人は幸せを目指すべきだ。
幸せとは、動物的快感に満ちた状態と安定感に満ちた状態を
得ることだ。
前者を本能的快感、後者を理性的快感と呼ぼう。
ストレートに幸せを求めることにあさましさを感じるかも知れない。
それは動物的快感だけを求めるからだ。
本能的快感は自分だけの快感だが、理性的快感は安定、
すなわち回りの幸せ感を必要とする。
回りが不幸せなら、自分の幸福の安定など望めないからだ。
だから理性的快感は回りの秩序の完成を目指す。
動物は本能的快感を得るだけで幸せだ。
人も動物だが、初めて環境を自らの力で変えれる動物だ。
環境を変えることが出来る「意識」という能力を手に入れた動物だ。
「意識」は「理性」という「大きな道理を知る」力でもって、
環境を自分に適したように変えようとする。
もちろん環境には自分も含まれる。
そして「大きな道理」を守るために、自分の回りの環境に、
いつか「秩序」を目指す。
そして喜びに満たされ安定した幸せを目指す。
大きな道理に従い、秩序を目指す意識。
その思いこそが「人間らしさ」を築く。
性別に関係なく、「男らしさ」「女らしさ」とは、
自分の幸福よりまず回りの幸せを望む気持ちだ。
そしてそれは自分の幸せを導く。
そんな心を持った人間を誰が嫌うだろうか。
嫌うとしたら、それはそんな心を持たない、
動物的快感だけを追い求める輩だからだ。
そんな幸福を追い求める立場を「ポジション(POSITION)」と呼ぶ。
「ポジション」はまた、幸福を受け入れる立場でもある。
人は「ポジション」にいれば、どんなことがあろうとも、
いつか幸せになれる。
それは死ぬ寸前かもしれない。
しかし人は絶えず「ポジション」を目指し、
「ポジション」を高めるべきだ。
ポジティブ(POSITIVE)な態度とは、積極的、肯定的な心構えを
言う。
これは、明白な、はっきりしたという(POSITIVE)の意味合いからの
発展だ。
これは、ポジット(POSIT)位置を決める、位置を明らかにするという
言葉を語源としてきたのだろう。
だから「ポジション」とはポジティブな立場。
ポジティブな、「前向き」な態度。
「大きな道理」に従う、無理のない自然な態度。
人は自分の行いや思いにブレーキを踏む。
ブレーキは人に不安や苦しみを与える。
その不快をもとに、人は環境を変えようとする。
秩序を求めようとする。
幸せなど程遠く、不快の毎日で苦しみが多いかも知れない。
しかしそれは、「ポジション」を得るための試練だ。
不快なことも多いだろう。
理不尽で動物的快感だけを追い求める輩のなんと多いことかと
嘆くことも多い。
しかしそういう輩に感情的にかかわっている時間はない。
その輩は試練を与えてくれている。
反面教師として「ポジション」を指し示してくれている。
そしてまた、自分と同じポジションを目指すものに出会ったなら、
なんと喜びの多いことか。
人とその社会は、哀れであさましく、しかし愛おしく、
そして素晴らしくすごい。
苦しみは山ほどあり、幸せはまるで偶然見つける宝石のようだ。
しかし苦しみは、「ポジション」にたどり着くための道程、
そして「ポジション」は幸せを受け入れる器だ。
『哲士は、英明闊達(えいめいかったつ)、
大きな道理を見定め、受け入れる、
ポジティブ・ポシションを目指す』