国会及び政府の原発事故調に対するCritique

国会及び政府の原発事故調報告に対する論評

大竹 博 Ph. D.

アメリカ合衆国カリフォルニア州にて

2012年11月

はじめに

東京電力福島原子力発電における事故調査・検証委員会の報告書(略称、政府事故調)と東京電力福島原子力発電所事故調査委員会報告書(略称、国会事故調)を読み、この二つの文書を欧米、特に米国市民の視点から見た私個人の感想を下記にまとめました。

なお、感想をまとめるに当たっては、上記二つの文書に明記された調査委員会の目的やスコープの範囲から逸脱しないよう、気をつけました。

まず、調査委員が多くの被害者・事故関係者をインタビューして、また膨大な資料を整理して、上記の報告書を短時間で纏められた努力に敬意を表したいと思います。特に、国会事故調にある未来志向型の提言と結論は、正確に的を射ていると思います。

1.システムの観点からの考察

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の黒田清委員長が国会事故調報告書の冒頭で『…原子力は、人類が獲得した最も強力で圧倒的なエネルギーであるだけでなく、巨大で複雑なシステムであり、その扱いは極めて高い専門性、運転と管理の能力が求められる…』と述べておりますが、これは正しい全体像の見方だと思います。

しかし、政府事故調と国会事故調の報告書では、事故をシステムの概念や観点からみて、それを分析して考察する事がほとんど為されておりません。

個々の問題点を指摘して、詳しく分析するやり方は、日本独特の繊細さと精密さを以て為されており、これは結構なことですが、一方、諸問題の解決を、個々の問題点の範囲のみで行っている様です。

即ち、一つの問題が、他のシステム要素に連鎖反応的に伝播して、さらに大きな問題になっている点を見逃しているようです。解決策を練る、或いは解決策に至る進路を模索するに当たっても、同じ事がいえます。

この点を、可逆的に説明すると、システム内の諸問題を徹底的に洗い出して、それらを全部、一つ一つ解決しようとするのではなく、問題の共通点を見出して、根本的な問題を改めることです。そうすると、あたかも潮が引くように、全体の問題が解決します。

このシステム概念の欠如が、上記二点の報告書の提言と結論を脆弱なものにしている様です。システムを上手く管理して、運転・利用するには、システム管理の概念やシステム工学の知識が不可欠です。また、システムの問題の解決には、全体像から割り出した戦略が必要です。

2.Risk管理とCrisis 管理

今回の事故を人災ととららえているのには同感です。

システム管理では、予想外の事象が起きることは許されません。もし予想外の事象がシステムに起きたとしたら、それは管理者の管理不充分という事になります。国会事故調では危機管理(リスク・マネジメント)が不十分だったと結論しています。その点には同感ですが、システムの観点からすると、もっと機能的で且つ有機的な繋がりを考える必要があったと思います。

具体的に言うと、欧米では、Risk Management (問題が起きないように問題発生前に行う行為)とCrisis Management(不幸にして問題が発生したら、どの様に解決するかを問題発生前に考えて実行する行為)の双方をシステム管理の一部として扱っております。

上記の二点の報告書に見られるように、日本ではRisk ManagementとCrisis Managementの二分野をひとまとめめにして危機管理(リスク・マネジメント) と提起しているが故に、問題点がぼかされたり、重大な問題点に全く気付かないまま放置されているようです。

Crisis Managementが如何に不十分であったかは、上記二点の文書に明記されている様に、事故発生後、当該事業体は種々の事故対策を採られた様ですが、非常に泥縄的であった事、政府機関との連結がお粗末であった事、リーダーシップと指揮系統が上手く動作・機能しなかった事からも伺えます。

しかし、ここで大切なことは、Risk Management と Crisis Managementは別のものだが、両者は連結して考えられるべきです。そうすると、"重大問題が全く気がつかずに放置された"というような状態を、避けることができます。

その一例を、システム管理の手法を使って考えてみましょう。それは、システム管理者は、当然知らなくてはいけないのに、その事に気がついていない、あるいは、知らないでいた(例:地震と津波に対する防御手段・施設の不充分さ)という状態から、"問題発生前に、問題点を明確に見出し得る"強力な手法が、Risk Management の一部として存在するということです。

この手法を用いて、一旦問題点を見つけたら、 "もし、そんなことが起きたら、どう対処すべきかの対策を考える"のは、当然Crisis Management の一部として考慮されるべきことだったでしょう。

3.責任という言葉の意味

原子力といった新しい科学技術と、古来の日本の文化を基盤として築かれた日本特有の事業体組織、またそれと、政府機関との関係がうまく融和していない点を指摘したいと思います。

その例は、国会事故調にも明確に述べられているように、事業体の組織自体の問題、さらには政府関連機関とのリーダーシップの問題に、顕著に現れています。

しかし、組織内の、さらには組織と組織間の責任の問題は、国会事故調では包含的な表現でしか提起されておりません。システム内の諸要素として組織と責任に焦点を絞り、この問題を再考する必要があると思います。

具体例として、欧米ではシステム内の責任の概念を、Responsibility (直接責任)とAccountability (最終責任)に区別して使っております。これもまた、単に用語の問題だけではありません。

これ等の言葉の真に意味する事を理解して実行すると、例えば、国会事故調で指摘している審査・統制機関が指示した原発管理の計画が、事業団体の勝手な理由づけと判断によって、一方的に延期されるとか、破棄されるといった問題が、自然と解決されます。

4.システム諸要素間の力関係

国会事故調の提言#4は、『…ルール作りにより、民間の事業体を統制する…』と、要約できると思います。この提言自体は決して悪い事ではありませんが、実行困難なことと思われます。

何故ならば、システム内の動きは、システムの諸要素間の特有な力関係で決まるからです。この力は、政治的、財政的、技術的、資源的な側面を持っております。例えば、国会事故調で指摘されているように、もし民間の事業体が統制機関より技術力が勝っていたら、統制機関の意思を民間の事業体に伝えて、実行する・させる事は難しくなります。

如何に立派なルールを作っても、水を低い所から高い所へ流すことは、出来ません。それは、ルールよりも大きな且つ強力な力が、システムを支配しているからです。

欧米、特に米国では、この問題を解決すべく、政府機関としてDepartment of Energy を設け、その傘下に複数のワールド・クラスの研究所を持っています。研究所は、事業体より数段進んだビジョンと技術力を以てエネルギー政策を提言して、政策面や技術面で民間の事業体を先導し、指示を与えています。この様なやり方を、参考になさっては如何でしょうか。

5.リーダー・シップ

次に、リーダーシップに就いて触れてみたいと思います。政府事故調にも記載されているように、システムの諸要素のリーダーは、リーダーとしてのResponsibilityとAccountabilityを充分に理解して実行しなくてはいけません。さらに、リーダーシップのあり方は、平時と有事で異なります。

残念ながら、今回の不幸な事故、即ち、有事に、各システムの諸要素内、及び諸要素間でのリーダーシップが上手く機能しなかったようです。この問題が、民間の事業体内に組織的問題として存在していた事は、上記二点の報告書に明記されている通りです。

しかし、リーダーシップの問題は、政府機関や政府そのものにもあった様です。特に、有事において、力によるリーダーシップに加えて、動機付けにより人や組織を動かすリーダーシップは、さらに大切です。リーダーシップの不在や弱さが、事故を加速度的に悪化させていきました。

ところが、どちらの報告書にも、新しいリーダーの育成とリーダーシップの教育に関する提言がなされていない事を残念に思います。

6.有事の指揮者

次に、菅首相のとった現場視察の行動について触れてみます。

首相は、一国の最高責任者として、今回のような重大な事故の現状を正確に把握して、国内のみならず、国外にも然るべき対応をする義務と責任があります。それに必要な情報が、実時間的速度で報告されない場合、または、複雑に交差するシステム内の諸問題の全体像を正確に理解する必要がある場合には、現場を視察することは必要不可欠です。

菅首相の取った行動は、当然すべき事をしたまでだと思います。

もし、首相の行動が事業当事者の時間的あるいは人材面での資源(Asset)に悪影響を与えたとしたら、それは、当該事業体がCrisisが発生した時に必要な人材資源(Asset)を予め考慮して用意していなかった、即ち、Crisis Managementが出来ていなかったと、結論されます。

平時の指揮者と有事の指揮者では、指揮の仕方が、当然異なります。有事の指揮者の指示は、さらに命令口調になるのが常です。また、有事の指揮者は現場視察の察、現場の責任者が何を一番必要としているかを見つけ出して、指揮者と現場の責任者とが、チームとして機能する事が要求されます。チームとは、双方とも『Aの力』を持つ二人のリーダーがいたとして、この二人が共同作業する事により、二倍のAどころか、五倍、十倍のAの結果を生み出すとこを意味します。

今回の事故では、政府や政府機関と当該事業体のリーダー達は、互いの欠点を指摘しあう事に終始して、チームとして機能しませんでした。前記二点の調査報告書では、この点に関する指摘と対策があまり見当たりません。

大きな災害がおきた時、一国の最高責任者が現場視察をした事に関して、過去の事例と比較してみたいと思います。国家の重大事故で、ニュース・ミディアが、一国の最高責任者の現場視察について報告したのは、今回だけではありません。阪神大震災の時にもあった様に記憶しております。

しかし、阪神大震災の時は、国家の最高責任者は現場視察どころか、事故発生後一週間以上も、事故対応策を取らなかったが故に、被害が増大した事が、海外でも報道されました。

今度の事故では、国家の最高責任者が、いち早く行動を取り、一応の成果をあげたようです。この事は、大きな進歩であり、日本の最高責任者が取った行動は、欧米で高く評価された事を、参考までに付け加えておきます。

7.結論

この論評を書くに当たって、この不幸な事故をシステムの観点から観察する事から始めました。そのような観察を推し進めていくと、欧米文化が充分に咀嚼・消化されずに、現在の日本社会に混在する事に気がつきました。

一瞬にして情報の交信が可能なインターネットの影響で、世界各地から発せられる情報が、安易な翻訳でのみ伝わり、情報が持つ概念の本質が理解されないまま使われている事が、諸問題の原因である様な気がします。

このことは、RiskとCrisisを管理する問題、Responsibility(直接責任)とAccountability(最終責任)の違いと使い分けの問題、リーダーとリーダーシップの問題等に於いて、顕著に現れています。

システムの文化は日本でも、新幹線や宇宙プロジェクトの分野で、幾多の成功例があり、豊富な経験を持っています。この、経験を原子力発電事業に応用して、新しい日本文化を築く事は、日本にとって大きなチャレンジでしょうが、果敢に挑戦しなくてはならない課題だと信じます。さもないと、また同じような事故を繰り返す事になるのではないかと危惧しています。

2012年 11月

大竹 博 Ph. D.

●大竹博氏の略歴

1937年小樽市生まれ。1961年東京工業大学卒業。1964年交換留学生として渡米。カリフォルニア工科大学からPh D.を取得後、NASA(アメリカ航空宇宙局)のジェット推進研究所勤務。システムズ・エンジニアとして出発し、後にラインや種々の宇宙探査プロジェクトのマネジャーとなり、日米・日欧米・欧米の共同宇宙プロジェクトのマネジメントにも参画。その間、宇宙航空学会の役員として、システム部門と宇宙ロボット部門を担当。2002年、NASAを退職、コンサルティング会社設立。日米企業でプロジェクト・マネジメントの教育・指導・講演に携わり、現在にいたる。

~~~~~~~~~~

各報告書は下記を参照のこと

●東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)

http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/index.html

●東電福島原発事故調査・検証委員会(政府事故調)

http://icanps.go.jp/

●福島第一原発事故と4つの事故調査委員会(国立国会図書館編)

http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3526040_po_0756.pdf?contentNo=1

==========

●この論評に対するご意見等があるお方は、dateygアットgmail.com(アットは@に書き換えて)に送ってください。大竹氏に取り次ぎます。なお、匿名のお方には返信を致しません。

●サイト管理者注:このサイトは伊達美徳が管理しており、伊達の論述の掲載を原則としておりますが、ここに例外的に大竹博氏の論評を掲載しました。

アクセスカウンター