2.3.06 古平戸川の利根川平野出口付近の地形

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-

第3部 印旛沼筋河川争奪に遡る その6

海老川乱歩さんから2014.05.13記事「印旛沼筋河川争奪の証拠1 -水系パターン異常-」に次のようなコメントをいただきました。

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海老川(Ebigawa) 乱歩(Ranpo) です。

地形を見ると水のはけ口が見えないので大昔は、

古手賀沼?もしくは、古印旛沼?とも言うべき湖なり沼なりが

白井市民プールの北西側の谷の行き止まり近辺に

(もしくは神埼川の谷に一帯に)存在したのでしょうか。

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地図を使わないとこのコメントに回答の説明できませんので、この記事で説明します。

1 問題の場所

次の地図の中央付近が問題の場所です。

第1図 現在の印旛沼水系北端付近の地図(地形段彩図+標準地図)

「白井市」の文字のところは印旛沼水系ですが、そこから北に向かう川や谷津地形がありません。

それなのに、前記記事でもともとは川(古平戸川)が北に流れていたと説明したことに対する疑問だと思います。

2 地形断面

同じ場所の地形段彩図に断面図位置を示しました。

第2図 地形断面図位置

次の地形断面図と地形面区分を示します。

第3図 地形断面と地形面分布

地形面分布では下総上位面と下総下位面のみを抽出し、それより新しい地形面は無視しました。

この図を見ると、下総下位面の標高が18~24mの間にあり、細かく切れています。

細かく切れている様子の平面分布は上記地形段彩図で確認できます。

先ほどの「白井市」文字の北側にはアーチダムのような茶色表示の凸地形などもあります。

3 下総下位面形成時代の想像

さて、私は、細かく切れている、標高がバラバラの下総下位面は全て地殻変動(規模の小さな断層や沈降・隆起等)の結果であると考えています。

下総下位面が形成された頃、下総下位面は澪筋が通る広々として平坦な氾濫原であったと考えています。

第4図 下総下位面が形成された頃の様子

その頃の地形断面を大胆に想像すると次のようになります。

第5図 下総下位面が氾濫原であった頃の地形断面想像

4 回答

これでわかっていただいと思いますが、次のような地形変化のステップがあって「水のはけ口」がなくなったのです。

1 第4図、第5図に示すような地形があり、印旛沼筋から利根川平野へ水が流れていた。

2 地形をズタズタにするような地殻変動があり、印旛沼筋と利根川平野の間に地形障壁(凸地形)できた。

3 ズタズタになった地形(そのパターンは水系パターンとは無関係)が侵蝕作用を受けて谷津となり、現在の地形ができた。

以上のように考えています。

それまでの地形をズタズタにした地殻変動のパターン(断層、沈降・隆起等)は次の記事で説明します。

5 印旛沼筋河川争奪と地殻変動との関係

なお、このような地形の変化のなかで、印旛沼筋河川争奪が起こった時期の順番は次のように考えています。

【2014.05.18追記 2014.05.17の次の記述は間違っていました。下記のように訂正します。】

1 第4図、第5図に示すような地形があり、印旛沼筋から利根川平野へ水が流れていた。

2 印旛沼筋河川争奪が発生した。(鹿島川が古平戸川を争奪した。)

3 地形をズタズタにするような地殻変動があり、印旛沼筋と利根川平野の間に地形障壁(凸地形)できた。

4 ズタズタになった地形(そのパターンは水系パターンとは無関係)が侵蝕作用を受けて谷津となり、現在の地形ができた。

1 第4図、第5図に示すような地形があり、印旛沼筋から利根川平野へ水が流れていた。

2 地形をズタズタにするような地殻変動があり、印旛沼筋と利根川平野の間に地形障壁(凸地形)できた。

3 印旛沼筋河川争奪が発生した。(鹿島川が古平戸川を争奪した。)

4 ズタズタになった地形(そのパターンは水系パターンとは無関係)が侵蝕作用を受けて谷津となり、現在の地形ができた。

このような順番で地形変化が生じたことの証拠が集まってきています。

つづく

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2014.05.17 ブログ「花見川流域を歩く」記事