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このサイトの趣旨

このサイトは、ブログ「花見川流域を歩く」に2014年4月1日から掲載しはじめた花見川地峡史に関するシリーズ記事を順次転載しているサイトです。

ブログでは掲載順に読むことが困難になりましてので、このサイトをつくりました。

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シリーズ記事が完結する時期は当初2014年8月頃を予定していましたが、検討したい事柄が大幅に増えたため、2017年3月頃に変更します。(2015.04.20)

■ お知らせ 「3 花見川地峡の利用・開発史」の目次を一部変更しました。 2014.11.02

サイトの概要

1 花見川地峡とは

2 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-

2.1 現代から縄文海進まで遡る

2.2 花見川河川争奪に遡る

2.3 印旛沼筋河川争奪に遡る

2.4 下総台地形成に遡る

3 花見川地峡の利用・開発史

3.1 埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討

3.2 旧石器時代の移動路

3.3 縄文弥生時代の交通

3.4 〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路

3.5 牧の境界

3.6 享保・天明・天保の印旛沼堀割普請

3.7 明治~戦前期の土地利用

3.8 本土決戦

3.9 戦後印旛沼開発

4 花見川地峡の課題と未来

詳細目次

1 花見川地峡とは

1.1新発見的概念である花見川地峡について

1.2花見川地峡の存在とその形状的が谷津であることに気がつく

1.3花見川地峡が成立した自然史に興味を持つ

1.4花見川地峡が古代交通の要衝であったことに気がつく

1.5花見川地峡の利用開発の変遷についてイメージできるようになる

2 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-

2.1 現代から縄文海進まで遡る

2.1.1 花見川地峡成立の自然史を遡ってみる

2.1.2 吉田東伍は花見川地峡を理解していた

2.1.3 縄文海進クライマックス期の海陸分布

2.1.4 花見川筋の縄文海進時海陸分布

2.1.5 平戸川(新川)筋の縄文海進時海陸分布

2.1.6 縄文海進時の花見川地峡の姿をGoogle earthでイメージする

2.1.7 花見川地峡縄文海進に関する既存文献(花見川筋)

2.1.8 花見川地峡縄文海進に関する既存文献(平戸川(新川)筋)

2.2 花見川河川争奪に遡る

2.2.1 河川争奪があるという素朴な直感と先行記述の存在

2.2.2 東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の分水界はどこか?

2.2.3 花見川河川争奪の証拠 (上)

2.2.4 花見川河川争奪の証拠 (中)

2.2.5 花見川河川争奪の証拠 (下の1)

2.2.6 花見川河川争奪の証拠 (下の2)

2.2.7 花見川河川争奪の特異な原理 動的河川争奪

2.2.8 動的河川争奪 追考

2.2.9 新たな河川争奪タイプ分類 河道逆行争奪

2.2.10 花見川河川争奪(河道逆行争奪)発生の成因

2.2.11 花見川河川争奪が発生した地学的場面 地形面モデル

2.2.12 花見川河川争奪の発生年代 地形面モデル追考

2.2.13 花見川河川争奪の地形面モデルのバージョンアップ

2.2.14 花見川河川争奪地形面モデルと現実地形との対応

2.2.15 花見川河川争奪の成因検討 その1(地殻変動)

2.2.16 花見川河川争奪の成因検討 その2(地理的位置関係)

2.2.17 参考 都川河川争奪

2.2.18 花見川筋における谷津発達の地史イメージ

2.2.19 花見川河川争奪のまとめ

2.3 印旛沼筋河川争奪に遡る

2.3.1 印旛沼筋河川争奪の見立て(仮説)

2.3.2 印旛沼筋河川争奪の証拠1 -水系パターン異常-

2.3.3 印旛沼筋河川争奪の証拠2 -下総下位面時代谷津幅異常-

2.3.4 印旛沼筋河川争奪の証拠3 -地層の異常-

2.3.5 印旛沼筋の古地理図

2.3.6 古平戸川の利根川平野出口付近の地形

2.3.7 地殻変動による利根川平野出口の閉塞

2.3.8 印旛沼筋河川争奪の成因モデル

2.3.9 印旛沼筋河川争奪成因モデルのバージョンアップ

2.3.10 印旛沼筋河川争奪成因モデルのフィールド対比

2.3.11 印旛沼筋河川争奪成因モデルに関する思考実験

2.3.12 Illustratorを使った思考実験(追試)

2.3.13 印旛沼筋のKASHMIR 3Dを使った机上空撮

2.3.14 印旛沼筋河川争奪仮説のまとめとその脆弱性

2.3.15 印旛沼筋河川争奪仮説の脆弱性除去と再度バージョンアップ

2.3.16 印旛沼筋河川争奪と地殻変動との時間的関係

2.3.17 印旛沼筋河川争奪の発生年代

2.3.18 印旛沼筋河川争奪のまとめ

2.4 下総台地形成に遡る

2.4.1 下末吉海進期バリアー島の学習 その1

2.4.2 下末吉海進期バリアー島の学習 その2

2.4.3 下末吉海進期バリアー島の学習 その3

2.4.4 下末吉海進期バリアー島の学習 その4

2.4.5 下末吉海進期バリアー島の学習 その5

2.4.6 下末吉海進期バリアー島の学習 その6

2.4.7 下総台地の広域的地殻変動の学習 その1

2.4.8 下総台地の広域的地殻変動の学習 その2

2.4.9 地形段彩図システムの整備

2.4.10 下総台地の局所的特徴的変動地形

2.4.11 小崖地形(断層地形) その1

2.4.12 小崖地形(断層地形) その2

2.4.13 小崖地形(断層地形) その3

2.4.14 柏井小崖(柏井断層)がレーキ形成小崖であることに気がつく

2.4.15 柏井小崖(柏井断層)と和良比レーキ等をつなぐ証拠

2.4.16 四街道市付近の谷中分水界列

2.4.17 新発見 小深川谷津は化石谷津である

2.4.18 3つの小崖(断層)の東側延伸把握

2.4.19 四街道付近の原始平行河川の復元

2.4.20 水系網を変化させた地殻変動の伝播方向

2.4.21 最近記事のふりかえり

2.4.22 勝田高津レーキの検討

2.4.23 勝田台オタマジャクシ状凹地の検討 その1

2.4.24 勝田台オタマジャクシ状凹地の検討 その2

2.4.25 村上団地付近の地形

2.4.26 牧の原オタマジャクシ状凹地も湖沼跡であることが判明

2.4.27 牧の原オタマジャクシ状凹地の地形

2.4.28 白井市付近の隆起帯

2.4.29 活向斜軸(柏沈降帯)南西側の小崖

2.4.30 円弧状地形模様

2.4.31 佐倉市根郷地区の鹿島川旧河道

2.4.32 千葉市若葉区の小地溝

2.4.33 「花見川地峡成立の自然史-仮説的検討」をふりかえる

3 花見川地峡の利用・開発史

3.1 埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討

3.1.1 埋蔵文化財電子ファイルを入手する

3.1.2 埋蔵文化財情報から市町村別「歴史濃度」を概観する その1

3.1.3 旧石器時代遺跡密度について考える

3.1.4 縄文時代遺跡密度について考える

3.1.5 旧石器時代遺跡密度についての追考

3.1.6 縄文時代遺跡密度についての追考

3.1.7 弥生時代遺跡密度について考える

3.1.8 奥印旛浦を小盆地に見立てる

3.1.9 小世界に見立てた奥印旛浦の範囲

3.1.10 旧石器時代の谷津形状の検討

3.1.11 古墳時代遺跡密度について考える

3.1.12 古墳時代遺跡密度についての追考

3.1.13 コラム 海の道「東海道」 紹介

3.1.14 奈良時代遺跡密度データを補正する

3.1.15 奈良、平安時代遺跡密度について考える

3.1.16 駅路ルートと遺跡密度

3.1.17 アドレスマッチングによる遺跡プロット図作成

3.1.18 アドレスマッチング遺跡プロット図の精度

3.1.19 埋蔵文化財が存在する町丁大字プロット図

3.1.20 旧石器時代埋蔵文化財所在地プロット図の考察

3.1.21 旧石器時代遺跡分布イメージ

3.1.22 5mメッシュ利用域を拡げる

3.1.23 プロット図1ドットの訂正

3.1.24 旧石器遺跡分布から推定する狩方法

3.1.25 擬似「縄文時代遺跡分布図」考察

3.1.26 旧石器時代遺跡と縄文時代遺跡の重なり分析

3.1.27 縄文遺跡の増加場所分析

3.1.28 擬似「縄文遺跡分布図」のヒートマップ作成

3.1.29 遺跡分布ヒートマップ図の原理的有効性

3.1.30 縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)と他情報とのオーバーレイ図作成

3.1.31 にわかに信じられない分布図

3.1.32 縄文時代遺跡密度(ヒートマップ)考察

3.1.33 旧石器と縄文の遺跡密度図(ヒートマップ)比較

3.1.34 遺跡密度図による縄文交通路パターン作業仮説の作成

3.1.35 縄文交通路パターン作業仮説 追補

3.1.36 遺跡密度図による旧石器時代移動路パターン作業仮説の作成

3.1.37 参考 Head-Smashed-In Buffalo Jamp

3.1.38 弥生時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

3.1.39 先住縄文人と入植弥生人

3.1.40 遺跡密度検討に関するそもそも論

3.1.41 弥生時代交通路のイメージ

3.1.42 メモ 植民ルートと環濠集落

3.1.43 古墳時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

3.1.44 古墳時代交通路検討の視点

3.1.45 奈良時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

3.1.46 奈良時代交通路検討の視点

3.1.47 平安時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

3.1.48 弥生・古墳の遺跡密度分布異常

3.1.49 参考 遺跡の擬似プロット図

3.1.50 参考 原始・古代全遺跡の密度図(ヒートマップ)作成

3.1.51 駅路ルートと遺跡密度 改訂記事

3.2 旧石器時代の移動路

3.2.1 旧石器時代の狩方法

3.2.2 旧石器時代石器学習 その1

3.2.3 旧石器時代石器学習 その2

3.2.4 旧石器時代石器学習 その3

3.2.5 旧石器時代石器学習 その4

3.2.6 旧石器時代石器学習 その5

3.2.7 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その1

3.2.8 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その2

3.2.9 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その3 地形断面図の作成

3.2.10 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その4 参考 草刈遺跡付近の裸眼実体視資料

3.2.11 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その5 遺物集中地点の規模区分

3.2.12 遺跡規模別にみた石器構成

3.2.13 規模別に見た遺跡分布

3.2.14 規模別に見た遺跡分布 その2

3.2.15 単独出土石器の構成と分布

3.2.16 単独出土石器分布のヒートマップ作成

3.2.17 後期旧石器時代の狩イメージ

3.2.18 後期旧石器時代の狩イメージ その2

3.2.19 参考 規模別遺物集中地点のヒートマップ

3.2.20 出土礫の分析

3.2.21 旧石器時代遺跡の文化層別分析 その1

3.2.22 旧石器時代遺跡の文化層別分析 その2

3.2.23 旧石器時代遺跡の文化層別分析 その3

3.2.24 草刈遺跡検討の感想

3.2.25 含動物骨旧石器時代遺跡存在の可能性

3.2.26 事例「Head-Smashed-In Buffalo Jamp」の威力

3.3 縄文弥生時代の交通

3.3.1 「シリーズ 花見川地峡の利用・開発史」の検討方針

3.3.2 縄文弥生時代の花見川筋の交通 検討を始めるにあたって

3.3.3 旧石器時代、縄文時代遺跡の分布 (過去記事再掲

3.3.4 弥生時代、古墳時代遺跡の分布 (過去記事再掲)

3.3.5 「縄文流通網」に関する論文の学習

3.3.6 「縄文弥生時代の交通」再開にあたって

3.3.7 知識習得の加速と石器似石表採の記憶復元

3.3.8 趣味活動の健全性と創造性

(現在休載中です。)

3.4 〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路

3.4.1 〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討について

3.4.2 古代「東海道水運支路」(仮説)を理解するためのキーワード「船越」

3.4.3 相模湾と東京湾の古代水運路をつなぐ船越

3.4.4 有明海と大村湾の古代水運路をつなぐ船越

3.4.5 古代「東海道水運支路」(仮説)の検討項目

3.4.6 Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その1

3.4.7 Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その2

3.4.8 Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その3

3.4.9 Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その4

3.4.10 駅家と津、駅路網と水運網

3.4.11 「駅家と津、駅路網と水運網」の検討と地形

3.4.12 駅家と津と船越

3.4.13 【検討】駅制成立時頃の駅路網と水運網

3.4.14 古代国家の戦略的軍事物流施設としての船越

3.4.15 陸奥国と中央を結ぶ東海道メインルートの変遷

3.4.16 50㎝刻み地形段彩図で駅家と河口津の関係を考える

3.4.17 50㎝刻み地形段彩図で古代駅名称を考える

3.4.18 古代交通網と古墳時代遺跡密度図のオーバーレイ

3.4.19 古代交通網と奈良・平安時代遺跡密度図のオーバーレイ

3.4.20 中央と陸奥国を結ぶ古代駅路ルートと水運ルート

3.4.21 戦略思考にもとづく下総国府の計画的配置

3.4.22 下敷き作業用の埋蔵文化財分布図作成

3.4.23 埋蔵文化財分布図のGIS貼付け

3.4.24 埋蔵文化財分布図のGIS貼付け結果

3.4.25 古代花見川船越付近の地物想定

3.4.26 遺跡密度図(ヒートマップ)作成による古代想定地物の考察

3.4.27 「古代新規開発遺跡」密度図による古代想定地物の考察

3.4.28 浮島駅付近古代地物の位置想定と地形

3.4.29 花見川河口津付近の遺跡と地名

3.4.30 地名「検見川」は俘囚の検見(尋問)に由来する

3.4.31 玄蕃所遺跡発掘調査報告書を閲覧するまでの顛末

3.4.32 花見川-平戸川船越の特殊地形と古代水運における有利性

3.4.33 古語「杵(かし…舟の停泊杭)」を現代に伝える地名「柏井」

3.4.34 花見川区柏井町に存在する古代交通施設似の地物

3.4.35 花見川区柏井町・横戸町境に存在した古代直線道路似の馬防土手

3.4.36 千葉市立柏井小学校敷地は古代高津土塁遺構か

3.4.37 高津馬牧(延喜式)の位置考察

3.4.38 古代花見川船越の廃絶

3.4.39 古代交通技術「船越」の進化形 古代ギリシャの例

3.4.40 房総古代道研究会発表資料

3.4.41 房総古代道研究会発表の要旨・概要と感想

3.4.42 遺跡文献の悉皆閲覧計画

3.4.43 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その1

3.4.44 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その2 分析の視点

3.4.45 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その3 流域別に見た遺跡数変化

3.4.46 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その4 古墳をつくらない人々

3.4.47 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その5 古代谷津地形把握のための補助資料作成

3.4.48 花見川-平戸川筋の古墳形式の把握

3.4.49 古墳の階層性に関する予察

3.4.50 前方後円墳分布の把握

3.4.51 古墳時代の水田開発可能地の検討

3.4.52 花見川付近の地域構成イメージ検討

3.4.53 位置決定要因別に見た古墳タイプ

3.4.54 見込み違い作業から判った古墳時代遺跡と地形との関係

3.4.55 古墳時代遺跡がほとんど全て台地面上に立地する意義

3.4.56 浮島駅家の場所について感じる

3.4.57 花見川流域の古墳時代製鉄関連遺跡

3.4.58 鍛冶遺跡「杉葉見」の意味及び妙見社との対応

3.4.59 花見川-平戸川筋の古墳時代鍛冶遺跡分布

3.4.60 古墳時代の鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏

3.4.61 Illustratorによる千葉県全域小字(10万件)の簡易データベース完成

3.4.62 ハタ地名検討の重大な意義に気がつく

3.4.63 上ノ台遺跡報告書を閲覧し、鍛冶遺跡があることに気がつく

3.4.64 上ノ台遺跡から出土した古墳時代牛骨の重要意義

3.4.65 上ノ台遺跡の遺構・遺物分布図の作成

3.4.66 上ノ台遺跡の生業と漁業活動

3.4.67 上ノ台遺跡 土錘出土地点分布

3.4.68 上ノ台遺跡 米・雑穀栽培

3.4.69 上ノ台遺跡 滑石模造品工房

3.4.70 上ノ台遺跡 玉類等出土住居趾の意義

3.4.71 上ノ台遺跡 紡錘車出土と機織り

3.4.72 上ノ台遺跡 鍛冶遺物出土住居趾

3.4.73 上ノ台遺跡 軍需品としての牛、殺牛・祭神・魚酒

3.4.74 地名「幕張」の語源

3.4.75 地名「犢橋(コテハシ)」の語源

3.4.76 上ノ台遺跡と牛牧に関する仮想定

3.4.77 上ノ台遺跡 支配統治機能に関する仮想

3.4.78 上ノ台遺跡 望楼(仮想)からの風景

3.4.79 上ノ台遺跡検討まとめ

3.4.80 花見川河口の古代住居址から馬骨出土の事実を知る

3.4.81 直道遺跡と居寒台遺跡の位置と概要

3.4.82 検見川台地の馬関連古代遺跡

3.4.83 古代幕張付近のハマグリ採集者は誰か

3.4.84 検見川台地の古代竪穴住居址分布

3.4.85 検見川台地の鍛冶遺物出土を知る

3.4.86 掘立柱建物址と竪穴住居址の時代関係

3.4.87 検見川台地古代竪穴住居址の時代別分布

3.4.88 検見川台地上の砂丘分布と未発見古墳の可能性

3.4.89 偶然か因果関係か? 最大風速風向、竪穴住居址方向、凸地形方向

3.4.90 偶然か因果関係か? 追補メモ

3.4.91 検見川台地から銙帯具出土を知る

3.4.92 銙帯出土遺跡分布と東海道

3.4.93 銙帯の空想的復元

3.4.94 ハマグリを食ったのは誰か

3.4.95 小型竪穴住居址の住人は誰か

3.4.96 予報 千葉市小字データの電子化

3.4.97 花見川河口古代拠点集落の特異性

3.4.98 花見川河口古代拠点集落から出土した銙帯を閲覧しました

3.4.99 再掲 銙帯の空想的復元

3.4.100 奈良の都への供米のための水田開発

3.4.101 古墳時代と奈良時代の水田開発の違い

3.4.102 奈良時代花見川河口拠点集落の機能検討

3.4.103 千葉市小字データベースのプロトタイプ完成

3.4.104 花見川流域古墳空白地帯の検討

3.4.105 高台向遺跡の古墳時代土壙からカキ・ハマグリ出土を知る

3.4.106 千葉市内野第1遺跡古墳時代集落の消長について

3.4.107 内野第1遺跡出土古墳時代ハマグリについて

3.4.108 八千代市白幡前遺跡の発掘情報分析に着手する

3.4.109 八千代市白幡前遺跡は一般農業集落か?

3.4.110 八千代市白幡前遺跡 掘立柱建物を指標とした集落イメージの検討

3.4.111 八千代市白幡前遺跡 竪穴住居消長を指標とした活動活発時期イメージ

3.4.112 八千代市萱田地区遺跡 軍事兵站・輸送基地発展の様子(想定)

3.4.113 八千代市白幡前遺跡 馬2頭と人1人が捨てられた9世紀土坑

3.4.114 八千代市白幡前遺跡 「村落内寺院」は存在しない

3.4.115 八千代市白幡前遺跡 古代寺院関連地名

3.4.116 遺跡文献の悉皆閲覧活動の途中感想

3.4.117 八千代市白幡前遺跡 出土銙帯分布からわかること

3.4.118 出土銙帯分布からわかること 追補

3.4.119 八千代市白幡前遺跡 ハマグリを食った場所はどこか

3.4.120 八千代市白幡前遺跡 寺院と接待施設のセット性確認で深まる遺跡理解

3.4.121 千葉県における墨書土器出土遺跡分布の把握

3.4.122 千葉県における墨書土器出土件数上位25遺跡の把握

3.4.123 墨書土器出土件数千葉県第1位の八千代市白幡前遺跡の意義

3.4.124 参考 千葉県墨書土器出土ヒートマップ作成

3.4.125 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字の意味

3.4.126 八千代市白幡前遺跡 墨書土器出土の分布

3.4.127 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その1

3.4.128 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その2

3.4.129 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その3

3.4.130 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その4

3.4.131 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その5

3.4.132 組文字「大一(たいいつ)」の出土分布

3.4.133 墨書土器文字「廓」の意味

3.4.134 墨書土器文字の読解

3.4.135 墨書土器文字「廿」(ツヅラ)の読解

3.4.136 墨書文字「廿」(ツヅラ)の拡散理由

3.4.137 墨書土器文字「小堤」(ショウテイ)の読解

3.4.138 墨書土器文字「饒」(ユタカ)の読解

3.4.139 八千代市白幡前遺跡から出土した墨書土器検討のまとめ

3.4.140 八千代市白幡前遺跡から鍛冶遺物出土を知る

3.4.141 八千代市井戸向遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)

3.4.142 八千代市井戸向遺跡の活動活発時期イメージ

3.4.143 八千代市井戸向遺跡から出土した銙帯(かたい)

3.4.144 古代寺院と世俗権力とのセット性

3.4.145 墨書土器に関する新しい統計指標を考案する

3.4.146 墨書土器指標を用いた遺跡評価思考実験

3.4.147 墨書土器代表文字の意味

3.4.148 墨書土器文字から見たゾーン特性 八千代市井戸向遺跡

3.4.149 改訂 千葉県墨書土器出土数上位遺跡の把握

3.4.150 遺跡文献閲覧から得る情報のパターン化とその活用

3.4.151 八千代市北海道遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)

3.4.152 八千代市北海道遺跡 銙帯とハマグリ

3.4.153 八千代市北海道遺跡の活動活発時期イメージ

3.4.154 八千代市北海道遺跡の墨書土器出土状況

3.4.155 墨書土器指標と建物指標のクロスによる遺跡評価

3.4.156 八千代市北海道遺跡出土墨書土器の文字の意味(想定)

3.4.157 八千代市権現後遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)

3.4.158 八千代市権現後遺跡 銙帯とハマグリ

3.4.159 八千代市権現後遺跡の活動活発時期イメージ

3.4.160 八千代市権現後遺跡の墨書土器出土状況

3.4.161 権現後遺跡の墨書土器と建物指標によるクロス評価

3.4.162 権現後遺跡は古代の土器生産工業団地

3.4.163 八千代市権現後遺跡出土墨書土器の文字意味(想定)

3.4.164 墨書土器にみえる丈部(ハセツカベ)一族

3.4.165 古代氏族「丈部」(ハセツカベ)と萱田地区の丈部一族

3.4.166 印旛における丈部一族に関する疑念

3.4.167 大一(たいいつ)に関する情報収集

3.4.168 萱田遺跡群検討の第2ラウンドに入ります

3.4.169 「竪穴住居○軒当り□□数」指標でみる萱田遺跡群の特徴

3.4.170 萱田遺跡群の主な墨書土器文字

3.4.171 萱田遺跡群の紡錘具 その1

3.4.172 萱田遺跡群の紡錘具 その2

3.4.173 萱田遺跡群の鉄製品出土物 その1 鉄鏃

3.4.174 萱田遺跡群における鉄鏃(槍)を伴う活動

3.4.175 掘立柱建物1棟あたり鉄鏃出土数による考察

3.4.176 萱田遺跡群の鉄製品出土物 その2 刀子

3.4.177 萱田遺跡群の鉄製品出土物 その3 鎌と穂摘具

3.4.178 参考 鎺(はばき)付刀子の例

3.4.179 萱田遺跡群の鉄製品出土物 その4 稀少道具類

3.4.180 萱田遺跡群の鉄製品出土物 その5 枢鉤(くるるかぎ)

3.4.181 萱田遺跡群の鉄製武器とそれ以外の金属製品の分布

3.4.182 萱田遺跡群の鍛冶遺物

3.4.183 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 1

3.4.184 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その2(記銘部位)

3.4.185 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その3(記銘部位方向と心の込め方)

3.4.186 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その4(釈文「廓」)

3.4.187 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その5(釈文「廿」)

3.4.188 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その6(文字の意味)

3.4.189 萱田遺跡群の出土土器検討着手

3.4.190 萱田遺跡群出土土器の器種内訳

3.4.191 萱田遺跡群ゾーン別土器数

3.4.192 萱田遺跡群の土器器種別変動係数

3.4.193 萱田遺跡群の墨書土器率

3.4.194 萱田遺跡群のゾーン別墨書土器率とその異常値

3.4.195 萱田遺跡群検討第3ラウンドの構想

3.4.196 鳴神山遺跡検討の興味

3.4.197 墨書土器出土数からみた鳴神山遺跡

3.4.198 千葉県遺跡別銙帯出土数分布図の作成

3.4.199 銙帯出土情報から考える鳴神山遺跡の意義

3.4.200 銙帯出土数と墨書土器出土数のアンバランス

3.4.201 遺構(建物)からみた鳴神山遺跡の特性

3.4.202 鳴神山遺跡の時期

3.4.203 鳴神山遺跡の竪穴住居1軒あたり墨書土器数

3.4.204 鳴神山遺跡のヘラ書き土器の割合

3.4.205 鳴神山遺跡の特注品であることを示すヘラ書き土器(追補情報)

3.4.206 須恵器窯と土師器焼成遺構 その1

3.4.207 須恵器窯と土師器焼成遺構 その2

3.4.208 ヘラ書き土器の意味

3.4.209 参考 文字「六万」分布からの連想

3.4.210 鳴神山遺跡の墨書土器 1

3.4.211 鳴神山遺跡の墨書土器 2

3.4.212 鳴神山遺跡墨書土器の文字分析着手

3.4.213 鳴神山遺跡の墨書土器文字・熟語

3.4.214 鳴神山遺跡の長文墨書土器

3.4.215 鳴神山遺跡の興味ある墨書土器

3.4.216 鳴神山遺跡の墨書土器分布検討 その1

3.4.217 鳴神山遺跡における墨書土器出土の顕著な偏在性

3.4.218 鳴神山遺跡の墨書土器記号「×」「♯」の分布

3.4.219 鳴神山遺跡の墨書土器文字「冨」「工」の分布

3.4.220 鳴神山遺跡の墨書土器文字「万」の分布

3.4.221 墨書土器の2大分類と鳴神山遺跡出土文字「丈」の分布

3.4.222 千葉県における墨書文字「丈」の分布から浮かび上がる鳴神山遺跡の特性

3.4.223 鳴神山遺跡の墨書文字「久弥良」はクビラ(金毘羅)と推定する

3.4.224 鳴神山遺跡の墨書文字「大」は大国主神と推定する

3.4.225 墨書文字の意味解読パターン素案の作成

3.4.226 墨書文字「依」の意味深考

3.4.227 鳴神山遺跡の墨書文字「犬」の分布

3.4.228 鳴神山遺跡の墨書文字「山本」の分布

3.4.229 鳴神山遺跡の墨書文字「寺」「佛」の分布

3.4.230 墨書文字「久弥良」と金毘羅信仰

3.4.231 鳴神山遺跡と宗像神社の関係

3.4.232 参考メモ 古代氏族の印旛への到達経路

3.4.233 参考メモ 房総古代の開拓に関する空間大局観

3.4.234 メモ 地名と墨書土器の文字

3.4.235 メモ 地名と墨書土器の文字 その2

3.4.236 メモ 萱採取集団の存在を暗示する墨書土器

(現在 連載中です。)

3.5 牧の境界

3.6 享保・天明・天保の印旛沼堀割普請

3.7 明治~戦前期の土地利用

3.8 本土決戦

3.9 戦後印旛沼開発

4 花見川地峡の課題と未来