ピパイロ岳

(美生川尾根~主稜線往復)

○1995年3月18日~20日

○L三浦央 岩本(男1名女1名)

○コースタイム

18日

07:30 車止め(Co537m)

08:32 Co580m二股

10:30 Co743m二股

14:10 Co1330m

15:55 Co1580m(C1)

19日

06:22 C1

06:55 Co1712m

O7:28 Co1590m

O9:12 ピパイロ岳頂上(P1911m)

10:47 Co1712m

11:13~12:46 C1

15:45 Co743m二股(C2)

20日

07:17 C2

08:37 車止め

「全くアイヌ語地名を勝手に変えんでほしいよなあ」T氏(H高教諭)は言った。

1992年元旦、私としては初めての2泊3日の冬山登山を終え、旭岳の麓の「えぞまつ荘」で風呂につかっていた時のことである。

「そう言えばこの旭岳温泉も、もともとは湧駒別温泉と言ったんですよね」「そうなのさ。日高だってそうなんだ。ビパイロっていう山があるんだけど、もともとこれには“美声"っていう字をあてていたらしいんだ。

多分“声色(こわいろ)"という感じで。ところが美声がやがて“びせい"と読まれるようになり、それがいつのまにか“美生"って字に変わっちゃったんだ。

ビパイロ岳も、いつの間にか美生岳(びせいだけ)に変えられてしまうんじゃないかって俺は不安に思っているんだ」

私は日高なんぞは中級以上の人が登る山だと思っていたし、ましてやピパイロという名も初めて知った。

しかし、この不思議な響きがする名前は、長年持ち続けてきた日高への憧れとともに、しばらくの間、私の頭の中に残り続けることになった。

18日早朝、風が強いが天気は上々である。岩本さんと私は予定通りに出発した。

この山行はついていた。というのも去年の同時期、我々は10㎞の林道歩きを強いられ時間切れでピパイロ山頂を踏むことができなかったのである。

ところが今年は林道を6㎞も車で入ることができた。

もっとも雪が少ないということは川の表面にあまり雪が残っていないということであり渡渉できない部分も多く、スキーを外しては危ない崖のトラバースを2回もやったりして時間を食った。

それでも昨年の1泊目のテン場(Co743m)には11時前に到着し、早速尾根にとり付いた。最初の斜面はクラストしてスキーが40~50cmも埋まるような感じでひどく疲労した。

私は何度も「大山さん、あんたはこれでも日高が好きか」と叫んでは岩本さんを笑わせたが、そこも1時間程で突破しあとは固くしまった稜線上を(時々アイスバーンで苦労したが)快適に進む。

ところで私は泊まりの冬山山行でリーダーを取るのは初めてであり、今回の山行は昨年の雪辱戦の他に私自身の冬山の力量を一気に高めるという個人的な課題があった。

パートナーは冬季山行については私よりよっぽど経験がある岩本さんで、たいへん心強い。

今回はできるだけ頂上に近いところで1泊目のテントを張ろうと16時まで登り続け、結局Co1580m付近のやや平坦な場所にテントを張ることができた。

ラッセルに苦労するような雪も上の方では少なかったし、天気も崩れない好条件のおかげだろう。

夕食後外に出ると、帯広方面の夜景に加えて満月がごうごうとピパイロや周囲の山々を照らし、とても神秘的であった。19日天気は快晴だ。

正月山行と同様に朝焼けを浴びる美しい山並みを見たが、私と岩本さんは準備が遅い。4時半に起きてテントの撤収もないのに出発が6時半近くになっていた。

当然朝焼けは終わっていた。

Co1712mを目指し登り始める。今年はアイスバーンが発達してシールでは登りにくい。

昨年のスキーデポ地点(Co1712m)に着く前にアイゼンをはいた。稜線から東はまだ晴れているが、西はおどろおどろしい黒雲が迫っている。

これから歩いていく北西稜からピパイロ頂上まではまだ見えているが、多分登頂する頃はガスの中だろう。北西稜からピパイロまでは視界を遮るものが何一つ無いので、歩くごとにピークが迫って来て心に沸き立つものを覚える。

しかしそれも稜線の中間点までで、そこから我々はかなりの吹雪に見舞われた。

途中にはズボズボぬかって苦労する所もあったが一歩一歩確実に歩を進める。最後の急登を終えピパイロと戸蔦別を結ぶ稜線に出ると、頂上はあと50mもない(大山さんなら駆け出すだろうか?)。

そして9時過ぎ、私はビパイロの頂上を踏んだ。吹雪とガスで視界ゼロ。それでも去年の雪辱を果たせたのか、それとも始めて主体的に取り組んだ冬の山で目標のピークに到達できたためなのか、私はピッケルを両手に持って高く上げ、何度も「やった一」と叫び続けたのだ。

そこから下りは楽なものだ。途中でデボ布を回収しながらあっさりテン場に戻る。そこで岩本さん持参のしるこに感激し、テントをたたんでアイスバーンの斜面をスキーで下りた。

岩本さんは慎重に、私は無謀に速く。やがて15時過ぎには、尾根の取り付き(Co743m)に着いてしまったが、まだ課題が残っている。渡渉だ。

しかしそれも私が考案した“スキーシール渡渉法"であっさり通過。

川のほとりにテントを張った。もう危険な所はない。

我々はゆっくり寝ることができた。翌20日は快晴。テントをたたんで歩き出すと、9時前には車止めへ。

今回は前回と比べて意外にあっさり頂上についたが、それは私のリーダーとしての力量があったからではなく、単純に運が良かったからである。

これに奢ることなく今後もリーダーを努め精進していきたい。

(茶房多種No.202記録・三浦央)