明治八年十一月二十二日、水沢県庁を登米から一関に移し、県名を磐井県と改称した。当時の太政官布告として、各村々に配布された文書(門伝戸長文書)に次のようにある。
其県本庁ヲ陸中国磐井郡一関ニ写シ、磐井県ト改候条、此旨相達候事
明治八年十一月廿二日 太政大臣 三條実美
また、県当局からの布達文書として、
甲第七十三号 各 区
当県改称並移庁之儀、左之通御達有之候条此旨相達候事
明治八年十一月二十七日 磐井県権令 増田繁幸
こうして磐井県として、県庁はふたたび一関に移され、旧田村邸が県庁として使用されるようになった。しかしこの磐井県も短命な県で、翌明治九年五月までの約五ヶ月間の県であった。