人は、世間体を気にする。
世間体とは、何か?
人は、他人を恐れる。
他人は、自分を攻撃してくるかもしれない。
他人も自分を恐れている。
人はいつも優劣を考える。
人はいつも位置を考える。
誰もが、他人より自分を上に置きたがる。
自分の立場としての「プライド」を守ろうとする。
自分が「得」して、「損」をしないように。
だから、自分を脅かす存在であれば、攻撃する可能性もある。
ある時は徒党を組んで、複数で攻撃する。
攻撃し、攻撃される。
だから人は、人を恐れる。
他人を恐れる。
群れを恐れる。
他人が何を考えているかは、わからない。
いきなり自分を攻撃してくるかもしれない。
だからその兆候を見るために、
人は、ヒトの基準を作る。
基準の中にあるものは、自分を脅かす可能性が低い。
基準を外れたものは、脅かす可能性が高い。
その基準は、常識感から作る。
それは、人が、群れの経験の中から作る。
そしてそれは、他人をも自分をも縛りつける制約。
群れの制約。
恐れるから、目立ってはいけない。
出来るだけ、群れに埋没していたほうが良い。
だから人は、群れの制約に従おうとする。
群れが漠然としていると、制約も漠然としている。
漠然と、自分を縛りつける制約。
群れの制約が、世間体だ。
ヒトは、獰猛で臆病な生き物。
本能が、いくつもの欲望を引き起こす。
それぞれが勝手気ままなら、収拾がつかない。
群れは秩序が保てない。
そのために群れの制約が必要とされる。
そのために、世間体が必要となる。
世間体とは、群れが損害を受けることを排除するために
作られた制約。
守れば、確率的に、損害を受けにくくする。
しかしそれは、それぞれの人が勝手に作るもの。
恐れを敏感に感じるものほど、制約を厳しくする。
その制約が、自分や身内の理想像を形作る。
その理想像から外れることを恐れ、外れたことを恥じる。
理想が高すぎれば、自分たちを萎縮させてしまう。
萎縮してしまった自分は、
人生を自ら切り開くことは出来ない。
世間体に押しつぶされてしまう。
「理性」は、ヒトという動物を手なずける。
そして人は、ヒトという動物から脱しようとしている。
そして、人は、群れからも脱しなければならない。
漠然とした群れの制約、世間体からも脱する必要がある。
制約は必要だが、それは気まぐれな群れにではなく、
大きな道理に従うものでなくてはならない。
それは「世間体」ではなく、「自分体」でなくてはならない。
それは、自分の位置を明らかにした「ポジション」だ。
世間体に振り回されることなく、自分体に従え。
恥じるのは、世間にではなく、自分に対してだ。
恐れるのは、世間ではなく、自分でなければならない。
『哲士は、独立不羈(どくりつふき)、
自分以外に束縛されず、
恥を恐れぬ無頼となれ』