3.3.02 縄文弥生時代の花見川筋の交通 検討を始めるにあたって

「シリーズ 花見川地峡の利用・開発史」の「第1部 縄文弥生時代の交通」を始めます。

1 「第1部 縄文弥生時代の交通」で扱う時代

「第1部 縄文弥生時代の交通」では次の時代を扱います。

● 「第1部 縄文弥生時代の交通」で扱う時代

旧石器時代

縄文時代

弥生時代

古墳時代

2 「第1部 縄文弥生時代の交通」における問題意識

「第1部 縄文弥生時代の交通」の問題意識は、次のような仮説を検証するためのデータ収集を行うということです。この検証プロセスを記事にします。

●問題意識 仮説「縄文弥生時代において、東京湾と香取の海を結ぶ主要交通路は花見川筋であった」を検証するための情報を集める。

結果として仮説が検証されたかどうかという評価は読者や専門家にお任せすることにします。

3 「第1部 縄文弥生時代の交通」の検討範囲

仮説「縄文弥生時代において、東京湾と香取の海を結ぶ主要交通路は花見川筋であった」を検証するためには、花見川筋だけの検討では不十分です。東京湾と香取の海を結ぶ可能性のある他の場所との比較対比が必要です。

そのために次の谷津の組み合わせを対象として、その交通について検証します。

「第1部 縄文弥生時代の交通」の検証対象とする谷津の組み合わせ

地形段彩図表示

「第1部 縄文弥生時代の交通」の検証対象とする谷津の組み合わせ

基図は標高8m以下の土地を海面であったと見立てた場合のイメージ図

2014.04.08記事「縄文海進クライマックス期の海陸分布」参照

この図を見ただけで、東京湾と香取の海の水面間距離が最も近いのが、花見川-新川の組み合わせであることが判ります。

参考 「第1部 縄文弥生時代の交通」の検証対象とする谷津の組み合わせ

基図は標準地図

4 仮説検証の成算

このブログのこれまでの検討で、花見川筋が東京湾と香取の海の幹線交通路であったという各種情報を得てきていて、記事にしています。

しかし、花見川筋以外の場所がどうであったのかという比較対象の検討は行っていません。

これからの検討で東京湾と香取の海との関係のありそうな場所について全部検討しますから、花見川筋以外の場所の交通に関する情報が得られれば、花見川筋の交通の特性をあぶり出すことができると思っています。

検討は次の2点について行います。

●仮説検証の2項目

・東京湾と香取の海を結ぶルートの地形詳細による検証

・遺跡分布や遺物による検証

地形の検討はGISを駆使して可能であり、一定の成果を得られると予想します。

遺跡分布や遺物による検証は専門家からみれば表面的な検討に終始してしまう可能性もありますが、とにかくチャレンジしてみます。

予定調和的に仮説を検証できるという保証はありませんが、検討作業を楽しみ、興味を深めたいと思います。

なお幸いなことに、以前財団法人印旛郡市文化財センターを訪れた際いただいた「印旛郡市文化財センター研究紀要2」に収録されている次の論文がとても参考になりそうなので、この論文の学習を行い、その学習も記事にしたいと思っています。

高橋誠・林田利之・小林園子(2001):縄文集落の領域と「縄文流通網」の継承-佐倉市坂戸草刈堀込遺跡発見の晩期貝層から-、印旛郡市文化財センター研究紀要2、73-105

次の記事ではこのブログにおけるこのテーマの過去記事をまとめます。