3.2.10 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その4 参考 草刈遺跡付近の裸眼実体視資料

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参考までに、草刈遺跡付近の裸眼実体視資料を掲載します。

参考 草刈遺跡付近の裸眼実体視資料

裸眼実体視方法の説明は2013.05.04記事「特別参考 鉄道連隊建設橋脚等の裸眼実体視資料」に書いてありますので、必要なら参考にしてください。

上記写真を実体視していただくと判る様に、草刈遺跡のある台地はその東の付け根のような部分が狭窄部になっている半島状の台地です。

この台地は後期旧石器時代には比高が40m~50mの急崖によって周囲谷底から隔絶された地勢にありました。

従って、この台地はそこを訪れた草食獣を狩る場として大変好都合であったと考えられます。

東の付け根の狭窄部を抑えれば、草食獣はこの台地から逃れることが出来なくなります。

旧石器時代人はこの特別な地勢条件を熟知して、効率的な狩を定期的に行っていたと考えます。

また、このような狭く半ば閉じられたような空間に人が居住していると草食獣は入ってこれませんから、狩場として成立しません。

従って、草刈遺跡の全ての後期旧石器時代遺物集中地点は狩の時にだけ臨時に営まれた生活の跡です。

旧石器時代人はこの台地の草食獣を狩りつくすとこの場を去り次の狩場に移動したものと考えます。

この台地から獲物を定期的(例えば1年に1回)に得るために、常時は無人の原であったと考えます。

狩の時は次のようなステップを踏んだものと想像します。

1 台地に狩を実施するに足るだけの草食獣が生息しているか調べる。

2 台地東狭窄部を抑えて草食獣が台地から逃げることが出来なくなるようにする。

3 狩拠点となる臨時キャンプを設営し、狩グループ全員が現地入りする。

4 草食獣を追い詰めるために必要な障害物を設置する。

5 狩を実行する。(草食獣を集め、追い立て、北側急崖に落とし仕留める)

6 急崖下(茂呂谷津谷底…現在は沖積層に埋没している)で解体する。

7 急崖上の日当たりのよい斜面で干し肉をつくったり、皮を干す。

8 収穫物をベースキャンプに運搬し臨時キャンプを撤収し、次の狩場に向かう。あるいはこの場で収穫物を消費し、残存量が運搬できる量になってから移動する。

遺物集中地点として石器が残った場所は次のような施設があった場所と考えます。

1 狩拠点としての臨時キャンプ(炉が発見されていて、調理用礫がある場所が多いことから、施設としての臨時キャンプは同じものが継続して繰り返し利用されたと考えます。)

2 狩現場施設(狩場を封鎖する施設、獣を追い立てる際に利用する見張り小屋、解体や干し肉作成・皮干し等の作業のための休憩小屋・仮道具置き場・臨時貯蔵庫等)