AFNS NEWS LETTER No.23

AFNS NEWS LETTER

No.23

May 2017

アジア民間説話学会 [The Asian Folk Narrative Society]

日本支部事務局:立命館大学文学部 鵜野祐介研究室気付

〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1 tel 075-466-3142 e-mail: y-uno@fc.ritsumei.ac.jp

学会HP : https://sites.google.com/site/afns2011/ (年会費:正会員3,000円、準会員 [学部学生] 1,000円)

<巻 頭 言>

鵜野祐介

今年も風薫る五月がめぐってまいりました。会員の皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか? アジア民間説話学会では、昨年10月に北京市で開催の第14回国際大会が無事終了し、また今年2月立命館大学で開催の日本支部大会では、北京大会でご発表いただいた斧原さんと立石さんに改めてご報告いただいた他、長年昔語りの活動をしておられる京田辺市の村上さんに語りをお願いしました。本ニューズレターには、三人の方のご寄稿とそれぞれに対する参加者コメント、そして高島さんによる北京でのご発表の報告を掲載しております。通常よりも頁数を増やして、両大会に参加できなかった皆様にも紙上で追体験していただけることを願っております。どうぞじっくりとお読みください。

2016年度活動報告

「第14回アジア民間説話学会国際大会」

(2016年10月14日—16日、北京市・中央民族大学)

テーマ:英雄の不思議な誕生

日本からの参加者:鵜野祐介、斧原孝守、佐々木一恵、高島葉子、立石展大、辻 星児

「日本支部2016年度総会・研究大会」

(2017年2月25日、立命館大学)

<総会>

1.2016年度活動報告

2.会計報告(後述)

3.2017年度活動計画(後述)

<研究大会>

13:30‐14:30 話題提供1 立石展大

「小学校国語教育における、中国昔話の受容について」

14:45‐15:45 話題提供2 斧原孝守

「中国大陸から見た『力太郎』の源流」

16:00‐16:30 昔語り 村上 郁

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話題提供1

「「力太郎」の源流」

斧原孝守

「力太郎」は、異常誕生した主人公が岩の中や葦原から出てきた不思議な仲間をお供にし、怪物を退治するという昔話である。絵本で親しまれ、それなりに有名な物語だが、意外にも実際の採集資料は少なく、東北地方を中心に十数例が知られているにすぎない。

「力太郎」が昔話の研究史において注目を集めてきたのは、「桃太郎」の原型、あるいは原型と「桃太郎」との間をつなぐ例とみなされてきたからである。しかし「力太郎」は、ほんとうに「桃太郎」と関係の深い昔話なのだろうか?

中国大陸の西北部の諸民族のあいだには、「力太郎」と似た昔話が伝わっている。馬から生まれた主人公が、岩や木から生まれた男たちを兄弟にする。やがて兄弟は鳥になって現れた娘たちを妻にするが、化け物が妻たちを襲う。主人公はひとり化け物と戦い、血の跡を追って地下の穴に入る。主人公は兄弟に裏切られて穴の中に取り残されるが、鳥の援助によって脱出し兄弟に報復する。

この話が国際的な昔話として有名な、ATU301(奪われた三人の王女)型に属することは間違いない。ただこの中国西北類話群の最大の特徴は、主人公が馬から誕生することと共に、主人公の兄弟になる奇妙な男たちが、岩の中や木の中から出現する点である。これが「力太郎」の「岩の子太郎」や「葭の子太郎」と似ていることは、言うまでもあるまい。

もっとも、中国の類話では兄弟は主人公を裏切って宝を独占するが、「力太郎」の「葭の子太郎」や「岩の子太郎」は主人公を積極的に裏切りはしない。しかし「力太郎」のお供は、どういうわけか化け物退治にはまったく役に立たず、鬼に飲まれてしまうだけである。北陸地方の類話に至っては、主人公が獲得した鬼の牙をお供が見せてくれとせがんだあげく、これを海に落としてしまうのである。

このような「力太郎」のお供に見える消極性、脆弱性は、おそらく「力太郎」の母胎であったATU301型の構想の影響ではないかと私は考えている。さらに宮城県や福井県に伝わる「力太郎」の類話には逃走する化け物の血の後を追うというくだりがあって、この話が本来ATU301型であったことを示している。

世界に広く伝わるATU301型の昔話は、おそらく波が岸に打ち寄せるように、幾重にも日本に伝わっていたに違いない。その中に現在中国北西部に残るような物語があったが、そのような話は日本では伝承を維持することができず、物語はやがて崩壊したと思われる。しかし前半の異常誕生児が不思議な仲間と怪物退治をするという部分は、素朴な昔話となって残った。これが「力太郎」であろう。

[補足]

十分な時間をいただきながら駆け足の発表になってしまい、意を尽くすことができなかった。発表ではチベットからモンゴルに流布する説話集、『屍鬼物語』中の類話に言及したことが、かえって混乱を招いたかもしれない。『屍鬼物語』の類話は大陸におけるこの昔話の流布が相応に古いことを示す重要な証拠であるが、日本の「力太郎」と直接の関係はないであろう。

比較昔話研究においては、昔話の分布と形式の変化から、物語の歴史的展開を考える。したがって現在、類話がチベットにあるからといって、チベットの物語が直接渡来したわけではない。むしろ長い時間の中でチベットのような辺境部に古い話が残ったと考えるのである(もちろん、すべての場合に当てはまるわけではないが)。日本に物語が伝わった段階の、大陸における類話の分布は、今日のそれとはまったく異なるものであろう。しかし発掘すれば遺物が出てくる考古学と違って(悔しいことに)、それを知ることはほとんどできないのである。

(奈良県立奈良高等学校)

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「斧原孝守氏の話題提供へのコメント」

金 賛會

2017年2月25日、アジア民間説話学会2016年度日本支部(代表 鵜野祐介氏・立命館大学教授)の研究大会が京都の立命館大学・衣笠キャンパスで開催された。私としては同学会への出席は2年前からであるが、参加したきっかけは代表の鵜野祐介教授の誘いであった。研究発表の会場になった衣笠キャンパスには、会員以外にも同大学の若い学生たちの参加も多数見られ、会は活気を見せていた。同学会は、日・中・韓順送りで開催されるすそ野の広い門戸の開かれた学会であり、比較の立場から会員の昔話への興味や関心は、広範囲にわたるもので、今後の益々の発展が期待できる稀有な学会のひとつであると言えよう。

さて、話題提供(研究発表)は、高千穂大学の立石展大氏による「小学校国語教育における、中国昔話の受容について」と、2年前に同学会の懇親会の帰りがけに、小生と日韓の昔話など様々な意見交換をした奈良県立奈良高等学校の斧原孝守氏による「中国大陸から見た『力太郎』の源流」であった。

韓国には、アールネ・トムソンのAT301型に属し、異常誕生をした主人公が地下国などを訪問し、大賊を退治する説話が数多く伝承する。こうした地下国訪問譚の説話を韓国では「地下国大賊退治(除治)説話」と呼んでいるが、斧原氏の発表は、日本昔話「力太郎」の源流をこの「地下国大賊退治(除治)説話」にも類似する、中国の昔話「馬当古」に求めるものであった。

以下、氏の発表の内容や論点を整理し、筆者なりの考えを加えることにしたい。まず、斧原氏の紹介した岩手県和賀郡に伝わる「力太郎」は次のようなものであった。

無精な爺と婆が身体の垢を集めて子供を作り、「こんび太郎」と名付ける。太郎は金棒を作ってもらい旅に出る。お堂を背負う「御堂こ太郎」と、石を手で割る「石こ太郎」とを打ち負かして家来にする。村一番の長者の家に行くと、娘が化け物の生贄になるという。三人は化け物を待ち受ける。化け物は「御堂こ太郎」と「石こ太郎」を飲み込むが、こんび太郎が化け物の急所を蹴ると、化け物は二人を吐き出してへたばる。こんび太郎は助けた娘を嫁にし、御堂こ太郎と石こ太郎も娘の妹を嫁に貰って幸せに暮らす。

氏は先ず、この「力太郎」の説話について「絵本によって有名な昔話であり、採集話数は少なく、東北地方を中心に分布する」という。冒頭の主人公の「異常誕生」を述べる部分は、雉やカモの子、桃からの誕生など変化が大きく、異常誕生した主人公は成長が異常に早く、大食や怪力を述べる伝承もあると指摘する。

さらに斧原氏は、日本の昔話「力太郎」の源流を探るため、(1)チベットの『屍鬼故事』に見える「マサンヤルカタ」を紹介する。その内容は、牛から異常誕生した主人公が旅の途中、仲間たちに出会い、食べ物を奪う妖女を攻撃すると血を流しながら穴に入り、追ってみると女は死んでいた。仲間たちは宝を受け取ると、彼を穴の底に置き去りにするが、穴の底で巨木に成長している樹を登って穴の外に出たというものである。氏は、この『屍鬼故事』と近い話は、「馬当古」であると言い、両者は異同を含みながら、周辺の中国西北少数民族の間に広く伝承されていると説く。『屍鬼故事』より、「馬当古」はAT301の基準形式に近い。したがって単純に『屍鬼故事』から昔話として民間に流布したとは考えられない。むしろ『屍鬼故事』は、このような昔話から編集されたと考えられるべきであると主張する。

(2)日本の昔話「力太郎」について、昔話研究で著名な関敬吾氏は、AT513「六人組の世界旅行」に近いと述べ(『日本昔話大成』)、その後の稲田浩二氏も「力太郎」を「こんび(垢)太郎」と命名し、AT301B とAT513の双方に対応していると論じた(『日本昔話タイプインディックス』)。このように、従来の研究史では、「力太郎」は、主人公の前に次々と並はずれた力強い六人の仲間が加わり、姫との競争に異能の仲間が協力し、主人公は宝を得て帰るというAT513の関連から述べられてきたが、斧原氏は「力太郎」はむしろ、AT301の不充分な一型と考えるべきで、最も近い類話は中国の少数民族に伝わる「馬当古」であるという。「馬当古」は、馬小屋で異常誕生した主人公が旅の途中、異様な男たちに遭い、蛙(龍王の子)を助けたことにより龍王から金の人形をもらい、怪物を退治するが、仲間たちの裏切りによって穴の中に置き去りにされる。しかし、竜の助けによって穴の中から脱出し、仲間たちに復讐し、彼ら夫婦を柱の礎石と木の台にしたというものである。斧原氏は、「力太郎」は、諸先学の主張する「六人組の世界旅行」とは、まったく別の物語で、本来的には「馬当古」のように仲間が主人公を裏切る話(AT301)に属するものであり、「力太郎」では、仲間たちの消極性、脆弱性という形で表れているという。日本では歴史的にAT301系統の物語が多元的に流布していたようだが、その一つに「馬当古」と近いものがあり、「力太郎」はその系統の昔話であろうと説き、従来の研究史とはまったく違う見解を示した。

これ以外にも氏は、近現代に採録された「力太郎」は、異変の幅が大きく、「桃太郎」と習合した類話もあって、「力太郎」が採集された近代にあっては、その伝承は崩壊寸前であったと考えるべきであり、見方を変えれば、絵本に採録されることで蘇った昔話ということになると述べ、失われかけた昔話「力太郎」の再生の問題についても言及された。

上記の主張について、筆者の愚見を述べさせてもらいたい。(1)において、なぜAT301の型に属する『屍鬼故事』と「馬当古」だけを比較して、「力太郎」の源流を求めようとするのか、もう少しAT301型に属する中国の諸伝承を含めた世界の伝承状況を示してほしかった。また『屍鬼故事』より、「馬当古」の方がAT301の基準形式に近く、『屍鬼故事』は、このような昔話から編集されたと考えられるべきであると主張するが、『屍鬼故事』では、「穴から脱出に成功した主人公が天に登ってインドラ神の指示で悪魔を退治するが、魔女に殺されてしまった」という、英雄譚の特徴である「英雄の死」について述べており、単純に昔話から『屍鬼故事』が編集されたという、氏の主張は根拠に乏しいと感じた。またこの『屍鬼故事』の類似伝承は、テュルク系のクルグやカザフ、シベリア・タタールの『エル・トシュテュク』『ナンバトゥル』などという英雄譚として伝承されており、これらとの比較研究も同時に行われるべきで、この点は、発表者の今後の研究の進展に期待したい。

(2)において、斧原氏は、「力太郎」は、諸先学の主張する「六人組の世界旅行」とは、まったく別の物語で、本来的には「馬当古」のように仲間が主人公を裏切る話(AT301)に属するものであると述べられたのは、きわめて斬新ですぐれた見解であるが、「力太郎」には、AT301型の主要なモチーフである、主人公の地下国探索譚が見えておらず、今後、「力太郎」の日本においての伝承状況についての詳細な資料分析が必要であろう。また、アールネ・トムソンの『昔話の型』においては、「主人公たちの超自然的出生・超自然的強さ」に触れないで「王女の失踪」を主張する話群をAT301Aとし、AT301Bは「主人公たちの超自然的出生・超自然的強さ」が強調され、これを証するかのように魔王退治によって王女を救出する展開となっている。これに従えば、『屍鬼故事』と「馬当古」には、「主人公たちの超自然的出生・超自然的強さ」が叙されており、『屍鬼故事』より「馬当古」の方がAT301の標準形式に近いという斧原氏の主張は多少矛盾をはらんでおり、AT301B型に類似するという視点での分析も必要になってくるであろう。

今後、日本においての『甲賀三郎』や「百合若大臣」と韓国、中国においての同類の説話とユーラシアのテュルク系民族に語り継がれてきた英雄叙事詩との関わりについての比較分析や、伝承の少ない日本のAT301型の伝承資料を補う視点からも、斧原氏のアジア民間説話学会(日本支部)においての「AT301の不充分な一型としての力太郎譚」への分析は、きわめて大きな意義を持つといえよう。 (非会員、立命館アジア太平洋大学)

〈参考文献〉

・福田晃「諏訪縁起・甲賀三郎譚の源流―その話型をめぐって―」(『神道集説話の成立』三弥井書店、1984年)

・坂井弘紀「英雄叙事詩とシャマニズム―中央ユーラシア・テュルクの伝承から」(『和光大学表現学部紀要』15号、2015年3月)

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話題提供2

「小学校国語教育における、中国昔話の受容について」

立石展大

小学校1,2年生用の国語教科書の学習指導要領には、

2011年4月から、「昔話や神話・伝承などの本や文章の読み聞かせを聞いたり,発表し合ったりすること」が追加された。例えば光村図書の一年生用の国語教科書にも、様々な昔話の一場面を、一枚の絵の中に描き込み、児童がそれを見てどんな昔話が描かれているかを発表する単元が設けられた。この絵は2枚あり、それぞれ日本と外国の昔話を描き込んでいるが、外国の絵はほとんどが西洋の昔話である。非西洋は、「アラジンと魔法のランプ」の一話のみである。東アジアは一話もない。日本の子どもたちにとって、日本以外の東アジアの話がいかに馴染みがないかの表れである。

そこで本発表では、2004年までの文部科学省(文部省)の検定教科書において、中国の昔話がどのように登場するかを確認して、その翻訳や再話の傾向を分析した。

まずは、下記の国語教科書において中国昔話の単元が確認できた。

①君島久子「ウスマンじいさん」(日本書籍 3年生1973年)

②君島久子「チワンのにしき」(東京書籍4年生 1973年~1991年)

③君島久子「ふえをふく岩」(教育出版 3年生 1979年~1982年)

④君島久子「太陽をさがしに」(教育出版 4年生 1999年)

⑤中由美子「アーファンティ物語」(教育出版 4年生

2001年~2004年)

ここから分かる特徴は、小学3,4年生に集中していること、著者が君島氏に集中していること、そして中国少数民族の話ばかりであることである。ちなみに①はウズベク族、②はチワン族、③はリー族、④はチワン族、⑤はウイグル族である。

教科書会社が中国昔話を教科書に載せる際、既に児童文学向けに中国昔話を翻訳している著名な君島氏に依頼が行くのは当然であり、また君島氏に続く訳者がなかなか現れなかったため、このようになったと思われる。そして1970年代から80年代にかけて、中国でも少数民族の話が多く採話され資料化されていた状況も、このように少数民族に偏った教材が誕生した要因の一つであろう。

本発表では、この5つの昔話のうち、②と③について分析をおこなった。「チワンのにしき」は教科書用に原文を直接翻訳している。そのため、教科書と原文を比較してもほとんど内容に変化はない。一方「ふえをふく岩」については、君島氏が絵本として再話した作品を基に教科書に載せたため、原文との違いが見られる。

話の筋はおよそ次のとおりである。笛吹きが白髪の爺さんに肉を施す。その爺さんに竹の子をもらい埋める。そこから伸びた竹で籠と笛を作る。そして笛吹きの笛の音に魅了された竜宮の姫が、押しかけ女房となる。姫と結婚するはずのワニが来るが、籠に入って岩にされる。その後、竜王が起こした大波が村を襲おうとするが、笛吹きは笛を吹いて波を退ける。しかし、吹くのを止めると波が襲ってくるので、姫も共に吹き続ける。いつまでも笛の音が続くので村人が様子を見に行くと、穴の開いた岩が風を受けて音を立てていた。笛吹きと母親と姫は、白髪の爺さんとともに雲に乗って飛んでいったのを、ある村人が見たという。

教科書の話を原文と比較すると、再話による効果は次のようである。

1、教科書では、主人公の笛吹きをクローズアップ。母親については、ほぼ語らない。原文では、母親も重要な役割を担っていが、全て省略することで、笛吹きの行動を強調している。

2、教科書では、話を簡略化。

①洞窟を利用している家や魚の取り方などの描写を省略。

②原文で、お爺さんの竹の子と牛肉の交換を拒絶した太った男と背の高い女が 登場しない。

③お爺さんが、最初に竹の子を渡す時点で、籠を作ることと笛を作ることを指示。原文では、最初に植えることのみを指示して、竹が生えた後に籠を作ることを指示し、竜王が襲ってきた後に笛を作ることを指示している。

④姫の竜宮での生活を、簡便に描写。また、ワニ大臣の悪行を省略。

⑤貝から出た姫が嫁になるまでの母親とのやりとりを省略。

3、教科書では、神秘性を強調。

①原文では、お爺さんが去る時には「白髪をはためかせて去る」のに対し、教科書では「ふっと消えて」しまう。

②原文では、貝殻から娘が登場する際、笛吹きが「刀で貝殻をこじ開けた」あと登場するのに対し、教科書では「ふしぎ、貝がぱっと開いて」登場する。

4、教科書では、笛吹きの心理と行動を強調。

①おじいさんが竹の子と肉の交換を求めているのを見て、「かわいそうに思いました」と加筆。姫との結婚の場面で、「ふえふきも母さんも、よろこびました」と加筆。

②波を押し返す箇所で、原文にはない「ピュー、ピュー、ピュー。ふえふきは、休まずにふきつづけました」という表現を加筆。

これらの変更の結果、限られた字数の中で、話が明確に児童に伝わるようになっている。

主人公の笛吹きを目立たせるために、準主人公の母親を描かず、本筋に関わらない人物も省略する。一方で、笛吹きが笛で大波に対抗する場面は、加筆をして強調している。前半では簡略化が目立つが、ワニが襲ってくる以降の後半は、ほぼ原文どおりで簡略化せず、題名の「笛吹き岩」が登場するまでを描いている。

こうした発表後の質疑では、小学3,4年生の時期に中国の昔話に触れる意義や他の教材と比べてどのような違いがあるかという質問がなされた。これについては、今後の検討課題である。また、「ふえをふく岩」の原文において母親が重要な役割を担っているのは、母系社会の影響が考えられないかという重要な指摘をいただいた。

(高千穂大学)

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「立石氏発表へのコメント」

辻 星児

立石氏の発表は、中国の昔話が日本の小学校教科書にどのように取り入れられているかに関するユニークな研究であった。冒頭、1年生の教科書に載せられた「むかしばなしがいっぱい」というイラスト(日本・外国のお話を絵で紹介したもの)を示され、日本で知られているお話が西洋偏重であること、また「むかしばなし」と称してはいるが、童話と昔話が区別なく紹介されていること、さらに、教材として取り上げられている中国、韓国などの昔話にも偏りがあることなどの指摘があった。これは、筆者も同感である。日本の周囲には、中韓はもとより、ツングースやモンゴル、パレオアジアなど、さまざまな民族が暮らし、豊富な昔話が語られている。それらを学校教育で教材として紹介することは、アジアと日本を知る上でもきわめて大切なことではないかと思っている。ちなみに、アイヌの口承文芸は日本の優れた文化遺産であるが、これまた教材としてほとんど採用されていないのは大いに問題である。

さて、立石氏の発表の中心は、昔話の原話と教科書本文との比較であった。小学校3年の教科書に採用された中国の昔話「ふえをふく岩」(黎(リ)族)と「チワンのにしき」(壮(チワン)族)を取り上げ、原話(立石氏による訳)と教科書本文(君島久子氏の再話)とを比較することで、教材化にあたっての再話つまり表現の変更による「効果」を検証したものである。後者の話は、ほぼ原文に近いので、ここでは前者の話を中心にコメントする。

前者の話の場合、さまざまな変更がなされている。立石氏は、それを分析した結果、その「効果」として、次の4つを挙げられた。①主人公(笛吹)のクローズアップ、②簡略化(特に前半)、③神秘性の強調、④主人公の心理と行動の強調、である。これらにより、主人公の行動を目立たせ、後半の山場を強調するなど、「話が明確に児童に伝わる」効果を上げているとしている。また、この昔話の原話では、話の展開において主人公の母親が重要な役割を果たしているが、教材化にあたっては、これがほぼ削除されている。立石氏は、この削除は主人公の行動を強調させるための措置である(①)としている。また、発表では、『教師用指導書』に示された(この教材の)解説も併せて挙げられており、そこには「主人公の行動や心情の変化」に着目することが述べられている。相補的な関係にある、上記①④は、この点に即した変更であろう。また②の簡略化も、この点から論じることができるものもある。(なお、上記③については、著者が本昔話の別のバージョンを参照した可能性もあるのでコメントを控える)。

ただ、このような削除、付加等を伴う改稿は、この昔話に限らず、教材化にともなう一般的な問題でもある。とくに低学年向け教材は、どんなジャンルにあっても、大なり小なり、このような変更が著者(継承者)了解の上で行われることがあるわけで、今回の教材化に限ったことではない。もし(中国の)昔話に特化した教材化を問題にするなら、その昔話がもつ独自な要素やモチーフをどう取捨選択し、またどう付加していくかということになるであろう。この話について言えば、主人公の生業や笛の扱い、また筍の力であり、さらに主人公が竜王の娘と共に戦うモチーフなどの扱いなどである。また、上で述べた ‘母親の役割の削除’ についても、原話が語られた黎族はもと母系社会であり(スチューベル『海南島民族誌』)、原話に見られる母親の重要な役割も、この特徴の現れとみることができる。そして、これが(日本の小学校の)教材化にあたって削除されたということは、何を意味しているか、これは、なかなか興味ある問題を示唆している。

ちなみに、上で、④のような変更(例えば「かわいそうに思いました」等を加筆)は、『指導書』のいう主人公の「心情の変化」を読み取らせる「ねらい」と即応していると述べたが、これも、昔話の再話、教材化における大きな問題を提起しているように思われる。つまり、再話にあって、登場人物の「心情の変化」を加えていくような変更は(「平面性」などという用語を用いるまでもなく)、昔話というジャンルからの逸脱を意味しているからである。厳密にいえば、本来の昔話に登場人物の「心情の変化」を読み取らせるなどということ自体ナンセンスともいえるのである。本来の昔話をそういうものとして教材化するには、特有の視点が必要なのである。さらにいえば、ここで扱われている中国語の原話(「笛笛石」)も(立石氏による翻訳を読む限り)、人物・情景描写、心理描写などの点から、とても本来の昔話そのものとは思えない。明らかに、脚色、改稿された作品なのである(さらに何らかの意図さえ感じられる)。

昔話の「再話」、教材化をとおして、昔話のありかたを考えさせる発表であった。 (本学会日本支部理事)

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「昔語りと私」

村上 郁

2月の研究大会で昔語りをいたしました村上です。

京都府京田辺市でお話ボランティアをしています。京田辺市は京都・大阪のベッドタウンとして現在もどんどん人口が増えています。私も新興住宅地で子育てをしてきました。わが子が生まれたとき、子育てに自信のなかった私は、ふと、昔話に知恵をもらおうと考えました。たまたま、東京子ども図書館で学ばれた講師によるストーリーテリング入門講座が、市立図書館で開かれ受講しました。30年前、第2子が生後6か月のときです。

そののち、図書館、子ども文庫、幼稚園、小学校、学童保育と、語る場が広がっていきました。まず子どもたちが受け入れてくれて、その様子を見た先生がたが語りの価値を認めていったという流れです。今、2日に一度は子どもたちとお話を楽しんでいます。日々の活動の中で、語りは子どもの言葉と心を育てると確信しています。それは昔話のテキスト自体が持っている力と、身近な大人が子どもと楽しく真剣に関わることから生まれる力だと思います。

お話は覚えるだけでも大変です。どんなに一生懸命練習していても、ときには子どもの前で忘れたり間違えたりします。それでも伝えたいという思いを、子どもは真正面から受けとめてくれます。語りは、語り手と聞き手の愛情と信頼とで成り立っていると思います。時間をかけてお話を選び、覚え、繰り返し練習し、じっと目を見て語る、その大人の姿を子どもはちゃんと見ています。そして昔話が伝えたいことをちゃんとつかみ取ってくれます。

ひとりでも多くの大人が、語りを通じて地域の子どもと関わってほしいと思い、図書館サークルがらがらどんでは、毎年語りの入門講座を開いています。ゲーム世代の、ともすれば簡便な方向に流れる若い人たちが、毎年少しずつですが、語り手として活動を開始しています。

10年ほど前から、小澤昔ばなし大学で再話を学んでおります。それまでは、昔話は再話されたテキストしか知りませんでした。実はそれらには原話があって、その資料が無数にあることをここで初めて知りました。資料を読み進めるうちに、その多様さ豊かさにすっかり魅せられてしまいました。と同時に、口承の豊かさに比べて、現代の語り手である私たちが語れるテキスト(出版された物)がいかに少ないかということも実感しました。いま、口承資料という宝の山から、私のかわいい聞き手たちにこの話を、という思いで話を選び、再話し、語っています。とても楽しく、幸せです。

同じころ、ご縁があって奈良教育大学の竹原威滋先生のお手伝いをすることになりました。「奈良の民話を語りつぐ会」の立ち上げです。奈良の昔話・伝説で、私たちが語れる既存のテキストはわずかでした。でも、竹原先生が奈良県下で集められた資料がどっさりありました。そこで、会員のために新たに再話することにしました。ただ、会員の多くは奈良出身ではなく奈良弁はほとんど使えません。それで、共通語で再話し、それを会員が自分の日常語になおして語るという方法をとりました。奈良を愛する人たちが奈良の話を奈良の子どもたちに自分の土地言葉で語るということです。この経験で学んだことはとても大きな力になりました。(ちなみに『子どもと家庭のための奈良の民話』は私の日常語で再話しています。)

さて、2月の研究大会では、以下のプログラムで語らせていただきました。どれも、ふだん子どもたちに語っている話です。研究者の先生方に何をどう語ればいいのか、初めての経験で、とても緊張しました。終わった後は口がカラカラになっていました。でも、先生がたの温かな表情とキラキラした瞳は、私の小さな聞き手たちと少しも変わらないと感じました。そして、先生がたから様々なコメントをいただいたことで、それぞれの話のイメージが私の中でより立体的になりました。貴重な体験をさせていただき心から感謝いたします。

(京田辺市立図書館おはなしサークルがらがらどん)

<出典>

・「鬼のくれた岩」大阪の話

『日本昔話データベース・稲田浩二コレクション』(国立民族学博物館所蔵)より、ひょうご昔ばなし大学再話研究会がたろグループ再話

・「くまのしっぽはなぜ短い」大阪の話、『日本昔話通観15』・『和泉昔話集』(南要編・和泉郷土研究会刊)より村上再話

・「うそつきくらべ」タイの話、『世界の民話⑩アジアⅡ』(小澤俊夫編訳・ぎょうせい刊)より村上再話

・「九尾のきつね」韓国の話、『朝鮮民譚集』(孫晋泰編/勉誠出版復刊)より村上再話

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「村上郁さんの昔語りを聞いて」

黄地百合子

村上さんは京田辺市にお住まいで、近隣の図書館や保育園・小学校などで長年昔話の語りをしておられる。穏やかながら聞き手を引き込む語り口は、それらの経験から培われたものと感じられた。

最初の「鬼のくれた岩」は、高知県中土佐町の双名島の伝説と同話だが、原話の語り手は大阪の方で、関西の話として伝わったものだとか。鬼の親子が自らの命を犠牲にして荒海の大波を防いでくれたという話だけに、村上さんは「大震災の後は語るのに心が揺れたけれど、それでも語っていきたい話」と言い、思いの込もった語りであった。

2話目は「くまのしっぽはなぜ短い」という「尻尾の釣」型の話。

3話目「うそつきくらべ」の原話はタイの民話で、「嘘話の賭け」型の話に類するもの。三人目の男がどんな完璧な嘘をつくか、興味津々で耳を傾けた。

4話目、『朝鮮民譚集』からの「九尾のきつね」は、誰もが思いがけない終わり方に背筋が寒くなったのではないだろうか。さらに話の後、韓国出身の参加者から、韓国では「九尾の狐」が様々な形で映像化されるなど、現在も大変人気(?)の妖獣であることが紹介されて、本学会らしい雰囲気になり、会場は大いに盛り上がった。

村上さんは自分の普段の言葉で再話し語られる。その関西弁での語りが関西人の筆者には大変耳に心地よく、もっと沢山の話をお聞きしたいと思えた。

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「第14回国際シンポジウム大会に参加して」

高島葉子

2016年10月14日-16日に、北京の中央民族大学にて、アジア民間説話学会第14回国際シンポジウム大会が開催され、私は二日目の15日に発表させていただいた。授業、公務の合間を縫っての参加となり、スケジュール的には厳しい面もあったが、中国、韓国、台湾、日本から合わせて10数名による様々なアプローチからの発表があり、非常に刺戟的な経験だった。以下では、私の行った発表の内容、主旨、および感想、反省などを報告する。

「日本昔話とアイヌ英雄叙事詩における少年英雄の出生条件」という題目で発表を行なった。日本昔話における代表的少年英雄譚である「桃太郎」「一寸法師」「力太郎」では、異常誕生が英雄の条件となっている。ところが、アイヌ民族にもユカラ(英雄叙事詩)として少年英雄の物語が伝えられているもが、異常誕生モチーフは見られない。ユカラでは、主人公は両親以外の人物に養育される孤児として登場し、後にある村長の息子(しばしばカムイの血を引く子)であることが明らかになる。つまりアイヌの英雄は「尊い生まれ」が条件となる。この違いが英雄譚にどのような違いをもたらしているのか考察した。

まず、日本の英雄昔話での異常誕生の持つ意味について考察し、異常誕生は正負の方向に働き、これによって英雄譚は「神の子型」と「腕白・無精型」に分かれることを指摘した。前者の代表例は、「桃太郎」すなわち貧しいが働き者である爺婆が神の申し子を授かり、その子が力と知恵を備えた少年に育って鬼退治を成し遂げ富を得るという物語である。後者では、怠惰な爺婆の垢から生まれた「力太郎」が典型話である。人間離れした大食に育った力太郎は貧しい爺婆には厄介者となるが、持ち前の大力で化物を倒して富を得る。しかし、桃太郎や一寸法師にも異常誕生による力が負の方向に働く場合もある。途方もなく怠け者の桃太郎や家を破壊するほど剛力な桃太郎。腕白すぎて家から追い出される桃太郎や一寸法師。こうした主人公は疎まれながらも、その人並み外れた能力で鬼を成敗し宝を持ち帰る。いずれの型も柳田が「桃太郎の誕生」で示した、「人から省みられなかった者が後に偉い事をしている」という英雄譚の特性に合致する。従って、神の子型のみならず腕白・無精型も、パロディではなく、異常誕生による能力を使って転覆的展開を成すという点で正統的英雄譚であると言える。ただし、倫理的な物語と言えるのは前者である。

このような日本の英雄昔話の分析を踏まえて、後半ではアイヌのユカラを分析した。まず、ユカラは転覆型ではないという点に注目した。主人公は発端部から養育者と裕福に暮らし、出自も尊い。化物や親の仇などの敵と戦いを繰り返し、そのたびに勝利し、やがて帰還する。だが、宝を持ち帰るモチーフはなく、発端部の平和な暮らしに戻るだけである。この点で日本の英雄譚とは異なっている。そしてさらに、ユカラの主人公は反秩序的人物であるという特徴を持つ。村長の息子という出自にもかかわらず、思慮分別に欠け衝動的に行動する。敵だけでなく、身内や罪のない者まで怒りにまかせて惨殺する人物である。この無法ぶりは日本の腕白型英雄に比較できるが、疎まれることがない点で異なる。ユカラでは、疎まれ者が偉業をなすという転覆ではなく、道徳秩序そのものが転覆される。これは、アイヌ口承話の別のジャンル、散文説話とは全く逆である。散文説話では、「勧善懲悪」「因果応報」という道徳原理に支配された世界が描かれ、アイヌ社会を律する倫理観が呈示される。規範に沿った行動をとる主人公がカムイの助けを得て、窮地を乗り越え豊かで幸福な生涯を送った、と語られる。ところがユカラでは、共同体の秩序維持を担う村長の息子であるはずの主人公が倫理規範を逸脱する。ユカラは反倫理的世界を呈示する物語である。日本昔話では同一主人公(例えば桃太郎)の物語に倫理的および反倫理的物語が併存するが、アイヌ口承話ではジャンルによって機能分化していると言える。

以上が、発表内容の概略である。今回の発表では詳細に論じることはできなかったが、ウェペケレあるいはトゥイタクと呼ばれるアイヌの散文説話にも怪物退治などの英雄譚が含まれる。しかし主人公が少年ではなく成人した村長であることが多いために分析対象からはずした。これはおそらく散文説話が道徳原理を説くジャンルであることと関係している。ユカラは娯楽として機能していたという解釈もあるが、倫理観の転覆が目的とするなら、単なる娯楽とも言えなくなる。発表後に、チベットの英雄叙事詩がユカラと類似しており、チベットの場合はシャマニズムとの関連があるとのご指摘があった。今後は、他民族の英雄譚や英雄叙事詩との比較も必要であろう。しかし、当面は、日本昔話との違いに注目し、英雄譚あるいは英雄の持つ意味についてジャンルという観点から考察をしていくつもりである。

当日は韓国語、中国語への通訳を経ての発表であっため、想定していた以上に発表に時間がかかり関係者の方々にご迷惑お掛けしたことをお詫びしたい。今回の反省を次の機会に活かしたいと思う。最後に、貴重な機会を与えていただいたことにお礼を申し上げる。

(大阪市立大学)

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2016年度会計報告 (2016.2.1~2017.1.31)

<収入>

・前年度繰越金 341,559(円)

・2014年度分会費 3,000

・2015年度分会費 9,000

・2016年度分会費 69,000

・2017年度分会費 6,000

・入会金 2,000

・利息 12

(2016年度総会・研究大会)

・参加費 15,000

・懇親会費 55,000

収入合計 500,571

<支出>

・翻訳料 100,000

・通信費 7,152

・総会・研究大会諸経費 1,644

・懇親会費 63,500

支出合計 172,296

2015年度残金 500,571-172,296=328,275円

会計:山中郁子、宮井章子、会計監査:中塚和代

2017年度活動計画

A.日本支部2017年度総会・研究大会

2018年2月17日(土)立命館大学衣笠キャンパス

B.第15回国際大会(2018年10月韓国・光州市)準備

C.その他

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情報アラカルト

1.近刊情報

a. 会員の著書・論文(50音順)

◆鵜野祐介

・「蛇女房は何故わが子を棄てたのか―「母子離別」モチーフの歴史的背景と教育人間学的意味―」、鳶野克己編『人間を生きるということ 「体験」の教育人間学に向けて』文理閣(2016/03)所収

◆黄地百合子

・「西行関係文献目録(地方文献版)滋賀県」、西行学会『西行学』第7号〈2016/08〉所収

◆酒井董美

・さんいん民話シリーズ『ふるさとの民話』第13集出雲編Ⅲ、第14集石見編Ⅲ、第15集隠岐編Ⅲ ハーベスト出版

・「島根半島の民話④飯山狐」、『島根半島四十二浦巡り』第13号(2016/01)

・「桜の民話に思う」、『山陰中央新報』(2016/03/19)

・「民話「桃太郎」を考える」、鳥取短大北東アジア文化研究所『北東アジア文化研究』第42号(2016/03)

・「泥天神に思う」、『山陰中央新報』(2017/02/24)

・「口承文芸とウェブサイトについて」、『北東アジア文化研究』第43号(2017/03)

◆立石展大

・「口承三国志の研究 曹操伝説を例として」、 『國學院雑誌』平成28年特集号「中国学の眺望」(2016/11)所収

◆西村正身

・ムハンマド・カーディリー『鸚鵡物語』(ペルシア語原典訳。私家版、2016)

・マラーティー語版『鸚鵡七十二話』付:ラージャスターニー語版『鸚鵡七十二話』より十二話(ドイツ語訳よりの翻訳。私家版、2016)

・「涙を流す小犬2(canicula 2=catula 2)の起源」、『作大論集』第7号(2017/03)所収

b. 会員以外の図書

・崔仁鶴・石井正己編『国境を超える民俗学 日韓の対話によるアカデミズムの再構築』三弥井書店(2016/10)

・朴美暻『韓国の「鬼」 ドッケビの視覚表象』京都大学学術出版会(2015/11)

・ハンス=イェルク・ウター(加藤耕義訳、小澤俊夫日本語版監修)『国際昔話話型カタログ 分類と文献目録』小澤昔ばなし研究所(2016/08)

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2.学会等の大会情報

・説話・伝承学会2017年度大会

5月13-14日 天理大学

・日本口承文芸学会 2017年度大会

6月3-4日 慶応大学湘南キャンパス

・日本昔話学会2017年度大会

7月1-2日 大阪大学豊中キャンパス

・うたとかたりのネットワーク・セミナー in大阪

11月11日 立命館大学大阪いばらきキャンパス

・日本児童文学学会2017年度大会

11月25-26日 岡崎女子大学・岡崎女子短期大学

(*詳しくは各学会HP・ブログ等をご覧ください。)

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<編 集 後 記>

故稲田浩二先生のご自宅が、奥様の和子先生が昨年暮れ東京に住むお嬢様の所に引っ越されたのを機に、今年の夏に取り壊されることになり、『日本昔話通観』編纂のために集められた一次資料や膨大な数に上る蔵書類の移管先を探しているのですが、快く受け入れてくれる図書館がなかなか見つからず、辻星児先生と頭を悩ませています。先日、京都市の図書館に寄贈された故桑原武夫氏の蔵書約1万冊が廃棄されていたとの報道を耳にしましたが、とても他人事とは思えません。来年5月発行予定の次号には、この件で嬉しいご報告が出来ますことを願っております。

来年の第15回大会(韓国・光州市)、多くの皆様のご参加をお待ちしております。 (鵜野祐介)