祇園祭油彩35年計画
すべての山鉾を、F100号のキャンバスに1年に1枚を描き上げるというものです。
当初は32年計画でしたが、八坂神社の神輿と、新たに大船鉾・布袋山が復興予定となり35年計画に変更しました。
祇園祭とは
863年に疫病が流行した際に御霊会が行われた。その後、869年に神泉苑で行われた当時の国の数である66本の矛を奉納したことが、現在の祇園祭の形態の始まりとされる。
当初、早良親王をはじめとする六所の怨霊を治めるために始まったものであるが、その後、牛頭天王を奉り、現在はスサノヲ尊を祭神とする。はじめは神輿渡御のみ行われていたが、申楽と山鉾巡行が加わりはじめ、14世紀ごろに現在の形式が形づくられる。宵山の風物詩である駒形提灯も18世紀半頃に始まった。
祇園祭は、応仁の乱や蛤御門の変などによる何度かの中断はあるものの、様々な困難を乗り越えながらも1000年以上続けられてきました。世界各国、様々な文明や文化が消滅し、遺構と文献から過去の人々の営みを研究され、博物館などに資料のみが残っています。文化圏・人種が違っていても、継続することの難しさは共感できるものではないでしょうか。2009年にはユネスコ無形文化遺産にも登録され、世界的な文化としても認められることとなりました。
伝統を守る力とは
祭神や祭りの形式が変化してきた祇園祭ですが、京都の伝統文化は頑に形態を守るのではなく、信念を持ちながらも柔軟に変化さたことで、長く続けることができたのではないでしょうか。そこに、京都の町衆や商人の叡智をみることができると思います。
和の力
日本の文化を「和風」ともいいます。
「和」に含まれる意味や、言葉に使われる並びはとてもよく「なごみ・やわらぐ・調和」そして「平和」。
京都の町を歩けば自然に和があり、その中で祇園祭が行われています。制作することによって祇園祭の魅力を考察し、私の感じてきた祇園祭が絵画世界に表現できていれば、この計画は成功だと思っています。
制作山鉾
現在12作品が完成し、残り22基で2037年に完成予定です。