「あなたと同じ時代に生きれてよかった」
「あなたに出会えてよかった」
「あなたとともに進めてよかった」
哲士は、そう言われるために、哲士であろうとする。
たった一人でいいから、そう言われたくて 哲士であろうとする。
誰にも言われなくても、
せめて自分から、そう言われたくて 哲士であろうとする。
自分が自分で好きであるために、
せめて自分が嫌いにならないために、哲士であろうとする。
哲士であることは、自分を律すること、
自分を制御することだ。
制御するとは、ブレーキを踏むということ。
ブレーキを踏むには、大きな力がいる。
大きな力を出すためには、鍛錬がいる。
努力がいる。
出会うには、努力がいる。
人や自分と出会うには、努力がいる。
他人を思わない人間
他人を利用する人間
他人を陥れる人間
他人を嘲れる人間
彼らは出会いに何も求めてはいない。
刹那の快楽に生きるだけだ
出会いの感動を知らずに生きる。
出会っても、自分も利用されるのではないか。
陥れられ、侮られるのではないか。
無視されるのではないかと、疑心暗鬼におそわれる。
そこに、感動はない。
自分に、ブレーキを踏む努力。
刹那の快楽の誘惑を拒否する努力。
その努力をする勇気。
その努力を可能にする鍛錬。
そしてそれを持続する、強い動機が必要だ。
強い動機、それが出会いの感動だ。
素敵なものは、美しい。
それは見かけではない。
真の美しさを持っている。
美しいものに出会ったとき、人は感動し、あこがれる。
「あなたと同じ時代に生きれてよかった」
「あなたに出会えてよかった」
「あなたとともに進めてよかった」
そういう美しい人に出会いたい。
美しさには、いろいろな形がある。
美しさは調和であり、完璧ではない。
完璧を目指せば、そこに出会いの感動はない。
完璧なものなどないからだ。
完璧でないことも、美しい。
それが調和だ。
美しさは大きな道理。
大きな道理と出会う喜び。
『哲士は、一期一会、
一生に一度と心得て、
美しさに出会うために生きる』