人は、何を求めて生きるのか。
人は、死ねないから生きている。
多くの困難の中で、ほんの少しづつ喜びを拾い上げながら生きている。
人を苦しめるのは、望みが叶わぬこと。
叶わぬ望みを諦めきれないこと。
そのために傷つく自分自身のプライド。
人は、プライドを守ろうとする。
望みを叶えれなかった自分を正当化するため、
人はプライドに必死にぶら下がる。
プライドは怒りをもって、回りを攻撃する。
またプライドは、それ以上傷つくことを恐れて、
自分の欲望を押さえつける。
しかし、その望みが叶いそうになると、
プライドは跡形もなく、どこかへ行ってしまう。
気まぐれなプライド。
プライドとは、自己の存在価値の主張。
それは、存在本能にもとづく。
存在本能とは何か?
命を繋いでいこうとする生存本能、
遺伝子を繋いでいこうとする種存本能に並んだ
それらの本能をフォローする本能が、存在本能だ。
自己の存在をアピールしなければ、
ヒトは、競争の群れの中で抹殺されてしまう。
生きれないし、子孫を残せない。
そのアピールの拠り所となるのが、プライドだ。
自分が主張する存在価値だから、
当然、社会もそれを認めており、
その価値の維持には、責任があると思っている、
人の社会で生きる最低の自信であり、うぬぼれだ。
そのプライドのために、フォローすべき生存や種存を
犠牲にすることがある。
自分を守るために、プライドは必要だ。
それは生き方を確固たるものにする。
迷いを振り切る。
プライドは、自分が今までに生きて獲得してきた「生きる指針」だ。
人は、プライドで判断を下す。
その判断が、結果間違っていたとしても、
自分にとってはいつも正しい。
それは自分を守ることが、自分を信じることだからだ。
自分以外の何ものにも媚びないということだ。
しかし、プライドのために生きてはいけない。
生きるためにプライドは必要だが、
プライドのために人生があってはいけない。
哲士は、大いなる道理を守る者。
自分のプライドが、その大いなる道理に逆らうものであったら、
そんなプライドは、捨てなくてはいけない。
大いなる道理を守ることが、哲士のプライドだ。
プライドも定かでなく、欲望のまま生きるものがいる。
欲望のおもむくまま、獣のように生きるもの。
そして感情のおもむくまま、プライドだけに生きるもの。
どちらも心が乾いている。
心が、砂のように乾いている。
味気なく、深みもなく、何も受けつけない。
殺伐としている。
砂のように、何も作り出すことが出来ない。
人は、幸福になるために生きている。
それは、心の中に潤いを持つこと。
心の中に、深みを作ること。
心の中に、日溜りを作ることだ。
心の中に作る「心溜まり」。
「心溜まり」は、穏やかな領域。
潔く、静かで優しく、正しい領域。
その領域は、心にあたえられた衝撃をクッションのようにやわらげ、
人が衝動で反応してしまうのを防ぐ。
欲望や感情のなすがままにならない。
人に思慮深さを与える。
それは、大いなる道理を見失わせない。
『哲士は、悠々自適、
心静かに思うまま、
心溜まりにて対応する』