人は、幸福になるために生きている。
幸福は、快さと安定と豊かさを得ることだ。
快い喜び、楽しみ、
障害や不安、心配のない安定、
だがそれだけでは、人は幸福とはいえない。
可能性を広げる豊かさが必要だ。
幸福は待っていても手に入らない。
幸福になるには、それを手に入れるための投資が必要だ。
それは、今の喜びや安定、豊かさをつぎ込んで手に入れる。
たとえば安定をつぎ込んで、さらに大きな喜びを得る。
自由という豊かさをつぎ込んで、さらに大きな豊かさを手に入れる。
喜びをつぎ込んで、さらに大きな安定を手に入れる。
喜びをつぎ込んで、安定をただ手に入れるというだけでなく、
安定になる「技術」を手に入れる場合もある。
「技術」は効率を上げるワザだ。
効率を、何倍にも上げるワザだ。
「技術」は、うまく使われて効果を出す。
手に入れた「技術」が、必ず役に立つとは限らない。
しかし幸福になるには、その「技術」の蓄積が必要だ。
誰かが幸福に見えても、単純にうらやましがってはいけない。
彼は今までに多くの元手をつぎ込んで、幸福を手に入れてきたのだ。
または幸福になる「技術」を手に入れてきたからだ。
彼が豊かに見えたら、それは安定を売り払ってきたからかも知れないし、
得るべき喜びを犠牲にしてきたからかも知れない。
ストレスや障害を受けたとしても、
それで「技術」が手に入れば同じだ。
「技術」が買えなければ、ただの徒労に終わる。
しかし、苦労を苦労と思わず、投資と思えば、
どんなことでも、幸福への「技術」につながる可能性がある。
人生は、幸福を得るための投資だ。
うまくいかなければ、犠牲や無駄も多くなるかもしれない。
投資には、リスクがついて回る。
そのためには、確固たる意志が必要だ。
自分とその人生に、いつまでも迷ってはいけない。
恐れすぎてはいけない。
幸せになるという強い意志が必要だ。
耐えて、強くなれ。
それではふたたび問う、幸せとは何か?
幸福は、快さと安定と豊かさを得ること。
可能性を広げる豊かさが必要だ。
可能性とは、さらに広く深く感じること、知ること、
そして創造すること。
その可能性は、心の内側へも向わなければならない。
可能性を広げるのは、前章で述べた「心溜まり」。
砂のように乾いてしまった心では、その可能性は広がらない。
穏やかな領域を持たなければ、幸福の可能性は広がらない。
自分だけが幸福になればいいという思いでは、
『心溜まり」は生まれない。
心の中に、自分から離れた領域、
自分とその環境を、冷静に第三者として見られる領域、
それが、「心溜まり」だ。
「心溜まり」は、環境全体の幸せを考える。
家族の幸せ、友人の幸せ、隣人の幸せ、同僚の幸せ、
地域の幸せ、社会の幸せ、国家の幸せ、
そして世界の幸せ、地球全体の幸せ。
大きな幸せの領域の中で、自分の可能性が広がる。
大きな可能性が自分の幸せだ。
人は幸せになるために生きている。
『哲士は、堅忍不抜、
我慢強く耐え、心動かさず、
迷わず幸福を目指す』