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このサイトの趣旨
このサイトは、ブログ「花見川流域を歩く」に2014年4月1日から掲載しはじめた花見川地峡史に関するシリーズ記事を順次転載しているサイトです。
ブログでは掲載順に読むことが困難になりましてので、このサイトをつくりました。
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シリーズ記事が完結する時期は当初2014年8月頃を予定していましたが、検討したい事柄が大幅に増えたため、2017年3月頃に変更します。(2015.04.20)
■ お知らせ 「3 花見川地峡の利用・開発史」の目次を一部変更しました。 2014.11.02
サイトの概要
3.5 牧の境界
3.6 享保・天明・天保の印旛沼堀割普請
3.7 明治~戦前期の土地利用
3.8 本土決戦
3.9 戦後印旛沼開発
4 花見川地峡の課題と未来
詳細目次
1.2花見川地峡の存在とその形状的が谷津であることに気がつく
1.5花見川地峡の利用開発の変遷についてイメージできるようになる
2.1.6 縄文海進時の花見川地峡の姿をGoogle earthでイメージする
2.1.8 花見川地峡縄文海進に関する既存文献(平戸川(新川)筋)
2.2.2 東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の分水界はどこか?
2.2.11 花見川河川争奪が発生した地学的場面 地形面モデル
2.2.13 花見川河川争奪の地形面モデルのバージョンアップ
2.2.16 花見川河川争奪の成因検討 その2(地理的位置関係)
2.3.3 印旛沼筋河川争奪の証拠2 -下総下位面時代谷津幅異常-
2.3.12 Illustratorを使った思考実験(追試)
2.3.13 印旛沼筋のKASHMIR 3Dを使った机上空撮
2.3.15 印旛沼筋河川争奪仮説の脆弱性除去と再度バージョンアップ
2.4.14 柏井小崖(柏井断層)がレーキ形成小崖であることに気がつく
2.4.15 柏井小崖(柏井断層)と和良比レーキ等をつなぐ証拠
2.4.26 牧の原オタマジャクシ状凹地も湖沼跡であることが判明
2.4.33 「花見川地峡成立の自然史-仮説的検討」をふりかえる
3.1.2 埋蔵文化財情報から市町村別「歴史濃度」を概観する その1
3.1.30 縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)と他情報とのオーバーレイ図作成
3.1.34 遺跡密度図による縄文交通路パターン作業仮説の作成
3.1.36 遺跡密度図による旧石器時代移動路パターン作業仮説の作成
3.1.37 参考 Head-Smashed-In Buffalo Jamp
3.1.50 参考 原始・古代全遺跡の密度図(ヒートマップ)作成
3.2.9 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その3 地形断面図の作成
3.2.10 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その4 参考 草刈遺跡付近の裸眼実体視資料
3.2.11 旧石器時代遺跡と地形 事例検討その5 遺物集中地点の規模区分
3.2.26 事例「Head-Smashed-In Buffalo Jamp」の威力
3.3.1 「シリーズ 花見川地峡の利用・開発史」の検討方針
3.3.2 縄文弥生時代の花見川筋の交通 検討を始めるにあたって
3.3.3 旧石器時代、縄文時代遺跡の分布 (過去記事再掲)
(現在休載中です。)
3.4.1 〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討について
3.4.2 古代「東海道水運支路」(仮説)を理解するためのキーワード「船越」
3.4.6 Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その1
3.4.7 Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その2
3.4.8 Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その3
3.4.9 Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その4
3.4.16 50㎝刻み地形段彩図で駅家と河口津の関係を考える
3.4.19 古代交通網と奈良・平安時代遺跡密度図のオーバーレイ
3.4.26 遺跡密度図(ヒートマップ)作成による古代想定地物の考察
3.4.27 「古代新規開発遺跡」密度図による古代想定地物の考察
3.4.32 花見川-平戸川船越の特殊地形と古代水運における有利性
3.4.33 古語「杵(かし…舟の停泊杭)」を現代に伝える地名「柏井」
3.4.35 花見川区柏井町・横戸町境に存在した古代直線道路似の馬防土手
3.4.39 古代交通技術「船越」の進化形 古代ギリシャの例
3.4.44 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その2 分析の視点
3.4.45 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その3 流域別に見た遺跡数変化
3.4.46 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その4 古墳をつくらない人々
3.4.47 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その5 古代谷津地形把握のための補助資料作成
3.4.54 見込み違い作業から判った古墳時代遺跡と地形との関係
3.4.55 古墳時代遺跡がほとんど全て台地面上に立地する意義
3.4.61 Illustratorによる千葉県全域小字(10万件)の簡易データベース完成
3.4.63 上ノ台遺跡報告書を閲覧し、鍛冶遺跡があることに気がつく
3.4.73 上ノ台遺跡 軍需品としての牛、殺牛・祭神・魚酒
3.4.80 花見川河口の古代住居址から馬骨出土の事実を知る
3.4.89 偶然か因果関係か? 最大風速風向、竪穴住居址方向、凸地形方向
3.4.98 花見川河口古代拠点集落から出土した銙帯を閲覧しました
3.4.105 高台向遺跡の古墳時代土壙からカキ・ハマグリ出土を知る
3.4.106 千葉市内野第1遺跡古墳時代集落の消長について
3.4.110 八千代市白幡前遺跡 掘立柱建物を指標とした集落イメージの検討
3.4.111 八千代市白幡前遺跡 竪穴住居消長を指標とした活動活発時期イメージ
3.4.112 八千代市萱田地区遺跡 軍事兵站・輸送基地発展の様子(想定)
3.4.113 八千代市白幡前遺跡 馬2頭と人1人が捨てられた9世紀土坑
3.4.114 八千代市白幡前遺跡 「村落内寺院」は存在しない
3.4.117 八千代市白幡前遺跡 出土銙帯分布からわかること
3.4.119 八千代市白幡前遺跡 ハマグリを食った場所はどこか
3.4.120 八千代市白幡前遺跡 寺院と接待施設のセット性確認で深まる遺跡理解
3.4.122 千葉県における墨書土器出土件数上位25遺跡の把握
3.4.123 墨書土器出土件数千葉県第1位の八千代市白幡前遺跡の意義
3.4.127 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その1
3.4.128 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その2
3.4.129 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その3
3.4.130 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その4
3.4.131 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その5
3.4.139 八千代市白幡前遺跡から出土した墨書土器検討のまとめ
3.4.141 八千代市井戸向遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)
3.4.143 八千代市井戸向遺跡から出土した銙帯(かたい)
3.4.148 墨書土器文字から見たゾーン特性 八千代市井戸向遺跡
3.4.150 遺跡文献閲覧から得る情報のパターン化とその活用
3.4.151 八千代市北海道遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)
3.4.155 墨書土器指標と建物指標のクロスによる遺跡評価
3.4.156 八千代市北海道遺跡出土墨書土器の文字の意味(想定)
3.4.157 八千代市権現後遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)
3.4.161 権現後遺跡の墨書土器と建物指標によるクロス評価
3.4.163 八千代市権現後遺跡出土墨書土器の文字意味(想定)
3.4.165 古代氏族「丈部」(ハセツカベ)と萱田地区の丈部一族
3.4.169 「竪穴住居○軒当り□□数」指標でみる萱田遺跡群の特徴
3.4.177 萱田遺跡群の鉄製品出土物 その3 鎌と穂摘具
3.4.179 萱田遺跡群の鉄製品出土物 その4 稀少道具類
3.4.180 萱田遺跡群の鉄製品出土物 その5 枢鉤(くるるかぎ)
3.4.181 萱田遺跡群の鉄製武器とそれ以外の金属製品の分布
3.4.184 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その2(記銘部位)
3.4.185 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その3(記銘部位方向と心の込め方)
3.4.186 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その4(釈文「廓」)
3.4.187 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その5(釈文「廿」)
3.4.188 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その6(文字の意味)
3.4.205 鳴神山遺跡の特注品であることを示すヘラ書き土器(追補情報)
3.4.217 鳴神山遺跡における墨書土器出土の顕著な偏在性
3.4.221 墨書土器の2大分類と鳴神山遺跡出土文字「丈」の分布
3.4.222 千葉県における墨書文字「丈」の分布から浮かび上がる鳴神山遺跡の特性
3.4.223 鳴神山遺跡の墨書文字「久弥良」はクビラ(金毘羅)と推定する
3.4.224 鳴神山遺跡の墨書文字「大」は大国主神と推定する
(現在 連載中です。)
3.5 牧の境界
3.6 享保・天明・天保の印旛沼堀割普請
3.7 明治~戦前期の土地利用
3.8 本土決戦
3.9 戦後印旛沼開発
4 花見川地峡の課題と未来