岩沼市 仙台白菜

「みんなのチカラで農地復活!」

宮城県岩沼市で伝統野菜の栽培が再び始まっています。

津波に襲われ、塩水とガレキに埋もれてしまった宮城県岩沼市の農地。

この被災農地で、野菜づくりが復活し、拡大中です。

中でも100年の伝統を誇る「玉浦白菜」は、

支援してくれる企業や人々とともに消費拡大に取り組んでいます。

「支えてくれたみんなの力に応えたい」

岩沼の大地に、明るい農家の笑顔が再び輝きはじめています。

広瀬川、名取川、阿武隈川――。奥羽山脈から流れ出す豊かな水に潤された仙台平野では、江戸時代以降、米や野菜の栽培が盛んに進められてきました。今でも市街地を一歩離れれば、田畑やイグネ(屋敷林)が織りなす四季彩豊かな風景が広がっています。

千年希望の丘から眺めた岩沼市

仙台平野で栽培される野菜の中には、特に「仙台伝統野菜」と呼ばれるものがあります。

その一つ「仙台白菜」の一大産地が、岩沼市玉浦地区でした。

雪に覆われた仙台白菜

「仙台白菜」は、日露戦争に出征した仙台市の第二師団の兵士が中国大陸から持ち帰った白菜の種子から栽培が始められ、その後、主に仙台平野南部で盛んに栽培されました。

特に旧玉浦村の白菜は、戦前には「玉浦白菜」の名前で出荷され、その深い甘み、形のよさと大きさで、東京の市場を席巻していました。

戦後は他の地方でも栽培が増えたこともあって県外への出荷は多くはありませんが、さまざまな海の幸を使った冬の宮城の鍋料理に、「仙台白菜」は欠かせません。

ところが、仙台平野の海岸線を襲った東日本大震災の大津波は、この伝統野菜の産地にも大きな被害を及ぼしました。海岸線から3㎞以上浸水した場所もあり、畑や水田はもちろん、商店街や住居なども壊されてしまいました。

岩沼市玉浦地区でも、農地が広範囲に渡って浸水。

白菜をはじめ露地野菜やトマトなども、耕地やハウスを失って、栽培は中断を余儀なくされてしまいました。

「約123ヘクタールの田んぼと畑があったんですが、いやもう・・・全滅でした」

と話すのは、玉浦地区で「やさい工房八巻」を営む八巻文彦さん。

湖のようになった水田、押し流されてきたガレキに埋もれた畑地を見てぼうぜんとしてしまいました。

八巻文彦さん

だからといって、土地を捨ててしまう気持ちにはなれませんでした。

「まずはガレキの撤去から。車輌、家の柱や梁、家財道具に家電製品、もはや何だか分からないもの・・・。多くは別の集落から流れてきたものでしたね」

多くのボランティア、建設機械などの力により、膨大な量のガレキが拾い集められました。

その後は除塩です。これには1年かかったそうです。

「水田は水を張ってそれを流して、また水を張って・・・という方法でしたが、畑は雨水に任せた自然の除塩方法でした。ホラ、畑は水を張れないから」

そして翌年「作れるものから順番に」と、八巻さんは野菜の栽培を再開しました。

トマト、キャベツ、ブロッコリー、そして白菜。

八巻さんらは、耕作不能になってしまった農地に、塩害に強いと言われる白菜を植える「みやぎ岩沼はくさいプロジェクト」で農地の復活を目指しました。

そして約3ヘクタールの畑で白菜35トンを収穫。

「あれが自信になったね」

と八巻さん。

大地にころりと大きな玉を結んだ白菜のチカラに、農業を諦めなかった人たちは大きく励まされ、再び力強く土を踏みしめたのです。

なお、岩沼市で育てられた白菜も、出荷時には「仙台白菜」としてひとくくりにしてされてしまいますが、八巻さんたちは、地元の直売所などで販売するときには、愛着を持って「いわぬま白菜」と呼んでいます。

八巻さんはまた、大手食品メーカーや飲料メーカーなどによる農業支援プロジェクトの支援も受けて、少しずつ耕地を広げ、平成28年度には、ほぼ震災前の規模に復旧する見通しとのことです。

「岩沼に拠点を置いて支援活動している企業が、地元の人たちのためにと運営してくれている「みんなの家」という施設があり、人を集める企画や、野菜の定植や収穫、田植えや稲刈り、さらには産品のPRといった支援もいただいています。そこに集う仲間たちの力は大きかった。いや、ホントありがたい」

さらに八巻さんの元へは、これまで5000人近いボランティアの方がやって来たとか。

多くの人たちの応援や支援は、ほんとうにうれしく、忘れられない・・・としみじみ話します。

「皆の顔を思い出すとき、悪いことばかりじゃなかったと思う。つながりとか人との出会いがあったのはよかった。こればっかりはお金で買えるものじゃないものね」

畑に到着した収穫チーム

大玉が穫れました

収穫体験のあとは餅つき大会

白菜を、とにかく食べてほしい、と八巻さん。

ラザニア、ポタージュ、お好み焼きなど、白菜を使った新しいレシピを提案したりしながら消費拡大を目指します。

「全国へ出荷?いえいえ(笑)、まずは地元消費の拡大ですね。協力をいただいている企業さんや行政、『千年希望の丘』での植栽活動などともコラボして、白菜だけじゃなくて、岩沼の農業全体を盛り上げていきたい」

復興とは、収益ある事業が再開できていること。

もうすぐ震災から6度目の春です。

あの年、ガレキと土埃に覆われていた岩沼の大地ですが、今では若草色と黒い耕土の美しい濃淡が広がる豊かな耕土としてよみがえり、大きな空の下で輝いています。