(ニクボシュメシユウベツ川~夏尾根)
○1994年7月10臼~11日
○L三浦央 藤川 穂積 岩本(男2名女2名)
○コースタイム
10日
11:30 帯広発
15:30 ニクポシュメシュ川出合C1
11日目
04:35 C1
07:50 Co750m三股
11:25~11:55 Co1320m(無線交信)
13:05 楽古岳頂上(P1472m)
14:27 メナシュンベツ川出合
15:13 車止め
10日の夜はジンギスカンで酒もかなり飲んだ。寝たのは20時。
その後、札幌からピオレ山の会が8人で深夜にやって来た。
翌朝は曇り。林道を1kmほど進み川に入った。途中1ヶ所こわい函滝があったが、ノンザイルで乗り切り順調に進んだ。そして地図上で突然等高線がきつくなるCo750m三股、今回唯一の雪渓がある。
遡行していくと向こうには30~40mの険しい滝があり登れない。
また、穂積と私との間でルートの認識にズレがあり時間がかかった。そうしているうちにピオレの人々が追い着いてきた。「だいぶ早く出たんだろう?」と思ったが、予定通りの6時に出発したそうだ。
私は社会人の山行で体力的に負けた相手は故高野さんしかいなかったからショックだった。
しかも、私が登れないんじゃないかと思っていた滝の高巻きを彼らは平然と開始したのである。
我々もそれを見て草付きの急な潅木帯を登ってみると大したことはなく、途中のトラバースでロープを出したが無事に通過した。
私のルート判断力もまだまだだ。そこからはエサオマンよりも急な(30~45度)滑床が、かなりの高度感をともなって断続的に現れる。
Co960mの高さ3~4mほどの滝は少し危なかったのでロープを出した。
そこでピオレ最後尾を見てやっと追い着いたと思ったら、確保している間にまた離された。彼らは技術・体力とも我々よりはるかに上だ。
我々はフリーソロで登っていける技術の向上とロープを出しても素早くセットし収納する練習が必要だ。
大雨の予報が薄曇で太陽も顔を出している。はるか北には幌尻岳も見える。
三股ルンゼ(Co1300m)を少し登った所で東から来ている大沼パーティーと無線連絡。みんなもう1時間前から頂上におり、ピオレも到着しているという。「彼らは1時間以上遅く出て30分も早く着いたのか」。
本来はこんな難しい沢を登った充実感を覚えるべきだが、私の心の中は劣等感がむくむくとわきあがる。
詰めば薮こぎもなく頂上へ。
今回は無事登れた点で、反省することはあまり無い。
しかし上には上がいるんだなという当たり前の事実を強く認識し、もっと向上しなければと考える山行になった。
(茶房多種No.193記録・三浦央)