旦那は離婚の危機を回避できるのか

by 藤よう

日向小次郎さん目線

ホテルの廊下を反町と並んで歩いてくる若島津を目にして、俺は我知らず、ほっと息をついた。

だがあいつは、俺の姿を目にとめて、その歩調を緩めた。

なんだ?

何とは指摘できないが、これまで感じたことのない小さな違和感に、俺はわずかに眉をひそめた。

反町が小走りに近寄ってきて、いつものごとく姦しく声をあげながらカードキーをドアのスロットに刺した。

反町の頭越しに見える若島津が、やっと手の届く距離に近づいた。

だがそこで、あいつはふいっと俺から目をそらした。

気づいた時には、俺はあいつの胸倉をつかんで壁に叩きつけていた。

****

若島津とともに部屋に入った俺は、手前の綺麗に整えられたままのベッドに、どさっと腰を下ろした。

若島津のベッドだ。

昨夜帰ってこなかった、あいつの。

俺は片手で前髪を掻き上げ、軽く笑い声を立てた。

まだドアの近くで、逡巡していた若島津が、俺に不思議そうな視線を投げる。

「反町のやつ、見たか?俺を思いっきり睨み付けていきやがった」

若島津がふっと息を吐いた。

「あんたが急に俺の胸倉掴んだりするからでしょ」

「あいつは、何があったってお前の味方だからな。まあ、昔っからそうだ。昨日の昼からずっと、奴にこっぴどく説教されっぱなしだったんだぜ。

お前があんな風に飛び出していって、帰ってこないのは、全面的に俺が悪いってな。

お前が帰ってきたら、お前を問い詰めたりなんかしないで、とにかくひたすら謝れってよ」

柄にもなく、そうベラベラと口走りながら、ふと俺の言葉の途中で若島津が身体を固くしたのを見て取って、俺は、ベッドの隣をバシッと叩いた。

「ここへ座れ」

若島津が覚悟を決めたように、歩いてきた。

コートを脱ぎ、軽くたたんで近くの椅子にかけ、俺の隣に座る。

あいつがいつになく俺との間に少し空けた距離に気づいて、俺は、改めてあいつの姿を見直した。

わずかに俯きがちに目を伏せ、コートを脱いでシャツ一枚になった若島津は、なんとなく小さく見える。

色白の頬からは少し血の気が失せて、長く濃いまつ毛に覆われた黒い目が、いつもより大きく強調されているようだ。

ふっくらとしたピンク色の下唇を持て余したかのように、軽く噛みしめている。

長年見慣れているはずの若島津の姿が、まるで初めて目にするような、別人のように見えるのは、どういうことなんだ?

疲れているらしいことはわかる。

昨夜はあまり寝ていなそうだ。

だがそれが、それこそ尻のホクロの一つまで知り尽くしているあいつを、まるで見知らぬ存在にするなんてことはあり得ないよな?

額に落ちかかった髪を長い指で漉き上げ、伏せていた瞳をあげて、俺の言葉を待つように、微かに首をかしげて俺を見つめ返す若島津。

潤んだ黒い瞳が微かに警戒を滲ませているように見えるのは、俺が殴るとでも思ってるってことか?

俺のどんな言葉を待ってるんだ。

俺が、どんなことを言うと思ってる?

記憶にある限り、若島津が朝帰りをしたのは、初めてで。

若島津が今俺に見せている、こんな表情を俺は知らない。

俺は手を伸ばし、あいつがわずかに身を竦ませるのを無視して、あいつの身体を引き寄せ、抱きしめた。

あいつは一度身体を固くした後、俺の首筋に顔をうずめ、くったりと力を抜いて俺の身体にもたれ掛かってきた。

俺は、若島津の背中を二、三度強く擦り、大きく息をついた。

この体温、手のひらに伝わるしなやかな筋肉の弾力、石鹸の香りの下に潜む、甘く温かい、紛れもないこいつの匂い。

この腕の中にいるのは、確かに俺の若島津だ。

さらに力の抜けた若島津を抱え上げるようにして、俺はベッドに倒れこんだ。

「疲れた。…眠い…」

若島津が俺の胸元で、そう小さく呟く。

「そうか、少し寝ろ」

俺は若島津を抱きしめたまま、サラサラした髪に鼻先をうずめて言った。

「日向さん、大好き…」

突然耳に入ってきたそんな言葉に、思わず笑みを浮かべた時、若島津がさらに言葉を続けた。

「でももうこれで終わり。あんたを解放します」

ほとんど眠気に引き込まれつつ、そうかすれ声で言った若島津は、そのまますうっと眠りに落ちた。

反射的に頭を起こして若島津の顔を覗き込んだ俺は、あいつの目じりを伝う涙を眉を顰めつつ指先でぬぐい、さらにきつくあいつを抱きしめて、目を閉じた。

俺も昨夜はほとんど寝ていない。ややこしい話は、ひと眠りしてからだ。

・・・・

むむむむむ。

どうも奥さん、離婚の意思、固いみたいよ。

どうするの?日向さん。

またまた誰か編へ続く

迷路を彷徨う妻 : 若島津健さん目線へと続きました

パパっ、ママをいじめたら許さない!:反町目線へ戻る

c翼を知っていますか? へ戻る