呼吸五つ分の

10/19/2018




痛いというよりも、ただひたすらに熱かった。体内に収められていたはずの血液というものが、管を遡って口から溢れている。この味を、人の子は鉄の味だと言うらしい。味も何も、本来この身は鋼なのだ。懐かしさを覚えこそすれ、嫌悪を抱くはずもなかった。

「…あぁ、かわいそ…に」

見事な一太刀で俺の臓腑を掻き回した大包平は、震える事もせず、呆然とその鋼色の瞳を開いている。

「なに…を、おそれる、ひつよ…がある」

どうにも上手く話すことができない。それはそうだ、この身は今まさに、折れようとしている。

「いつものよ…に、すきにすれば、いいんだぞ、」

呆けた頰に手を伸ばそうにも、どうにもこうにも全身に力が入らない。どう、と音を立てたのは、おそらく俺の身体だろう。人の子は、死に際して一生分の体験が頭の中を駆け巡るのだと言う。突っ立っている大包平を仰ぎ見る事は叶わず、中途半端に閉じた瞳がこの身の記憶を再生し始める。なるほど、これが走馬灯というものか。身体から熱が逃げ切るまでに、呼吸五つ分くらいの時間はあるのだなと思いながら、思い出を巡るのも悪くはない、と俺は目を閉じた。


俺が鶯丸の一振として顕現されたのは、少し特殊な本丸だった。形の上では、俺が持たされている知識となんら変わりは無い。審神者が居て、こんのすけが居て、刀剣男士が居る。出陣、遠征、内番なんかをこなしながら日々を過ごす。刀剣男士は鍛刀されたり、戦場から拾われてきたりする。人の身体をおっかなびっくり使いながら、戦すら人の真似事のようだった。しかしこの本丸には、時折他の本丸から刀剣男士が寄越される。彼らは皆一様に、こころという部分に何らかの不具合が生じていて、手入れでは直せないそれを、この本丸で治すのだ。俺たちの主は人の心を治す専門の医師だそうで、こうした本丸は他にもいくつかあるらしい。不具合の原因は主に彼らの本丸が何らかの問題を抱えていたからだがーーーまあ、言葉を濁さずに言えば、審神者が審神者としての務めを放棄していたり、物事への思いやりを持っていなかった事にある。刀剣男士となった時に存在の核とされたこのこころというものは、鋼が持つにはひどくやわく、壊れやすくて、そしてやっかいなものだと思う。普通にしていてさえやっかいなのだから、不具合を抱えてしまってはひとたまりも無いだろう。常ならば、そんな状態になってしまえば刀解されて消えていくのが俺たちの望みでもあるのだが、これまた様々な事情でそうできない刀剣男士もちらほら居るらしい。そういうものが、この本丸へやってくるのだ。

この本丸で、俺は古参では無いが、新参でもない。大包平でさえ既に新参とは呼べないだろう。今の所、参戦している古備前の刀剣は大包平と俺の二振だけだから、なんだかんだと様々な刀剣たちを眺めながら、俺はいつも大包平と茶を飲んでいた。この本丸に所属する刀剣たちは、多かれ少なかれ主の影響を受けた上で他本丸の刀剣の面倒を見ているので、面倒見が良く、肝が据わっている。任務は全て、つつがなく行われていた。


その大包平がこの本丸へやってきたのは、一月ほど前だっただろうか。大包平と俺、それから平野が主に呼ばれ、話を聞かされた翌々日の事だった。その大包平は、修行を終えた平野に付き添われてやってきた。うちの平野も修行を終えているが、本丸内では穏やかだ。対してあちらの平野は、常に戦場にあるかのような空気を纏い続けていた。大包平というのは声が大きく、まっすぐ物を見、はっきりと物を言い、そしてやはり声が大きいものだ。多少個体差というものがあろうとも、そこは全ての大包平で変わらない。けれどその大包平は、ぼんやりと宙を見つめ、引き結ぶでもなく閉じた口は開かれる事は無かった。珍しい大包平もいたものだと眺める俺の隣で、うちの大包平が主に言った。

「こいつはもうだめだ。刀解してやってくれ」

俺が何かを言う前に、主はその大包平と大包平を見比べた。その大包平は、ずっと、ぼんやりと畳の目の数でも数えている様子だった。主は大包平に向かって、首を横に振った。それからうちの平野と付き添いの平野にその大包平を部屋へ案内するように言うと、主は大包平と俺に言い含めるように話をした。

刀解には審神者の干渉が必要になるが、あの大包平は審神者からの干渉を全て拒んでいる。そのため、手入れもままならない。この本丸へ来る前に手入れを行うために強制的に姿を刀に戻したために、余計にその反発が強くなってしまっている。刀剣男士は自刃も可能ではあるが、彼は以前の本丸の鶯丸から再三に渡り懇願されていて、自刃をする事ができない。今回やってきた大包平が目指すのは、刀解を受け入れられるようになるか、または自刃ができるようになることだ。戦線へ戻る事は、おそらくもう無い。

「そうか」

声の大きな大包平が、静かにそう言った。そういう事なのであれば、そういう事なのだろう。その大包平の世話は、大包平と平野と、それから俺が担当する事となった。付き添いの平野はうちの平野と二人で何かを話してから、政府の役人とやらと共に去っていった。その夜主に呼ばれた俺は、その平野が刀解されたと聞いた。修行を終え、名を極めておきながら刀解を選ぶ。凛としてばかりのうちの平野が知れば、悲しむだろうか。それとも、怒るのだろうか。そんな事を、俺は考えていたと思う。


「主、俺に御守をくれないか」

そう主に頼んだのは、その大包平が来てから数日後の事だったと思う。俺なりに考えたのだが、あの大包平はどうにも鶯丸との因縁が深そうだ。だから、俺を斬る事で何かが変わるのならばそれも良しと思った。主は苦い顔をしながらも、御守を二つ、俺にくれた。俺はその一つを、声が大きい方の大包平に渡して、もう一つは常に持ち歩く事にした。

その大包平は、ぼうっとした目つきのわりに、よく働いた。地味な仕事は得意だと胸を張る事も無く、淡々と畑の草を抜いたり、馬の世話をした。手入れができないので、手合わせや出陣、遠征は割り振られなかった。時折、大包平がその大包平を濡れ縁に連れてくるので、俺は両手に大包平の状態で茶を飲んだ。なかなかの心地だった。

日中、そのように生真面目に働くくせに、その大包平は絶対に眠らなかった。

「眠った隙に体の中に百足がぞろぞろ入ってきて、内側から喰われていくと思っているのだそうです」

もう居ない平野から聞いた話だと、平野から聞いた。その様を想像したら、さすがに茶が不味くなった。同じ理由で食事もとらないのだと聞くと、濡れ縁で振る舞った茶を飲み干した事を思い出した。茶が飲めるのならば、まあ他の事は良いだろう。

俺たちは俺たちなりに、その大包平のそばに居た。出陣をしない大包平は帯刀を控えるようにと言われていたが、時折、彼は刀を握りしめて離さなかった。万一のために、そんな時は俺たちも帯刀した。畑では、大包平二人がもりもりと仕事をするので俺は何もしなくてよかった。馬当番の日も、俺は何もしなくてよかった。非番の日だけ、俺は茶を振る舞った。秘蔵の茶葉も、惜しみなく楽しんだ。


御守が役目を果たした日ーーーつまり今日だが、その日は存外早くやってきた。その大包平は、今日は朝から刀を離さなかった。だから大包平と俺も帯刀して、そうして濡れ縁で茶を飲んでいた。いつものように、大包平とぽつりぽつりと会話をした。その隣でその大包平は、ぼんやりと庭を眺めていた。何がきっかけだったのか、それともきっかけなど無かったのか、今となってはわからない。その大包平は、突然湯呑みを取り落とし、口元を抑えてうずくまった。

「どうした、大丈夫か」

咄嗟に手を伸ばし、その大包平の腕に触れた、その瞬間の事だった。

さわるな!

相変わらず口を開くことのないその大包平は、確かにそう言った。声にはなっていなかったようだが、そう言いながら、彼は俺が触れた彼自身の腕を迷うことなく切り落とした。ぼとりと落ちた彼の腕は、濡れ縁も庭も赤く染めた。赤は大包平の色だ。俺は、そんな事しか考えられなかった。そうして更に彼自身に向けられた刃に、何もかも忘れて、俺は飛び込んで行ってしまった。自刃も手入れもできないくせに自ら重傷になるのは、さすがに不憫だと思ったのかもしれない。

痛いというよりも、ただひたすらに熱かった。体内に収められていたはずの血液というものが、管を遡って口から溢れてきた。この味を、人の子は鉄の味だと言うらしい。味も何も、本来この身は鋼なのだ。懐かしさを覚えこそすれ、嫌悪を抱くはずもなかった。

「…あぁ、かわいそ…に」

見事な一太刀で俺の臓腑を掻き回した大包平は、震える事もせず、呆然とその鋼色の瞳を開いていた。

「なに…を、おそれる、ひつよ…がある」

背後で、声の大きな大包平が何かを叫んでいる。主と、誰かが駆け寄って来る気配がした。

「いつものよ…に、すきにすれば、いいんだぞ、」

その大包平は、初めて俺をまっすぐに見ていた。俺はきっと、笑った。身体から熱が逃げ切るまでに、呼吸五つ分くらいの時間はあるのだなと思いながら、俺は目を閉じた。




目を開けると、手入れ部屋だった。どこもかしこも、痛くも何ともない。俺は刀剣男士だから、この通りだ。折れない限り、いくらでも戦えるし、いくらでも茶が飲める。首を巡らせると、隣に大包平が座っていた。まっすぐに俺を見て、大きな声で話すほうの、大包平だ。とても静かに、眉を釣り上げて俺を睨んでいる。

「…大包平はどうなった」

「自刃した」

「そうか」

大包平は嘘の吐けない男だ。そういう事なのであれば、そういう事なのだろう。結果としての終わりではなく、きちんと自分で終われたのだ。

「よかったな」

俺は、どこの俺とも知らない鶯丸に勝ったような気がした。鶯丸であれば、いや、鶯丸でなくとも、大包平に生きて欲しいと願うのは当然の事だ。当然の事ではあるが、自由を奪うのはどうだろうか。何があってそうなったのかは知らないが、その鶯丸は、大包平よりも自分を優先した、ずるい鶯丸だ。俺はその鶯丸に、きっと勝った。

「ふ…そうかそうか」

とても満足で、ほっとしたような心地がして、俺はもう少し眠るかと目を閉じた。が、大包平がそれを許さなかった。

「いくら御守を持っていると知っていたとはいえ、お前が折れるのを見るのは気分がよいものではない!」

耳元でないだけましだが、大きな声で、びりびりと空気を震わせた。これはどうも、寝ている場合ではなさそうだ。そういえば、こちらの大包平を構ってやるのも久しぶりだ。

「怒っているのか」

怒っている様子だったのでそう尋ねた。いつもならば、大包平は怒りを隠すのをやめて、立っている髪を更に逆立てて大声を出すのだが、今日はどうにも様子が違った。顔面に不満と大文字で書いてある横に、小さく小さく、不安と書いてあるのに、ふと気づく。

「俺は!しばらくお前とは!口を!ききたくない!」

大包平は大きな声でそう言うと、ぐっと口を引き結んで腕を組んだ。わかりやすくて、かわいい男だ。あんな風に、ぼんやりと宙を見つめるようになって、それでも終える事ができなかったあの大包平は、やはり、大包平が一目見て言った通りに「もうだめ」だったのだろう。すっかり元どおりの体を起こすと、大包平の顔を近くで見ることができた。きらりと光の宿る、美しい瞳だ。感情を映して赤くなったり青くなったりする肌も、わなわなと震える口元も、いからせた肩も、力強く組んだ腕も、すん、と鳴らす鼻も、すべて、大包平だった。

「なぜだ?話すと泣いてしまいそうか」

「馬鹿を言うな!」

からかえばすぐにむきになる。口をきかないと言ったそばから、くわっと全身で話しかけてくる。ついでにほろりと、その瞳から落ちるものがあった。きっと、大包平は大包平なりに、何かを思って、必死に考えて、真面目だからこそどうにかしようと一生懸命だったに違いない。その結果がこれなのだから、さぞ疲れていることだろう。慌てて目元を拭っている様子がいつになく健気で、俺はにこりとしてしまう。

「まあ、細かいことは気にするな」

「貴様!俺の涙は細かいことか!?」

泣いていないと主張するかと思えばこれだ。大包平というのは声が大きく、まっすぐ物を見、はっきりと物を言い、そしてやはり声が大きいものだ。自尊心が強く、気位が高く、優しくて、健気で、何度も言うが声が大きい。

「生きている事に比べたら、大抵のことは細かいことだ」

そう思ったから、そう言った。

大包平は少し変な顔をしたが、どうやら上手い言葉が見つからなかったようで、フンと鼻を鳴らし、そして、仕方ない奴だとかなんとか言いながら、とてもうまい茶をいれてくれた。






〜おわり〜