熊延鉄道(その後)

熊延鉄道(その後)

九州自動車道の益城熊本空港ICと御船ICの間に,嘉島ジャンクションが造られ,九州中央自動車道の一部と接続された(平成26年3月22日).

九州中央自動車道は,現在建設中であり,熊本側の延岡線(嘉島(かしま )JCT~小池高山(おいけたかやま)IC)間のきわめて短い区間との接続である.延岡まで95kmが全面開通するのはずっと先の話である.注)現在,熊本ー延岡間の所要時間は2時間47分.

ところで,熊本から延岡を結ぶ九州横断鉄道の建設は明治時代からの悲願であり,二地点で鉄道建設が試みられたが,すべて未完成に終わっている.

そのうちのひとつである阿蘇高森と高千穂を結ぶ路線は,昭和50年,トンネル工事の際の大規模出水で建設中止になった.現在,長さ2,055メートルのトンネルは,毎分32トンの湧水量を生かした高森湧水トンネル公園となっている.

もうひとつの路線は,熊延鉄道である.大正元年に御船鉄道として発足し,昭和2年に熊本と延岡を鉄道で結ぶ計画を掲げて熊延鉄道と会社名を変更した.しかし,遠大な計画は実現できず,南熊本から砥用(現 美里町砥用)までの路線も昭和39年に廃線になった.現在,熊延鉄道は熊本バスとしてバス事業を行なっている.

戦前,父が山崎町に薬局を開業していた頃,熊延鉄道沿線に常客がいたと言っていた.大人の会話の中に,鯰,六嘉,砥用,浜町などの地名が出てきていたのを憶えている.また,最近,渡邊玄察の日記年譜)を読んだ際に,日記に書かれている旧藩時代の地名が現在でも使用され,旧駅名にも使用されていたことを知った.玄察が神主として村民の暮しを見つめた早川厳島神社,西福寺,早川城跡,辺田見,碧川(緑川),麻生原は.辺田見,下早川,浅井の各駅跡の周辺に点在する.甲佐町には,肥後藩主が落ち鮎を楽しんだ簗場があり,美里町には,国の重要文化財である霊台橋を初めとする数多くの石橋が存在する.

二度の水害(昭和28,32年)によって,昭和40年に廃線になった県北の山鹿温泉鉄道(植木ー山鹿)の場合,廃線時に法人を立ち上げ自転車専用道路として跡地保全を行った.その後,廃線跡は県に譲渡され,自転車道(熊本県道330号熊本山鹿自転車道線,愛称名「ゆうかファミリーロード」)として整備された.熊延鉄道の場合,廃線跡の現況が気になった.

ウエブ上に,熊延鉄道の線路跡を追跡調査したブログがいくつか存在する.それらによると,痕跡のはっきりしない部分も多いようだ.実際に,早川厳島神社,西福寺,御船トンネル周辺をドライブしながら垣間見た感じでは,格好の自転車専用道路になるのではないかと思う場所もあった.実際,早川簡易郵便局前(旧下早川駅近く)の県道443号線沿いには「史跡の里」の案内板が立っている.しかし,全線に亘って見ると,自動車道や生活道路などに変化している部分が多く,熊本市内の跡地は判然とせず,佐俣あたりの緑川に架けられた第1−5津留川橋梁なども円柱橋脚のみが残っているだけである.熊本ー甲佐間には,自転車専用道路はないが,旧鉄路に並行して走行できる比較的安全なルートがいくつか存在するようだ.

それにしても,九州横断高規格道路は1987年に国の事業として計画され,実現に難航しているというのに,当時延岡まで鉄道を走らせようとした大淵龍太郎(法曹家,政治家,実業家)に敬意を表したい.

駅があった概略の位置

経緯度に基づく正確な位置は左欄の駅名をクリックすると,別ウインドウのGoogle map上に表示されます.

資料

● 駅名について

春竹駅(はるたけ)ー 田迎駅(たむかえ)ー 良町駅(ややまち)ー 中ノ瀬駅(なかのせ)ー 鯰駅(なまず)ー 上島駅(うえじま)ー 六嘉駅(ろっか)ー 小坂村駅(おさかむら)ー 御船駅(みふね)ー 辺田見駅(へたみ)ー 下早川駅(しもそうがわ)ー 浅井駅(あさい)ー 甲佐駅(こうさ)ー 南甲佐駅(みなみこうさ)ー 佐俣駅(さまた)ー 釈迦院駅(しゃかいん)ー 砥用駅(ともち)

駅名の変化 春竹駅 → 南熊本駅.早川駅 → 下早川駅

● 廃止鉄道ノート 実査に基づく詳細な報告.菊池温泉鉄道についても紹介されている.リンク切れのため以下を追加しました(2021.3.9).

熊延鉄道廃線跡を訪ねて - 減速進行

熊本電気鉄道廃止区間跡を訪ねて - 減速進行

熊延鉄道 写真および資料の紹介

● 内大臣森林鉄道 - Wikipedia 内大臣森林鉄道(ないだいじんしんりんてつどう)は,熊本営林局が国有林運搬のために上益城郡の甲佐駅から下益城郡 砥用町(現:美里町)を経て上益城郡矢部町(現:山都町)の貯木場までを結んでいたトロッコ列車,1967年に廃止された.

●甲佐やな場

玄察日記には次の記載がある.第三代藩主細川綱利は,多い時は年に7度訪れている.

明暦ニ年 1656 此年より甲佐川にやなはじまる

寛文六年 1666 此年夏秋に七度太守様上豊内へ被成御座候

寛文十一年 1671 此年八九月中に四度 太守様甲佐御やなに被為成候

(2015.7.31)

追記(2021)

熊延鉄道に関する新しいブログがあります.

熊延鉄道遺跡ガイドクック(熊本県,地域資源,振興)