人は、戦士だ。
環境に、戦いを挑む。
環境を変えるために、戦う。
何のために、環境を変えるのか。
それは生き延びるため。
まず、生きるために。
環境を大きく変えなくても、生きれるかも知れない。
しかし、さらにより良く生きるために、環境に挑む。
生きていることは、それだけで幸せだが、
さらなる幸せを望むことも、生きること。
より良く生きようとすることも、生きることだ。
それは、生きている証しを得ること。
環境のなすがままになるのではなく、
環境に対応できる自分を、実感すること。
環境を変えれることを、実感すること。
より良く生きようと努力していることを、実感すること。
生きてる証しを得ること。
さらに生きている実感を得ること。
それが、幸せだ。
生きている幸せは、動物の、本能的快感。
より良く生きる幸せは、人の、理性的快感。
生を得たことは、すべてにおいて奇跡。
ならばその生を、満喫することは、
奇跡を手に入れたことに対する、感謝だ。
そのために、人は、より良く生きようとする。
幸せを目指す。
人は、戦士。
環境に、戦いを挑む。
しかし、いきなり環境を変えることはできない。
少しづつ変えていくしかない。
そのためには戦略が必要だ。
目的と手段を、明らかにしなければならない。
そして、自分だけに都合のいい環境に変えてもいけない。
それは、不安定な環境。
やがて誰かに変えられてしまうだろう。
環境の、奪い合いになる。
戦うのは環境に対してであり、人に対してではない。
人は、生きることの戦士。
環境もまた、人を攻撃してくる。
そのためには、鍛錬が必要だ。
戦士は強く、タフでなければならない。
俊敏で、慎重でなくてはならない。
戦士は、戦う装置、
欲望も感情も、心奥深く封じ込めなければならない。
そのためには、四つの観念が必要だ。
愚念、諦念、脱念、悟念
この四つの観念が、戦略の基本となる。
愚念とは、自分が愚かであることを知って、行き過ぎず、
しかし、そのことを過剰に恐れず恥じず、
また後悔し続けない思いを言う。
諦念とは、すべてが自分の思いどおりにならないことを知り、
ものごとに執着し過ぎない思いを言う。
脱念とは、複雑化するものごとをシンプルにするために、
割り切って捨てる、
邪魔となる、人としての欲望、感情から脱する思いを言う。
悟念とは、自然の無常を知り、しかし人がその無常の中で、
必死に環境を変えるべき理由を知り、その道理に従う思いを言う。
人は、戦士だ。
環境に、戦いを挑む。
それは生き延びるために。
環境より、生を守るために。
そして、さらにより良く生きるために。
『哲士は、質実剛健、
果敢に環境に挑み、
秩序を勝ち取る』