梨璃と一緒に星を見た夜の翌朝、私は早速、思いついたことを言うべく、梨璃を探していた。そんなに急ぐ用でもないけれど、早く梨璃の喜ぶ顔が見たかった。
けれど、梨璃のシュッツエンゲルとはいえ、梨璃の時間割をそう言えば知らなかった。だから、いま彼女が何をしているのか、これと言って分からない。今日は当番の日だから、遅かれ早かれあの子に会うことはあるけれど、梅や他の子たちがいる前で誘うのは恥ずかしい。出来れば、二人きりの時に誘いたい。
このままカフェテリアで過ごしてしまうと、少し寝不足気味なのも相まって、眠ってしまいそうなので、宛てもなく学内を歩いてみる。通りすがりに一年生らしい子たちに、「ごきげんよう」と挨拶をされたので、この調子だとどこかで梨璃に出会えるかもしれない。
それにしても、もう何年とこの百合ヶ丘にいるのに、初めて見るような場所がたくさんある。校舎の横の小さな広場、木々や花々が植わっている小道。校舎から離れているわけではないから、きっと良く見ていた場所なのだろうけれど、こうして意識したのは初めてかもしれない。
そうして気付く。梨璃と出会うまでの私は、バレンタイン等のイベントもそうだったけれど、周りの目を気にして逃げるように過ごしていた。美鈴お姉様の一件以降、周りの子たちからの視線が怖かったのと、後は私のやってしまったことに対して、ひたすら思い詰めていたから、こういう周りの風景に気を回すほどの余裕がなかったのだ。
梨璃と出会ってからは、あの子のお陰もあって、私も昔ほど追い詰めることもなくなったし、精神的にも余裕が出来た……と思う。だから、こういう小さなところにも気付けるようになったのだろう。
そう言う意味でも、本当に梨璃には感謝している。
そんなことを思いながら歩き回っていたのだけど、これと言って梨璃に出会うことはなく、後者周りを一周してしまった。学院の敷地は広いから、もう少し歩き回ってみようか、とも思ったのだけど、それはそれで気が遠くなってしまうから、ひとまずいつもいるカフェテリアに向かう。
紅茶セット一式を持って、いつもの席に座る。というより、何だかんだ梨璃と話している時はいつもここだったし、最初からここで待っていれば、もっと早くに梨璃に出会えたかもしれない。少し失敗した、と思ったけれど、まあ特に後悔もしなかった。
それにしても、この私が梨璃と星を見に行こうと誘う日が来るだなんて、思ってもいなかった。もちろん、昨夜梨璃が行きたいと言っていたから、というのもあるけれど、昔の私なら、それでも行ってみようとは思わなかっただろう。でもそう思わせてくれるほど、昨日の梨璃と見た星空は綺麗だったのだ。
「あっ、お姉様!! おはようございますっ!」
いつも持ち歩いている文庫本を読んでいると、授業が終わったらしい梨璃が、教本を抱えながら、駆け寄ってきた。
「おはよう梨璃、昨夜はよく眠れたかしら」
「はい! すごくよく眠れました!」
そう言いながら、梨璃は向かいの椅子に座る。
「次の時間は講義はないの?」
「はいっ! 私も紅茶頂いても良いですか?」
「えぇ」
頷くと、梨璃はぱたぱたといつものようにお砂糖とミルクを取りに行った。私はいつもアールグレイをストレートで飲むのだけど、あの子も真似をして飲んだら渋かったそうで、それ以降そうして飲むようになったのだとか。でも確かに、アールグレイはミルクを入れても美味しいし、その方が好きだという人も多い。
梨璃が帰ってくるのを待って、いよいよ梨璃に本題を持ちかける。
「ねえ梨璃」
「はい? なんでしょうお姉様」
「今週の土曜と日曜、空いているかしら?」
そう聞くと、きょとんとしながらも、「はい……空いてますけど……」と梨璃が答える。
「もしあなたが良ければだけど……あなたが昨日言っていた場所に、行ってみないかしら」
それを聞いた梨璃の顔は、たちまち明るくなって、「本当ですかお姉様っ?!」と前のめりに聞いてくる。そこまで食いついてくるとは思わなくて、少し驚く。
「え、えぇ……。いえ、もちろんあなたの都合が合わないなら、別に――」
「行きたいですっ! 是非行きましょうお姉様!!」
ここまで喜んでくれるとは思っていなかったのだけど、でも、こんな梨璃を見られてよかった。
その後、梨璃が授業に向かうまでの間、その日どう動こうか、という相談をした。笑顔は最後まで笑顔だったし、私も話していて、すごく心が躍っていた。ここまで心が躍ったのは、梨璃の誕生日に山梨に行った時以来だろうか。柄にもなく早く土曜日が待ち遠しかった。
+++
そして土曜日の早朝。校門前で梨璃を待っていると、大きいリュックを背負って梨璃が走ってきた。
「おはよう梨璃」
「おはようございますお姉様っ!! すみません、少し準備に手間取っちゃって……」
「いえ、まだ始発まで時間はあるのだし、それに公的な用事ではないのだから、大丈夫よ」
「それもそうですねっ、じゃあ行きましょうお姉様!!」
朝も早いというのに、梨璃は相変わらず元気そうだ。梨璃にとっては久しぶりの帰郷なのもあって、いつも以上に気分が上がっているのだろう。そんな梨璃と手を繋ぎながら、駅へ向かう。
「うぅ、それにしても、朝はまだ冷えますね?。手袋は持ってきましたけど、リュックに入れてきちゃいました」
そう言う梨璃の為に、私はつないでいる手を、梨璃の手ごと上着のポケットに入れる。
「お、お姉様っ?!」
「……これで少しは温かいでしょう」
直接梨璃を見るのは恥ずかしいので、前を向きながらそう言うと、梨璃が嬉しそうな声で「はいっ!」と返ってきた。
そんなやり取りを交わしながら、何度かお世話になっている駅で切符を買って、いよいよ始発の電車に乗り込む。ここから約二時間強の電車旅だ。
もちろん星を見に行くだけなら、こんなに朝早くに出る必要はなかった。けれど、梨璃が「折角山梨に行くなら、お姉様にたくさんいいところを知ってもらいたい」と言って、色々な所を回りたいそうなので、それなら、と朝早くから向かうことにしたのだ。……とはいえ、私もその時は気付いていなかったけれど、これは早すぎる気もするのだけど。
「でも、お姉様と一緒に山梨に行けるだなんて、夢のようです! 今日はいっぱいお姉様に良いところをお教えしなくちゃ……」
そう梨璃が言ってくれる。きっとあの子は、甲州撤退戦の時の事を気にしてくれているのだろう。そこまで気にしなくても、私にはあの子の為にラムネを買いに行ったこともあるし、今はそこまでのトラウマはないのだけど、
「梨璃」
「はい? 何でしょうお姉様」
梨璃の優しさにはいつも感謝している。きっとこの子だからこそ、私もここまで心を開けたのだと思う。だから。
「ありがとう」
そう言ったのが少し不思議だったのか、一瞬不思議そうな表情を浮かべて、そしてすぐに笑って「はい、お姉様!」と梨璃は笑って頷いた。
その後梨璃は朝早かったのもあってか、私の肩に寄りかかって、すやすやと眠っていた。その間、私は車窓に広がる、移りゆく景色をぼんやりと眺めていた。
色濃くヒュージの爪痕が残っている場所が出てきたと思えば、都会が出てきたりと、様々な景色が流れてゆく。この前ラムネを買いに行った時には気づかなかった景色だ。そして改めて、私たちリリィが守らなければならないものを再確認した。もちろん、横に眠っている梨璃も、それと同じくらいか、それ以上に守りたい存在ではあるのだけど。
何回か乗り継いで、とうとう私たちは山梨にたどり着いた。駅から出て、梨璃に聞く。
「それで、この後はどうするのかしら?」
「あ、はい! この後は私の思い出を色々と回ろうかなって思います! お姉様と一緒に見たい景色がたくさんあるんです! ついてきて下さい!」
梨璃が私の手を引っ張って歩き出す。
「もう梨璃、そんな急がなくても、時間はたくさんあるわよ」
そんな梨璃に苦笑いしながらそう言うと、梨璃はえへへ、と笑いながら、「だって、早くお姉様に見せたいんですもん!」と返してきた。今日の梨璃はいつにもまして純粋だ。
その後は梨璃の案内にひたすらついていった。昔よく遊びに来た公園や、梨璃の母校、それから私がこの前ラムネを買いに行ったお店にも行った。あの店主さんは今でもご健在で、店の入り口前の椅子で、梨璃と二人でラムネを飲んだ。まさか、あの時のちょっとした私の夢が、ここで叶えられるとは思わなかった。
+++
そうして色々と回っていたら、あっという間に日が暮れた。確かに梨璃の言う通り、早くに出てきて正解だったかもしれない。事前に予約していたホテルに荷物を置いて、いよいよ梨璃の言っていたところに星を見に出かけた。
その場所はホテルからそう遠くない場所だった。街を外れて、少し山を登ったところにある公園のような所で、その上は学院で見た時とは比べ物にならないほどの満点な星空だった。
「綺麗でしょう?!」
「えぇ、これはすごいわね……」
置かれていた少し古いベンチに座りながら、首が痛くなるまで星空を眺めた。すると、「こんばんわ」と後ろから声がした。そちらを見ると、何やら大きな荷物を抱えた男の方が、この公園まで登ってきていた。梨璃が、「こんばんわ」と返す。
彼はその後私たちより少し離れたところで、その荷物を置いて、三脚を設置し始めた。そして、肩に下げていた白い袋から、大きな筒のようなものをその三脚に置いた。それに梨璃が反応した。
「あっ! それって天体望遠鏡ですか?!」
「あぁ、そうだよ。良ければ覗いてみるかい?」
「見たいです!! お姉様も行きましょう!!」
私が答えるよりも先に、連れていかれた。
「わぁ、大きいんですね、私、初めて見ました」
「だいぶ前に買ったやつなんだけどね。こいつの方が細かい星は見やすいんだ。例えば……」
そう言いながら、横についているレンズらしき場所を彼は覗き込んで、そして「これとかどうかな」と、覗くように促した。梨璃が最初に覗き込んで、「わぁ」と声を上げた。
「すごいですお姉様! 星がたくさん見えます!」
梨璃が興奮しながら、望遠鏡から離れた。まあ折角だし、と思って覗き込んでみると、その先には、五つの明るい星が、綺麗に見えていた。
「プレアデス星団っていうんだ。和名はすばる。綺麗だろ?」
「はいっ、いつもこうして見ているんですか?」
「天気がいい日は大抵ね。この辺りはヒュージもいないし、街明かりもさして邪魔にならないから、星を見るには良い場所なんだ」
そんな彼に「突然ありがとうございました」とお辞儀をして、時間も遅くならないうちに、公園を後にした。
「すごく綺麗でしたね! あんなに綺麗なの、初めて見ました」
「えぇ、そうね」
確かに、あの望遠鏡の先に見えた星々は、肉眼で星を見上げるよりもさらに細かい星々まで見えて綺麗だった。
それにしても、今日は本当に楽しかった。少なくとも、私の記憶の中で、一番楽しかったのではないか、って思う程には。梨璃に少しでも恩返しが出来れば、と思って誘ったのに、結局また梨璃から貰ってしまった。
「梨璃、今日はありがとう」
そんな言葉も、今日はすんなり出た。
「えへへ……まあ、ちょっとはしゃぎすぎちゃいましたけど……でも、喜んでもらえたならうれしいですっ!」
そう言って梨璃が、私の手を握ってくっついてきた。
「また来ましょうね、お姉様!」
「えぇ、必ずまた来ましょう」
また梨璃とこうして遠くまで出かけてみたい。そうしてまた新しい場所を一緒に見たい。ホテルまでの帰り道、そんなことを思った。