京都には、長い時間をかけて造られた街と自然が多くあり、それぞれの時代の人々が変化をさせながらも、その場所を守り、そして造りかえ、人の心情が深くつまった場所が多くある。京都に住む私は、その京都の町並みが好きで、休日には些細な目標を作り街に出かける。その目標は有名な社寺や史跡、春には桜名所に、秋には紅葉狩りへ、名物のお菓子を食べに行くことも楽しみの1つでもある。
その目標へ向かう途中の、なんてことない家と家との間にはちょっとした立て看板がり、その場所で起こった過去の出来事や、歴史の教科書には載っていないようなことが紹介してあったりと、小さな発見があったりするのも京都の楽しい所である。
そんなフラフラ出かけた中で、気にいった場所があればその場所に何度も通い、絵が描けそうな気分になれば油彩の制作を始めている。誰もが描く風景画ではあるが、少しの主観的な思いを意識し、私自身の感じたことを表現できるところが色彩であり、自分自身の思いの色で描き上げることが、私が絵を描くことで楽しんでいるところである。
制作の行程では、自分自身の心が感じている風景に近づけつつ徐々に着彩している。なぜその風景に気持ちを引かれて絵にしたくなったのか。多くのことを考えながら、現実にはない、少し違う色相とわかって描き進められる絵が徐々にリアルに感じられてくる。制作が半ば頃になり、風景の現実的な色相の意識は薄れはじめれば、ここからが私の色遊びのはじまりである。私の心が感じている、自然に無いような色を塗り始めることはエスカレートしていき、キャンバスの中の色彩世界は私のイメージに近づいていき、そして心の心象風景がリアルに描ければ筆は止まる。
完成した作品には私が感じた思いが表れているだろうか。
私が描いた絵を見た人々に、私が描きたくなった気持ちが伝わるだろうか。私が感じた風景の美しさが伝わり、その場所に行ってみたいと思ってもらえれば、私の制作した絵は成功したと思う。