何を求めて生きるのか?
喜びを求めて生きる。
喜びとは何か?
五感で感じる喜び、ものごとを認識、記憶、回顧する喜び
本能による欲求が引き起こり、満たされる喜び
全身の活性化、沈静化を感じる喜び
ものごとへの対応、達成、創造の喜び
それらの喜びが刹那的でなく、継続的に満たされるなら、
それが、幸福だ。
そのためには、自分を含む回りの環境が、
以下のようでなければならない。
論理的である・・・因果の法則、確率に従っている
システム的である・・・空間的または時間的に順序が守られている
バランスがとれている・・・全体の調和がとれ安定している。
シンプルである・・・煩雑さ、混乱がなく整理整頓されている。
世界には、膨大な因果が廻っている。
それは複雑に組み合わされた歯車のようだ。
エネルギーがエネルギーの歯車を回す。
それは不安定が巻き起こす、ポテンシャルエネルギーのようなもの。
安定を目指して流れて落ちていく。
ある時は怒涛のように、ある時はゆるやかに・・・。
それは、神のごとく振舞う。
因果神だ。
私たちは、因果神に逆らえない。
幸せを目指すなら、因果神に逆らってはいけない。
逆らえば、罰を受ける。
幸せが遠ざかる。
しかし複雑に絡んだ因果を、私たちは全てを理解できない。
知らずに、因果神に逆らっているかもしれない。
そのために私たちは出来るだけ、その因果の流れを明らかにしておく
必要がある。
そのためには、上の四つの環境を目指すことを心がける。
無軌道に振る舞い、順序を無視し、調和を崩し、回りを混乱させる。
そのようなことをすれば、因果を見失う。
因果を見失う行為は、人にとって、後ろ向きの行為。
因果を見失えば、やがて因果神に罰を受ける。
後ろ向きに生きてはいけない。
前向きに生きれば、幸せは確実に近づく。
『哲士は、自業自得、
因果の報いを知る、
前向きに生きれば後悔はない』