次いで、明治八年十月十七日、水沢県下において、郷村統廃合が行われ、第一回目の町村合併が指令された。数百年間相なじんできた村々が合併によってどんな新村名にするかで、大部悩んだようであるが、結局次のような新村名となった。
(明治八年) ○印は旧村名にない村名
真坂村←真坂村、清水村
柳目村←柳目村、曾根村
○金田村←川口村、嶋躰村、清水目村
○王沢村←北沢村、狐崎村
長崎村←長崎村、大川口村
片子沢村はそのまま単独
真坂村と柳目村では、この時、連合役場を真坂町に設け、従来村長宅で村の事務をとっていたのを、一ケ所で行う事にし、齋藤又兵衛宅で執務した。
次いで明治十二年、村長を戸長と呼び、連合戸長役場が設けられた。
真坂村外三ヶ村戸長役場(真坂、柳目、王沢、片子沢)
金田村外二ヶ村戸長役場(金田、長崎、花山)
真坂村外三ヶ村戸長役場は及森儀三郎宅に移され、金田村外二ヶ村戸長役場は、川口に設けられた。金田・長崎の栗原郡誌の記載には、明治十七年のことになっている。
ついでながら。明治二十一年、新市町村制が施かれ、明治二十二年四月一日から、また合併による新市町村名が出た、それによると、
王沢村片子沢村宝来村合併 ○姫松村
真坂村柳目村合併(明治十二年) ○一迫村
金田村。長崎村はそのまま、こうして最近までの、村々ができたのである。