2025年10月19日 説教 祈りは生き方に。 藤原健久
創世記32:4-9,23-31
テモテへの手紙Ⅱ 3:14-4:5
ルカによる福音書18:1-8a
祈りは聞かれます。けれども私たちは、経験上知っています。祈りがかなえられない現実もあるのです。私たちが望む平和や、ささやかな幸せがかなえられず、とても辛い現実に直面することもあります。それは何故でしょう。神様は私たちの祈りを聞いてくださらないことがあるのでしょうか。
私たちはここで、少し深く考えてみなければなりません。私たちの祈りを邪魔しているのは誰でしょう。祈りがかなえられないのは、何が原因でしょう。たとえば、「戦争が終わりますように」とお祈りしても終わらないのは、戦争を続けている人間が原因です。また「災害が起きませんように」とお祈りする場合、人間の手に負えないものもあるでしょうが、災害の要因が「地球温暖化」にある時には、それは環境を破壊した人間が原因になるのでしょう。人間の罪深い思いと行いが、私たちの祈りを邪魔しているのです。
ですから私たちの祈りは、心の中だけでなく、行動を伴うものとなります。平和を祈る時には平和に近づくための行動を、災害から守られることを祈る時には、災害への備えと被災された方への支援を、そのように、私たちの祈りは、行動を伴うものとなるのです。私たちの祈りと行動とが合わさったもの、それは、私たちの生き方です。私たちの祈りは、生き方になるのです。私たちは自分の生き方を通して、お祈りしてゆくのです。
私たちは、十字架と復活を思ってお祈りします。その祈りはきっと、自分の十字架を背負ってイエス様に従う生き方になるでしょう。祈りを生きる私たちの生き方に、イエス様は必ず寄り添ってくださいます。