誠実なファスナーと寂しがりのマフラーにエバーアフターは訪れるか

9/21/2022




店のドアに下げられたカウベルは、防犯にも有用であるが、何よりも来客を告げることに長けている。従業員しかいない店内での雑談は、客に聞かせるべきものではない事もある。特に政府の運営するこの店の、政府に所属する複数の山姥切長義たちの他愛無い話は。カランカランとベルが鳴れば、それまで何を話していようとも、長義たちは入り口に目を向け、人好きのする笑顔を浮かべて客を迎えるのだ。


カラン、と控えめに鳴ったベルを合図に一瞬訪れた静寂の後、音を立てた者を判別すると、白のリボンタイを付けた長義が、バーカウンターで輪を作っていた長義たちの中から歩み出た。

「いらっしゃい、猫殺しくん。誰からの紹介かな?」

「…政府の…つっても政府にゃ山ほどお前が居るのか…にゃ」

「名刺とか預かった?」

「そういやなんか…もらったにゃ…」

ドアを開けたのは、南泉一文字だった。どこかぼんやりとしていて、髪もパサついている。正装でもなく内番着でもないラフな格好の、そのパーカーやジーンズのポケットを一つ一つ確認する南泉をさり気なく観察し、白のリボンタイの長義はちらりと他の従業員に目配せをした。赤や黒、青や黄など色とりどりのリボンタイの長義たちは、少し声を落として雑談を再開した。

「あった」

南泉がジーンズのポケットから見つけ出した名刺は、意外なことにそれほどよれていなかった。

「拝見するよ」

それを受け取った長義はそこに書かれた所属と連絡先を見ると、バーカウンターを振り返る。赤の俺、と声をかけると、赤のリボンタイを身につけた長義がやってきた。白の長義は名刺を彼に渡すと、南泉に挨拶をしてカウンターへ戻っていった。

「やあ猫殺しくん。今夜は俺がおもてなししよう」

赤の長義はそう言って笑うと、南泉の手をとって店の奥へと進んで行った。


「何か飲む?お酒もジュースもお茶もあるし、軽食もあるよ」

店内の一番奥の、けれど入り口よりも少し照明の明るいボックス席に、南泉は連れて行かれ、腰を下ろした。布張りのソファは少し柔らかくて、背を預ければふんわりと沈む。柔らかくてふわふわのブランケットも置いてあった。

「いや…飲み食いできねえから、いい…にゃ」

「そう?じゃあ雰囲気だけでも楽しみなよ」

長義は、ソファに沈んで目を細めながら言う南泉をちらりと見た。南泉は、おそらくいつも腹に巻いている赤い布をマフラーにしていて首元を覆い、正装では丸出しのままの腹も、きちんとパーカーで守られている。寒がりなのかもしれないと思い、注文をとりにきた白い長義にココアとジャスミンティを頼んだ。

程なくして供された二つのカップからはそれぞれの香りが漂っていて、南泉は大きく息を吸って、吐いた。

「俺は適当に両方飲むから、飲みたくなったら言うか飲むかしていいからね」

長義はそう言うと、まずはココアに口をつけた。ほわりと、湯気が前髪を揺らしたのを、南泉はぼんやりと見ていた。

「ほれで…ンン、それで?」

ココアが熱かったのか、舌の回りが怪しくなったのを咳払いで誤魔化して、長義はカップをテーブルに置いた。

「猫殺しくんは俺になにをしてほしいのかな?」

政府の運勢するこの店では、山姥切長義が数名で接客をしている。紹介がないとたどり着けない場所にあり、そして、山姥切長義に何かをして欲しい者が訪れる場所だった。政府の山姥切長義たちには「もてあたバー」と呼ばれているが、その軽い呼び名に反し、ここを訪れる者は重々しい雰囲気の者ばかりだった。というのも、この店を紹介して回る長義は、瑕疵本丸対策及対応部と呼ばれる部署に所属していることが多いからだ。冷たそうな顔をして、山姥切長義という刀はとても優しい。

長義に尋ねられ、南泉はそれまでソファに預けていた背を丸め、窺うように長義を見た。

「ききてえ事があるんだ…にゃ」

「いいよ、何かな」

重々しく口を開いた南泉に、長義はすんなりとこたえた。

「…俺の本丸に来た化け物切りは、その日のうちに刀解された。それから二日後に、写しも出陣先で折れた…にゃ。主から持たされてた御守は、部屋に残されてた。それから数時間で、政府から監査部隊が来た…にゃ」

「そう」

「なんで急に監査部隊が派遣されたんだ…にゃ?俺たちは外では何もできないようにされてたし、お前はさっさといなくなってた。刀剣が折れたのだって、それこそ…初めてじゃなかった、にゃ」

淡々と、南泉は尋ねた。長義は今度はジャスミンティに口をつけて、その潤った喉で唸った。

「どうして俺にきこうと思った?」

「最初は、俺をここに寄越したお前にきいた。でもそいつが、お前に聞けって言った。にゃ」

「なるほどね。たしかにここは、防音やセキュリティが万全なんだ。俺の知る限りでは一番ね」

たらい回しにしやがって、と少し不満げにする南泉を宥めるように、長義はそう言った。それから少し南泉に体を寄せて、耳を貸せと手で示す。秘密を分けるには万全と言いつつ、念には念をいれる様子に、南泉は素直に従った。長義に顔を寄せると、少しジャスミンの香りがした。

「俺が自分で政府に報告をできないような場合…大抵は折られたり刀解されたりなんだけど、偽物くんにも立て続けに何かあると、自動で政府に通報が入るようにできるんだ。偽物くんには、修行の最後にそれが告げられる。もちろん、拒否すれば適用されないけど、君のとこの偽物くんは承諾したんだと思うよ。どちらかがいなくなってしまっていたら、もう片方は破壊までいかなくても、重傷でいいはずなんだけどね。折れにいく写しが多いみたいだ」

困ったものだね、と、長義は笑ったが、少し納得のいかない顔をしている南泉に気づくと、今度は肩をすくめて見せた。

「俺はね、猫殺しくん。監査官だからね。優を取らねば配属されないのは、俺目的に自軍の実力を無視して無理な進軍をさせる審神者を見つけるためだし、配属早々に写しに喧嘩を売るのも、本丸内で問題が起きた時に対応できない審神者を炙り出すためさ。戦は長引いている。人手不足だからと数だけを増やしても、足を引っ張る者が多くては結果的にマイナスだからね」

長義は一息つくと、ジャスミンティーに手を伸ばす。

「お前が来るまではいい本丸だった、と恨まれた事もあるよ。でもそういう本丸は、俺がいなくてもいずれ大きな問題を生んだ可能性が高い。君のところがどういう本丸だったかは知らないが…写しが破壊を選んだんだ。他人の本丸を悪く言うのは申し訳ないが、あまり素敵な場所でも無かったんじゃないのかな」

長義はジャスミンティーをゆっくり飲んで、カップを置いた。南泉は、テーブルの一点を見つめている。

「…御前も、監査官をしてるって聞いた…にゃ」

ぽつりと、南泉が言葉をこぼした。長義は、目を細めて肯定する。

「そうだよ。俺の役目は審神者の適正を監査することで、彼の役目はある程度成長した刀剣の進路を監査すること。彼は目が良くて時に狡猾だ、君も知ってるだろう?戦果を上げ、長く続く本丸ほど、人の子の定めた称号を誇る刀剣は多い。それを刺激せずに立ち回るのに、『菊一文字』は適任だ。天下五剣を知らなくても、菊一文字という名は聞いた事があるという人の子は思いの他多い」

うん、と南泉は頷いた。先程の口ぶりから、きっと南泉は則宗に会った事がないのだろうと思われた。けれど、会いたいと思っているのかどうかがわからず、長義は一旦口を閉じる。

南泉は相変わらずテーブルを見つめていて、店の入り口付近で、他の長義たちが、なんでもない会話をしていた。


「俺…明日、刀解される、にゃ」

そっとテーブルの上に置かれた南泉の言葉を、長義は丁寧に拾い上げた。それをそっと慈愛で包んで、元あった場所へと戻す。

「他の本丸へは行かないの?」

静かな問いに、南泉はうん、と幼く頷くと、マフラーを少しずらして首元を見せた。そこには、山鳥毛を思わせる模様がうっすらと浮かんでいる。そのあたたかさから、護られているのだと知れた。黙って次の言葉を待つ長義へ、南泉はようやく目を向ける。

「これはお頭が、刀解される時にくれた。俺が刀解されてこれも消えないと、お頭もちゃんと休めないにゃ…」

聞けば、山鳥毛は日光と姫鶴を鍛刀できずに刀解されたと言う。山鳥毛は南泉に、本丸にこれ以上知己を呼ばないと告げたそうだ。おそらくそのために、審神者の怒りをかって山鳥毛か南泉のどちらかが刀解されるだろうが、それでも良いかと。南泉は一も二もなく頷いた。結局、山鳥毛を残しても今後一文字は顕現しないかもしれないが、南泉を残せば山鳥毛はやってくるだろうと考えた審神者に刀解されたのは山鳥毛だった。子猫、すまない、せめて少しでもお前を護れるように、と言い、南泉の首にその加護を残して、山鳥毛は去ったのだそうだ。長義は、南泉の首に手を伸ばした。その指先を、南泉は避けなかった。

「もう一つ、ききたいことがある…」

「何かな」

「ここに来れば、お前…なんでもしてくれるって聞いたけど、本当なのか?にゃ?」

「さすがに一緒に刀解されてくれとかって言われたら断るけどね、大抵の事は叶えるよ。持てる者こそ与えなければね」

長義が柔らかい笑顔でそう答えると、南泉はじっと長義をみつめた。金色の瞳が、暗がりを浮かべて凪いでいる。

「明日の朝まで一緒にいてくれって言ったら…?」

「いいよ」

「即答すんのか…」

聞いたくせに少し眉を顰める南泉に、長義は笑った。

「一緒にいるだけならお安い御用さ。でも何かしたいなら、」

長義は手のテーブルの上に手を出した。手のひらを上にして、南泉に差し出す。南泉は逡巡した後、パーカーのポケットに入れていた自分の手を出して、そこに乗せた。長義はすかさず、その手を握る。親指で、軽く南泉の手を撫でた。

「何かしたいなら、刀解はとりあえず一週間後に延期しろ。それが条件だ。そのかわり、一週間、お前の面倒を見てあげる」

嘘だ、と南泉は思った。

「嘘じゃない」

それを見逃さず、長義は強い声で言った。

「もし俺が断ったら、どうするつもりだったの?」

「…俺は、男のひっかけ方は知り尽くしてんだ、にゃ」

「明日刀解されるくせに、もう誰にも強要もされてないのに?」

「…お前は夜の長さを知らねえんだ」

「それを寂しいって言うんだよ、猫殺しくん」

長義はもう一度、南泉の手を撫でた。先ほどよりも、随分とゆっくりと。

「寂しさしか知らずに刀解されるのはもったいないと思わない?せっかく山鳥毛さんの加護ももらっているのに。出陣したことはあるのかな?この身体があると体験できることはたくさんある。美味しいものもたくさんあるし、面白いものもいっぱいあるよ」

南泉は、手を引こうとした。けれど、長義が素早く掴んで離してくれない。

「いい、変な事言って悪かった。俺は帰る…にゃ」

「だめだよ」

立ち上がろうとする南泉の手を、長義は強く引いた。振り解けそうにないその頑固さに、南泉は仕方なく、浮かせた腰を下ろす。

「さっき、明日の朝まで一緒にいてくれってお前が言って、俺はいいよって言っただろう?明日の朝までは、お前は俺から逃げられないよ」

「そういうシステムなら先に言え」

「聞かなれなかったからね」

「お前…腹立つにゃぁ…」

腹が立つと言いながらも、南泉にぶすくれた様子はなかった。彼はずっと、淡々としている。けれど、長義にはわかっていた。この場所へやってくる者は皆、長義に何かを求めている。明日刀解されるのだと言うこの南泉も、それでも、全てがどうでもよくなってしまってはいない。誰かに何かを求め、それが得られる場所へ足を運ぶ事ができるのなら、この南泉は、戦い続ける方法がわからなくなっているだけなのだ。


政府の運営するこの店では、山姥切長義が数名で接客をしている。紹介がないとたどり着けない場所にあり、そして、山姥切長義に何かをして欲しい者が訪れる場所だった。政府の山姥切長義たちには「もてあたバー」と呼ばれているが、その軽い呼び名に反し、ここを訪れる者は重々しい雰囲気の者ばかりだった。というのも、この店を紹介して回る長義は、瑕疵本丸対策及対応部と呼ばれる部署に所属していることが多いからだ。山姥切長義は監査官の資格を持つ刀剣で、冷たそうな顔をしているがとても優しく、理想と現実が全くの別物であることを理解している。長義たちはこの店で、使えるものは全て使って、与えられるものは全て与えて、訪れる者を労り、励まし、時にすこしだけ騙したりして、なんとか戦線へと送り返す。そして時々、新しい本丸へ向かう者に、長義がついていく事もあった。彼らはリボンタイの色が青ではないので、演練でお互いをすぐに認識できる。そうやって、監査は密やかに続き、広がっているのだった。


「さて、じゃあ場所を変えようか」

「え?」

唐突に、長義は立ち上がった。掴んだままの手を引いて、南泉も立たせる。

「お前は明日刀解されるから気にしないかもしれないけど、俺は明日も仕事があるんだ。一緒に起きてるにしたって、布団でごろごろさせてくれ」

長義がそう言うと、南泉は繋がれたままの手を見た。長義の手はあたたかかった。

「…わかった、にゃ」

南泉が言うと、長義は歩き出した。南泉も、抵抗せずに着いていく。南泉は、斜め前を歩く長義の足元を見て、これからどうするかを考えた。刀解される前に、一度でいいから大事に扱われてみたかったし、長義ならそれを叶えてくれると思ってここへやってきた。しかし、それを得るためには刀解を一週間延期しろと彼は言う。南泉には確信があった。一週間の延期をしたら、自分はきっと長義に言いくるめられて、新しい本丸へ配属されることになるのだ。もしかしたら、一緒についてくるのかもしれない。長義とはそういう刀なのだと、少しずつ思い出してきた。けれど、と同時に思う。一週間は、長くはない。長義に願い事を叶えてもらって、一週間面倒を見てもらって、それから刀解されるという、至れり尽くせりコースもあり得るのではないか、と。南泉は、山鳥毛に護られている。きっと、山鳥毛も力を添えてくれるだろう。

南泉は、繋がれていた手に力を込めた。それに気づいた長義が、ゆっくりと振り向いた。きっと全て筒抜けなのだろうけれど、南泉は、その大きな目を柔らかく緩めて、諦めたように口を開いた。

「刀解、一週間後にする…から、お前のできる最大限に、大事に扱ってほしい…にゃ」

そう言うと、長義の手が、少しだけ震えた。長義はそれを誤魔化そうともせず、嬉しそうに笑った。

「いいよ」

長義は前を向き直して、再び、南泉の手を引いて歩き始めた。

「俺の最大限は、すごいよ」

背中越しに聞こえる、その、自信に満ち溢れた声に、南泉は思わず笑ってしまった。けれど笑い方はもう忘れていて、少し苦しくて、ほろりと、知らない水がまつ毛を濡らした。





~おわり~