今回は、わいの作家名でもあります、『晴曇空』っていう名前について、どうしてこんな名前になったか、っていうお話を書こうと思います。
この名前が生まれたのは、このコラム執筆当時から数えて9年近く前、中3になる直前の春頃です。どうして具体的な時期まで覚えてるか、っていうと、この名前が生まれた背景がしっかりあるからです。
当時、わいは函館に住んでて、きっと、高校に入って大学に行って、それからもずっと函館にいるんだろうな、ってぼんやり思ってました。さして成績は良い方ではなかったので、ちょっと遠くの高校に入りそうな感じだったけど、それでもこの土地にいるんだろうと。建てた一軒家に住んでたのもあって、そう信じて疑わなかったんです。
しかし、この頃、わいの環境は一変することになります。元々よくパチンコに行っていた親父が、負けたことを隠すために借金をしていて、その額が膨大になっていたというのです。
それに起こった母親は離婚を切り出し、家の雰囲気はもともとそんな良くはなかったですが、さらに悪化しました。毎晩のように聞こえる怒声に、『離婚する』っていう現実が受け止めきれなくて、そして、『当たり前にあった日常』がなくなるんだ、っていう喪失感から、わいはガラガラと崩れていきました。
しょっちゅう癇癪は起こすようになって、それを母親にどうにもならないからと、児童相談所に連れてかれたこともありましたし、毎晩泣いては、死にたくなって、壁に頭を何度も打ち付けたことすらあります。電源ケーブルを見て、それで首を絞めたことだってあります。それでも、死にきれなかったんです。それだけ、環境は最悪でした。
そうした日々の中、成す術なく、従うしかない日常に心も擦り減りきったそんなある日、当時第二の自分の部屋代わりに使ってた部屋の、ベランダから見上げた空が、なんとも不思議な空模様だったんです。夕焼けに紅に染まった曇り空と、その奥には綺麗な橙の空。今写真が残ってないのが残念ですが、そんな空模様にひどくわいは感動して、そうして『晴雲空』という本当に最初の名義が出来ました。
それから数日、相変わらず好転することない日々の中で、それでもわいは少しでも現実逃避するために、ある小説の案を練りました。それが、『Re:turn』という作品です。
四人の少年少女が、それぞれの問題を抱えていて、そんな四人が出会って、立ち上がっていく――そんな話です。色々とやる事が多くて、リメイクプロジェクトは止まってしまってますが、いつかは絶対に書こうと思っています。そして、その話のキャラクターデザインを頼んでいたのが、幼馴染の渚ノンとかいう絵描きでした。
そして、その話の案を練っていくうちに、自分のこの『晴雲空』という名義をもう少しかっこよくできないかな、と色々と考えて、『晴影空』や『晴陰空』などなどの案の末に、今の『晴曇空(セイカゲゾラ)』という名義に辿り着きました。あまり書いたことはないですが、この名前の意味は、「雨が降ったり曇るこの空も、いつかは晴れる」――と言った、ある種自分自身を励ますようなものです。なので、わいにとっては、良い意味でも悪い意味でも、この名義は大切な名前なんです。
傑作集『「報われない」という言い訳』の表紙にも使っているこの写真は、
ちょうどそう言う癇癪明け、
気分を変えようとベランダに出た時に見た夕焼けの写真です。
そうして結局、両親は離婚、わいが住んでた家も、乗ってた車も、何もかも売り払ってなくなって、好きだった函館のばあちゃんも施設に入ることになって、わいにとって大切だったものは全部なくなりました。そして、どうせこの街にいても、嫌な奴らに会うだけだからと、わいは静岡の高校に入ることに決めます。そして静岡に行ってからも、リアルでもネットでも、わいはその喪失感から脱することもできずに、トラブルメーカーよろしく、色んな方に迷惑をかけ続けながら生きていくことになります。その中で、わいはこの『晴曇空』という名前すらも嫌いになっていきました。
そして、その経験があるから故か、逃げ癖がついてしまったが故に、色々と起こしてきたトラブルから逃げるように、簡単にこの名義を捨て、点々と名前を変えながら、創作活動を細々と続けていき、気が付けば静岡も9年目。函館にいた8年間よりも長い時間、この街にいます。何にも変わらないまま、わいは大人になりました。何にも変わらないが故、大切な人を傷つけ裏切って今に至ります。
結局今も、この『晴曇空』っていう名義は好きではないです。寧ろ、厄名だと思ってます。これはもう高校の頃からずっと言ってきました。この名義にしてから、何にも良い事なんかなかったから。
それでも今こうして、戻って使い続けているのは、そういう経験をたくさんしたから書ける話や言葉があって、そして名義を変えたところで、わい自身が変わるわけじゃない。その事にようやく気付いたからです。それなら、もう変えたってしょうがないし、人より遅い歩みだって、少しずつ自分自身を変えていかなきゃ仕方がない。他人にどんなことを言われたって、自分を変えるための作品を、この名義でやる事に意味がある、そう考えてます。
今年ももう数えるだけになってきました。今年初めに喋ってた友人たちも過ぎ去って、勢いのあったわいの作品だって、最早虫の息程になってきました。きっと、去年のわいは、そんな事だけでも、やめようとしていました。
それでも、今はやめる気はないです。人に読まれようが読まれなかろうが、来年のわいが読んで「こいつは傑作だ」と言える作品を書いてやろうと思えるから。そう言えるようになったのは、今も昔も過ぎ去った人たちのおかげで、どこかで数字に出ないけど楽しみにしてくれてる人がいるって、そのことに気付けたから。少なくとも、わいにとっての『晴れ空』は間違いなく、今年あったので。今はまた曇り空だとしても、またいつか晴れ空を拝むまではやめられないので。
そういう意味でも、わいはこれからもこの名義で活動を続けていきます。過去の恨み辛みも後悔も全部引き連れて、自分の歴史を物語るこの名義で。
なのでまた、どこかで会うことがあれば、その時はよろしくお願いします。この出来損ないの三流脚本家を、今後とも。