人は生きる。
死ねないから生きている。
しかし、生は奇跡だ。
せっかく生きるなら、幸せを目指すべきだ。
それが奇跡の生を得たものの、恩返し。
幸せを目指すなら、「ポシション」をまず構築しなければならない。
構築とは、積み上げることではない。
積み上げ、整理し、無駄なものを省き、洗練させることだ。
それは秩序思考にもとづく。
機能性を追い求め、ロジカルであることだ。
全体を見通し、システマチックにすることだ。
完全を目指さず、バランスをとることだ。
混乱を避け、シンプルにすることだ。
そしてこれらを実行するためには、整理することが肝心となる。
不要を切ること。
断念することが必要となる。
固執を断ち切る必要がある。
諦めの意志が必要だ。
動物としての本能的快感を十分に満たそうとするだけでも、
諦めは必要だ。
快感を感じることにも、生理的限界があるからだ。
ましてや理性的快感を求めるなら、本能的快感を制御しなければ
ならない。
本能的快感のほとんどを諦めることも必要となる。
断念することや、諦めの思考は、現代社会の風潮では、
受け入れられにくい傾向がある。
それらはネガティブで、ポジティブではない気がするからだ。
しかしそうではない。
欲求を通すためには、他の欲求を諦めなければならない。
それこそ、理性だけがなせる業だ。
生きることは、諦めること。
諦めることは、洗練すること。
諦めることは、生きるための技を磨くこと。
「幸せ」になることを諦めるのでなく、
「幸せ:になるために諦めるのだ。
『哲士は、思慮分別、
深く思いを凝らし、
雑念を切る』