真理。
魚豊『チ―地球の運動について―』から
司祭 ミカエル 藤原健久
イエスはお答えになった。「・・・私は真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、私の声を聞く。」(ヨハネ一八・三七)
数々の賞を取った、人気漫画です。アニメ化もされました。
「地動説」についての物語です。物語は一五世紀から、数十年にわたって繰り広げられます。読んでみて驚くのは、主人公がどんどん変わっていくことです。当時、地動説は、教会からキリスト教(物語では「C教」と記されていますが、明らかにキリスト教です)の教えに反するものとされ、地動説を支持する者は「異端者」として捕らえられ、拷問され、そのうちの多くが命を落としていました。この物語に登場する人々は、次々と命を落としていくのです。そして、もう一つ驚くのは、それでも「地動説」そのものは、決して消えなかったことです。一人が命を落としても、次の人に研究と熱意が受け継がれていくのです。しかも、研究が直接「手渡し」するかのように受け継がれることはほとんどありません。一旦、この世界から消え去ったかのように見えた「地動説」が、縁も所縁もない人に受け継がれ、研究が完成されてゆくのです。なぜそのような、奇跡のような継承が為されるのかというと、それは「地動説」が「真理」だから、なのです。
もちろん私も「地動説」は知っています。けれどもこの作品を読んで、私が知っているのは「地動説」の名前だけだったような気がしました。「地動説」が、これほど深く、これほど神秘に満ちていて、これほど人の心を震わせ、そしてこれほど人の人生に影響を与えるものだとは、この作品を読むまで知りませんでした。
天文学なので、「理系」の話です。まるっきり「文系」人間の私には、「地動説」そのものは、チンプンカンプンです。天体の動きを計測し、記録に留め、分析することは、私にはできませんし、またそれによる感動も、私からは遠いところにあります。けれども「真理」については、私も無関係ではいられません。イエス様は、何度も「真理」という言葉を口にされました。ご自分は「真理」を証しするものだと仰いました。けれども人々は、イエス様の言われる「真理」に、しっかりと向き合いませんでした。イエス様の直接対峙したピラトは、こう言いました。「真理とは何か。」イエス様の周りにいた人は、「真理」を知ろうともせず、その「真理」をこの世から消し去ろうと、イエス様を十字架につけました。けれども「真理」は消えず、人々に受け継がれていったのです。
私はイエス様の「真理」は、「愛」だと思います。そしてこの「真理」も、私は知っているつもりだけで、何も分かっていないのかもしれません。しっかりと「真理」に向き合い、愛の道を歩みたいと思います。