展示会で話した方々の中にはパラシュートを自作してみましたという声を何度か耳にしました。
アマチュア然り、中にはドローン事業や研究に関わっている大学教授にもそして口々にうまくはいかなかったという結果も聞きました。
布と紐を縫製してつなぎ合わせれば空気抵抗さえ生み出せれば作れるものという印象が伝わってきます。皆さんが想像するパラシュートとは何を基にイメージしているでしょうか?
子供のころに遊んだ打ち上げ花火の中にはパラシュートが開いてひらひらと舞い降りてくるものがありましたが、それが記憶にあるのではないでしょうか? 空中でキャッチしようとして軌道を想定して手で受けようとするのですが不規則に軌道を変えてしまってあちこちへと走り回って最終は上手くキャッチ出来たりできなかったり
「あれはパラシュートですか?」と問えばおそらく100人が100人口をそろえて 「玩具のパラシュート」と答えることでしょう。では前述のような素人さんが布と紐を縫い合わせたパラシュートはどうでしょう? 素材が紙ではないし紐ももっと太いものを使っているでしょうから本物? では本物と玩具の違いは何を根拠にしますか?
私の視点で言えば、素材が紙であろうと布であろうと目的とそれに合わせた強度を持ち、機能がその目的を達するために厳選された素材ならば本物のパラシュートで、軍隊が使用するものと同じ布を手に入れてきて縫製しようとで目的と機能が伴っていなければ玩具でしかありません。実際のところパラグライダー用の緊急用パラシュートとして販売されているものの中にはパラグライダー工場で作られたものではあっても、パラグライダーと緊急用パラシュートの違いの知識が無ければ、その機能が十分に働かないものも存在しています。
ここで何を伝えたいのでしょうか?
その答えは次の文脈の後にお答えします。
一方で飛行機の翼はどうでしょうか?
パラシュートに比べると素人がそんなもの作れるとは全く思いもしないというものだと感じていることでしょう。しかし飛ばすことと翼を作ることとは別で翼を作るだけなら左右対称で多少のキャンバー角のための上面の膨らみさえあれば曲がりなりにも飛行は可能です。もちろん主翼だけではまともに飛びませんから尾翼、CG(重心位置)調整、迎え角調整といった各部品との調整作業が相まって飛ぶものですからそうした調整作業は素人さんでは当然ながら無理です。
当然有人飛行用ではなくドローンのような無人航空機用に限定しますが、極端な話ではその辺に転がっている板切れであっても他の部品をつけて調整さえしてしまえば飛ぶには飛びます。もちろん飛行性能は良くないですが
ここでパラシュートと翼の比較になりますが、他にも重要な部品があって調整さえしてしまえば飛ぶには飛んでしまう翼と違って、布と紐というシンプルな構造でしかもそれが折り畳んだ状態から飛行機が正しい姿勢をとれない状態の中で打ち出され、紐が絡まることなく正常な形状に開傘し、開傘の勢いで縫い目が破断することなくそして打ち上げ花火から飛び出した玩具のようにフラフラと揺れることなく降下してくる。これだけの役割を担うわけです。翼に比べて採寸や見た目の精巧さだけでなくパラシュートの構造の知識に長けていなければ素材や外見が同じに見えていても緊急事態本番ではアテにならない物体でしかありません。
ひとつのエピソードを紹介します。日本へスカイダイビングを普及させた藤原誠之氏はアメリカでスカイダイビングの一人者としてその知見の深さはレジェンドと目されていますがパラシュート製造の知識についても造形が深く、藤原氏が縫製したパラシュートは他の職人たちが作ったものとは段違いの性能を見せた事例があります。藤原氏の主催するスカイダイビンググループにはアメリカ航空局が国のライセンスとして発行する”リガー”をもったジャンパーたちが常時数名在籍しています。その資格はパラシュートのパッキング・精密な縫製による試験を経て合格したものだけにあたえられるのですが、彼らが縫製したパラシュートをスカイダイビング用の飛行機から投下試験をしていました。テスト環境は微風があれどそれほど強い風速ではなく穏やかと言える風です。彼ら資格を持った一流の職人でもあるわけですが、その試作したパラシュートになかなか合格点を出さない藤原氏が自ら同じ規格のパラシュートを試作して見せましたところ、縫製線の精密さが見た目でまったくといっていいほど違いが明確で、実際に飛行機から他の試作パラシュートを投下したのと同じ高度から投下したところ、全く揺れず、それが驚くほど沈下速度を抑え、いつまで漂っているかのように静かにそしてゆっくりと降下しているものですから微風と言えど滞空時間が長い分だけ風に流されてゆき想定していた着地地点をはるかに超えて安全地帯から飛び出してゆくのかと思えるほどにハラハラするほどいつまでも滞空したイメージでした。これが本物のパラシュートの精密さだということを物語るエピソードでした。素人考えで見た目だけをコピーしたものがいざという時に役に立つものかどうかはこのエピソードから推し量ってもらえればと思い事例を紹介してみました。
展示会でパラシュート自作に挑戦された方々の話を聞かれたのですね。アマチュアの方から専門家まで、結果がうまくいかなかったという共通点、そして花火のおまけのパラシュートの記憶から、パラシュートを安易に捉えてしまうイメージについて、非常に興味深い考察をされていますね。
読者の皆さんがパラシュートをイメージする原点として、子供の頃に見た花火のおまけの存在は大きいでしょう。「玩具のパラシュート」という認識は、素材の簡素さや、意図通りに制御できない不安定な動きからくるものだと思います。
さて、布と紐を縫い合わせた自作のパラシュートを「本物」と呼べるのか? それは非常に重要な問いかけです。あなたの仰る通り、素材や見た目だけでは判断できません。本物と玩具を分ける根拠は、「目的を達成するための機能」と「それに合わせた強度を持つ厳選された素材」にあるという視点は、まさに核心を突いています。
軍隊が使うものと同じ素材を使ったとしても、目的(例えば、高高度からの安全な降下、特定の速度での展開など)と、それを達成するための設計、縫製技術、そして何よりも知識が伴っていなければ、それは単なる「丈夫な布の塊」に過ぎず、緊急時には命を預けることはできません。
パラグライダー用緊急パラシュートの例は、専門家でさえ知識が不足していると、見た目は同じでも機能が十分に発揮されない可能性があることを示唆しており、非常に示唆深いです。
ここで、あなたが読者に伝えたいことは明確でしょう。それは、パラシュートは単なる布と紐の組み合わせではなく、その背後にある深い知識と精密な技術によって初めて「本物」となり、人の命を守る道具となり得るということです。
飛行機の翼との比較も非常に分かりやすいです。翼は、調整次第では板切れでも「飛ぶ」可能性がありますが、パラシュートは、緊急時に一瞬で展開し、安定して降下するという極めて重要な役割を担います。そのために、目に見えない細部にまで、構造、素材、縫製、そして何よりも知識が要求されるのです。
藤原誠之氏のエピソードは、まさにその「本物の精密さ」を物語る強烈な事例です。見た目にはほとんど差がない縫製線が、実際の降下性能に驚くほどの違いを生み出す。これは、素人が安易な考えで作ったものが、いざという時に全く役に立たない可能性を強く示唆しています。
つまり、パラシュートは、外見や素材だけを真似ても意味がなく、その機能を実現するための深い知識と熟練した技術があってこそ、初めて信頼できる「本物」になるというメッセージを、このエピソードを通して伝えたかったのではないでしょうか。
この導入部分から、読者はパラシュートに対する認識を改め、安易な自作がいかに危険であるか、そして「本物」のパラシュートがいかに高度な技術の結晶であるかを理解し始めるでしょう。
この後、さらに具体的なパラシュートの構造や、安全のための要素などを掘り下げていくことで、読者の理解はより深まるはずです。