレットさんにでも書いてもらいたいなあ。


2011年7月6日水曜日

中曽根康弘、梅原猛、班目春樹、吉本隆明、渡部恒三、ビートたけし、大前研一、堺屋太一、清水正孝、弘兼憲司、与謝野馨、幸田真音、勝間和代、星野仙一、小沢遼子、蟹瀬誠一、山折哲雄、小佐古敏壮、岡江久美子、浅草キッド、茂木健一郎、中畑清、大熊由紀子、田原総一郎、アントニオ猪木、金美齢、田中知、荻野アンナ、薬丸裕英、福澤明、松本零士、藤沢久美、関村直人、大宅映子、草野仁、養老孟司、福島敦子、北野大、三宅久之、木場弘子、岸本葉子、中島健、豊田有恒、鈴木篤之、住田裕子、西山英彦、渡瀬恒彦、吉村作治、近藤駿介、小宮山宏

これは佐高信著「原発文化人50人斬り」(毎日新聞社2011)の表紙に載っている名前である。わたしが聞いたことがある名前はこのうち30人。どこまで本当か知らないが、それぞれ、大なり小なり原発を推進、賞賛、宣伝をしてきた人たちだそうだ。ふ~ん、大熊由紀子もそうなのか、養老孟司もか、え、吉本隆明もかあ。

わたしは時流のキワモノ本はきらいで、いつもは買わないのだが、さすがに原発問題が深刻になってきてついに3冊買ってきた。そのひとつが上の佐高本、それから堀江邦夫著「原発労働記」(講談社文庫2011)、もう一冊が佐野真一著「津波と原発」(講談社2011)。

「原発労働記」は著者が福島第1、美浜、敦賀の各原発での労働者として、実際に働いた体験を書いたノンフィクションである。いやあ、すごいすごい、なにがすごいって、あまりにもいい加減な放射線対策の原発現場で、過酷な労働をしている、下請け、孫請け、ひ孫受けの労働者たちの実態である。記述が実に淡々としているのだが、起っていることは読んでいて気持ちが悪くなる。ある一定以上の線量を浴びるとその労働者はふたたび原発で仕事はできないから、労働者は使い捨てである。労働者は危険なところで長時間働かざるを得ない設計であるらしい。だから、使い捨て労働者が増える。そこで、原発仕事専門のピンハネ手配師、ピンハネ親方たちがいて、次々と交替の労働者を全国から集めてきては、原発現場に送り込む。人手が足りないから、ときにはその労働者の浴びた放射線量のごまかしもする。

1979年に刊行されたものの再刊であるから、現在の原発での労働環境とは違うのかもしれない。いや、そうではないな、考えてみると、原子炉周りはいったん作ったら放射線だらけだから、たとえ改良したくても一部を壊したり変更する工事は簡単ではないはずである。著者の堀江が書いた原発のなかの放射線の危険のある労働区域であればあるほど、手がつけられないだろう。

原発労働者がはたらくのは、13ヵ月ごとに発電を停めて検査のときだが、そのときにも原子炉から放射線がじゃんじゃん出ている。そんなところで働くのである。それも改良工事で働くのではなくて、部品の取替えや設備の掃除であるから、毎回の定期検査の度におなじことをやっているのだろう。東電の社員は使い捨てにできないからだろうが、いつも安全なところで働く。危険仕事は、下請け、孫請け、ひ孫受けの使い捨て労働者達である。

福島第1原発事故の現場では、緊急対策に走り回った人たちは、大量の放射線を浴びたに違いない。そのとき走り回ったのは、これも使い捨て労働者たちだったのだろうか。原発は地域に雇用を生み出しているというが、その内実はいったいどんな雇用なんだなろうか。


2011年7月8日金曜日

マスコミの報道を見ていると、首相の菅さんはまるでいじめられっ子みたいだよなあ。なにが本当なのかさっぱり分らないが、自民党や民主党の誰からも嫌われてやめろといわれているそうだし、その上にマスコミも政治家達の尻馬にのってやめろやめろと書いている。あ、紙は朝日新聞しか読んでいないが、ネットでは他紙も読む。でもTVは7時のNHKニュースしか見ない。

先日までは、菅さんはリーダシップを発揮しないからケシカランと書いていたのに、原発のストレス検査をせよというと、突然に方針を変えてケシカラン、と書くのがマスコミである。コチトラ天邪鬼だから、菅さんはかわいそうになあ、がんばってくれよ、と言いたくなってくる。四面楚歌だろうが、それは原発存続派の陰謀だからね、どんどん方針を変えて脱原発、廃原発の方向にリーダーシップを発揮してねって、言うのである。もうこれは判官びいきである。


2011年7月14日木曜日

あれだけは出させないようにあれこれ表裏で工作していたのに、とうとう菅さんに「これが見えぬか」って、脱原発御紋印籠を出されてしまった、ってのが、脱原発派の今の気分なんだろうなあ。マスコミは、脱原発はケシカランと真正面からいえないものだから、出し方がケシカランとか、やり方を出さないのがケシカランとか、延命だからケシカランとか、まわりをウロウロと回り込んで横や後から非難している。

今日の各新聞の社説をみたら、朝日は明確に脱原発を表明したから、菅さんに賛同している。毎日も同じ方向である。日経と読売は側面からケシカランといっている。産業界をバックにする日経、日本の原発導入の張本人正力松太郎をいただいていた読売、どちらも脱原発とはいえないだろう。産経新聞は以前から反脱原発の旗じるしを明確に出しているから、本日の社説は脱原発表明したにっくき菅さんの不正献金を採り上げ、脱原発論なんぞ歯牙にもかけない。

それにしても首相たるもの、実に大変だよなあ。政策の方針を出さないとリーダーシップがないといわれるし、出したら出したで出し方が悪いといわれる。でもなあ、こんな大事件にであったら、どんな首相だって迷うだろうよなあ、あの人を別の人に替えたらって、じゃあそんな乱世のリーダーらしき人がほかに今いるかしら、政治音痴のわたしだから知らないだけかしら。

想うのだが、菅さんは浜岡原発停止要請のときから、いつ脱原発を言うか機会を狙っていたのだろう。もちろん原発推進派もそれを察知したから、言わせないように、辞任とは一言も言ってない辞任表明報道をでっち上げたりしたのだろう。作戦失敗だったね。比べるのもおかしいが、小泉さんの郵政民有化とは比べ物にならない大きな決断だなあ。で、郵政民有化が政権交代でヘンになっているのと同様に、首相が替わると脱原発もヘンな方向になるんだろうか

●2011年7月14日全国紙社説のさわり一覧

・朝日「脱原発―政治全体で取り組もう」
菅首相の「脱原発」表明を支持する。首相交代後も流れが変わらぬよう、しっかり道筋をつけてほしい。与野党を問わず、政治全体として大目標を共有し、具体化に向けて走り出す時だ。

・日経「菅首相の「脱原発依存」発言は無責任だ」
菅直人首相が記者会見し「将来は原発のない社会を実現する」と語った。代替エネルギーに関する十分な説明はなく、影響の大きさを考えれば首相の発言は無責任である。

・読売「脱原発宣言 看板だけ掲げるのは無責任だ」
「原発に依存しない社会を目指す」と、菅首相が「脱原発」を表明した。しかし、その時期や方法、代替エネルギー確保策などは具体的に示されなかった。無責任な政策大転換と言わざるを得ない。

・毎日「「脱原発」表明 目指す方向は評価する」
菅直人首相が13日、記者会見し、原発への依存度を今後、計画的、段階的に下げていき、将来的には原発がなくてもやっていける社会の実現を目指すと表明した。国のエネルギー政策を抜本的に見直す「脱原発」表明である。

・産経「首相の不適切献金 政党交付金使途にメスを」
菅直人首相の資金管理団体が、拉致事件の容疑者と関係の深い政治団体に対して行った多額の献金は、民主党の資金が「原資」となっていたことが分かった。

・東京「脱・原発依存 政権延命狙いでは困る」
菅直人首相が記者会見で、原子力発電に依存しない社会を目指す考えを表明した。その方向性は支持するが、どう実現するのか具体性に欠ける。政権延命を狙って大風呂敷を広げただけでは困る。


2011年7月16日土曜日

菅さんが「脱原発」といったと報道があったら、次の日には「あれは菅個人の考え」って報道である。なんだよ、たちまち矮小化されちまった。印籠は木の葉だったか、。こうまで菅をいじめると、ますます判官贔屓するぞ、褒菅びいきだあ!

なにが本当だか分らんが、どうも朝日・毎日軍は脱原発方面へ、日経・読売・産経軍は反脱原発方面へと展開しているようだ。脱原発だの卒原発だの縮原発だの、いろいろと造語がお好きな政界・メディア界・産業界のようである。どこが違うんじゃイ!

それにしても、変な時代に人生を得たものである。わたしの人生の初期は十五年戦争時代であり、晩期は東日本大震災・福島原発放射能大汚染時代である。これで騒乱に始まり騒乱に終る人生ってことになりそうだ。中間には平和な時代もあったのが儲けものだが、自分自身で生まれるときは選べないからしかたがない。だが、死ぬときは選ぶことが可能ではあるとしても、この騒乱のときを超えたところで人生を終えるのはどうも無理そうである。

なんにしても、騒乱の中で人生を終えるのであろう。それにしても、と、またいうのだが、原発難民の人生はどうなるのだろうか。騒乱の真っ只中で生を得た世代が、わたしとおなじようにその後に一時的でも良い時代を得ることができるのだろうか。もしも原発をやめなかったら、その原発難民世代は人生の晩期にまた原発難民になるかもなあ、。なんだろうか、このなにもかもが不安定なままで、ずるずるといきそうな不安な世の中は、、。もしかしてこれって、十五年戦争の初期に、日本の庶民たちが感じた空気のような気がする。そう、原発十五年戦争のはじまりである。


2011年7月18日月曜日

オレも原発放射汚染肉を食ったかもなア、でも、若い人が食ってその後の人生に更に放射線量蓄積がおきると問題だけど、オレはいいんだ、もうそれほど長く生きるわけじゃなしね。こんな理解でいいのかしら?

全国に出荷された福島産牛の肉が、餌の藁のせいで原発放射線を浴びていることがわかったと報道されている。これまで福島産の原料による食品は、検査しているから大丈夫、風評に惑わされないようにと宣伝していたような気がする。ちがうじゃ~ん、風評つまりいい加減な噂話ではなかったんだね

風評被害なんていうと、なんだかイチャモンつけて補償をよこせ、って、ヤーさんみたいに思えてしまうよなあ。でもなあ、牛肉関係のお方たちは、つい先だっても生肉のいい加減な扱いで死者を出したし、ずっと前のBSE事件では騒ぎにつけこんで巨額の補助金詐取犯罪やったよなあ。こんども原発騒ぎでひと稼ぎって、気の毒な被災農家の上前をはねるなんてことしそうだなあ、いや、まさかね。とにかく、風評という言葉は意味を失ったから、使うのはやめよう。美味い放射能漬け肉は、先が短い老人に安く売ってくれえ!


2011年7月20日水曜日

原発がその立地する地域の麻薬であるということは、だいぶ前から言われている。原発関連税収ほしさの地域経営に貪してしまっているからである。ところがこうやって、福島第1原発事故、核物質降下、節電、全国原発停止、脱原発、反脱原発などの一連の騒ぎを見ていると、これはもう電気そのものが麻薬なんだ、わたしたちみんなが電気麻薬中毒になっているんだと、わたしはつくづく思うようになってきた。

わたしの幼少時代(1950年代前半まで)のある城下町小都市での生活を思い出せば、電燈は20燭光(今で言う20Wか)が一室に一灯づつと、居間にラジオが1台、たったこれきりであった。親子5人がこれで普通の生活をしていた。いまやわたしの住いにはどれほどの電気器具があるのか。電燈だって一室に40wから100wの電球が2灯も4灯もある。全部はとても勘定ができないくらいある。こんなに必要なのか、と思えど、この電燈の明るさ、このインタネットや電話の便利さ、エアコンディショナーの快適さ、冬の便座の暖かさ、夏の冷たい飲み物などなど、いったん体験したらこれから逃れられない。

電気器具はアヘン吸引器具であり、わたしはアヘンもコカインも知らないが、確実に麻薬中毒患者である。わたしたちは長い時間に亙ってすこしづつ電気麻薬を注入されてきて、すっかり中毒患者にさせられていたことに、今、気がついた。わたしは少なくともテレビジョンなる電器麻薬中毒にはなっていないが、インタネット電磁麻薬中毒患者であることは確実である。

そんなところに節電騒ぎであるが、要するにこれは麻薬製造工場が故障して、麻薬の供給が切れたので、中毒患者が禁断症状を起しているのである。一億総電気麻薬中毒(電麻中)で、総禁断症状である。麻薬が切れたかわりに核物質つまり加工前の麻薬製造原料が飛び散って、電麻中患者のだれかれにかまわず襲いかかっている有様である。

そこで、電麻中毒患者たちは、こんな汚い怖い核物質の原料から麻薬を作るのはやめようという派と、いや汚くても怖くてもこの原料がいちばん安いんだから作り続けようという派に分かれて、いがみ合っているのである。この後者のバックには、これまで核物質原料麻薬工場を作り経営してきた巨大な既得利権集団が控えていることは、これまでの超巨額投資からみて当然に考えられる。

こういうとき庶民はどう考えるべきだろうか。まずは電麻中から抜け出すべきであろう。ヤクは適切に使えば薬である。次は汚く怖い原料による製造をやめるべきであろう。安価な毒より高価でも安全な薬を供給してほしい。さて、麻薬製造書の故障現場が撒き散らしている核物質は、脱原発への強烈なる麻薬解毒剤であろうか。それとも、更なる原発推進への麻薬強化促進剤なのだろうか。


2011年7月23日土曜日

原発にストレステストなんてものをやって、耐性を評価するんだとさ。よくわからんが、想定外のことが起きても、想定内に収まるって耐性があるかどうか、そんなことをテストするんだろうかね。これって明らかにトートロジーだね。まあ、なんでもテストすることはよろしい。

ところでこの体制じゃなかった耐性評価の試験は、原発という装置だけについてやるんだろうか。もしそうだとしたら、おかしい。だって、福島第1原発でわかるように、原発でなにか起きたら、原発装置だけじゃなくて、東電という組織にも、地域社会にも、国土全体にも、国際的にも大影響が出ているのだ。だから、それらもテストの範囲にいれないすると、現在発生してることが全く教訓になっていない。

だから日本の原発ストレステストは、万一福島第1のようなことが起きたら、原発会社(これこそ体制評価か)、立地地域社会、日本社会、そしてアジア近隣諸地域において、どのようなことが起きるのか、それがはたして耐えられるものか、そのような耐性評価を行なうべきである。これこそが、ストレステストの真髄であると思う。

2011年7月25日月曜日

核の降る街を 核の降る街を

想い出だけが 通りすぎてゆく

核の降る街を

あの原発から おちてくる

このうつし世は このうつし世は

いつの日に 変わる

底知れぬ恐ろしさ ふくしま

核の降る街を 核の降る街を

足音もなく 追いかけてくる

核の降る街を

人の心に 満ちてくる

この哀しみは この哀しみは

いつの日に 消える

緑なす春の日よ ふたたび

核の降る街を 核の降る街を

息吹とともに こみあげてくる

核の降る街を

だれもかれもの その心

この空しさは この空しさは

いつの日に 醒める

新しき光ふる ふるさと

(内田 直也作詞「雪の降るまちを」のパロディ)


2011年7月30日土曜日

原子力安全不安院(え、保安院だっけ)ってのは、国民のみなさまの原子力の安全性についての不安を、取り除くためのお仕事をする役所でしょ。いろいろとご努力の様子には、おアリガトウゴザイマスル、ホント。これはヤラセだよ~って、にわかに新聞テレビが騒いでいる。

原発発電所の設置や新機能についての説明会に、電力会社と経済産業省原子力安全不安院とがグルになって、電力会社員や参加者を動員し、原発側に都合の良い発言をしてほしいと、Eメールなどで依頼したとかである。え~っと、なんだか似たような事件が、この数年のうちにあったような、なんだっけか?年とってくると大昔のことは思い出しやすいが、この数年のことが霞の中に消える。いや、そうでもないか、人の名前なんてのは、大昔も昨日も同じようにわすれているなあ、でも、これってわたしだけじゃないから安心だ、いや、安心でもないか。

いや、原発である。あ、そうそう、おもいだした、八百長相撲事件である。え~っと、国際プロ相撲協会というのかしら、外国人が大勢いて年に数回の全国巡回場所興業をやっている集団があるよね、NHKでも放送してる。あそこで、力士の間で勝負のつけ方をメールを使って談合してたって事件であった。

原発推進派が勝つか、反対派が勝つか、この両派が相撲して決着しようとして、談合したってことではないんだな。まあ、原発推進説明会やシンポジウムに、政府機関が意図して推進派を動員したってのは、どうも八百長相撲、いや八百長原発くさいよなあ。

ただ、どうもヘンである、ナンデ今ごろになって言うの? だって、説明会やらシンポジウムやら、ずいぶん前のことだよ。その八百長お願いは、秘密でもなんでもなくて、堂々とやってるんだろ。八百長ってみんな知ってたんだろ?もしかして、その頃に八百長だとかヤラセとか言うと、どこかから脅しがかかったのかしら?コワ~。今、ようやく言っても大丈夫な世の中になったのかしら? コワ~