日高幌尻岳

十勝幌尻岳(ピリカペタヌ8の沢~夏尾根)

○1991年7月6日~7日

○L辻野健 中村 辻野治 三浦弘(男2名女2名)

○コースタイム

6日

19:30 トッタペツヒュッテ泊

7日

07:30 ピリカペタヌ林道終点(Co623m)

09:30 8の沢出合(Co790m)

14:00 十勝幌尻岳頂上(P1846m)

14:30 〃 発

17:30 オピリネップ登山口

朝、車を1台オピリネップ登山口にデポする。

もう1台でピリカペタヌ沢の林道終点へ。

Co6231n左岸まで入っている。水はかなり少ない。8の沢出合までは普通の川原。

出合は右岸からガレが落ちてきて半分埋まったようなところだ。

出合から沢が広くなり水量は一気に減る。

ずっと暑い川原を歩く。Co940m二股は確認できる。

次のCo1110m二股で全く水が涸れた。メロンを食べて休む。

ここから上は、少し変化が出てくる。水無し滝や雪渓がでてくる。

再び水が出て、雪渓が嫌らしく残ってるところもある。

小滝をいくつか登り注意しながら詰めていくと沢がハイマツでどんづまり、ペナントがあった。

気をつけてみると踏み跡がある。Co1600mくらいだろう。

踏み跡づたいに30分ほど行くとオピリネップ沢からの登山道の尾根道に合流する。

勝ポロピークでバカンスしてオピリネップの登山道を下る。

グレード的には川原歩きが多く、はっきり言ってすごくっまらない沢であった。

(茶房多種No.159記録・中村)

十勝幌尻岳(オピリネップ冬尾根往復)

○1995年12月31日~1月1日

○L穂積藤川道辻(男1名女2名)

○コースタイム

31日

05:00 帯広

06:30 幌後橋(車止め)

08:15 オピリネップ林道終点

09:30 冬尾根取り付き(Co680m)

14:50 Co1550m(C1)

1日

07:00 C1

09:30 勝ポロ頂上(P1846m)

09:45 〃発

11:50~12:30

16:40

幌後橋(車止め)

○山行目的

初日の出とカムエクを眺める。

→→これは果たせなかった。

山の上でグルメをする

→→これは満足!おいしかった!

○食糧

31日 夕とろろの年越そば(ねぎ、のり、わさび付お刺身(たこ、まぐろ)まぐろの山かけ

1日 朝お雑煮(みつば、かまぼこ、とり肉、しいたけ)黒豆

もう一つのお正月山行グルーブの日程では都合がつかない3名で、この十勝ポロシリ・正月グルメ山行に行ってきました。

今回は1泊だけということもあって、ぜいたくな食糧計画。

お刺身のリクエストは勤労勤勉学生の穂づちゃん。

年越そばにとろろというアイデアは藤川さん。食糧準備はこの私、わくわく。

山の上で食べる年越そばとお雑煮。うれしいな一と買い出し。

そして、大晦日の朝、出発!私は去年風邪が長引いて正月山行を断念したので、本当に今年行けてうれしいんです。

なのにいきなり、帯広を出発して15分程のところで、ピッケルを自分の車から移しかえるのを忘れてたことに気付く。うっく、30分のロスタイム。

でも、その後大きくこのロスタイムを引きずらずに済みほっとしましたが。

車は、日高小屋を過ぎて幌後橋まで入って行けました。

ただ、入ってきたはいいけど、明日雪に埋もれてなければいいけれど。

林道はツボで入って行った跡があり、それに沿ってラッセル。快適。

林道はおまかせの私がはりきる。

その後、難関は2箇所の丸太橋を渡るところ。慎重に渡って無事クリア。

それからは、大山さんが教えてくれた冬尾根のブル道を見つけ、それに沿って進む。

ブル道が意外にも高い所まで続いていて、かえってこれでいいの?と思うくらい上まで続いていた。

すごいな一。3人での交替のラッセルはちょうど1時間で一巡して、ひと休み。高度も順調に上がり、ほぼ予定通りの時間にC1にたどり着いた。

大晦日のこの日はお天気も良くのどかな1995年の締めくくりだった。

そして、きつっと明日は見えないからと稜線に上がって、勝ボロピークをバックに記念写真。

すると、稜線直下のC1に降りようかという時、藤川さんが不意にコチンと寝転がった。 何を遊んでいるのだろうと思ったら、なんと雪庇にひびが入ったのだった。

そうかあ一雪庇にひびが入った時は、逆側にコチンと倒れればいいのか、ひとつ勉強になったなあ一、と、たいして危ない状況でもなかったので、のんきに納得していた。

翌朝、あけましておめでとう!と起きたはいいがやはり視界は悪く、初日の出はほんのりとその方向が明るいくらい。

やはりそうそう思い通りにはならないものだと納得する。

稜線に上がり、ひたすら真っ直ぐに登る。しかし風が強く手も冷たい、顔も冷たい。するとアッ!コチン!おっ一 吾ながら何と機敏な反射的対応。

昨日、学習したことが役に立ったのでした。

穂づちゃんのそばでひびが入り、すぐ後ろの私のところまでひびが走ってきたのでした。

後ろから見ていた藤川さんは2人がきれいにほぼ同時に、コチンコチンと倒れてすごかったと言っていました。

ところがこのコチンは、その後、穂づちゃんもう1回、藤川さんもう1回あったのでした。

う一ん!コチンで済んだからいいけれど、雪庇には慎重に対応しなければと、こわがりの私は思った。

そして、もう正月早々凍傷になったらどうしょうなどと、めげかけていると、不意に穂づちゃんが「ここでスキーをデポしましよう」と言うので、ハタッと気付くと、いつの間にか頂上直下にきていた。

そして、アイゼンにはきかえて頂上を目指しはじめると、さっきまでの白い世界がサッーと風に飛ばされ、淡く白い太陽が見えて頂上もちゃんと見えた。

「わあ一」と穂づちゃんと喜び合う。まるで今年も淡い希望がもてるみたい「これがほんとの初日の出だね」などと喜んでしまった。

頂上に着いて、もちろんカムエクは見えないが、きっとあっちにきれいな姿でいるんだね一、と思いながら頂上からちょっと下がった所で一休みした。

下山はC1からすぐの下り始めで私がもたついたが、ほぼ順調に降りた。

しかし、だんだん夕暮れが迫り16時までには林道に出たいね、と頑張った。

最後、穂づちゃんが丸太橋でストックが丸太の間に引っかかった拍子に川には落ちなかったが、またコチンと雪の中にお尻からはまって出られない状態になってしまった。

それを私がよいしょと助け、落ちそうになっていた重いリュックをよいしょと上げようとした拍子に足場が狭かったのでまたしても2人でコチンコチンとお尻から雪にはまってしまった。

川の縁で何をしているのだろうと、もう一人の私がのんきに笑っていた。

それでも林道に明るいうちにたどり着き、月明かりを見ながらもう大丈夫だと大好きな林道を滑り降りてきた。

そんなこんなの正月山行でしたがとってもうれしかった。

(茶房多種No.213記録・道辻)1994年2月5日~6日)

(記録・大山)