読んで字のごとく、旧約聖書に続く文書。旧約聖書と新約聖書の間には、物語として、400年ほどの開きがある。(歴史書の一番最後のエステル記が、ペルシア時代の物語。福音書のクリスマスが紀元元年の物語。)「続編」は、物語の内容としても、また書かれた年代も、ほぼ、その間に位置する。(ただし、新約の多くの文書よりも後に書かれたものもある。)
「旧約聖書続編スタディ版」の帯に、次のような宣伝文句。「新約聖書を知るための最良の手引き」。確かに、そうかもしれない。
「続編」を指す言葉として「アポクリファ」がある。これはギリシア語由来で「隠されたもの」という意味。反対の言葉は「正典・カノン」これは「真っ直ぐなもの、基準となるもの」という意味。
『旧約聖書続編と呼ばれる文書群は、1世紀末ユダヤ教で聖書の正典目録を定める時に受け入れられず、ユダヤ人の聖書には含まれていない、しかしもともとは紀元前3世紀ないしは2世紀から紀元後1世紀までの間に成立したユダヤ教の宗教的文書である。(中略)初期のキリスト教では、ギリシア語がいち早く共通語となり、キリスト者は離散(ディアスポラ)のユダヤ人たちが用いた「ギリシア語訳旧約聖書(70人訳聖書)」と共に、先の文書群も受け継いだ。』
*「続編」は、ぶっちゃけ、ギリシア語聖書に含まれている文書から、ヘブライ語聖書に含まれている文書を引いた、残りの文書と言える。(ただし、一つだけラテン語聖書から採られている。)
(*巻末の対照表参照)
旧約聖書は、ユダヤの国で生まれ、ユダヤの人びとが語るヘブライ語(一部アラム語)で書かれた。
歴史の中で苦難の多かったユダヤの人々の中には、早くから本国を離れて生活する人々、「離散(ディアスポラ)のユダヤ人」と呼ばれる人々が多くいた。彼らの中には、日常的にはヘブライ語ではなく当時の国際語であるギリシア語を用いる人々が多くいた。(新約聖書にあるように、パウロの宣教旅行は、各地でのディアスポラのユダヤ人に福音を宣べ伝えるところから始まった。また初期の教会には、ヘブライ語を話すユダヤ人とそうでないユダヤ人が混在していた。「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。」〔使徒言行録6:1〕)彼らのために、旧約聖書がギリシア語に翻訳された。
ギリシア語訳旧約聖書の代表。紀元前3世紀から紀元前1世紀にかけて、翻訳された。
「72人が72日かけて律法を翻訳した」という伝説から、書名が採られている。(72と言う数は、ユダヤ民族12部族からそれぞれ6人出した、という計算。)実際は数人からなる数グループが、翻訳したと思われる。翻訳地はエジプトのアレクサンドリア(大図書館があった)。
文書の配列は、ヘブライ語聖書と大きく異なる。
旧約聖書は、長い時間をかけて様々な地で、人々の祈りと口伝の中で伝えられ、少しずつ記されたものがまとめられたもの。文章として記されてから、神殿や各地の会堂で読まれた。但し当時は、それぞれの文書が独立した巻物として保管され、礼拝で用いられ、読まれていた。その中で少しずつ、取捨選別され、みんなが用いるものとして「正典」と認められていった。
ユダヤ戦争(紀元後66-70)の時、あるユダヤ教指導者が、ヤムニアという村で律法を教えだす。やがてヤムニアは、律法研究の中心地となっていった。1世紀末ごろに、正典結集会議が行われ、旧約聖書が確定した。その会議において、ヘブライ語写本を持たない文書を排除し、これらを「外典」と呼ぶことにした。(キリスト教がギリシア語聖書を専ら使うことに対する対抗措置、のような意味合いもあったよう。)
ヨーロッパ西部、南部、アフリカ北部などでは、ラテン語が用いられていた。それらの地の教会では、聖書がラテン語に翻訳され、用いられていた。
ローマ教皇ダマスス1世の勧めで、ヒエロニムスがラテン語聖書の改訂と新たな翻訳を行うことになった。ヒエロニムスは、聖書学者であり修道士。ヘブライ語にも詳しく、旧約聖書に関しては、ユダヤ教的な正典観を持っていた。新約聖書は今までのラテン語訳を改訂し、旧約聖書はヘブライ語から翻訳した(390-405年)。ただし、「続編」に関しては、2つほどの文書を雑に訳したほかは、今までのラテン語訳の物をそのまま引用した。
文書の配列は、基本的にはギリシア語聖書に従いながら、若干異なる。
ヒエロニムス訳の聖書は「ウルガタ」(「共通訳」の意味)と呼ばれ、広く用いられ、1545年、トリエント公会議で、ローマ・カトリック教会の公式聖書として正式決定された。
ギリシア語聖書を旧約正典として扱っているので、「続編」は全て「正典」。(ただし、『エズラ記(ラテン語)』を除く。)
ラテン語聖書を、公式聖書として採用している。「続編」は「第2正典」と呼ぶ。ただし、『エズラ記(ギリシア語)』『エズラ記(ラテン語)』『マナセの祈り』は、アポクリファとしている。(新共同訳、聖書協会共同訳の、本文『エズラ記(ギリシア語)』の前に白頁があり、下段に「以下の旧約聖書続編(3書)は、カトリック教会においてもアポクリファないし外典としている。」と明記されている。)
英国聖公会の「39か条」に、次のように記されている。「教会は次の諸書を(ヒエロニムスが述べているように)生活上の模範と道徳上の教訓のために読むが、それらを典拠としていかなる教義をも定めることはしない。」そして、「続編」を列挙している。
ヘブライ語聖書に含まれるもののみを「正典」とし、そのほかは「外典」とした。宗教改革者ルター、カルヴァンは、「正典」を「教義の根拠となるもの」とみて、「外典」をそのように扱ってはならないとした。ただ、二人とも、「外典」の諸文書に対して好意的で、「これらは聖書と同等に見なし得ないが、読めば有益で、良い書物」(ルター)、「善良で有益な教えを含んでいる限り、軽蔑すべきものではない」(カルヴァン)とした。そして、これらを、旧約と新約の間にまとめて配置した。この形式を日本で初めて採用したのが「新共同訳聖書」。
19世紀、欧米各国は世界中に伝道した。聖書を配布する際に、少しでも費用と価格を下げるために、「続編」を除いた聖書が印刷、発行され、その後、その形が支配的となった。100年以上その状態に慣れきった人々が、「続編」を奇異なものとして受け止めるようになった。
聖書の特徴は、「礼拝で読まれる」というもの。言い換えれば、各地の教会の礼拝で読まれてきた文書が、「聖書」としてまとめられた、とも言える。「カトリック、正教会、聖公会では『続編』を認めている」と言うのは、それらの教会では、礼拝で「続編」を用いている、と言うこと。
現在の日本聖公会では、礼拝の中で、次のように「続編」を用いている。
*聖書選定の特徴は、福音書中心にテーマ別。3年周期。
〔A年〕特定1 シラ15:11-24。特定19 知恵12:13,16-19
〔B年〕特定20 知恵1:16-2:1、(6-11)12-22
〔C年〕降臨節第2主日 バルク書5章
特定17 シラ10:(7-11)12-18
〔共通〕聖金曜日(受苦日) 知恵2:1、12-24
〔祝日〕7月22日 マグダラの聖マリア日 ユディト9:1,11-14
10月18日 福音記者聖ルカ日 シラ38:1-4,6-10,12-14.
11月1日 諸聖徒日 シラ44:1-10,13-14又はシラ2:(1-6)7-11
〔小祝日〕2月5日 日本の殉教者 エズ・ラ2:42-48。
(以下日程随時)殉教者 エズ・ラ2:42-48。
教会博士 知恵7:7-14
聖徒 知恵3:1-9
*聖書選定の特徴は、通読するように連続で読み進む。2年周期。
〔以下、第1年は夕の礼拝で、第2年は朝の礼拝で朗読される。*例外あり。〕
降臨4、金曜日 バル4:21-29
12月24日 バル4:36-5:9(*第2年・朝のみ)
降誕2主日 シラ3:3-9,14-17(*第1年・朝、第2年・夕)
知恵7:3-13(*第1年・夕、第2年・朝)
大斎前主日 シラ48:1-11
聖金曜日 知恵1:16-2:1,12-22(*第1年・朝、第2年・夕)
復活4主日-復活5・土 知恵1:1-19:22(*第1年・朝、第2年・夕)
復活6主日 シラ43:1-12,27-33(*第1年・朝、第2年・夕)
昇天前祈祷日・水 バル3:24-38(*第1年・朝のみ)
夏期聖職按手説・水 知恵9章(*第1年、第2年とも夕)
三位一体主日前夕 シラ42:15-25(*同上)
三位一体主日・聖霊降臨後第1主日
シラ43:1-12(27-33)(*第1年・朝、第2年・夕)
特定5・木-特定6主日 シラ44:19-46:20(*第1年・朝、第2年・夕)
特定19・金-特定20・金 ユディト4:1-13章
特定23・金-特定27主日 シラ1:1-51:22(*第1年・朝、第2年・夕)
特定27・木-特定28・金 1マカ1:1-4:59(*第1年・朝、第2年・夕)
〔祝日。第1,2年共通〕
12月26日 最初の殉教者聖ステパノ日 知恵4:7-15(夕)
3月25日 聖マリヤへのみ告げの日 知恵9:1-12(夕)
4月25日 福音記者聖マルコ日 シラ2:1-11(朝)
6月11日 使徒聖バルナバ日 シラ31:3-11(朝)
6月24日 洗礼者聖ヨハネ誕生日前夕 シラ48:1-11(夕)
11月1日 諸聖徒日 エズ・ラ2:42-47(朝)知恵5:1-5,14-16(夕)
28頁 朝の礼拝 「万物の歌」 アザルヤ34-64
65頁 朝の祈り 「万物の歌」(金曜日の賛歌)同上
72頁 夕の祈り 「主への参加」(火曜日の賛歌)アザルヤ29-33
各書にちなむ聖歌は以下の通り
〔トビト〕304、〔ユディト〕330、〔1マカ〕301、〔知恵〕425、123、550、198、317、345、539、212、17,2,5、〔シラ〕349,533,5,288,548、32,555,182,528,471,523,350,414,415,212,22,74,299,321,206、〔バルク〕19,20,299,61,63、〔アザルヤ〕550,200,322,222,178,16,173,219
*思いのほか「続編」が用いられている事実に驚くのではないか。私たちは、自分が思っているより深く、「続編」に親しんでいる。
紀元前720 アッシリアにより北イスラエル王国滅亡。
701 アッシリアによりエルサレムが包囲されるが、滅亡は免れる。
612 バビロニアによりアッシリア滅亡。
586 バビロニアにより南ユダ王国滅亡。バビロニア捕囚。
539 ペルシアによりバビロニア滅亡。ユダの捕囚民、本国帰還。神殿再建。
『400頃 律法(ヘブライ語)正典となる。』
(このあたりで旧約聖書の物語終了。以下『続編』の物語。)
334 マケドニア王アレクサンドロスの東征。ペルシア滅亡。
332 アレクサンドロス、サマリア人にゲリジム山の神殿建設許可。
323 アレクサンドロス死去。帝国はエジプト(プトレマイオス朝)とシリア(セレウコス朝)に分裂。ユダヤはプトレマイオス朝(エジプト)の支配下になる。ヘレニズム化が進む。町の名前がギリシア風に。重税が課せられる。
『250頃 「70人訳聖書」(ギリシア語訳聖書)翻訳開始』
『200頃 預言書(ヘブライ語)、正典となる。』
*このころ『歴代誌』『エズラ・ネヘミヤ記』
197 ユダヤはセレウコス朝(シリア)の支配下に移される。
190頃 ローマ帝国、勢力を拡大。
*このころ『シラ書』『トビト記』
170頃 シリアのアンティオコス・エピファネス、エルサレムを蹂躙。神殿冒涜、市民虐殺、大祭司殺害、ギリシア化強制。
*このころ『ダニエル書』
167 マカバイ戦争。エルサレムを奪取。神殿を清めて再奉献。アロン・ツァドク系大祭司が神殿に戻る。
143 ユダヤの独立を回復。
128か107 エルサレムの大祭司、ゲリジム山の神殿を破壊。
このころ、サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派の諸派が鮮明になる。
*このころ『2マカバイ記』『1マカバイ記』『ユディト記』
63 ローマ帝国、シリアを支配下に。ユダヤはローマのシリア総督のもとに置かれる。
*このころ『知恵の書』
37 ヘロデ大王、エルサレム占領。
20 エルサレム第3神殿建設着手。
4 ヘロデ大王死去。王国は3人の王子に分割。
*イエスの誕生(ここから新約聖書の物語。)
紀元後6 ユダヤ、ローマ総督の支配下に置かれる。
*イエスの宣教、十字架と復活。
34-6頃 ステファノの殉教。パウロの回心。
46-60頃 パウロの宣教旅行。エルサレム会議。
*ころ、新約聖書『パウロ書簡』『他の書簡』『マルコ福音書』
66-70 ユダヤ戦争。
70 エルサレム陥落。
*このころ、『ユダ』『2ペトロ』『エズラ記(ラテン語)』
『90 旧約聖書完結(ヤムニア会議)。』
*このころ、『福音書』『使徒言行録』『ヨハネの黙示録』他の新約文書(100年前後)
*日本聖公会では、「続編」を、独自に別冊として出版していた。その中の解説から。一つの目安として。
〔「続編」の年代〕
1、紀元前200-100年ごろ シラ、トビト、ユディト、ダニエル書補遺
2、紀元前100-1年 1,2マカ、知恵、エズラ(ギ)、エステル(ギ)、エレミヤの手紙、マナセの祈り、
3、紀元後1-100年 バルク、エズラ(ラ)
〔「続編」の内容〕
*歴史…1,2マカ、エズラ(ギ)、エステル(ギ)、*知恵文学…シラ、知恵、*教訓的な物語…トビト、ユディト、スザンナ、ベルと竜、*黙示文学…エズラ(ラ)、*その他…マナセの祈り(心霊的)、アザルヤ(礼拝用賛歌)、エレミヤの手紙(時期的に数少ない書簡体)、バルク(預言書の形態を模す)。
*「イスラエルの外に住むユダヤ人に対して、伝統的な価値と習慣に忠実であるように促すために書かれた歴史小説。」(スタディ版)
*物語の内容…アッシリアの捕囚となってニネベに住む信仰深いトビト、しかし財産失い失明し失意の底にある。友人への借金の回収に、息子トビアを遣わす。案内人として身分を隠した天使ラファエルが同行する。旅の途中でトビアは、大きな課題を乗り越え結婚。妻と共に故郷に帰り、皆、幸せになる。
*「アッシリア捕囚期における離散のユダヤ人」という、他にはない設定。数少ない名前を持つ天使ラファエルが登場する。
*読みやすく、楽しい物語。「むかしばなし」のような、民間に流布していたであろう説話を元にしているような、素朴な場面が多い。他の旧約聖書文書と大きな違和感はないが、それでも、長文の独白、よくしゃべり良く活躍し大変親しい天使の存在など、他にはない雰囲気はある。
*美しい挨拶の言葉、祈りの言葉が多く記されている。
*書かれた時期と場所…「紀元前2世紀の初期までに、パレスチナ以外の離散のユダヤ人によって(ギリシア語で)書かれた。(新共同訳注解)」、「紀元前200年ごろ、捕囚後のイスラエルで編纂。本来、ヘブライ語(またはアラム語)で書かれ、ギリシア語に訳された。(スタディ版)」今後の研究が待たれる。
*ギリシア語の本文が、ヘブライ語、アラム語、ラテン語、他のギリシア語の訳され、伝わっている。
【トビト8:1-18 トビアとサラの結婚】…結婚における、素朴で美しい祈りと賛美。トビアの父トビトの苦しみと、不幸な結婚を重ねてきたサラの苦しみが、同時に癒される。本書のクライマックス。
*「歴史小説ともいうべき本書は、捕囚直後の時代を背景として、ユダヤの年若き一人の寡婦が、その美貌を利用して、敵軍の将を殺した愛国的な物語である。(日本聖公会「続編」)」…しかしそうとばかりは言ってられない。
*「虚偽の物語」…「アッシリアの王ネブカドネツァル」実際にはバビロニアの王(「大阪城主だった徳川家康」ほどの違和感)。「ユディト、ホロフェルネス」などの名前は、ペルシア時代の名前。舞台となった「ベトリア」という町が実在した記録はない。時代も場所も、全てが食い違っている。「物語の中心は、史実とは別のところにある」ということを伝えようとしている。
*紀元前2-3世紀のユダヤは、エジプトとシリアの2大勢力の争いに巻き込まれ、双方からギリシア化(ヘレニズム化)の波を受け、国内は混乱し、またアンティオコス4世によって大変厳しい宗教迫害を受ける。このような背景で書かれた。紀元前164年の神殿の清め(4:3)や、ヘレニズム的な習慣(3:7、15:12)、またファリサイ的な律法遵守、特に清めの規定が出てくる。書かれた時期は、このころから、ガリラヤと地中海沿岸の諸都市がまだユダヤに併合されていないので、紀元前100年ごろまでに書かれた。またローマのクレメンス(後101没)が本書に言及している。
*もともとヘブライ語で書かれ、ギリシア語に訳された。(ヘブライ語的な語法や、ヘブライ語の誤訳と思われる箇所がある。)ヘブライ語の原文は残っていない。
*書かれた目的は、「迫害の中でも神様を信じて抵抗せよ。」「自己保身のために行動しようとしない宗教的指導者への批判。」「か弱い女性が強大な敵を打ち負かすなど、神の救いのアイロニー(皮肉)。」等が考えられる。
【ユディト記13章 ユディト、ホロフェルネスの首を取る】大変ドラマティックな物語。*ユディトに通じる英雄は多くいる。戦う女性、士師デボラ、勝利の歌を歌うモーセの姉ミリアム(新約のマリアの賛歌に通じる)、誘惑と言う手段を用いて戦いに勝つタマル(創世記38章)、二人きりの部屋でナイフを用いて敵の王を殺害する士師エフド(士師記3章)、小さな体で巨大な敵に打ち勝つダビデ、等々。
*絵画や音楽など、多くの芸術作品が作られた。
*歴史物語と言うより、道徳的な教訓を含んだ娯楽小説としての性格がある。同じような文学類型としては、ヨナ書、ルツ記、トビト記、エステル記、ダニエルの物語、創世記のヨセフ物語などが考えられる。
*エステル記(ギリシア語)(以下「(ギ)」と表記)は、エステル記(ヘブライ語)(同じく「(へ)」)に、大幅に追加したものである。追加は、最初と最後、そして文中の随所に挿入してある。追加した個所は「A~F」で表記してある。
*ただ本文の伝承は複雑で、ギリシア語にも大きく分けて2つの流れがある。それぞれが元にしたヘブライ語本文も、複数の候補がある。
*これだけ複雑な伝承がされている、ということは、それだけ多くの場所でこの物語が語り継がれ、書き留められ、写され、伝えられ…という家庭を経ている証し。それは、この物語のような状況が、世界各地で行われていたから。つまりは、「本国を離れて、遠い異国に移り住んだユダヤ人が、地元の住民に迫害され、時には絶滅の恐れまで感じるほど苦しんだ」ということが、多くの地で行われた。
*「歴史書」というよりかは「歴史小説」。
*ラテン語聖書・ウルガタは、「(へ)」と同じく、まず1:1~10:3までが記され、その後に付加された箇所がまとめて配置されている。(日本聖公会の「アポクリファ」も、付加された部分のみを別冊として発行していた。)
*なぜ付加されたか?…「(へ)」は、以前見たように、「神」、「主」という言葉が一切使われていない書(雅歌もそう。そのせいで、2書とも、正典に入れるかどうかで大きな議論があったらしい)。また、民族主義的で復讐、報復の表現が強い。ディアスポラのユダヤ人は、ユダヤ的な考え方と共に、ギリシア的な考え方も身に着けていたのだろう。彼らにとっては、「(へ)」のままだと、少し読みにくく、理解しにくかったのではないか。宗教的表現や優雅で繊細な表現を付け加えることで、より宗教性を高め、ドラマティックにしようとしたのではないか。
*付加された部分以外でも、対比することで性格の違いが際立つ個所もある。1:6-7(室内装飾を優雅に表現)、9:1-15(復讐、報復の表現を和らげる)、また、「(へ)」に無かった「神」「主」が挿入され宗教性を高めた箇所は、2:20、4:8、6:1、6:13。
*書かれた場所と人については、F:11に、エルサレムのリシマコス(ギリシア風の名前)によって訳され、クレオパトラの時代である紀元前1世紀にエジプトに持ち込まれたと記されている。正確なことは分からない。「(へ)」は、ペルシア時代の紀元前4-5世紀、離散の地で書かれたと思われる。
【「(ギ)」C:1-11 モルデカイの祈り】…「(へ)」には無かった祈りの言葉。「(ギ)」はこのような箇所を付加することで、物語の宗教性を高めようとしたのだろう。「神の栄光の上に人の栄光を置かないためでした。…それは、おごり高ぶりからではありません。」復讐は、個人的、民族的屈辱への報復ではなく、信仰的な動機からなんだと弁明している。
*歴史書。旧約から新約までの間に起きた、大変重要な出来事である「マカバイ戦争」と呼ばれる出来事を記す。時代は紀元前169年から134年まで。セレウコス朝シリアのアンティオコス4世エピファネスによる過酷な弾圧(ダニエル書の黙示的メッセージの背景)に抵抗し、戦い、何百年来奪われてきた独立を勝ち取った物語(この独立は、紀元前63年のローマ帝国侵攻によって再び奪われる)。同時に、ヘレニズム化(ギリシア化)したユダヤ人に民族意識を覚醒訴える。
*イエス様の時代の人々からすれば、比較的最近の、まだ記憶に新しい時代の物語。そして、ローマ帝国に支配され、弾圧され、独立を失い、民族意識もバラバラになっている自分たちの状況に近い。
*そしてイエス様の時代の人々は、この物語における指導者たちの姿に、自分たちの理想の指導者像を重ね合わせる。「民をまとめ、敵と戦い、神殿を清め、大祭司となり、独立を勝ち取る」指導者像が、高じて、「救い主:メシア、キリスト」像となったのではないか。説教や聖書研究会などでよく言う、「人々が求める『世俗的キリスト』像と、イエス様が教える『真のキリスト』像がずれている」の前者は、マカバイ記で示された指導者像なのではないか。
*一人の著者によって、紀元100年頃に、ヘブライ語で書かれたが、現本は現存しない。後にギリシア語(複数)、ラテン語、シリア語、アルメニア語、アラビア語などに訳された。
【マカバイ記Ⅰ 2:1-28 マタティアとその子ら】
*「これを見たマタティアは律法への情熱に駆られて立腹し、義憤を覚え、駆け寄りざまその祭壇の前でこの男を切り殺した。」この激しい暴力行為を、本書は信仰故の行為として是認する。現在の我々の価値観からすると、容易には肯定しがたい。歴史をどう評価するのかは、大変難しい。
*シリアへの抵抗運動の指導者は、マタティアから始まり、その子どもたちに受け継がれる。ユダ・マカバイ、ヨナタン、シモン、ヨハネ・ヒルカノス。彼らの先祖の名をとって彼らを「ハスモン家」と呼ぶことがあり、歴史書では彼らが大祭司となり、世襲の指導者となったのを、「ハスモン王朝」と呼ぶことがある(本文では「ハスモン」の名前は出てこない)。「マカバイ」はユダのあだ名。多分、「槌」と言う意味で、彼の強さを表したのだろう。ただ、ユダは本書でさほど大きく活躍するわけではない。書名の「マカバイ」は、個人を越えた総称的な名称として、ユダのあだ名だけでなく、彼の一族や、彼らとその信仰、使命感、運命を共にした人々にも用いる。故に書名では常に「マカバイ」を複数形で表現する。
*マカバイ記Ⅰ(以下「Ⅰ」と表記)の続編ではない。時期的にも内容的にも、「Ⅰ」とマカバイ記Ⅱ(以下「Ⅱ」と表記)はかぶっており、「Ⅱ」は「Ⅰ」を補完、もしくは、歴史上の物語の信仰的意味を明らかにしようとしている。
*内容としては、「Ⅱ」は「Ⅰ」よりも先の時期の物語を含むため、こちらが先に配置されてもおかしくない。けれども後になったのは、執筆時期が新しいのと、歴史的性格嵯峨乏しいためだろうと言われる。
*確かに、「Ⅱ」は「Ⅰ」のような歴史的正確さに乏しい。作者もそのことを目指してはいない。「物語の筋を追ってみたい人を夢中にさせ、暗唱したい人にはそれを容易にさせ、ともかくもこの本を手にする全ての人に役立つように努めたい。(2:25)〔そのために元となったヤソンの著作を要約する。〕」「ぶどう酒と水を適度に混ぜると、人を心地よく楽しくする。それと同様、物語もよく編集されていると、それを聞く人の耳を楽しませる。(15:39)」作者は、歴史書としてよりも、読み物としての楽しさを優先している。
*宗教的、倫理的な主張のため、歴史的事件を、必ずしも時間の経緯と共に配置するのではなく、主題に合わせて再配置している。その主題は「至福、堕罪、懲罰、転換点、裁きと救済」である。
*「Ⅰ」にはない内容的特徴として、次の諸点が挙げられる。(1)神による奇跡的な介入。(2)殉教、そして死者の復活への信仰(7:11,23,14:46)。(3)ハスモン家の血統に無関心。:主人公はユダ・マカバイのみ。他の家族はほとんど登場しない。また、ユダ・マカバイの死を記録せず、死の直前で物語を終わっている。ユダはひたすら「英雄」であり、「ハッピーエンド」にしている。(4)「イスラエル」という呼称を使わない。また「ユダヤ人」「ユダヤ教」と言う表現を多用する。民族意識。確か、旧約正典にはこのような表現はなかったのでは?
*一人の作者によって、ギリシア語で書かれた。紀元前124年(1:10)から紀元前63年(ローマ帝国による侵攻を知らない)までの間に書かれた。エルサレムで書かれ、エジプトの離散のユダヤ人に送ったと言われている。
【マカバイ記Ⅱ 5:11-6:17】…アンティオコス・エピファネスによる弾圧が、「Ⅰ」よりも詳しく、そして生々しく記されている。ギリシア的な「感情的歴史記述」と言われる。けれども、事実はこれよりも悲惨だったろう。文字は、人の苦しみを完全に表現しつくすことはできない。
*「知恵文学」といわれるものの一つ。ヨブ記、箴言、コヘレトの言葉、雅歌、シラ書も同様。これらの諸書で語られる「知恵」は、通常の「処世訓」などではなく、「正しい信仰生活を送るため」のもの。「主を畏れることは知恵の初め。」(箴言1:7)しかし、「知恵の書」では、これだけでは収まらない!
*「知恵は知恵ではない!」…知恵の書で語られる「知恵」は、他の書で理解するようなものではない。もっと深く、もっと広く、そしてもっと黙示的で、救いに直接かかわるもの。
*「不滅と復活」…「あなたの力をわきまえることこそ不滅のもと。」(15:3)知恵は、私たちがこの世で正しく生きるためだけでなく、私たちに永遠の命を与える。「教訓を真心から望むことは知恵の始まりであり、教訓に心を配ることは知恵への愛である。この愛は知恵の命じる掟を守ることである。掟を守ることは不滅を保証し、不滅は人を神に近づける。」(6:18-19)不滅の命の自覚は、復活への希望につながってゆく。「主の訪れのとき、彼らは輝き渡り、…主は永遠に彼らの王となられる。」(3:7-8)
*「知恵は人格を持つ」…「知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、道でその人たちに優しく姿を現し、深い思いやりの心で彼らと出会う。」(6:16)知恵は、単に人の頭の中で考えられ、人の口で語られるだけでなく、独自の人格を持ち、人々と対峙する。こうなると、知恵は、まるで天使か神様のような存在に感じられる。
*「全ての中心に知恵」…知恵は、まるで神様のような位置に立つ。知恵は創造者:「万物の製作者、知恵」(7:22)、唯一の存在。:「知恵には、理知に富む「聖なる霊がある。この霊は単一。」(7:22)、全てをつかさどる。:「知恵は地の果てから果てまでその力を及ぼし、いつくしみ深くすべてをつかさどる。」(8:1)。神様の救いの歴史の中心に、特別な存在がある、この考えは後に深められ、強められ、広く伝えられる。キリストである。
*「キリストは知恵?」…知恵のこれらの概念は、後の信仰に大きな影響を与え、キリスト教へとつながった。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ1:1)「知恵はあなたと共にいて御業を知り、世界をお造りになったとき、そこにいました。知恵は、あなたの目を喜ばすものは何か、あなたの掟に適うものは何かを知っています。」(9:9)これらの「言」と「知恵」を、キリストに置き換えても、全く違和感はない。
*「知恵の書」は、「知恵」の考えを深化させ、キリストの現れる準備をしたと言える。正に、「旧約」と「新約」の間に位置する書と言える。
*離散の一ユダヤ人が、エジプトのアレクサンドリアで、紀元前一世紀に書かれたと思われる。読者は、アレクサンドリアに住むユダヤ人としの周囲の人々。書かれた目的は、ユダヤ人の信仰を支えることと、異教の人々にユダヤ教を伝えること。
*ギリシア語の古い写本に「ソロモンの知恵」という表題が付いている。それ以来伝統的に、そのように呼ぶこともある。
*読んでみると、単に、私たちにとって信仰の知恵となるような格言が列挙しているだけではなく、知恵その物についての思索を深めたり、知恵が活躍する世界を描き出そうとしているように感じる。「黙示」的な、圧力感、不安定感、飲み込みにくさを感じる。
*内容は大きく三つに分けられる。
第一(1:1-6:21)「裁きの書」
…正しい者とそうでない者の運命を対比させ、読者を正しい道に導く。
第二(6:22-9:18)「知恵の書」
…ソロモンの独白の形を採り、知恵について説明する。
第三(10-19章)「歴史の書」
…アダムからモーセまでの人びとの生涯における、知恵の働きを述べる。
【知恵の書1:16-2:22 神を信じない者の人生観】
*神を信じない者は、単に自分の人生についてだけでなく、周囲の人々の人生を狂わせる。自らの不信仰と怠惰によって、無垢な善人への暴力が生まれる。理論的にはあり得ないことでありながら、現実的には絶えず生まれる。人々を苦しめることを、怠惰な自分の人生における娯楽としようとする者。決して少なくない。人間の最も醜い姿。
*神を信じない者の言動のグロテスクさが暴き出される。このような思考が、イエス様を十字架につけた。
*聖餐式、B年、特定20で朗読される。
【知恵の書7:7-14 知恵の値打ち】
*反対に、知恵と共に歩むものは、単に「賢く生きる」だけでなく、他では得られない喜びをもって生きる。どんな富や名声よりも、富の方が価値がある。しかしその価値を見出す者は少ない。これは何かに似ていないか?イエス様の説く「神の国」である。
*聖餐式、小祝日「教会博士」で朗読される。
【知恵の書10:15-21 エジプト脱出と知恵】
*出エジプトを導いたモーセ、そのモーセを導いたのが知恵だと説く。人類の歴史の中で、目に見える現象の内側で、見えない形で人類を救ってきたのが、知恵。「人は…知恵によって救われた」(9:18)と言うことを、歴史を紐解いて教える。
*「知恵の書」と同じく、知恵文学の一つ。テーマは、日常生活のあらゆる領域に及ぶ。家族、人間関係、仕事、お金の貸し借り、社会生活上のマナー、医療、老人、学問、云々。
*聖書の他の知恵文学と同じく、「現実的教訓」が主たる目的ではなく、どのようにして信仰生活を送るかという「宗教的教訓」が中心。「すべての知恵は、主から来る。」(1:1)。「主を畏れることは、誉れと誇り、幸せと喜びの冠である。」(1:11)。
*「知恵の書」のような、黙示的雰囲気はない。また、死後の命や復活にも触れていない。現実主義、現世主義的。読んでいても読みやすく、聖書正典を読むかのように、心落ち着けて読むことができる。その意味では、ユダヤ教主流の流れを汲む書と呼ぶことができるだろう。
*しかしその思想には、旧約聖書に明記されておらず、新約聖書の表現に近いものがたくさんある。「泣く人と共に泣き、泣く人と共に悲しめ。」(7:33)←→「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ12:15)。「心の思いは話を聞けば分かる。」(27:6)←→「人の口からは、心にあふれていることが出てくるのである。」(マタイ12:34)。イエスやパウロの教えは、知恵文学の系譜の上にあることが分かる。また、知恵と律法を同一視している。「これらは…モーセが守るように命じた律法であり…」(24:23)。イエスも自分を律法と同一視している。「モーセは私について書いているからである。」(ヨハネ5:46)。これは、律法の字面ではなくその精神を現しているのが、知恵であり、イエスの言動だ、と言うことを言いたいのだろう。シラ書は、旧約と新約の思想をつなげる位置にある。
*「知恵の書」のように、知恵を人格化している箇所もある。(24章など)
*「女性蔑視」「家父長主義」と受け取れる表現が複数箇所あり(9章など)、そのことが、当時においても問題になり、正典に含まれない理由にもなったらしい。
*「続編」の中でも、最も長い書物。読んでいても長さが気にかかる。
*著者は「ベン・シラ」と明記されている。著者名が記されているのは、聖書の中では極めて珍しい。パレスチナで律法の私塾を開いていた作者が、紀元前190年ごろに、原文をヘブライ語で書き、その孫が、エジプトに移住した時、紀元前132年ごろに、ヘブライ語を読めないユダヤ人たちのために、ギリシア語に翻訳した。その経緯が「序文」で書かれている。「我々は懸命に努力したのであるが、上手に翻訳されていない語句もあると思われるので、そのような箇所についてはどうかお許し願いたい。」(18-20節)このような記述も珍しい。「ベン・シラの知恵」「集会の書」とも呼ばれる。
*作者は聖書に精通し、広い見識を持ち、外国にも旅行し多くを学んだと思われる。ギリシアやエジプトの格言に通じる教えも多く記されている。また、ユーモアのセンスもある。「それにしても、格言つくりは骨が折れる。」(13:26)「言葉に巧みな人々もまた、知恵を示し、的確な格言をあふれるように注ぎだす。」(18:29)本書の「舞台裏」や「楽屋落ち」のような記述もある。
*ユダヤ社会の中で、ギリシア化が進み、またエジプトのプトレマイオス朝か、シリアのセレウコス朝が、どちらにつくかでユダヤの指導者層が分裂もしていた。その中で伝統的な価値観や信仰が揺らいできた。そのような社会の中で、知恵を通して人々に律法に立ち帰り神への信仰を深めることを訴えるために書かれた。
*ギリシア語写本だけでなく、ヘブライ語写本やシリア語写本も多く残っている。「ヘブライ語写本の方が原文に近い」という説もあり、本文研究は極めて複雑。新共同訳の本文中にある〔 〕は、写本を改訂人々による後世の加筆と思われるもの。そのような箇所が一杯ある。
*内容は大きく分けると以下の通り。
+序文(1-36節)、+様々な教訓(1:1-42:14)、+創造と創造主をほめたたえる賛歌(42:15-43:33)、+先祖たちへの賛歌(43:44-50:24)、+結び(50:25-51:30)、
【シラ書10:6-18 高慢について】
*高慢な言動は、身を亡ぼす。人間はしょせん儚い存在。ここまでは、普遍的な教訓。「それゆえ、主は…」後半部は、信仰の教訓となる。神は高慢な者をその座から降ろし、身分の低い人々を高められる。新約の「マリアの賛歌」や「山上の説教」につながってゆく。旧約と新約をつなげる知恵。
*「エレミヤは「ネリヤの子バルクを呼び寄せた。バルクはエレミヤの口述に従って、主が語られた言葉を全て巻物に書き記した。」(エレミヤ36:4)エレミヤの書記バルクの名前を冠したいくつかの書の一つ。他は「偽典」。バルクを、単なる書記ではなく、律法の指導者、預言者として描いている。ただし、バルクの名前が記されているのは、最初の「序言」のみ。
*構成は、別々に流布していた4つの文書を、一つにまとめたもの。内容は以下の通り。
(1)序言(1:1-14)
(2)捕囚者の祈り
【2-1】罪の告白(1:15-2:10)
【2-2】嘆願(2:11-3:8)
(3)知恵についての思索
【3-1】知恵の重要性(3:9-14)
【3-2】知恵の神秘性(3:15-31)
【3-3】イスラエルの特典(3:32-4:4)
(4)エルサレムへの励ましと慰め
【4-1】捕囚民への励まし(4:5-4:9a)
【4-2】エルサレムへの励まし(4:9b-4:29)
【4-3】エルサレムへの慰め(4:30-5:9)
(1)(2)はヘブライ語が原文(「主」が用いられている)、(3)(4)はギリシア語が原文と考えられる。
*【2-1】はダニエル書9:4-19に類似しており、(4)の思想は第2イザヤに近い。「バビロニア捕囚」という場面設定の下で、他民族の支配下で苦しむ人々に、信仰的な慰めと励まし、黙示的な希望を与えようとした書。離散のユダヤ人にも、キリスト教徒にも好んで読まれた。
*ダニエル書やシラ書の影響がある。ダニエル書は紀元前2世紀半ばに書かれた。また、4:15節などが、ローマ帝国を指しているという説もある。紀元70年のエルサレム陥落が影響しているという説もある。複数の著者によって、紀元前2世紀半ばから紀元1世紀の間に書かれたとしか言えない。著作場所はパレスチナと言う説がある。
*読んでみた印象としては、4つの文書の寄せ集めとは思えない一体感を感じた。その一体感は「バビロニア捕囚」。これは、歴史上の一点だけではなく、自分の自由と誇りが奪われ、苦しい生活を強いられている人々すべてに当てはまる、普遍的なものなのだろう。その中で、「悔い改め」を通して、新たな生活を切り開いていこうとしている書に感じる。「悔い改め」は、単なる「反省」ではなく、苦しみの中で自分の罪を見つめなおすことで、新たな希望を見出そうとする行為。
*「その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。」(3:38)イエス様の「受肉」を暗示させるかのような箇所。やはり本書も、旧約と新約をつなぐもの。
【バルク書5:1-9 新しいエルサレム】
*悲しみと苦しみを乗り越えた先に、喜びが待っている。それは、本来の尊厳と誇りを取り戻すこと。離散の地で苦しむユダヤ人も、迫害で苦しむキリスト教徒も、この箇所で勇気づけられただろう。聖餐式、C年、降臨節第2主日で朗読。
*「以下に記すのは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ捕囚として連れて行った長老、祭司、預言者たち、および民のすべてに、預言者エレミヤがエルサレムから書き送った手紙の文面である。」(エレミヤ29:1)同様に、第2の手紙として書かれたのが本書である、という設定になっているが、事実は違う。
*作者は紀元前2世紀の一ユダヤ人。ギリシア文化に囲まれ、その影響を受けることで、徐々に信仰の危機に立たされているパレスチナのユダヤ人と離散のユダヤ人に向けて書かれた文書。言いたいことはただ一つ、「偶像は神ではないのだから、これらを恐れたり拝んだりしてはならない。」主張は激しいのだが、具体性に乏しく、普遍的、一般的な主張となっている。著者は、偶像崇拝の実情を経験するよりは、他の聖書の諸文書で学んだことや引用したことで、論を組み立てていると思われる。
*「ディアスポラの手紙」…ユダヤ教文書の一ジャンル。ローマ時代(紀元前140年から紀元後300年頃)に書かれた。離散のユダヤ人に向けて書かれており、外国にあっても、自らの宗教、歴史遺産を忠実に受け継ぎ、信仰を深めるようにと促し、励ます。多くは外国の文化、宗教を脅威と捉え、外国で暮らすユダヤ人の状況を、一種の「捕囚」と捉える。本書だけでなく、ヤコブの手紙1:1、ペトロの手紙Ⅰ 1:1など、聖書の中にも、このジャンルに含まれる文書がいくつかある。しかし、聖書以外の古文書によると、ユダヤ人の中にも外国の宗教、文化の捉え方には多様性があり、同課の程度には広い幅があった。
*元来、ヘブライ語で書かれたと思われる。ギリシア語に訳された時、ヘブライ語本文を誤訳したと思われる箇所が複数ある。ヘブライ語写本は現存しない。
【エレミヤの手紙 導入から6節 偶像崇拝を避けよ】
*「エレミヤ」「バビロニア」「ネブカドネツァル」等の具体名を出してはいるが、内容には直接結びつかない。「苦しく、不自由な状況が、これから長期間続く。けれども必ず故国に帰れる。それまで神への信仰から離れず、偶像崇拝に陥ってはならない。」苦しい状況は、本来自分があるべき姿ではなく、いつの日か、本来状況に戻る、ということを希望として生きてゆく。これはユダヤ人が示した、普遍的な生き方の一つではないか。
(以下「アザ」と記す。)
*「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。」(ダニエル書3:23)と、「間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。…」(ダニエル書3:24)の間に挿入されている。ギリシア語とそれを訳したラテン語にはこの挿入があり、ヘブライ語にはない。
*この挿入のお陰で、この場面がより劇的になり、読者の心に留まり、読者の祈りにつながる者となった。
*しかし、元々ヘブライ語(もしくはアラム語)で書かれたと思われる。ギリシア語訳聖書では、ダニエル書の他の箇所と、挿入歌所との翻訳のスタイルは、全く一致している。ギリシア語の翻訳は始まる前に、既に挿入されていた。
*内容は、題名の通り、前半が「アザルヤの祈り」、後半が「三人の若者の賛歌」。しかし導入部と、途中で説明する所に、登場人物の名前と状況が記されている他は、ダニエル書に限定される内容ではない。「どうか、私達の昔の悪に御心を留めず、御憐れみを速やかに差し向けてください。私たちは弱り果てました。」(詩編79:8)等が前半に、「恵み深い主に感謝せよ。//慈しみはとこしえに。神の中の神に感謝せよ。//慈しみはとこしえに。」(詩編136:1)、「日よ、星よ//主を賛美せよ。天の天よ、天の上にある水よ//主を賛美せよ。」(詩編148:3-4)等が後半に呼応する。普遍的な嘆きや賛美の歌。
*ダニエル書成立前に、神殿または会堂で用いられていた祈りの言葉に、導入が付加され、挿入されたのだろう。
*シリアによる迫害が激しかった紀元前2世紀に、パレスチナで書かれたのだろう。
【「アザ」34-64 創造主への賛美に被造物を招く】
*日本聖公会祈祷書の「朝の礼拝」に、「万物の歌」として収められている。ルブリックに次のようにある。「降臨節、大斎節の主日、斎日、平日には万物の歌を用いる。復活節を除く平日にも万物の歌を用いても良い。」祭色が「紫」の、心引き締まる時に、毎日の礼拝で用いることが定められている。それだけ大切にされてきた賛歌。「世々にほめ歌え」の唱和を繰り返すことで、私たちの心が神様の賛美へと整えられてゆく。表題にあるように、神様への賛美に我々が招き入れられていることを感じる。
(以下「スザ」と記す。)
*本書と、次の書は、ダニエル書に付加された。人気の作品に、どんどん付属が付くのはいつの世も同じ。本書は、元々ダニエルとは何も関係のない物語だったのだろう。
*「法廷ドラマ」のような劇的さと娯楽性が高い。しかしもちろん信仰の物語としてまとめられている。「正義は公平でなければならない。」「たとえ身の危険があっても、正義と信仰に留まるべき。」「正義は必ず勝ち、神は必ず正しいものを救う。」等の教えが込められているのだろう。
*ギリシア語訳には、大きく分けて2種類ある。70人訳と、テオドティオン(後2世紀のユダヤ人学者)訳と言われるもの。前者の方が古く、後者の方が長い。前者に無く、後者にあるのは、スザンナの水浴びの準備の場面や、長老たちが欲望を吐露する場面、その後のスザンナの信仰的決断等。これによって、後者は物語に劇的さを増す。また前者には、51節に「長老たちをその地位故に無批判的に信用すべきでない」と加え、長老の処刑を詳しく記し、結びに「若者たちが知識と知恵を示すための助けとなるように」と聴衆に語り掛ける。これらによって前者は、道徳性や倫理観を強調する。
*「アザ」と「ベルと竜」同様、元々ヘブライ語で書かれ、後に、「ダニエル書」と共にギリシア語に訳された。紀元前2世紀に、パレスチナで書かれたのだろう。
*ギリシア語ではダニエル書の前に配置されている。それは、本書ではダニエルが若者の設定だから。ラテン語では、ヘブライ語本文の後に、13章として配置されている。
【「スザ」44-64節 神がダニエルを通して介入する】
*物語は、最初に犯人が分かっており、様々な捜査と推理により、いかにして犯人を追い詰めるか、という展開。(「シャーロック・ホームズ」ではなく「刑事コロンボ」系。)ダニエルの手法は手法は鮮やかで、犯人に弁解の余地を与えぬほど。被害者の権利も即座に回復される。
*しかしこの物語は、「推理小説」ではなく「信仰物語」。ダニエルの優秀さではなく、ダニエルとスザンナが信じる神様の偉大さに結びつく。
(以下「ベル」と記す。)
*これも、前の2つと同様、「ダニエル書」に付加された文書。ギリシア語でもラテン語でも、ダニエル書の次に配置されている。ただ、内容からすると、ダニエル書6章(「ライオンの洞窟に投げ込まれたダニエル」)に続けて配置するのがふさわしいのかもしれない。自らの命の危険を伴う大きな課題を前にして、神様への信仰によって切り抜ける、という構図は同じ。
*元来別々にあった3つの物語(ベル神、竜、ライオンの洞窟とハバクク)を、鮮やかな手法で、つなぎ合わせた物語と思われる。
*読んでみても、「アザ」や「スザ」ほど、直接的に信仰に関わる表現はない。ただ、物語全体を通して、偶像崇拝を避けることを説く。同じくひたすら反偶像を説いた「エレミヤの手紙」を、物語にすると、このようになるのかもしれない。
*前の2書と同様、元々ヘブライ語で書かれ、後に、「ダニエル書」と共にギリシア語に訳された。紀元前2世紀に、パレスチナで書かれたのだろう。
【「ベル」1-22節 ベル神は偶像であり、命も力もないことを証明する。】
*物語は大変面白い。機知に富んでいる。ただ、他の書のように、ダニエルの信仰熱心さや、神様の奇跡的介入などはない。そこにあるのは、ただひたすら、偶像の空しさ。物語が作られたであろうペルシア時代、またはヘレニズム時代に、他国の文化に囲まれ、それを受容し、時にはそれに魅力を感じているユダヤ人に、警鐘を鳴らしているのだろう。
(以下、「エズ・ギ」と記す。)
*「1~4エズラ記」いろんなエズラ記?…ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、新共同訳(プロテスタント聖書)各聖書で、「エズラ記」の扱いが違う。
ヘブライ語 ギリシア語 ラテン語
「エズラ記」 「エズラB」 「第1エズラ記」
「ネヘミヤ記」 「エズラB」 「第2エズラ記」
新共同訳
「エズラ記(ギリシア語)」 「エズラA」 「第3エズラ記」(外典)
「エズラ記(ラテン語)」 なし 「第4エズラ記」(外典)
ギリシア語では、エズラを「エスドラス」と言うので、そのように表記されることもある。なにやらとてもややこしい。
*内容は、「エズラ記」の増補版、ではない。歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記(ちょっとだけ)から記事を抽出し、独自の記事を挿入して、再編成した。「再編された聖書」の一つ。歴代誌が、創世記から列王記までの物語を再編成したようなもの。ギリシア語聖書で、「エズ・ギ」と、「エズラ、ネヘミヤ」が並んでいるのは、我々が並んでいる「列王記」「歴代誌」を読むようなものか。
*内容、主題は、「エズラ記」と変わらない。神殿の再建、律法と清めの重視、歴史を支配する神への信仰。ただエズラと、もう一人の指導者であるゼルバベルを称揚しようとしている。
*3:1-5:6は、「三人の護衛」の物語は、他の書にはない独自の物語。機知にとんだ話であり、また、エルサレム神殿に祭具類が返還されるという、重要な出来事の由来を示す物語。その主役をゼルバベルにすることによって、彼の立場を上げている。
*ゼルバベル(アッカド語の「バビロンの若枝」の意味)。バビロニア生まれのユダヤ人。ペルシア王ダレイオスの時代にエルサレムに帰還し、大祭司イエシュアを助け、預言者ハガイと預言者ゼカリヤに励まされながら、神殿を再建する。ユダの総督。彼はユダヤの王の子孫、ダビデの家系。そのため、国家再興のため、大きな期待が寄せられていた。「今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと、主は言われる。」(ハガイ書2:4)、「大いなる山よ、お前は何者か、ゼルバベルの前では平らにされる。」(ゼカリヤ書4:7)、「ゼルバベルの素晴らしさをどう言い表そうか。」(シラ書49:11)。しかし聖書には、彼の晩年の姿は記されていない。期待された働きができなかったか。また大きな運動が、官憲により弾圧され、つぶされたか。イザヤ書53章の「苦難の僕」は、ゼルバベルを指すという説もある。
【「エズ・ギ」4:33-46 三人の護衛のかけ】
*「この世で一番強いものは何か?」ご褒美を当てにして、王の前でプレゼンする3人の護衛。それぞれ「酒、王、女」と答え、説明してゆく。最後にゼルバベルが現れ、熱烈な演説を始めると、半ば笑い話のような話が、信仰とユダヤ人の未来に関わる重大な話になる。歴史を通して働く神様の姿を証しし、再現されるエルサレム神殿に祭具類を返還させることとなった話。
(以下「エズ・ラ」と記す。)
*「第4~6エズラ記」?もっとややこしい…「エズ・ラ」は3つの部分に分けられる。最初に書かれたのは、3-14章。紀元後100年頃、ヘブライ語で書かれた、ユダヤ教黙示文学。これを「第4エズラ記」とも呼ぶ。次に、15-16章。これは、この文書の結びとして、キリスト教徒が、紀元3世紀末頃に書き記したもの。これを「第6エズラ記」とも呼ぶ。そして、別に記されたキリスト教文書が、冒頭に付加された。これは、キリスト教徒が、紀元2世紀半ばに記したもの。これを「第5エズラ記」とも呼ぶ。「第4-5」の順番までちぐはぐな文書が、同じ「エズラ」の名前でまとまっているからややこしくって仕方ない。それとは別に、これ全部をまとめて「第4エズラ記」とも呼ぶ。またもやややこしい。
*第4エズラ記(3-14章)…第1次ユダヤ戦争と紀元70年のエルサレムの破壊を経験したユダヤ教徒による記述。なぜ極悪人のローマ帝国が裁かれないのか。なぜ「選ばれた民」であるユダヤ人がこのような目に遭わなくてはならないのか。神は公平なのか。契約は有効なのか。このような疑問に対して、必死になって答えを出そうとした文書。苦しみの現実を前にした真理の探究には、「黙示的」な表現でないと答えが出せないのかもしれない。ローマ帝国による迫害の苦しみの解決策を、バビロニア捕囚による苦しみの中に居るエズラを通して語ろうとした。紀元100年頃、パレスチナで、ヘブライ語で書かれ、ギリシア語、そしてラテン語に訳された。ヘブライ語、ギリシア語原典、底本は見つかっていない。ラテン語の他に、シリア語や他のオリエント諸言語に訳されている。
*第5エズラ記(1-2章)…紀元2世紀半ばに、キリスト教徒によって、ローマ帝国支配地のどこかで書かれた。ユダヤ教徒との確執、また迫害によって、殉教者が出ていた。苦難を耐え抜くための希望を語る。言語はギリシア語だろうが、残っていない。
*第6エズラ記(15-16章)…紀元3世紀末頃に、キリスト教徒によって、ローマ帝国支配地内で書かれた。ローマ帝国による迫害が本格化している時期。終末の災いを予告し、苦しみの中でも信仰に堅く立つことを勧める。「第4エズラ記」の末尾に付加したのは、「第4エズラ記」に記された苦しみを、ローマ帝国によるキリスト教徒迫害の苦しみに結びつけ、これらの文書によってキリスト教徒を励まそうとしたのだろう。パピルスに断片が記されていることで、ギリシア語が原典であることが分かるが、現存しない。
*「最も不気味で、意味が分からず、けったいな、トンデモ本。」これが読後の第一印象。今回、解説を調べ、この書が「黙示書」であることを正しく理解し、ようやく本書の意味が分かった。「黙示書」は、メッセージ性が極めて強く、そのため受け止める人が限られる書、と言えるだろう。同じ苦しみを経験している人にとっては、慰めの書となり、そうでない人には理解不能な文書になる。迫害されている仲間にだけ慰めのメッセージを伝え、迫害している者には、読んでも理解できない「黙示書」は、苦難の慰めに、最もふさわしい形態なのだろう。
【「エズ・ラ」2:42-48 シオンの山のエズラ】
*殉教者たちが天国で、イエス様と共にある喜びの中に居る。小祝日「殉教者」で朗読。
【「エズ・ラ」7:26-44 裁きと相応の報い】
*苦しむ者が求めるのは、「復讐」ではなく「裁き」と「報い」なのだろう。これは「怒り」ではなく「正義」から生まれる。正義の完遂により平和へと至る道が求められている。
*28節「イエス」は、キリスト教徒による改変。オリエント語訳では「メシア」。
【「エズ・ラ」16:41-54 終末への主の僕の準備】
*極めて強い終末感。イエス様やパウロの言葉に近い。すぐそこまで迫っている終末。だからこそ、しっかりと愛の信仰に立ちたい。
*「マナセは…主の目に悪とされることを行った。…彼らはマナセをとらえ…バビロンに引いていった。彼は…深くへりくだり、祈り求めた。神は…エルサレムに戻された。彼は偶像を取り除いた。」(歴代誌下33:1-20)最も悪い、という評価を受けた王の、悔い改めの祈り。ただし本人の作ではなく、無名のユダヤ教徒かキリスト教徒が、紀元前2世紀から紀元後2世紀の間に、パレスチナか離散の地で記した。
*「ヒソプの枝で私の罪を払ってください、私が清くなるように。私を洗ってください、雪より白くなるように。」(詩編51:9)悔い改めの祈りは、聖書の中にたくさんある。その系譜の上にある。(詩編51は、祈祷書「礼拝堂聖別式」や、家屋などの祝福の礼拝で用いられる。)
*この書、そのものに、希望のメッセージがある。もし神が、最悪の罪人であるマナセを赦すことができるのなら、全ての罪人が赦される。
【マナセの祈り9-15 悔い改めと、赦しの恵み】
*悔い改めは、神様への賛美で終わる。自分の罪の悔い改めだが、罰は神様の正義の証しとなり、赦しは神様の恵みのしるしとなる。すべてが神様の栄光につながる。