塚原古墳

塚原古墳

(塚原古墳,つかわら,国指定遺跡,肥後国志,九十九塚,熊本市南区城南町)

熊本は4月2日は夏日を記録し,近郊の桜の名所は満開となり散り始めた.

そのような中,陽気にさそわれて南区城南町の国指定遺跡塚原(つかわら)古墳を訪ねてみた.

昭和47年(1972),九州縦貫自動車道工事に伴う発掘調査によりベールを脱いだ古墳群である.全国で初めて,遺跡の地下にトンネルを作り.高速道路を通すという方法により古墳群が保存されたことでも有名である.

小規模な古墳と思っていたが,認識不足であった.説明によると.4度にわたって行われた発掘調査で,約380.000m2の範囲にその広がりがみられることが確認されている.13万m2 の台地に77基の古墳が復元され,昭和51年に国の指定遺跡となった.確認された古墳は203基,総数は500基にのぼると言われている.古墳時代前期から後期にかけて,約200年にわたり,方形周溝墓,方墳,円墳,前方後円墳へと変化していく様子や身分序列による様式の差異を同一の台地上で観察することができるという特徴をもっている.注)古墳の全貌を空撮した映像が YouTube に公開されている.

塚原古墳については,「肥後国志 巻之13」(著者 森本一瑞 他,明治17−18,熊本活版舎)に次の記載がある.

豊田荘

塚原村 高千二百八十一石餘

九十九塚 塚原の地名依之九十九塚諸所にあり.其所以て知らす.

里俗此塚は百け所にありとて百本の串を造り,塚毎に一本つつ立るに,一本は必す残る故に九十九塚と云.

享保年間,農過って塚の傍を崩せしに,内に石棺有て崩れたる中に,亘り二寸計りの金の環ありして,驚き怖れて舊の如く納めたりと云

肥後国志 巻之13

塚原古墳群は地図の右端,周辺では貝塚が発掘されている.地図中央の鉄道,国道等の幹線部分は,大昔は海であり,地図左側の宇土半島は離れ島であった.

公園に隣接して熊本市塚原歴史民俗資料館があり,周辺地域の民俗,歴史,考古学などの資料を展示している.その中で,塚原古墳は九十九塚として「肥後国誌」に登場する旨紹介されていた.「肥後国誌」は,大正5年「肥後国志」をもとに後藤是山によって改訂されたものである.注)別稿 肥後の史料 参照

「肥後国志」の赤線で示したように,享保年間に農民が過って塚の傍を崩した際,石棺の中に「金の環」を見つけたが,驚き怖れて埋め戻したと書かれている.その後,金製の副葬品についての情報は見あたらない.前方後円墳(花見塚古墳)の説明文の後半に「気になる記述」があるので以下に記した.

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花見塚古墳

現存墳丘長 31.7m 後円部径 24.6m

総延長 62.2m 前方部幅 24.3m

墳丘長 46.2m 前方部長 21.6m

花見塚古墳は,日本最大の前方後円墳である大山古墳(仁徳天皇陵)の約1/100の大きさにすぎませんが,塚原古墳群では,琵琶塚古墳と並ぶ最大の前方後円 墳である.古墳群の中では,最もおそく6世紀の終わり頃築かれ,出土する土器から7世紀の初め頃まで利用されたことがうががえます.

この古墳は,二重の周濠(溝)や周濠を共有する円墳を伴っており,地方の小規模前方後円墳としては,きわめてめずらしい特徴をもっています.

内部には家形石棺が納められていたと思われますが.大正4年に心ない人達によって壊されてしまいました.その時,鉄剣・やじり・よろい・耳輪・玉類など出土したと言われています.

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しかし,この盗掘と「金の環」との関連ははっきりしない.

歴史民俗資料館には,種々の出土品に混じって城南町構口遺跡から出土した台付舟形土器(国指定重要文化財)や巴形銅器(九州で3例)が展示されている.

塚原古墳の全貌を多数の画像を使って紹介したウエブページ(熊本・塚原古墳群 - 邪馬台国大研究ページ)があるので,詳細な説明は省略したい.大きな古墳が築かれた背景には,それを支えた庶民のくらしがあり,それを裏付けるムラの跡が周辺地域でみつかっている.塚原上の原遺跡では,400軒もの竪穴住居から,おびただしい数の土器や鉄器,装身具等が出土している.「塚原歴史民俗資料館を紹介したページ」に詳しく紹介されている.

復元竪穴住居

復元高床住居

花見塚古墳 現存する前方後円墳は2基

円墳群

旧石器時代研究上の意義

宇城地域では,宇土市の田平遺跡,松橋町の曲野遺跡,城南町の上の原遺跡や沈目遺跡等から旧石器時代の遺物が発見されている.資料館では,出土品を石器,縄文,弥生,古墳時代に分けて展示している.石器と一緒に,”注目集める沈目遺跡(城南町)調査結果 貴重な「石器文化」の発見”の見出しの新聞記事(熊本日日新聞)が展示されている.記事には,”中期旧石器の特徴とどめる 「ねつ造」後の空白に手がかり”というリード文(あらすじ)が付けられている.最近,頻発している分子生物学領域の捏造事件で忘れかけていたが,2000年11月に旧石器捏造事件が発覚した.そのため,多くの発見や学説が疑われ,旧石器時代のイメージが消失する中で,2000年5月から2001年にかけて発掘が行われ,旧石器時代研究の新たな第一歩として全国的に注目された.

参考資料

近代デジタルライブラリー,「肥後国志 巻之13」,著者 森本一瑞 他,明治17−18,熊本活版舎.

熊本市塚原歴史民俗資料館

塚原古墳群 / 熊本市ホームページ

塚原古墳群 文化遺産オンライン

熊本・塚原古墳群 - 邪馬台国大研究および塚原歴史民俗資料館展示画像 数多くの展示品とその説明文を撮影し紹介したページ

国指定史跡「塚原古墳群」

(2015.4.6)