AFNS NEWS LETTER No.25

AFNS NEWS LETTER

No.25 May 2019

アジア民間説話学会 [The Asian Folk Narrative Society]

日本支部事務局:立命館大学文学部 鵜野祐介研究室気付

〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1 tel 075-466-3142 e-mail: y-uno@fc.ritsumei.ac.jp

学会HP : https://sites.google.com/site/afns2011/ (年会費:正会員3,000円、準会員 [学部学生] 1,000円)

<巻 頭 言>

鵜野祐介

まだ5月だというのに最高気温35度を超えたとの便りが北海道からも届いております。7~8月には一体どうなることやら、気を揉んでいるのは私だけではないでしょう。なんとか夏の神様の機嫌を損ねないよう日々の生活を心がけたいと思う今日この頃です。

諸般の事情によりニューズレターの発行が約1ヶ月遅くなってしまい、早くに原稿を送って下さった皆様にはたいへん失礼いたしました。お詫び申し上げます。

既にご存知の通り、今年11月に第16回国際大会を立命館大学大阪いばらきキャンパスで開催いたします。1994年3月に同じ茨木市の梅花女子大学で第1回大会を開催してから四半世紀が経ちました。この間、稲田浩二初代会長のご逝去を受け、会の存続が危ぶまれる時期もございましたが、日本支部会員数約30名を維持しつつ、なんとか今日まで継続してやってこれました。これもひとえに会員の皆様のご支援・ご協力の賜物と、篤く御礼申し上げます。11月にはぜひ多くの皆様にご参加いただき、旧交を温めつつ本学会の新たな一歩をご一緒できますことを願っております。

本ニューズレターと併せて、会費の振込用紙を同封させていただきました。年度はじめで何かと出費の重なる時期とは存じますが、ご納入のほどよろしくお願いいたします。今年4月よりATMでの振込手数料が80円から150円になっております。ちなみに電信振込の場合、1カ月毎に最初の回の手数料は無料になるそうです。すでに電信振込をご利用いただいている方もいらっしゃいますが、他の皆様もよろしければお試しになられてはいかがでしょうか?

今後ともよろしくお願いいたします。

2018年度活動報告

A.第15回国際大会

2018年6月1日-3日、韓国・光州市、全南大学校

・主題「東アジアの説話の中の異界」

・日本からの参加者(50音順):鵜野祐介、斧原孝守、酒井董美、高島葉子、辻星児、宮崎康子(非会員)

◇発表者・題目(日本からの参加者分のみ、50音順)

・鵜野祐介「浦島説話における水界イメージの精神史的考察」

・斧原孝守「竜宮訪問譚の原像 ―東アジアの「釣針喪失譚」をめぐって―」

・酒井董美「昔話「金の犬こ」を考える ―異郷からの招待―」

B.「日本支部2018年度総会・研究大会」

2019年2月17日、立命館大学大阪いばらきC

<総会>

1.2018年度活動報告

2.会計報告(後述)

3.2019年度活動計画(後述)

<研究大会>

13:30‐14:30 話題提供1 高島 葉子 氏

「アイヌ版「百合若大臣」の英雄像―ポイヤウンペとの比較―」

14:45‐15:45 話題提供2 黄地 百合子 氏

「「鳥食い婆」と「鳥呑み爺」の出会い―奈良県に伝わる昔話「屁こき婆さん」の生成―」

16:00‐16:30 昔語り 筒井 悦子 氏

「天人女房」「朝日長者と夕日長者」「うぐいすの宿」

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話題提供1

アイヌ版「百合若大臣」の英雄像 ―ポイヤウンぺとの比較― 高島葉子

「百合若大臣」の類話はユーラシアに広く存在しているが、アイヌの口承文芸にも確認されている。今回の報告では、アイヌ版「百合若大臣」と呼びうる散文説話「海に浮かぶ山を泳いで引っぱったオタスの人の話」(以下「オタスの人」と表記)を取り上げ、その英雄像と百合若大臣およびユカラ(英雄叙事詩)の主人公との比較を行い、それに基づいて本来的な英雄像についての仮説を提示した。なお、「百合若大臣」については、幸若舞の中から江戸時代の流布本「舞の本」を用いた。

「百合若大臣」はよく知られているので、「オタスの人」の概要を紹介しておく。

私(オタスの少年)は両親が無く、婆に育てられている。ある日叔父と名乗る男に舟に乗せられ、島に置き去りにされる。私は婆にもらった魔法の帯で島を引っ張り、津波を起こして叔父の舟を沈めるが、怒りがおさまらず、浜の村々まで全滅させる。私は神(カムイ)に叱責され反省する。婆から、私は村長の息子であったが、一族皆殺しにされて一人生き残り、水の神(かムイ)である自分が育てたと聞かされる。私は両親の仇である悪人を殺して新たな村を作り、村長として幸せに暮らす。

島に置き去りにされた主人公が復讐を果たして本来の地位を回復するという展開は、「百合若大臣」とほぼ同じである。いずれも、「悪人は必ず罰を受ける」という勧善懲悪の物語と言える。しかし英雄像に注目すると判断が難しい。百合若は正体を隠して慎重に機を待ち、最後に首謀者のみ誅殺するが、オタスの少年は、怒りに任せて罪のない人々まで衝動的に殺す。そのため「オタスの人」は勧善懲悪物語とは言い切れない。

オタスの少年は、アイヌ散文説話の主人公としては例外的であり、むしろユカラの英雄ポイヤウンぺを思わせる。散文説話の典型的主人公は、「よい心の持ち主」で道徳規範に忠実である。これに対して、ポイヤウンぺは自己中心の衝動的な人物であり、反倫理的な行動を取る。この違いから考えると、二つのジャンルは社会的機能が異なり、前者は「秩序維持」を、後者は「秩序転覆・破壊」を目的とし、アイヌ社会のなかで補完的機能を担っていたと考えられる。秩序維持だけでは社会は閉塞するため、対立機能を持つ物語が必要となる

このジャンルの補完的関係は、部族社会では普遍的に存在していた可能性がある。無文字の狩猟採集部族社会では、族長は権威の正当化と秩序維持を目的として物語を語るが、権威を持たない狩人は自らの力を誇示する手柄話や族長の権威を貶める話を語る(P. Clastres, La Société contre l’État, 1974))。狩人は語りによって族長に対抗するのである。これらは「族長の語り」と「戦士の語り」と呼ぶことができる。族長の権威に対抗しうるのは秩序破壊的な力である。しかし、幕藩体制下の江戸時代のような、反逆的存在が歓迎されない中央集権的社会においては、勧善懲悪の英雄譚が求められたのだろう。

「オタスの人」は、本来ならユカラに登場するポイヤウンぺ的英雄を散文説話に組み込んで語った事例のようである。それゆえ勧善懲悪譚の枠には納まらない。こうした反秩序的英雄の痕跡は日本にも見出せる。スサノオや力太郎、腕白型桃太郎などである。本来的な英雄はポイヤウンぺのような戦士だったのではないだろうか。日本にもかつてはこのような英雄の物語が語られていた可能性がある。

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高島葉子さんの発表へのコメント 斧原孝守

高島葉子氏による発表は、社会の発展段階により、伝承される説話の社会的機能が相違することをアイヌの英雄譚「オタスの人」を例に述べられたものである。

物語の社会的機能に着目し、社会の発展段階によって説話の表現が相違すると見る高島氏の視点は、今も昔も系統と伝播ばかりを追いかけている私にはまことに新鮮であった。

しかし一方、日本にもかつて秩序破壊的な物語が存在し、スサノヲや「力太郎」「怠け者(=山行き型)桃太郎」などの昔話にその痕跡が見えるという提言は、私をいささか動揺させるものでもあった。というのも、一昨年の例会で発表したように、私は「力太郎」や「山行き型桃太郎」は、世界的に有名な昔話である「三人のさらわれた姫」(ATU301)の変異型であるという仮説をもっているからある。

しかし改めて考えてみると、「百合若」はATU301のユーラシア的サブタイプの一つである。高島氏が述べるように、「オタスの人」が「百合若」とモチーフを共有しながら、同時に秩序破壊的な英雄像において「山行き型桃太郎」や「力太郎」につながるとすると、「山行き型」や「力太郎」も「オタスの人」を媒介にATU301と聯絡することになって、私の考えとも矛盾しないわけである。

そこで次のように考えてみた。異常誕生による怪力の童子が裏切りによって共同体を放逐され、化け物を退治して放浪の末に帰還し、復讐を遂げる、というような母型的物語(いわゆるATU301)があり、それが伝承社会の発展段階や文化のありようによって、それぞれ異なった主題を核として様々な物語を構成しているのではないか。それはある社会では秩序破壊的な怪力童子の物語(オタスの人)になり、ある場合には怪物退治譚(力太郎)として昔話として流布し、時代によっては報復譚(百合若)として語られる。そしてそれらの物語は、それぞれの伝承社会が要求する特有の機能を果たしているのであろう。

いずれにしても今回の高島氏のご提言は、物語の分化を歴史的に考えるうえにおいても、説話の機能の問題を考慮すべきことを考えさせるものであった。

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話題提供2

「鳥食い婆」と「鳥呑み爺」の出会い―奈良県に伝わる昔話「屁こき婆さん」の生成― 黄地百合子

奈良県出身の私が母方の祖母と母から聞いた「屁こき婆さん」という昔話は、基本的なストーリーは「鳥呑み爺」の話でありながら、主人公は「婆」という、不思議な話である。なぜそのような話が奈良県に伝わっているのだろうか。

「屁こき婆さん」の冒頭部分は「鳥食い婆」(又は「婆の鳥料理」)と呼ばれる昔話とよく似ている。「鳥食い婆」の粗筋はー爺が畑仕事の途中小鳥を捕まえ、婆に料理を頼む。婆は料理をするが、味見をしているうちに全部食べてしまい爺の分が無くなったので、替わりに自分の隠し所を切って入れる。爺が帰ってきてそれを食べ「美味いが変に臭い」と言う、というもの。いわゆる艶笑譚で、近畿以東の本州と奄美・沖縄などに約80話の報告がある。「屁こき婆さん」の冒頭は、この話の、婆が味見の後全部食べてしまう所までと類似しており、その後、婆のお尻から珍しい音の屁が出るという展開になるのである。

ところで、「鳥食い婆」については稲田浩二氏が、奄美や東北では田植えや普請の後の祝いなど人が集まる話の座において「最初に話される話」であった、という指摘をしている(『日本昔話事典』)。その役割は「豆子話」にも通じるもので、かつては艶笑譚の笑いが座を和ませるとともに豊穣をもたらすと期待した、そういう民俗的心意が底流となって伝承されてきた話と言えよう。

では、「屁こき婆さん」の冒頭が「鳥食い婆」の前半と似ているのは、どのような事情からなのか。奈良県内の「鳥食い婆」の伝承は吉野郡下北山村の7話のみだが、その内6話に、婆が鳥の汁を飲む際の「一杯吸うやうまし、二杯吸うやうまし、三杯吸うやうまし」という、歌うような言葉が語られている。他の地方では見られないこの言葉とほぼ同じものが、「屁こき婆さん」にもあることに注目したい。さらに、祖母はこの話を元々「雀汁」と呼んでいたが、下北山村の語り手も「鳥食い婆」を「雀汁」と言っていたようである。

ただ、祖母は奈良県生駒郡斑鳩町で育ち、結婚前に近所の和裁の師匠から昔話を聞いたという。斑鳩町は県の北部、下北山村は県の最南部でかなり遠く、直接的な伝承関係を考え得る資料もない。さらに現在確認できる近畿地方の他の伝承は、滋賀県の北陸に近い地域のものだけである。しかし、かつては近畿地方でも「鳥食い婆」が広く伝承されていたのではないだろうか。その一部が近畿のほぼ真ん中で「屁こき婆さん」の冒頭として残ったと想像したい。

また、「屁こき婆さん」の後半「鳥呑み爺」型の展開をする部分でも、近畿の伝承との関連が考えられる。話の最後、隣の婆が真似をして失敗し帰ってくる場面で、祖母の話では「尻を切られて腹が立つ」という唱え言的なリズムのある言葉が繰り返されるのだが、それとほとんど同じ表現が大阪府と兵庫県に伝わる「鳥呑み爺」に存在したのである。近畿の「鳥呑み爺」の他の報告例では、この言葉は確認できていない中で、特に大阪府の伝承地(旧南河内郡高鷲町)は斑鳩町と近いことも非常に興味深い。

「鳥食い婆」と「鳥呑み爺」どちらも、以前は近畿の広い範囲で豊かに伝承されていて、元々両者の冒頭(爺が鳥を捕まえる場面)が似ているため、何らかの機会に結びついたのだろうと考えられる。やがて艶笑譚の「鳥食い婆」は、限られた地域以外はあまり語られなくなったのかも知れない。ただ「一杯吸うやうまし」云々の言葉が語り継がれていることから、この言葉の強い印象が「鳥呑み爺」型の話の主人公を「婆」に変える力となったではないだろうか。「屁こき婆さん」はたった一つの話であるが、それをきっかけとして、他の地方に比べ昔話資料の少ない近畿においても伝承の動態の一端を想像できたように思う。

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黄地百合子さんの発表に寄せて 西村正身

黄地さんの発表は、奈良県に伝わる昔話「屁こき婆さん」が、「鳥食い婆」と「鳥呑み爺」の出会いから生まれたという内容であった。「鳥食い婆」はATUにも登録されている昔話である(ATU1373B*「娘が父親に自分の肉を勧める」)。「鳥呑み爺」のほうはATUには見当たらないが、この2つの話のモチーフが融合した昔話は日本にもあまり多くはなく、その生成過程を推理するという興味深いお話であった。席上うろ覚えのままに発言した内容について記して、コメントに代えさせていただきたいと思う。

それは、「鳥食い婆」を構成するモチーフの前半「(1)爺が小鳥を捕まえて、その料理を婆に頼む」と「(2)婆が鳥の料理を作り味見をすると美味しくて、つい全部食べてしまう」から連想された話についてである。全部を食べてしまった妻がどのような言い訳をするのかによって、2つの語り方に分かれるのである。

①1つ目。食べてしまったあと、妻は帰って来た夫に向かって、猫が食ってしまったという至極まっとうな言い訳をするのだが、話としてはこちらのほうがその単純さから見て先に成立したのではないかと思われる。これがATU1373「重さを量られた猫」として登録されていることからも推測できよう。ジャーヒズ(869没)『けちんぼども』所収「アブー・ウヤイナの話」の冒頭に、簡潔ではあるがまったく同じ話が語られている。ATUはこれが最も初期の文献記録であるとしているようだが、私見ではアリストパネス(BC385頃没)『女だけの祭』560行当たりのムネシロコスの「それから今度はアパトゥリアのお祝いから肉を盗んで取り持ち女にやっといてから、鼬だってのも……」という科白の背後にこの話があるのではないかと秘かに思っている。もちろん確証はなく、まったく別の話が隠れている可能性もある。

ジャーヒズ以後では『ナスレッディン・ホジャ物語』東洋文庫版210ページ「ホジャが或る朝」や、ルーミー(1273没)『精神的マスナヴィー』V3409~3418(筑摩書房の世界文学大系に訳あり)、西洋系七賢人物語の一本であるイタリア語版『ローマ皇帝の息子ステファノの物語』(14c。第15話。「ツグミturdi」。妻は代わりにソラマメを茹でて夫に食べさせるが、それがやがて「鳥食い婆」の後半のように展開していくのであろうか)に見ることができる。

わが国の咄本『かす市頓作』(宝永5、1708)「猫の番」や『聞上手』(安永2、1773)「初鰹」も類話として認められると思う。初鰹を食おうとした男が呼び出され、下男に見張りを命じて出かけるが、鰹は猫に食われてしまう。慌てて猫を追い払った下男は、それを幸いに残ったものも猫に食われたことにして食べてしまうという話である。「お魚くわえたドラ猫」ではないが、少し前までは至る所で見受けられた光景であると思われるので、伝播を取り立てて言うまでもなく、モチーフの単純さから見て、ギリシア、アラブ、日本でそれぞれ単独に生まれた話とみなしてもいいのかもしれない。

②2つ目。夫が招待していた客人が食べてしまったとごまかす話であるが、こちらは多少手が込んでいるので、猫のせいにする先行話から展開したものであろう。代表的な類話にファブリオー「山うずらの話」(現代教養文庫版。松原秀一『西洋の落語』では「やましぎ」。13cか)、パウリ『冗談とまじめ』(1552)364、グリムのKHM77「賢いグレーテル」などがある。ファブリオーでは二羽のうずら(やましぎ)を食べてしまった妻がいったんは猫のせいにするので、古い語り方を残していると言える。怒り狂う夫に「冗談だ」と言ってその場を収め、現われた客に、夫があなたの睾丸を切り取ろうとしていると告げる。それを聞いて逃げる客を、包丁を手にした夫が「一つでいいから」と叫びながら追いかける。艶笑譚にもなっているわけである。パウリとグリムでは二羽の鶏を食べてしまった下女が客に、主人があなたの耳を切ろうとしていると言う。「一つでいいから」と主人が追いかける点は同じだが、こちらは艶笑譚ではなくなっている。

「鳥食い婆」の文献記録がいつごろから確認できるのかはまったく分からないが、ATUによれば類話が日本のほかスペイン、インド、メキシコ、プエルトリコにあるという。自分の体の一部を切り取って夫に食べさせるという後半のモチーフからは、それぞれ別個に生まれた話とは思えないが、そのあたりのことは、今は分からない。

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筒井悦子さんの昔語りに寄せて 立石展大

2月17日に立命館大学茨木キャンパスにおいて開かれた、2018年度日本支部研究大会では、最後に昔話の語りが行われた。語ってくださったのは、筒井悦子さん。40年にわたり、岡山においてストーリーテリングを実践されてきた大ベテランである。また「草の実文庫」も主宰されている。語っていただいた話は三話。この11月に日本で開かれるアジア民間説話学会の国際学術大会のテーマが「天人女房」ということで、語りの一つに「天人女房」がリクエストされていたとのこと。そこで「朝日長者と夕日長者」と「うぐいすの里」と「天人女房」の順で、語りをうかがった。ハッピーエンドで終わる継子話と、二つの異類婚姻譚。「朝日長者と夕日長者」は男性シンデレラ版ともいえる「灰坊太郎」の話。「うぐいすの里」は12ヶ月の座敷を開けていくタイプの話で語られ、月ごとの描写が楽しかった。そして「天人女房」は子どもが生まれるタイプの話で、11月の大会への橋渡しとなった。ちょうど、結婚が三つの話の共通テーマになる本格昔話である。

研究報告の時はロの字型に机を置いて討議がされていたが、その机を脇へ寄せて、筒井さんと向かい合わせに座って、語りをうかがった。リラックスした雰囲気の中で、落ち着いてゆったりとした筒井さんの語り口に耳を傾けることができたのは、とても幸せな時間であった。

大会後の懇親会でも、学校での語り活動の経緯や様子、その楽しさをうかがうことができた。また、山形でお生まれになって、岡山で語ることのご苦労もうかがうことができた。筒井さんの語りに対する思いの強さや、その優しいお人柄に触れる時間を過ごせたことも、私にとってとても有意義な時間であった。

個人的な感想になってしまうが、以前、学校教育における語りを取り上げた拙論において、筒井さんが書かれた文章を引用させていただいたことがあった。語り手の立場から学校教育の中で語ることの意義が書かれた文章を探していた時、筒井さんの文章に一番惹かれて引用したのをよく覚えている。語りがうまいだけでなく、自身の思いを文字で表現することにも長けていらっしゃる。この3月に筒井さんは、みやび出版から『昔話とその周辺 語りながら考えたこと』を出版された。昔話に対する筒井さんの解釈や、語り聞くことによってご自身も聞く人も育まれる様子が描かれている。筒井さんの温かな視線で切り取られる昔話の語り世界は、人を成長させる可能性に満ちあふれている。そんな筒井さんの語りに触れることができたまさに「有り難い」時間であった。

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2018年度会計報告 (2018.2.1~2019.1.31)

<収入>

・前年度繰越金 414,996(円)

・2016年度分会費 3,000

・2017年度分会費 9,000

・2018年度分会費 72,000

(2017年度総会・研究大会)

・参加費 10,000

・懇親会費 60,000

収入合計 568,996

<支出>

・翻訳料 30,000

・通信費 3,806

・総会・研究大会諸経費 7,117

・懇親会費 60,000

支出合計 100,923

2018年度残金 568,996-100,923=468,073円

会計:宮井章子、会計監査:中塚和代

2019年度活動報告

A.アジア民間説話学会 第16回国際学術大会

主題「天人女房」

日程:2019年11月15日(金)~17日(日)

会場:立命館いばらきフューチャープラザ

1Fイベントホール1(JR茨木駅より徒歩約10分)

共催:立命館大学国際言語文化研究所/ヴァナキュラー文化研究会

後援:三島海雲記念財団

参加費:1,000円(会場使用料、通訳謝礼等)

11月15日(金)

18 : 00 ~ 20:00 歓迎晩餐会

11月16日(土)

09:00 ~ 受付

09:30 ~ 10:00 開会式

10:00 ~ 12:00 第一セッション

12:00~ 13:30 昼食

13:30 ~ 15:30 第二セッション

15:30 ~ 15:45 休憩

15:45 ~ 16:45 総合討論1

17:00 ~ 17:30 昔語り

11月17日(日)

09:00 ~ 受付

09:30 ~ 11:30 第三セッション

11:30 ~ 11:45 休憩

11:45 ~ 12:30 総合討論2

12:30 ~ 12:45 閉会式

13:00 ~ 14:00 昼食

14:30 ~ 17:00 国立民族学博物館見学

B.日本支部2019年度総会・研究大会

2020年2月16日(日)立命館大学大阪いばらきC

情報アラカルト

1.近刊情報

a. 会員の著書・論文(50音順)

◆鵜野祐介

・「『赤い鳥時代』の子どものうた環境」、子どもの文化研究所『研究子どもの文化』第20号(2018/10)所収。

◆黄地百合子

・「昔話に登場する女性像」、日本昔話学会『昔話―研究と資料―』第47号(2019/03)所収。

◆高島葉子

・「『オデュッセイア』の類話における英雄像比較 ―オデュッセイア、百合若大臣、ポイヤウンペ―」、大阪市立大学大学院文学研究科 都市文化研究センター『日本文学を世界文学として読む』2018年度「文学研究科プロジェクト」成果報告書所収。

◆筒井悦子

・『昔話とその周辺 語りながら考えたこと』みやび出版2019/03

◆西村正身

・「『シンドバード物語』祖本はいつ頃、どこで書かれたのか」、『作大論集』第9号(2019/03)所収

b. 会員以外の図書

・石井正己・やまもと民話の会編『復興と民話 ことばでつなぐ心』三弥井書店2019/03

・崔仁鶴・厳鎔姫編著『韓国昔話集成5』悠書館2018/11

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2.学会等の大会情報

・日本昔話学会2019年度大会

7月6-7日 大阪市立大学杉本C

・日本児童文学学会2019年度大会

11月23-24日 白百合女子大学

・説話・伝承学会冬季大会

2020年1月12日 同志社大学

(*各学会のHPをご覧ください。)

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<編 集 後 記>

懸案だった稲田浩二先生の蔵書の保管・公開の件ですが、国立民族学博物館副館長の西尾哲夫先生にご尽力いただき、同館に収蔵していただける運びとなりました。7月末までに搬入し、整理の作業を行う予定です。段ボール箱にして150ぐらいあるので相当な時間がかかりそうですが、夏休み中になんとか完了させたいと思っております(お手伝いいただける方を募集しています。ぜひお知らせください)。この間、お世話になりました西尾先生、また稲田邸での梱包作業や配送の手続きを一手に担ってくださっている辻先生に心からお礼申し上げます。順調に進めば来年度から「稲田コレクション」の閲覧が可能になる見込みです。多くの皆様に活用していただけることを願っております。

それでは今年11月、立命館大学大阪いばらきCでお目にかかるのを楽しみにしております。(鵜野祐介)