「来ていただくことが、復興の大きな力になっています」
宮城県松島町の遊覧船は、今日も元気を乗せて美しい海を走ります。
日本三景の一つ、松島の海。津波に襲われ、船や観光施設が被害を受けました。
「少しでも早く活気を取り戻したい」
観光客や全国からのボランティアの協力もあり、震災1 カ月後には運行を再開。
今では世界中から多くの観光客が、松島を訪れてくれています。
「海の魅力はもちろん、震災の記憶も伝えられる松島でありたい」
海風に胸を張って働く人たちが、宮城の海の復興を盛り上げています。
宮城県松島町の海岸風景は国の特別名勝、そして日本三景の一つ。
目の前には「八百八島」といわれる島々(実際は260余島)が、美しい景観をつくり出しています。
国宝・瑞巌寺や、国重要文化財・五大堂など歴史的な建築物も多く、美しく落ち着きのある風光と風情が古くから多くの人を魅了し続けてきました。
日本三景の一つ松島
松島湾に上る月と海面に写る月の光を望める観瀾亭
松島観光の楽しみの一つは、島々を巡る船の旅。
瑞巌寺前の松島中央観光桟橋からは「松島島巡り観光船企業組合」と「丸文松島汽船株式会社」の2団体が遊覧船を運航していて、海の旅へと観光客を誘います。
現在の遊覧船
その日も、遊覧船はいつものように湾内を走っていました。
午後2時46分、激しい揺れが突然やって来ました。観光桟橋前の中央広場に亀裂が走るほどの大きな揺れでした。
直後の2時50分、塩釜からの船が桟橋に到着。
船上では地震の揺れは感じなかったそうですが、ただ、スクリューに何かが絡まってきたような異様な震動があったそうです。
「長い揺れが止むと同時に津波警報が飛び込んできました。全員退避の直前に確認できたのは『6mの津波が来る』ことでした。とにかくお客様の安全が第一。そして組合員、従業員、船・・・。津波到達までの時間にできることに大急ぎで取りかかりました」
松島島巡り観光船企業組合の専務理事・中央営業所所長である眞野雅晴さんが当時のことをお話しくださいました。
松島島巡り観光船企業組合専務理事・中央営業所所長の眞野雅晴さん
組合の皆さんは、海岸にいた観光客や乗客に声を掛け、避難場所である瑞巌寺や陽徳院へと誘導を行う一方、津波に備えて、船をしっかりと係留。
そして全員が退避した約15分後に津波が襲来・・・。
事務所がある松島海岸レストハウスは、約1.7mまで浸水しました。
観光桟橋。船の奥に見える三角屋根の建物が松島海岸レストハウス
広場前の商店街には、泥やガレキが打ち上げられました。
中央桟橋の南側に停泊していた小型遊覧船は20数艘が桟橋ごと流されたり沈んだりして、未だ見つかっていない船もあります。
「松島」の地名発祥の地とされ、平安時代からの歌枕の地である「雄島」に架かる渡月橋は流され、瑞巌寺では地震による壁の亀裂、漆喰の崩落などが発生。
海水は参道にまで押し寄せ、樹齢数百年の老杉を枯らしてしまいました。
津波は何度も押し寄せて、何かがきしむような大きな音が夜半まで続いていたそうです。
翌日、船を心配した組合員、従業員たちが観光桟橋に集まりました。
しかし事務所は冠水。広場はガレキの山となり、泥も堆積。
「3月の海は普段はとても澄んでいて海底まで見えるのですが、この時は真っ黒でした。2週間ぐらいたって海底のガレキを撤去する船が集まってくれたのですが、漁具、沈没船、錨、あるいは冷蔵庫や土産品・・・あらゆるモノが沈んでいました」(眞野さん)
何から手を付けたらよいかも分からない。それでもまずはできることから・・・。
翌日には両船会社や商店街の人たちはもちろん、避難していた観光客までもが参加して、ガレキの撤去や施設の掃除が始まりました。
「2~3日すると仙台や東京などからのボランティアの人たち、特に若い人が駆けつけてくれました。高校生や大学生が泥だらけになって手伝ってくれた。何よりも元気がもらえた」
組合ではGW前の運航再開を目指し、片付け、船の整備、航路の確認などを急ピッチで進めていきました。
「大変だったのは航路の確認でした。何が沈んでいるか分からないですからね」
そして震災から約1カ月後の4月末、震災前には7本あった定期航路のうち、湾内周遊航路と、不定期の湾内航路の3コース、そして丸文松島汽船の塩釜松島間航路も運航を再開しました。
「遊覧船が動いている!」
「また海に出られる!」
避難所暮らしの家族連れ、お孫さんと一緒に来たおばあちゃん、震災後の松島の景色を確かめたかった人、ニュースで再開を知って駆けつけてくれた人など、多くの人たちがやって来ました。
「『孫のはしゃいだ笑顔でこちらも元気になれた』『再開できてよかったね』『また乗れて嬉しい』・・・。そんな風におっしゃる方の声を聞いて、ああ、再開できてよかったと、私たちもうれしくなりました」(眞野さん)
海から見た松島の景色は、目を凝らせば崩落の跡などが確認できますが、震災前と大きく変わった様子はありません。
「景勝地として大きな傷は受けませんでしたが、震災という出来事は伝えたい。また、『当時はどうだったの?』と聞かれる機会も多くなり、平成23年の11月からは希望に応じて『語り部クルーズ』として、震災体験したことを船内でお話しすることにしました」
と話すのは丸文松島汽船の専務取締役・佐藤守郎さんです。
丸文松島汽船専務取締役の佐藤守郎さん
「家屋を流され・・・家族を亡くした当社スタッフたちが、自分の話で良ければと多くの観光客に当時の話をしております。もちろん台本などはありません。語り部スタッフによって内容も違います。何度 話してもこみ上げてしまい、聞いて下さるお客さんも涙ぐんだりしますが、後世に伝えなければならないという義務感を持ちながらスタッフ全員が語り部クルーズに取り組んでおります」
起きて欲しくはありませんが、万が一の場合に、この話が役に立つならばと願いつつ。
「忘れたいこともあります。でも風化もさせたくない。震災時の松島のことも伝え、何よりも今の松島の景色をまた楽しんで欲しい。船に乗っていただくこと、来ていただくことで、私たちの元気と勇気につながるのです」(佐藤さん)
「3.11は慰霊だけではなく、いつか感謝を伝える日になれたらと思います。まだまだ傷は癒えませんが、いただいた応援や支援への感謝もまた、地元から発信していきたい」(眞野さん)
震災は、宮城の沿岸地域に大きな被害と傷を残しました。
でも、多くの方の応援や支援、温かさ、優しさをいただきました。
観光業は地域の農林水産業や商業とも結びつきながら復興に大きな力を生み出す産業です。
沿岸市町の復興はまだ道半ばですが、松島という日本屈指の観光地の復興と元気の回復は、宮城の沿岸地域にとっても大きな励みなのです。
かつてのにぎわいが戻りつつあります
宮城へ、松島へ、ますますの応援をお願いいたします。
松島もまた、元気と感謝をお返しできる観光地として、宮城の海を盛り上げていきます。