堂々と立て。
誰もがあなたに気がつかない。
誰もがあなたを好きにならない。
誰もがあなたを信じない、価値を認めない。
しかし、堂々と立て。
堂々と振舞え。
多くのものが、あなたの無知を笑うだろう。
あなたの不運を、不器用を、臆病を嘲る。
あなたの弱さを、失敗を非難するだろう。
しかし、堂々と振舞え。
堂々と生きよ。
あなたの中を欲望が渦巻く。
嫉妬の嵐にもだえ苦しむ。
怒りと口惜しさでのたうち回る。
しかし、堂々と生きよ。
理性は、心に点いたほのかな灯火。
少しの風で消えてしまう、危うい灯。
しかし、その光はあたりを照らす。
進むべき道をほのかに指し示す。
それは、本当の道を指し示す。
堂々と歩め。
理性は何故生まれたのか?
ヒトは進化して脳が発達し、優れた記憶力を手に入れた。
優れた記憶力を生かして、ヒトは仮想することが可能になった。
記憶したものを、さらに仮想することによって、
ヒトはいくつかの状況を組み合わせることが出来るようになり、
自ら環境を変えれるようになった。
思考が始まり、そして、ヒトは自分の存在に気づいた。
自分を意識すること、
すなわち「意識」が誕生し、そしてヒトは、人になった。
自分に気づくと同時に、他者に気づく。
群れとの関係に気づく。
単独で生きるなら、自由に振舞えばいい。
群れで生きるから、秩序を求める。
秩序を求める力こそ、理性だ。
人は、環境を自ら変えれる存在。
しかし、さらに大きく変えていくためには、群れの協力が必要だ。
何故、そんなにまでして環境を変えるのか?
それは、他の生き物と同じ、
人が弱く、自然に翻弄される哀れな存在だからだ。
しかし、生きなければならない。
強く生きなければならない。
環境を変えて、生きやすくしなければならない。
なぜなら「生」は奇跡であり、多くの「生」の蓄積であり、
尊いからだ。
万物の霊長として、人は「生」に感謝し尊重しなければならない。
それは、人の「生」に対する「愛」だ。
だから、理性は「愛」を原動力とする。
だから理性は、優しくなければならない。
優しさは、穏やかでおおらかだ。
穏やかでおおらかであるためには、
自分を強く制御しなければならない。
ゆえに「愛」は、厳しさの上に成り立つ。
自分や群れに翻弄されない厳しさが必要だ。
大きな道理に従う厳しさ。
大きな道理に従う優しさ。
それが「愛」だ。
群れを保とうとするのは、他者を恐れるからではない。
他者を愛するからだ。
「生」を愛するからだ。
だから、大きな道理に従うならば、
あなたは何も恐れることはない。
群れも他者も恐れることはない。
何も恐れることはない。
あなたへの無視も、非難も、軽蔑も・・・。
堂々と振舞え。
大きな道理に従っているから、堂々と振舞えるのだ。
まず、背筋を伸ばせ。
堂々と振舞え。
愛をもって振舞え。
『哲士は、泰然自若、
あわてず、驚かず、動じず、
愛をもって振舞い、何も恐れない』