昆虫分類学では、骨格 (おおむね外胚葉由来のキチンを含む構造) 以外の部分を除去し、観察しやすいように膜質部を切って分解することを解剖と呼びます。
解剖の利点
標本・生時では隠れている構造を、取り出したり脱色して可視化する
筋肉を溶かし骨格を柔らかくすることで、形や配置を揃えやすい
私の専門とする双翅目昆虫を対象にした解剖の方法を記載します。
全身を解剖する
翅を胴体から取り外す:なるべく根元からもぎる
翅は丈夫に見えますが、大部分が膜質でできており、次以降の relaxation や脱色の処理に耐えられずくしゃくしゃになります。翅脈の感覚器等を観察する場合でも軽く処理するのみで十分と思われるので、最初に切り離すのがよいです。
ただし、翅をもぎることで翅基 wing base の骨格構造が破壊されるので、翅基構造を観察する場合は翅を根元付きでを残すのを諦め、さらには胸部を切り壊して翅基構造をまるごと分離するのがよいです。
水酸化カリウム KOH または乳酸溶液に入れる:relaxation と脱色
水酸化カリウムの方が反応が早く進みます。濃度が高い方が反応が早く進みます。また、温度を上げた方が反応が早く進みます。標本の状態と濃度と温度によっては標本が膨圧で壊れることがあります。
目安は 10% (質量) KOH に常温で一晩です
ちょうどよい具合になるまで時々様子を見ながら待つ:向こう側が透けて見えるくらいがよいです。
水を張ったシャーレに移す
このときに 2 で使った薬品の濃度 (粘度?) が高いと、浸透圧が高すぎて一挙に水が標本内にしみこみ、構造の弱い部分から爆発して標本を壊すことがあります。
2 で KOH を使用した場合は、酢酸や乳酸を加えて中和する
水で酸を洗う
染色する場合は染色する
内骨格は色素をもたずキチン含量も薄いことが多いためか、透明なので、染色した方が見やすいです。膜もほぼ透明なので染色したいですが、虫によって膜質を染めやすい染料が違うことがあるためいくつか試した方がよいです
グリセリンに溶けだしますが、万年筆用の赤インクでも染色できます (骨格がよく染まります)
入手しやすいものでは他にメチレンブルーがあります
グリセリンに移す
濃いグリセリンと水は浸透圧の差が大きいので、いきなり濃いグリセリンに入れると押しつぶされてくしゃくしゃになりやすいので、多少水が混ざったものにしばらく入れる時間をとった方が無難です。
以上で実体顕微鏡下で観察できる状態になります
個人的におすすめの構造は、頭部の幕状骨 tentorium、cervical sclerites、胸部の furca、plerural suture/ridge、内部生殖器です。
交尾器のみを解剖する
乾燥標本の交尾器部分のみを解剖する方法を記述します
必要な道具:先端を鋭利に尖らせたピンセット、眼科用の micro scissors (眼科剪刀) のように小さなものを切る道具
ちょうどよい腹節をピンセットで引っかいたり小さくつまんだりして傷を作る
内部生殖器の前端が位置するよりも前の節で切る必要があるので、その節に検討をつけてから始めます。不明な場合は根元から折るのが無難です。
傷をつけた腹節は壊れてしまうので、標本が複数ある場合は傷をつける腹節を個体ごとに変えると良いです。
傷に 70-80% エタノールをしみこませる
ピンセットを閉じた状態で先端をエタノール溶液に付けると、毛細管現象でわずかにエタノールが溜まります。この微量のエタノールを使います。ピンセットをそのまま傷に触れさせ、先端を傷に触れさせたままピンセットを開くと、エタノールが傷口にしみこみます。
数秒待って解剖ばさみで切る:70%エタノールのおかげで若干軟化され、破壊せずにきれいに切れます
以下 KOH 処理:全身の解剖 2 以降と同じ
水酸化カリウム KOH または乳酸溶液に入れる:relaxation と脱色
水酸化カリウムの方が反応が早く進みます。濃度が高い方が反応が早く進みます。また、温度を上げた方が反応が早く進みます。標本の状態と濃度と温度によっては標本が膨圧で壊れることがあります。
ちょうどよい具合になるまで時々様子を見ながら待つ:向こう側が透けて見えるくらいがよいです。
水を張ったシャーレに移す
このときに 2 で使った薬品の濃度 (粘度?) が高いと、浸透圧が高すぎて一挙に水が標本内にしみこみ、構造の弱い部分から爆発して標本を壊すことがあります。
2 で KOH を使用した場合は、酢酸や乳酸を加えて中和する
水で酸を洗う
染色する場合は染色する
グリセリンに移す
濃いグリセリンと水は浸透圧の差が大きいので、いきなり濃いグリセリンに入れると押しつぶされてくしゃくしゃになりやすいので、多少水が混ざったものにしばらく入れる時間をとった方が無難です。
本稿の内容は、三枝豊平先生からご教授いただいたものを基礎に多くの方々・文献から学んだ方法を組み合わせたものです。
接眼レンズ
眼の幅を合わせる。左右どちらの目からも視野が丸く見えるように
視度調節リングで左右の視力差を補う
この2点だけでも見える像の解像度がかなり良くなる
絞り
開いた方が解像度が高くなるので基本的に開放
閉じるほど被写界深度が深くなるので、立体的で複雑な構造を見るときには若干絞ると理解の助けになる
照明
まぶしくない範囲で明るいほどよく見える (気がする)
背景の方がまぶしいと見づらいので、灰色や黒の背景が望ましい
背景
白:投射光でも背景からの反射で構造が透けて見える。KOH 処理後などすっきりした標本を見るのにおススメ
灰色:丁度良い明るさの物が使えると目に優しい (気がする)。写真撮影も灰色が一番良い
黒:表面の微細な構造や色が薄いが光の反射で認識できるような骨格をくっきり見やすい
液浸標本の筋肉を観察する方法
簡易的な観察
酸性フクシンで染める
大雑把に見たい部位を取り出す
スライドグラスなどのガラスの板に酸性フクシン溶液を1滴置く
標本をフクシンの中に沈める。フクシン溶液が足りなかったら足す
3分以上待つ。弱酸性の液体に入れると染色液を抜くことができるので長い分には大丈夫
水に移す
この段階で標本とともについてきたフクシン溶液を落とす
エタノールは弱酸性で染色液が流れ出続けるので使えない
さらに別の水に移す
おそらくほとんど染色液が漏れださない
筋肉が見えるよう丁寧に周りの組織を除去する
難しいので透けて見える程度で我慢しておく方がよいかもしれない
写真やスケッチ
標本をグリセリンに移す
グリセリンは置換して取り除くのが難しいので、染め直す場合はまだグリセリンで置換しない方がよさそう
1日ほど待つ
グリセリンで保存する
恐らく本当は完全に脱水してバルサム等に封入した方がよいが、脱水で脆くなるのが怖いのでまだ試したことが無い
特殊な機器を使う観察
CT
CLSM
SEM
田中. 2014. カイガラムシの標本作成法. 植物防疫, 68(8):483-488.
双翅目で密閉性の高い aedeagus 内に反転可能な endophallus をもつ種を扱ったことが無いのででやったことがありません。
私は骨格の形を見たいという気持ちが先行してしまうので、形態を使った研究を個人的に分類してみました。
種の記載・再記載:
同種か別種か、種内変異の程度を調べて記載する。少数のタイプ標本をよく調べることが重要。再検討の論文も割と多い
形質の相同性の確立:
個体間でどの部位とどの部位が対応しているか (同じ起源をもつ部位か) を決める。外骨格・筋肉・神経などの「相対的な位置」や、発生学的証拠などを用いる。遠縁な分類群間 (上科間や目間) や系統分類に有用でない形質ほど未検証らしきものがまだ残っている。「中間的な段階」を維持している分類群を探す。相同な形質を分類群網羅的に調べると、形質の進化を推定できる。
系統推定:
相同な形質を明らかにした上で、その変形を数値化する。たくさんの形質でスコア化して、系統関係を推定する歴史科学。より中立進化に支配され、平行進化が少なく、枝の深さに合った進化速度の形質が望ましい?系統推定を主題とする研究では分子情報も用いることが多い。
機能形態:
形や構造が持つ機能 (どのような仕事をするか) を軸に、機能の記載・検証を行い、同じ機能を果たす形質の変化 (イノベーション) や、同じ (相同な) 部位が果たす機能の転換を明らかにする。多くの機能は淘汰圧をうけるので、形質進化の究極要因も推定できるかも