AFNS NEWS LETTER No.29
アジア民間説話学会 [The Asian Folk Narrative Society]
日本支部事務局:立命館大学文学部 鵜野祐介研究室気付
〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1 tel 075-466-3142 e-mail: y-uno@fc.ritsumei.ac.jp
学会HP : https://sites.google.com/site/afns2011/ (年会費:正会員3,000円、準会員 [学部学生] 1,000円)
<巻頭言>
鵜野祐介
今年も若葉の季節が巡ってきました。私事ながら、今年2月に脳梗塞を患い入院しました。先日ようやく退院して自宅の庭木や鉢植えの手入れをしていると、万緑の眩しさが殊更に身に沁みます。失語症の診断を受けた時には、文章を書くことは二度とできなくなるかもしれないと覚悟しましたが、こうして本紙面の編集をできることに、喜びもひとしおです。これも、療法士さん、看護師さん、主治医さんのご尽力、妻をはじめ家族や親戚の支援、そしてAFNS会員の皆様をはじめ多くの方がたに励ましの言葉をいただいたおかげです。紙面をお借りして、改めて厚く御礼を申し上げます。
本号は、今年2月19日に開催された2022年度日本支部大会の3本の研究発表とそれに対するコメントを中心に掲載した拡大版です。ぜひじっくりとお読みください。
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2022年度活動報告
第18回国際シンポジウム大会
2022年12月17日(土)、韓国・全南大学校+ZOOMオンライン
主題:日中韓説話の中の家族
日本支部会員の研究発表
・酒井董美「民話<子育て幽霊>に見る母性愛」
・斧原孝守「東アジアの<頼りにならない友人たち>(ATU893)」
・黄地百合子「日本の昔話伝承における<家族>」
・立石展大「日中<小さ子>譚の比較研究:<田螺息子>と<一寸法師>を中心として」
日本支部2022年度総会・研究大会
2023年2月19日(日)、立命館大学大阪いばらきキャンパス+ZOOMオンライン
13:00‐13:05開会の辞
13:05‐13:20総会
13:30‐14:00研究発表1肖塵嫣
「〈積み重なる時〉論からみるデジタル時代の中国民話―〈新民間故事〉に関する一考察―」
14:10‐15:10研究発表2斧原孝守
「東アジアのシンデレラ再考」
15:20‐16:20研究発表3酒井董美
「島根県隠岐郡西ノ島町〈三度(みたべ)〉の地名を考える」
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研究発表1(要旨)
「積み重なる時」論からみるデジタル時代の中国民話
―「新民間故事」に関する一考察―
肖塵嫣
野家啓一(2005)は、「時は流れない、それは積み重なる」と述べ、歴史は重なったガラス板のようだと述べている(野家2005:262)。筆者は最近、中国トン族のわらべうたについて研究して、8歳のトン族の女の子から北京語とトン語が混ざっている新しいわらべうたを聞いた。伝統と現在が絡み合った唄で、現代の生活に適応しながら、自民族の伝統文化を守ろうとするトン族の人々の努力が読み取れる。まさに「積み重なる」唄だと思った。同じ口頭伝承である民話(民間説話)も同じ状況だろう。
それでは、デジタル時代における中国の民話はどのように伝承され、どのように変化していくのかについて関心を覚え、本研究に取り組んだ。本稿ではまず、20世紀以前の中国の民話の内容や伝承状況を簡単に紹介する。次に、「新民間故事」という概念の誕生と展開の過程を辿る。その後に『昔の民間職業の不思議な話(那些民间古老行当的隐秘故事)』、『青囊尸衣』という二つの「新民間故事」を取り上げ、その特徴を考察する。
中国語では、民話は「民間故事」と呼ばれている。20世紀以前、つまりインターネットが発達していない時代には、中国の民話の内容は主に農作業、近所の人々の生活、知恵を働かせて地主をやっつけることなどである。中国の民話は種類が豊富で、数も多い。漢民族と55の少数民族にはそれぞれ独自の民話があり、それらは時代を超えて語り継がれ、さらに外国にも伝わった。劉守華は論文「新故事与新民間故事」の中で、「民話の特徴を持ち、民衆に好まれ、口頭で伝承されている話だけが『新民間故事』である」と述べ、最初に「新民間故事」という概念を提出した(劉1998:13)。彼はまた、民衆によって創作され、口頭で広がり、最後は文字になったものだけでなく、最初は文字であったが、民衆の口頭伝承になったものも「新民間故事」に含まれると述べている(同上:14)。一方、殷楽(2006)は論文「ファンタジーと現実との間にある新民間故事:韓国ドラマの形態学的分析」において、韓国ドラマは「民間故事」に似ている要素を持っていると指摘し、「一部の韓国ドラマも新民間故事である」と述べている(殷2006:89-90)。「新民間故事」という概念の範囲がさらに広がり、ドラマもその中に入ったことがわかる。
最近、『昔の民間職業の不思議な話』、『青囊尸衣』という二つのネット小説が人気になり、急速に広がり、多くのウェブサイトで転載されている。この二作品は、現代の「新民間故事」と言える。筆者はこの二作品を読み、その特徴を以下のようにまとめてみた。
①民話の特徴:二作品の作者ともペンネームを使っており、本名はわからない。また、作品はインターネットを介して広く伝えられている。二作品とも小説サイトで定期的に更新され、読者がコメントして、直接作者と交流することができる。これらは民話の「作者不詳、民衆に幅広く伝えられる、伝承の過程で変化していく」などの特徴とよく似ている。
②現代が舞台:この二作品の中で、汽車、携帯電話、飛行機、電気ショック棒、インターネットなど現代的なアイテムが多数出てくる。これは旧来の民間故事にはない。
③多くの地域の文化や習俗を融合:『昔の民間職業の不思議な話』には、中国・東北地方妖精伝説、湖南省の巫術、ミャオ族の呪術など、中国各地の習俗が描かれている。『青囊尸衣』には、舞台となる地域の範囲が中国国内だけでなく、海外まで広がっている。
④伝統文化を大切にする気持ち:『昔の民間職業の不思議な話』には、昔の人気がある民間職業に務めが、現代社会に入ると、そのような需要がなくなり、職を失った十人の話が紹介された。『青囊尸衣』にも各地の古い習俗が細かく描かれている。この二作品の作者の伝統文化への強い興味、伝統文化を大切にする気持ちが読み取れる。
以上、『昔の民間職業の不思議な話』、『青囊尸衣』という二つのネット小説の分析を通して、「新民間故事」、つまり現代民話の特徴を探ってみた。「新民間故事」は、「作者不詳、伝承の過程で変化していく、民衆に幅広く伝えられる」など民話(「民間故事」)の特徴を持っている。一方、科学技術の発展とともに、携帯電話、汽車、インターネットなどが普及し、それらのアイテムは「新民間故事」の中にも出てくる。また、現代では交通が便利になり、インターネットを通じて海外の情報を簡単に手に入れることができる。昔の民話には特定の地域における人々の話が多いが、「新民間故事」には中国全土さらには国外の習俗も描かれている。一方、現代では伝統文化が衰退しつつある。伝統文化を大切にする人はそれをネット小説に登場させ、さらに多くの人に知らせたい。そうすると、「新民間故事」には伝統文化を大切にする気持ちも読み取れる。このように、「新民間故事」には伝統的要素と現代的要素が同時に存在し、それはまさに野家が言う「積み重なる時」としての物語そのものである。
参考文献
・野家啓一(2005)『物語の哲学』岩波現代文庫
・段宝林(1985)『中国民间文学概要』北京大学出版社
・刘守华「新故事与新民间故事」『高等函授学报(哲学社会科学版)』1998年第3期,pp.13-15
・殷乐「奇幻与世俗交织的新民间故事:韩剧的形态学分析」『现代传播(中国传媒大学学报)』
2006年第6期,pp.89-94
・邵宁宁「网络传播与新民间文学的兴起」『文艺争鸣』2011年第9期,pp.152-158
<肖氏発表についてのコメント>
佐々木幸喜
肖塵嫣氏「「積み重なる時」論からみるデジタル時代の中国民話―「新民間故事」に関する一考察―」は、デジタル時代といわれる現在、中国における民話がどのように伝承・変化しているのかということを論の出発点とした発表である。肖氏はまず、「民間故事」が社会背景や歴史あるいは生活環境を反映していることを指摘し、そこに人々の価値観が読み取れるとする。次に、「新民間故事」という概念が劉守華によって1990年代後半に提唱されたこと、劉が「新民間故事」には大きく分けて二種類あると指摘していることが取り上げられている。
肖氏の整理では、一つは、「民衆によって創作され、口頭で広がり、最後は文字になったもの」、もう一つは、「もともと書籍として発表されたもので、その後徐々に広がり、民衆に好まれる話になったもの」という。肖氏はこの「新民間故事」の例として、近年話題になっているという二種類のネット小説“那些民间古老行当的隐秘故事(肖氏訳:昔の民間職業の不思議な話)”と“青嚢尸衣”を取り上げ、そこに次の四つの特徴を見出している。(1)作者不詳であり、伝承の過程で変化していくこと、民衆に幅広く伝えられること、(2)舞台が現代社会であること、(3)中国のみならず様々な地域の文化や習俗が描かれていること、(4)各地の習俗が描かれていること、である。肖氏の指摘通り、伝承の過程で変化していくというのは、「民間故事」と「新民間故事」とで共通することであろう。
一方、今回の考察対象となった二種類のネット小説がインターネット上にある点に着目したとき、「デジタル時代」という点を議論にさらに活かすこともできるのではないかと感じた。例えば、各作品に現れるキーワードをもとに検索結果を整理すれば、インターネット上でどのような“進化”と“淘汰”を経ているのか、どのような伝播過程を辿ったか、「起源」が何なのかといったことが特定できる可能性がある。そうすれば、本文にどのような異同があるか、どの作品がより精錬されているかなども考察できるのではないだろうか。肖氏が取り上げていた「読者のコメント」も同様に考えることができるだろう。コメントにどのような傾向があるかにも興味がある。この点、「民間故事」とは異なる視点で研究が進められると思われる。
今回の発表では、実際の用例を引きながらの考察という方法は取られていなかったが、発表された日時などもおさえた上で考察が進めば、議論がより深まるだろう。用例を示してもらえれば、上記の特徴(2)~(4)についても同意が得られやすいように感じる。これからのさらなる考察が楽しみな発表であった。
研究発表2(要旨)
東アジアの「シンデレラ」再考
斧原孝守
東アジアの「シンデレラ」(ATU710A)の最大の謎は、漢民族における不振である。中国の周辺諸国には、日本の「米福粟福」をはじめ、韓国の「コンジとパッジ」、ベトナムの「タムとカム」など、さまざまな「シンデレラ」が伝わっている。また中国国内の少数民族も、数多くの「シンデレラ」を伝えている。
ところが最古の「シンデレラ」を記録し、最大の人口をもつ漢民族には、不思議なことに「シンデレラ」の伝承がきわめて少ないのである。わずかに伝わる話も少数民族との接触地帯に多い。これはいったい何を意味しているのか?
中国の「シンデレラ」についてまとまった研究を行った米国の丁乃通は、これを漢民族の文化的特性(儒教倫理・実母が牛へ転生すること、靴を落とすことへの抵抗感など)から説明している。だが、これほど伝播力が強く、世界の数多くの民族を虜にした昔話を漢民族が拒否したとは思えない。
日本・韓国・ベトナムの「シンデレラ」の主人公とその妹(継母の実娘)の名には、穀物(穀物の一部)という共通点がある。日本では「米福粟福(糠福)」、韓国では「コンジ(大豆)とパッジ(小豆)」、ベトナムでは「タム(割れ米)とカム(糠)」である。主人公の名を穀物で呼ぶ必然性がない以上、三者の背後には何らかの共通母胎があったはずで、私は中国に未知の「シンデレラ」(漢文版)があったと考えている。おそらくそれは隠滅し、漢族の口頭伝承も消滅したのであろう。
中国大陸の「シンデレラ」の今一つの特徴は、主人公は結婚後、妹によって殺され、妹が姉になりすますという、別種の物語が結びついているところである。殺された主人公は転生を繰り返し、やがて元の姿にもどって継母に報復する。これは明らかに「黒い花嫁と白い花嫁」(ATU403)という昔話の後半部分である。
漢民族には、「黒い花嫁と白い花嫁」と同一類型の「蛇郎君(蛇婿)」という昔話が広く流行している。漢民族における「シンデレラ」(ATU710A)の不振は、「蛇郎君」(ATU403)の流行、そして少数民族地域における複合形式(ATU710A+403)の流行と深い関りがあるのではないか。「蛇郎君」の流行が、漢族の「シンデレラ」を衰滅に導いたのかもしれない。
中国周辺諸国の「シンデレラ」のうち、日本の「米福粟福」はひときわ特異な形式をもっている。日本周辺の「シンデレラ」伝承には、実母が転生した動物が継母に殺され、その動物の骨が美しい衣服などに変じるというくだりがある。しかし日本の「米福粟福」にはこのくだりは無く、山に栗拾いに行かされた主人公が山姥と出会い、そこでもらった打ち出の小槌で衣服を出すという話になっている。また「米福粟福」には有名な「靴合わせ」のモチーフが欠如し、「黒い花嫁と白い花嫁」と結びつくこともないのである。このような特異な形式をどのように考えるか。
「靴合わせ」のモチーフは、靴を履かない日本では欠如して当然であろう。日本ではこの部分は歌の詠み比べというモチーフに代替されている。また「黒い花嫁と白い花嫁」と結びついていないのは、日本に伝わった「シンデレラ」が単独形式であったからだと考えられる。世界最古の「葉限」や、韓国の「コンジとパッジ」も単独形式である。最大の特徴はやはり、実母が転生した動物が主人公を守り、殺された動物の骨が美しい衣服になるという部分が、「米福粟福」ではすっぽりと欠け落ちているところである。
しかし「米福粟福」は本来、殺された動物の遺骸から衣服などが出るくだりを説いていたのではないだろうか。私がそう思うのは、日本各地に「蟹の甲」という昔話が伝わっているからである。これは「爺が蟹を可愛がって育てている。これを知った婆が爺のふりをして蟹を呼び寄せて殺して食べ、残骸を捨てておく。爺が蟹を探していると、鳥が蟹の残骸のありかを教えてくれる」という、短い話である。
本誌14号(2008年3月)に、稲田浩二先生は「カニの甲」という文章を寄稿されている。そこで先生は「『カニの甲』の話は、継子話葉限の話の変形日本版だった」と述べ、「この二話のかかわりをどう位置づけるかは私どものこれからの課題なのである」と結んでおられる。「蟹の甲」は、世界最古の「シンデレラ」、『酉陽雑俎』の「葉限」の冒頭部分とよく似ているのである。
いま「蟹の甲」の類話を見ると、婆が殺した蟹の残骸を複数の場所に捨てること、そして爺に残骸のありかを教示するのが鳥であるという、奇妙な共通点がある。ところが中国少数民族の「シンデレラ」でも、殺された牛の皮や骨は複数の場所に埋められることが多く、また骨のありかを主人公に教えるのは鳥になっており、これを偶然の一致と見ることはできない。しかもフィリピンには母が蟹に転生する「シンデレラ」まであって、主人公を援助する蟹が殺される形式には、大きな底辺があったものと思われる。日本の「蟹の甲」は、古く日本に伝わった「シンデレラ」の痕跡であろう。
<斧原氏発表についてのコメント(評論文)>
畢雪飛(中国浙江財経大学教授)
S. ThompsonはThe Folktale.の中で、「民話の中で最も有名なのは『シンデレラ』(タイプ510A)である。特にその特殊な拡張編である『Cap O'Rushes』(タイプ510B)が注目に値する。……紀元9世紀には、中国ですでに優れた『シンデレラ』のテキストが登場しており、16世紀初頭には『Cap O'Rushes』のフランス語版とイタリア語版も存在していた」と述べている。これにより、『シンデレラ』のタイプが世界的に広まっていることが十分に説明されている。1893年、イギリスの民俗学者である Marian Roalfe Coxは Cinderella: Three Hundred and Forty-Five Variants of Cinderella, Catskin and, Cap O'Rushes, Abstracted and Tabulated with a Discussion of Medieval Analogues and Notes.を発表し、世界範囲の「シンデレラ」を345編収集、分析し、『シンデレラ』の形態学研究の先駆けとなった。1951年、スウェーデンの民俗学者のAnna Birgitta RoothはThe Cinderella Cycleを発表し、世界各地から700編以上の『シンデレラ』を含まれており、その伝播範囲の広さを十分に示した。Coxの研究を皮切りに、『シンデレラ』についての研究は百年以上の歴史を経て、すでに地域や民族を超える『シンデレラ』のタイプとモチーフが構築されてきた。学者たちにこの物語の世界的な伝播や進化の歴史的な手がかりを把握してもらうため、その伝承の法則を明らかにするとともに、さらに人類特有の価値観を検討するために、明確な糸口を提供してくれた。
斧原孝守先生の『東アジアの「シンデレラ」再考』は地域性と民族性から出発し、東アジアという伝統文化区域の中で、普遍的な意味を持ちつつ、鮮明な地域文化特徴または民族特徴を持たされた『シンデレラ』が伝播していることを明らかにした。これにより、『シンデレラ』の世界性に対する東アジア文化圏内の比較研究のテキストを提供した。
彼の論述には以下のように5つの内容が含まれている。①中国大陸の『シンデレラ』の分布について、28の民族に伝わる105編の類話を集めた。②中国周辺諸国の『シンデレラ』は、主に日本、韓国、ベトナムの例を挙げた。③漢民族の『シンデレラ』の分布が少ない原因は、主に牛に転生するなどの問題を分析した。④漢民族の『シンデレラ』がなぜ消えたのか、物語は中心部から周辺への波及すること、蛇郎譚との結合についての問題を提出した。⑤日本の『米福粟福』の問題では、特徴、「蟹の甲」の仮説、フィリピンの『シンデレラ』などが議論された。
彼の論述には『シンデレラ』の研究において推進的な意義がいくつかある。第一に、中国大陸における『シンデレラ』の分布を調査し、「ドーナツ状」の特徴を指摘した。第二に、中国大陸の周辺国の『シンデレラ』において、主人公が穀物で呼ばれる共通点を見つけ、書物を通じて中国大陸から周辺地域に広がった可能性を示唆した。第三に、漢民族の『シンデレラ』の伝承が少ない現象を特定し、その原因を分析した。これらの要素は今後さらに調査することができ、比較研究において重要な知見となる。
私は斧原孝守先生の研究に続き、中国の『シンデレラ』に関するいくつかの研究成果を振り返り、中国の各地域の『シンデレラ』の大まかな分布をまとめ、漢民族の『シンデレラ』は少ないという問題に対して解答を試みる。
唐代の『酉陽雑俎』には『葉限』があり、世界で最も古い『シンデレラ』の記録であり、すでに国際学術界に公認されている。しかし、ここ数年、物語の発生地である「陀汗国」の考証を通じて、『葉限』はどこで発生したかを検討されている。その結果、「陀汗国」は室利仏逝国(Sri Vijaya)の属国であり、現在のスマトラ地区にほぼ位置しており、『葉限』はスマトラなどを通じて西からのシルクロードによって南シナ海に進出するという見方を提起されている[1]。つまり、『葉限』は唐代の段成式により記録されたものの、中国で発生した物語ではないと主張されている。ということで、『葉限』が中国に伝わった後、周辺地域に広がり、現在の分布状態を形成したことを意味する。
1995年に、劉暁春は中国における『シンデレラ』の型式(タイプ)の四大分布地域を提案し、それぞれの地域の特徴についても分析を行った[2]。彼は中国の『シンデレラ』における主なモチーフを調査し、「継母の虐待、難題への試練、神秘的な力による助け、特別な方法での認証、王子と結婚」といったモチーフを抽出した。そして、主に『葉限』を参照し、以上の5つのモチーフは各地域の『シンデレラ』の構成に関連する分析を行い、4つの文化地域型(チベット文化地域型、南方文化地域型、北方と東北文化地域型、西北文化地域型)の主な内容と構成特徴を明らかにした。そして、それにより、次のような結果が得られた。『シンデレラ』は主に中国南方の少数民族が集まる地域に広まっており、北方ではより簡略化された形で伝わり、中原文化における伝統的な倫理道徳観念が強調されている。また、東北地方の『シンデレラ』は朝鮮や日本との密接な関係がある可能性があり、チベット地域のものはインド文化と深く関連しており、西北の少数民族の『シンデレラ』は多様な文化の交流と融合を示唆している。全体的に見ると、これらの地域の『シンデレラ』のモチーフは「不思議な助手、峒節の奇縁、そして靴を通じて結婚する」といった要素が共通している。もちろん、劉暁春の論述からもうすぐ20年が経とうとしており、この間に新たな類話が登場している。特に近年では、民間文学大系が次々に出版されており、新しい類話も続々と現れることが予想される。これらは既存の研究を補完するものとして、今後の研究に期待が寄せられている。
斧原孝守先生は、漢民族の『シンデレラ』は極めて少なく、限られた例も少数民族と共存する地域に分布していると指摘している。実際に、漢民族の民話の中にもシンデレラ型の物語が数多く存在している。例えば、広く分布している『癩頭娘娘』の話はその一つである。よく見られるプロットは、皇帝が縁起の良い夢を見たあと、夢に登場する女性を民間で探し出すよう臣下に命じる。ある晴れた日に、「癩頭」の女が塀に登って雄鶏を捕まえようとしているところを見つかり、皇帝の夢と一致することが発覚する。それを受けて、臣下はその「癩頭」の女を宮中へと連れていく。「癩頭」の女性が王宮に到着した後、華麗な衣装を身にまとい、たちまち髪が生え、美しく変身し、皇帝によって「娘娘」(妃)に封じられる。ほかの類話には、例えば、河北省に伝わる『丁禿女』があり、男性主人公は秀才となる。秀才は「科挙」の試験を受けるために上京し、偶然『天賜姻缘』という本を目にする。その本には、未来の妻が「丁禿女」であることが記されており、頭が禿げて不潔な女性であることが明かされていた。彼はその女性に石を投げつけて殺してしまう。秀才は「状元」に受かり、于丞相に「婿」として迎えられる。新婚の夜、花嫁の髪の下に傷があることに気づく。花嫁は子供の頃に道で誰かに石を投げられ、気絶していたところ、于丞相に助けられたのだった。おかげで、傷が癒え、義理の娘として育てられ、「于秀安」と名付けられた。秀才は驚愕し、「まさかあなただったとは」と嘆く。
『シンデレラ』では、女性が集会(峒節、舞踏会など)に参加し、王子と出会い、靴を一つ落として身分を確認し、最終的に王子と結婚する。これらの広く知られたプロットは、漢民族の『シンデレラ』には全く見られない、または言い換えれば受け入れられない。このような変化が起こった理由は、漢民族の婚姻風俗や縁結び観念と関連していると考えられる。古代中国では、漢民族は「親が取り決めた結婚」ということを重視し、こどもの結婚は「父母之命,媒妁之言」(親の言いつけと仲人の取り持ち)が求められていた。未婚の女性が両親に内緒で男性と密会し、さらに「駆け落ち」という行為に至ることは、礼儀に反するとされ、社会的に容認されない。漢民族は今でも縁結びは「天定」と信じており、結婚は「月下老人」(縁結びの神)が既に赤い糸で二人をしっかり結びつけていると考えられている。先述の漢民族の『シンデレラ』はまさに中国の伝統社会における縁結びの天定観念を反映しており、物語りの中に潜む女性の結婚に対する自主性を求める心理が切り捨てられていると言える。
さらに、古代における女性、特に未婚女性に対する制約やタブーも関係している。古代の漢民族の女性、特に未婚女性の日常生活での活動範囲は非常に限定されており、峒節のような集会への参加が許されない場合が多い。女性の衣服、特に靴は他者、特に男性に触られることがタブーとされている。特に「纏足」の時代においては、靴を男性に見せることが絶対に許されなかった。このため、「靴を用いた身分認証」というプロットは漢民族の『シンデレラ』には受け入れられないものである。それに伴い、「不思議な力による助け」というプロットは、「「癩頭」の女性の行為が皇帝の夢と完全に一致するや「癩頭」の女が高官に助けられる」といった形に変化し、「転生した魂が女性に衣服や靴を手に入れる手助けをする」などの要素はほとんど登場しなくなった。
世界に知られる『シンデレラ』の研究においては、ミクロとマクロの視点、つまり語りのモチーフ分析と文化的背景の解明を組み合わせる必要がある。同時に、民族を超えた地域間の比較研究も極めて重要である。『シンデレラ』に関して、東アジアにおける伝承状況を理解することで、より広範な伝承と変異を検討することが可能となる。
[1] 王青:《灰姑娘故事的转输地——兼论中欧民间故事流播中的海上通道》 《民族文学研究》2006.1。
[2] 刘晓春:《多民族文化的结晶——中国灰姑娘故事研究》《民族文学研究》1995.3
研究発表3(要旨)
島根県隠岐郡西ノ島町「三度」の地名を考える
酒井菫美(元島根大学法文学部教授)
1.はじめに
正月歓迎のわらべ歌「正月つぁん」は、各地にみられる。この「正月つぁん」は祖霊神で歳徳神(さいとくじん)を意味している。島根県の離島、隠岐島の島前(どうぜん)地方(西ノ島町=西ノ島、海士町=中ノ島、知夫村=知夫里島)は、三つの島のいずれもが、西ノ島町三度(みたべ)から「正月つぁん」は来ることになっている。同じ隠岐島でも島後(どうご)地方は、海でなく大満寺山から来るのと対照的である。
この三度集落は西ノ島町の西側に、ただ一個所だけ位置している集落である。
筆者は「三度」の言葉の共通していることから、島前地方が一つの社会共同体としての意識を持っていると考えている。なぜ正月の神が三度から上陸するのか、その理由をわらべ歌、伝説、俚言の口承文芸や潮流などから明かにしたい。
2.正月歓迎わのらべ歌(歳事歌)を比較する
QRコードのあるものは出雲かんべの里のホームページに元歌が登載されているので、スマホなどで開いて聴くことができる。
(QRコードにリンクを付けています。クリックすれば、出雲かんべの里のホームページ、各わらべ歌のページにつながります。)
見てきたように、隠岐の島でも島前地方ではいずれも西ノ島の町三度集落から正月つぁんが上陸することになっている。その理由を以下に追及していきたい。
3.焼火(たくひ)神社に神が納まった由来
焼火神社は西ノ島町美田あり、祭神は大日霎貴尊(おおひるのむちのみこと)。航海安全の神として遠く東北地方まで知られていた。大晦日夜半には海上から光が社頭の灯籠(とうろう)に入ると伝えられ、年頭の数日は信者のお籠(こ)もりでにぎわう。創建に次の伝説があった。
いつのことか、焼火さまの乗られた船が三度(みたべ)沖を通りかかられ、浜に人影が見えるので上陸したら誰もいない。不思議に思いつつ船に戻って振り返ったらまた人影が見える。上がったら誰もいない。船に返って振り返ったらやはり人影が見える。焼火さまは意を決して上陸された。三度繰り返されたので、ここを三度(みたべ)と呼ぶわけである。人影は待葉神社の神、つまり猿田彦命だったという。上陸地点の石を人々は「お石さま」と呼んでいる。水のあるところを徒歩で越されたので「越水(こしみず)」、中谷の裏の岩で休まれたので、それを「腰掛け岩」という。中牧で狩をなさったので「狩床(かりどこ)」、歌をしたためられようとしたら、水が湧き出てきたのでそこを「硯水(すずりみず)」。その歌を焼火山の方へ投げられたら、鴉(からす)が現れ、くわえて焼火山へ届けたので、鴉の飛び出した地名を「鴉床(からすどこ)」という。焼火さまは焼火山を鎮座の場所に定められた。(語り手・三度・萬田半次郎氏 明治18年生)
いわゆる地名由来譚である。単に地名の「三度」だけではなく、狩床、硯水、鴉床なる地名についても述べられているのである。
4.俚諺「三度とボンノクボは見たことがない」について
当地の俚諺に「三度とボンノクボは見たことがない」がある。ボンノクボとは後頭部から首すじにかけて中央のくぼんだところをいう。自分のボンノクボは見ることは不可能である。三度集落は未知の集落と考えられて、この俚諺は生まれたのだろう。汚れのない聖なる地、神が上陸するのに適した清らかな土地なので島前地区の「正月つぁん」は最初に三度に上陸され、各地に来臨されるのである。
5.潮流、地蔵の前での踊りの意味するところ
次にはこの地の置かれている環境から来る三つの観点を見て行くことにする。
①潮流 海流の関係で、日本海ではよく三度へ漂着する傾向が強い。このことは中国大陸からの漂流物をはじめ、難破した大陸の人たちもその例外ではない。このことを、時代を遡って古代に当てはめて考えてみるとどうだろう。
未開だったわが国の人々に、高い文化を持った人々が上陸するのだから、これは神々たちに違いないと、わが国の人々は飛躍して考えたのではなかろうか。
②地蔵 三度集落入口に地蔵が鎮座している。集落の境にはたいてい土地を守り外敵の侵入を防ぐサイの神を祀るのが普通である。ここの地蔵は、元々サイの神だったのが、地蔵信仰の影響で、地蔵に置き換えられたと筆者は想像してみた。
③地蔵の前で踊りを奉納する風習 ところで今一つ変わった風習がある。初めて三度集落を訪ねる場合、この地蔵の前で踊りを踊らなくてはならないという風習があった。西ノ島町役場のある課長さんが、三度保育園の開園式に出席するため三度集落へ入ろうとしたところ、「自分は初めてこの集落に来た」と言ったところ、「この地蔵さんの前でちょっとでよいから踊らないと集落には入れません」と言われ、仕方なく踊りを奉納したという。意味するところは、神楽を奉納することで、その人は神人(かみびと)になり、聖なる儀式に携わることが出来、直会(なおらい)で神と一献傾ける資格を得るのである。課長さんは踊り(つまり神楽)を奉納したので聖地、三度集落に入る資格が認められたのである。
6.終わりに代えて-三度が聖地であること
以上の理由から、三度集落は、島前地方では祖霊が最初に訪れなければならない聖地と考えられるのである。
<酒井董美氏発表へのコメント>
山本 美千枝
酒井董美先生の今回のご発表は、酒井先生が33歳の時、隠岐の島前にある海士中学校在任中の調査からまとめられたもので、長い間温められてきたものだそうである。酒井先生は、鳥取・島根両県をくまなく歩かれて、民話・伝説・民謡・わらべ歌の地道な調査と収録を長年続けておられる。酒井先生のおかげで、今や語り部の存在もわずかとなり、聞けなくなってしまった口承文芸が文字化され、語りも生のまま鳥取県立博物館や出雲かんべの里のホームページで聞くことができるという偉業も成し遂げられている。何十年も前の語りがそのままいつでも聞けるという取り組みは全国的に見ても珍しいそうである。酒井先生が提案されて実現したものである。
調査された島根県隠岐の島は大きく2つに分けられ、西ノ島・中ノ島・知夫里島などの連なる諸島を島前(どうぜん)、大きな島を島後(どうご)と呼ぶ。島根県松江市の七類港からフェリーで島後まで約2時間半の船旅である。
酒井先生は「隠岐島前地区の歳時歌である『正月=歳徳神歓迎わらべ歌』がなぜ三度(みたべ)から上陸するのか疑問を感じ、民俗学的に解明した」と話された。島前のわらべ歌「お正月っぁん」の歌によると、隠岐島前地方の西ノ島、中ノ島、知夫里島の三つの島は、いずれもが西ノ島町三度集落から「お正月っぁん」が上陸することになっている。
例えば、中ノ島の海士町の場合
正月つぁん
正月つぁん
どこまでごっざった
三度のかどまでござった という具合である。
西ノ島町にある隠岐の最古の神社「焼火(たくひ)神社」は、古くから航海安全の神として知られている。大みそかの夜に、海上から火の玉が浮かび上がって本殿の灯篭に入り、灯台として船乗りに重宝されたという。
この神社の創建にあたっての伝説も語り部から聞かれている。「焼火さま(焼火神社を守る神様)の乗られた船が三度沖を通りかかられ、浜に人影が見えるので上陸したら誰もいない。船に戻って振り返ってみたらまた人影が見える。三度上陸を繰り返されたので、ここを「三度」と呼ぶようになった。上陸地点には石があり「お石さま」と呼ぶ。水があるところを徒歩で越されたので「越水」と呼ぶ。岩で休まれたので「腰かけ岩」という」等、地名由来譚なる場所がいくつもあると述べられた。
ご発表を聞いているうちにわくわくしてきた。神様が三度も上陸された場所っていったいどんなところだろう。「三度集落は、祖霊が最初に訪れなければならない聖地。西ノ島町の西側でただ一つの集落であることが、人々に踏み荒らされていない汚れのない聖なる地と解釈することができる」と述べられている。酒井先生が若き頃に調査されたのは55年も前のこと。神様が選ばれた聖地、三度の浜って、三度集落って現在はどうなっているのだろう。想像を巡らせてみる。いつか機会があれば隠岐の島に行き三度を訪ねてみたいと、淡い願望を抱いた。
その機会は突然6月末に現実となることになった。実家の妹たちと3人で時々プチ旅をしている。この3月には2泊3日の温泉巡りと酒蔵巡り。その時に「今度は神が宿る島といわれる隠岐に行き、神社巡りと岩牡蠣を食べに行こう」と妹が提案した。それなら早い方がいいと6月末に決行と相成ったのだ。私としては2月のご発表の時の思いが、願ったり叶ったりで万歳。
妹が3泊4日の旅計画を立ててくれた。隠岐の島観光はいくつかの島から島へ渡り歩くことになる。船の発着時間によって各島での滞在時間は限られるため、レンタカーで動くことになる。予定でいくと、島後から島前に入り、西ノ島町での滞在は5時間。いくつかの神社や図書館にも行きたい。効率よく三度関係地を回るためには、あらかじめどういうルートで回るか、どういう人に話を聞くことができるか、計画を立てねばならない。きっとこの伝説をもとにパンフレットもあり、「お石さま」などの場所には看板などが立っているだろうから、それらを見て回ればいいかなと気楽に考えていた。
が、現実はそうではなかった。西ノ島町の観光協会に電話をして、町役場の文化財担当の方が文化財保護審議委員会の方々や区長さんに尋ねてくださった。が、役場の方々のみならず誰一人「お石さん」や「腰掛け岩」などの伝説の場所はご存知なかった。町内には後醍醐天皇がお座りになったといわれる「御腰掛石」ならあるらしいが。図書館にもそれらしい資料はないとのこと。前途多難。でも、あと1か月半ほどある。何とかいろいろな切り口を考えてみたい。最低でも、三度の浜に行って、神様が選ばれた地の空気を胸いっぱいに吸って、聖地を感じてみたい。酒井先生のご発表は、久しぶりにわくわく感と興味をそそるものだった。鳥取県境港市に住む私でさえ、こんな気持ちになったのだから、ましてや西ノ島町の方々が関心を持たれないはずはなかろう、と都合のいい解釈をしてみる。酒井先生のせっかくの論文が西ノ島町で存在感のあるものに出来たらと願う。隠岐への旅が楽しみになってきた。
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2022年度会計報告 (2022.2.1~2023.1.31)
<収入>
・前年度繰越金 523,196
・2019年度分会費 3,000
・2020年度分会費 3,000
・2021年度分会費 15,000
・2022年度分会費 69,000
収入合計 613,196
<支出>
・通信費 3,860
・翻訳料振込手数料 165
支出合計 4,025
◆2022年度残金 613,196-4,025=609,171円
会計:宮井章子、会計監査:中塚和代
2023年度活動計画
アジア民間説話学会日本支部2023年度総会・研究大会
2024年2月18日(日)13時-16時30分
立命館大学大阪いばらきキャンパス
対面およびオンラインZOOM形式
*研究発表・話題提供・昔語りを希望される方はお早めに事務局までご連絡ください。
情報アラカルト
会員の著書・論文(敬称略、50音順)
◇鵜野祐介
・『現代思想7月臨時増刊号「遠野物語を読む』(共著)青土社 2022/06 pp.51-64
・『災厄を生きる 物語と土地の力 東日本大震災からコロナ禍まで』(共著)国書刊行会
2022/07 pp.105-137
・「日本のシンデレラ物語における<あわい>のイメージ」、うたとかたりの研究会『論叢うたとかたり』第4号、2022/05 pp.3-10
◇黄地百合子
・「語りをつなぐ『声のことば』」、日本昔話学会『昔話 ―研究と資料―』第49号 2022/03 pp.55-69
◇小山 瞳
・「『太平広記』所収の異類婚姻譚について」、説話・伝承学会『説話・伝承学』第30号 2022/03 pp.109-124
・「中国歴史書外国伝に見える獣祖神話について」、関西大学中国文学会『関西大学中国文学会紀要』第44号 2023/03 pp.35-47
・「虎女房譚生成考」、大阪公立大学人文学会 国際基幹教育機構 現代システム科学研究科『人文学論集』第41号 2023/03 pp.23-43
・「中国文言系説話における「もの言う動物」について ―『太平広記』を中心に―」、関西大学文学研究科『千里山文學論叢』第103号2023/03 pp.93-110
◇酒井董美
・『QRコードで聴く島根の民話』今井出版
・『続・山陰あれこれ』今井出版(自費出版)
・『鳥取の民話』(電子配信)今井出版
・「伝承者の声で聞く民話とわらべ歌-鳥取県立博物館のホームページのこと-」、(財)鳥取童謡・おもちゃ館 情報誌『音夢』第17号 2023/03 pp.42-46
◇西村正身
・「龍華民訳『聖若撒法始末』(聖ヨサファ伝)」『作大論集』第15号 2022/08 pp. 1-22
・「『シッディ・クール』に見られるインドの古典と仏典その他の要素」、『比較民俗学会報』第42巻第1・2合併号 2022/06 pp. (1)-(6)
・「チベット語版『屍語故事』・モンゴル語版『シッディ・クール』所収話対照表」、同上 pp. (7)-(10)
・「モンゴルの『鸚鵡物語』」、『作大論集』第16号 2023/02 pp. 1-20
会員@短信
◇黄地百合子
今年度も、近くの小学校の児童と中学校の生徒へ昔話の語りを届ける予定です。一ヶ月に一度程度の割合で行きますが、久しぶりに(聞き手も語り手も)マスク無しで語れるようですので、今から子供達の興味津々の表情を楽しみにしています。
◇酒井董美
3月から6月まで、第三回「山陰の民話とわらべ歌オンライン講座」を始めています。月2回、一回1時間で10回で終わります。有料で事前に筆者のゆうちょ銀行の口座に1000円振り込んだ方が受講できます。受講者は32名です。
◇小山 瞳
4月から講師としての活動がはじまった。漢文や中国語、学生たちの食いつきも大変よく、次の授業のことを考えると、毎日が楽しかった。が、しかし、第三回授業を矢先に、コロナに感染。一週間の療養を余儀なくされ、「今、なんで?」と途方に暮れていると、先輩教員から連絡がきた。「神様からもらった休暇だと思って、休んでください。」神様からもらった休暇。たしかに4月になってからは、息つぎをする余裕もなかったなあ。小休止しながら、ゆっくりとまた歩き出そうと思う。
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関連学会の大会情報
◇日本口承文芸学会2023年度大会
2023年6月3日(土)-4日(日) 学習院大学(対面/オンラインZOOM形式)
6月3日(土)
〔公開講演会〕13時30分~16時40分
・真下 厚(元立命館大学教授) 「民間説話の声と文字 ─奄美沖縄民間説話の世界から─」
・藤井 貞和(元立正大学教授)「構造と動態」
6月4(日)
〔研究発表会〕8時45分~14時35分(8名発表)
〔シンポジウム〕「話型論の展望」14時50分~17時25分
・パネリスト1.高木史人(武庫川女子大学)「一義的な話型から多義的な話型へ、平面的な話型から立体的な話型へ、あるいは「文化接触」としての話型の発生へ」
・パネリスト2.加藤 耕義(学習院大学)「『国際昔話話型カタログ』と日本の昔話」
・パネリスト3.鵜野 祐介(立命館大学)「稲田浩二における発生論的樹木モデルによる
話型論の構想―<モチーフ構成>から<核心/基幹モチーフ>への転回―」
・パネリスト4.立石 展大(高千穂大学)「中国昔話の話型研究について」
◇日本昔話学会2023年度大会
2023年7月1日(土)-2日(日) 大阪公立大学杉本キャンパス(対面形式)
7月1日
〔公開講演会〕13時10分~15時20分
・金賛會 「韓国の昔話にみる狐伝承―日本との比較の視点から―」
・野村敬子「聴き耳の行方 ―令和・語り手論―」
7月2日
〔研究発表〕9時00分~11時55分(5名発表)
〔公開シンポジウム〕「昔話と食べ物」13時10分~17時00分
・司会 齊藤純
・パネリスト1.康君子(近藤久美子):中東
・パネリスト2.野口芳子:ドイツ
・パネリスト3.関根綾子:日本
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<編 集 後 記>
本学会を創設された稲田浩二先生が逝去された2008年の桜花の季節から、早15年の歳月が経ちました。先日、国立民族学博物館の稲田浩二アーカイブが公開されました。HPからのアクセスはまだできませんが、映像音響係・山田氏(res_archives@minpaku.ac.jp, tel.06-6878-8404)に事前申込をすれば当館にて閲覧できます。
この機に、先生のご業績の学問的意義をきちんとした形で紹介したいと考えていた折、今年6月4日の日本口承文芸学会年次大会シンポジウム発表へのお声がけをいただきました。「稲田昔話学の思想について語ってほしい」という企画者の高木史人先生の魅力的なお題に、回復途上の身の上でどこまで満足のいく話ができるか不安でしたが、思い切ってお引き受けしました。AFNS発足の経緯や趣旨についてもご紹介するつもりです。また、立石先生が中国昔話の話型研究について鍾敬文に焦点を当ててご発表される予定で、楽しみです。
会員以外の方でもオンライン参加ができます。私の方にお申込みいただきましたら、ZOOMミーティングIDとパスワードをお知らせします。
来年(2024)秋にはAFNS第19回国際シンポジウム大会を大阪で開催する予定です。こちらにもご参加いただけますと幸いです。今年度もよろしくお願いいたします。(鵜野)