AFNS NEWS LETTER No.28

アジア民間説話学会 [The Asian Folk Narrative Society]

日本支部事務局:立命館大学文学部 鵜野祐介研究室気付

〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1 tel 075-466-3142  e-mail: y-uno@fc.ritsumei.ac.jp

学会HP : https://sites.google.com/site/afns2011/ (年会費:正会員3,000円、準会員 [学部学生] 1,000円)


<巻 頭 言>

鵜野 祐介  

 今年も薫風の季節がやってきました。コロナ禍の下で迎える3度目の5月です。今、コロナに加えて、ロシアによるウクライナ侵攻という暗雲が私たちの心に重く垂れこめています。授業の中でウクライナ民話絵本『てぶくろ』を読んだところ、ある学生が次のような感想を寄せてくれました。

『てぶくろ』がウクライナの民話だったことは知りませんでした。落としたてぶくろの中に様々な動物が入り込む描写は、大人になった今でも無邪気さを感じることができ、面白かったです。このお話において個人的にいいなと思うところは、てぶくろの中がぎゅうぎゅうになっても、決して誰も拒まないことではないかと思います。「とんでもない。まんいんです」などの表現はあるものの、新たな訪問者を拒絶していないことが、人情味(動物なので人情と言うかは疑問ですが…)あふれていてあたたかいなと思いました。

現在、ウクライナとロシアの情勢が緊迫していますが、ロシア人も、ウクライナ人も、誰もが“てぶくろ”に入れるような、そして決して拒まないような関係に戻ってほしいです。

本当にその通りだと思います。一日も早く戦火が収まり、人びとの笑顔が戻ってくることを願うばかりです。

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2021年度活動報告

第17回国際大会 主題「アジアのシンデレラ物語」

 2021925日 中国・南京農業大学&オンライン

 参加者:鵜野祐介、黄地百合子、斧原孝守、酒井董美

日本支部2021年度総会・研究大会

2022221日、オンライン(ZOOM

13:0013:05 開会の辞  鵜野祐介 

13:0513:20 総会

1.2021年度活動報告・会計報告

2.2022年度活動計画

3.その他 

13:3014:30 研究発表1 尹

「韓国と日本の絵本における

『トッケビ』と『鬼』の表象」

 14:4515:45 研究発表2 小山 瞳

「中国歴史書外国伝に見える獣祖神話について」

16:0016:25 オンライン懇親会                         

16:2516:30 閉会の辞 酒井董美

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研究発表1

韓国と日本の絵本における「トッケビ」と「鬼」の表象                                   尹 惠 貞

昔話(民話)は、物語の発端で生じた欠如がその結末では解消されるのが本来の姿(アラン・ダンダス1980、関敬吾1981)である。しかし、韓国絵本『さびしがりやのトッケビ』(ハン・ビョンホ作・絵、藤本朝巳訳(2006)平凡社)では、物語の発端で生じた欠如が結末においても解消されずに物語が終わりを迎える。その理由を明らかにするために、物語の構造分析を行った。また、登場人物の意味を探るために行為項分析も行った。比較対象として、日本の絵本『こぶじいさま』(松居直再話/赤羽末吉画(1980)福音館書店)を用いた。理由は『こぶじいさま』には鬼が登場し、朝鮮のトッケビはよく日本の鬼に例えられるからである。

『さびしがりやのトッケビ』を描いたハン・ビョンホは「トッケビのハン・ビョンホ」と言われ、『こぶじいさま』を描いた赤羽末吉は「鬼の赤羽」と言われている。

トッケビの特質についてはその呼び名は様々あるが、それは地方(方言)による違いである。ただ、性格としては肯定・否定の二面性を持っているが、人間を害するほどの「悪」ではなく、却って人間に騙されるところがある。また、かつての文献にはトッケビを描写したものがほとんど残っていないのも一つの特徴として挙げることができる。対して、鬼の特質については、退治すべき悪であり、人間社会に受け入れられず、人間と共存する発想はない。人間からすると騙すべき対象であって、懐柔して利用すべき相手である。絵巻などかつての文献及び「地獄図」にその姿を描写したものがある。

以上のような性質から、ハン・ビョンホはトッケビについて民衆を代弁するものとして描き、赤羽末吉は鬼について人の心を投影するが、それは日本の湿気と関わるとして人に絡み着くように描いた。絵本にトッケビと鬼の特質の相違が表象されたと考える。

以上、発表報告を簡潔に書かせていただいた。その後、発表に対する山本美千枝氏の大変貴重で丁寧なコメントを頂戴したので、全てではないが何点かコメントに対する回答を以下に記したい。

1)『さびしがりやのトッケビ』が昔話か創作かという点

発表タイトルにも提示しているのであるが、「絵本」からの表象を探ろうとしたのが本来の目的である。そこで、昔話絵本の種類について、発表の際に参考文献として引用している藤本朝巳の別の文章(藤本朝巳「伝承の遵守/深化/革新」、谷本誠剛/灰島かり編(2006)『絵本をひらく――現代絵本の研究』人文書院、pp.148149)で昔話絵本には二つの種類がある、とするものを引用したい。「伝承を遵守する型と伝承を深化した内容を演出発展させる型の昔話絵本があるといえよう。前者(遵守型)は、伝承に忠実なテクストで語り、絵も伝承の姿を描いた作品である。()後者(深化型)の絵本は、テクストは伝承を守りながら、絵に工夫を施し、絵の力で内容を深化させた昔話絵本である」と指摘している。次に、「上記二つの型とは異なる昔話絵本として、昔話を基盤としながら内容をパロディ化した異色な作品(革新型)もある」としている。『さびしがりやのトッケビ』は山本氏によると作者ハン・ビョンホが述べたように自身の創作である。しかし、あくまで登場人物は昔話によく登場する「トッケビ」であり、その性格・特質を基盤として内容をパロディ化した革新型と言える「昔話絵本」の一種であると考えられるのではないだろうか。

2)構造分析について

山本氏がご指摘のとおり、説話には欠乏が解消されずに終わる話も存在する。アラン・ダンダスや関敬吾もそのことを踏まえ、持論を展開し「絶対」解消されるとは言っていない。発表者もそのことは承知であった。説話や物語に現れる型は、語り継がれる地域や場所及び国によって、物語の発端にあった欠如が解消されるように語られ・伝わる物語もあれば、そうでない物語もある(小松和彦編(2017)『進化する妖怪文化研究』せりか書房、pp.10-35)。構造分析においてはそのどちらの可能性もあることを念頭におき、物語に現れた構造を分析し分析図として提示、語られなかったであろう型の方も提示しているのである。因みに、プロップではなくグレマスの修正された形で構造を分析した理由は、グレマスの構造分析は説話のみならず、より広く映画・コマーシャルなどの構造も分析できる枠組みを持っているからであることは、発表の際に一言も触れなかった発表者の落ち度である。

3)その他

誤字などについては山本氏がご指摘くださった通りであり、この場を借りてお礼申し上げたい。なお、本発表を論文にしていく際には、ご指摘いただいた点に細心の注意を払いたいと思っている。ありがとうございました。

<尹恵貞氏発表へのコメント>         

山本 美千枝

 韓国と日本の昔話は、似ているものはたくさんある。崔仁鶴氏によると、半分が類話と言われている。比較することで「韓国らしさ」と「日本らしさ」の違いを追及する研究が多く行われてきた。尹氏の場合は妖怪を代表する韓国の「トッケビ」と日本の「鬼」の昔話絵本の表象に焦点を当てられた。構造分析をされた上で、絵本における「トッケビ」と「鬼」の性質を比較するご発表であった。  

 韓国の絵本作家はハン・ビョンホ、日本の絵本作家は赤羽末吉の作品を選ばれた。ハン・ビョンホは韓国のトッケビを描く第一線の作家である。何冊ものトッケビ絵本を制作している。かたや、日本の赤羽末吉もしかり。日本風土の中に溶け込む鬼を描くと右に出るものはいない。国を代表する絵本作家の作品を選ばれたのはさすがであった。

1)『さみしがりやのトッケビ』は昔話か創作か

 御発表後に質問させていただいたのだが、ハン・ビョンホの『さみしがりやのトッケビ』は昔話ではなくて、創作絵本ではないかという点。尹氏は昔話ととらえた上で構造分析をされていたのだが、筆者は出版時からこの作品は創作だと認識していたため、学会後韓国の友人に連絡を取り、作者に昔話の再話なのか、創作なのかを尋ねてもらった。この作品は創作として描かれたとのことである。本人の言葉なので間違いはなかろう。

 となると、創作と昔話の構造分析比較は無理ではないかということになる。創作なら創作同士、昔話なら昔話同士と同じ土俵で比較するべきであろう。ハン・ビョンホのトッケビ絵本の中には『トッケビのこんぼう』という作品もあり、日本の『こぶじいさま』と相違点は多い。正直な若者と欲張りな若者とトッケビの持つ宝の出てくるこんぼうと、2人のじいさまのこぶとが違いの一つである。昔話同士ならこの2冊の比較が妥当だったのではなかろうか。

 また、『さみしがりやのトッケビ』の作品での比較を望まれるなら、日本の浜田廣介作『ないたあかおに』絵本なら創作同士なので比較が可能と考える。だが、今回は、『さみしがりやのトッケビ』は昔話との立場で構造分析がなされているので、昔話と仮定したうえで、細かくなるが章ごとに意見を述べたい。

21.はじめに     

 尹氏は、アラン・ダンダスと関敬吾の著書の共通的な「昔話は、欠乏/欠乏の解消、不均衡/均衡、無秩序/秩序への移行から成り立つ」部分を引用された。『さみしがりやのトッケビ』は、発端の寂しいトッケビは結末も寂しいままで、欠乏の解消にはならない。「ダンダスと関の論に反する??」という疑問から構造分析をされている。

 ダンダスの『民話の構造』を読むと、モティーフ素の型の場面で「成りたっていることもある」「引き起こされる場合もある」という表現や、「<結果>が<欠乏>の形式をとる民話もある」(ダンダス1980105)とあるように、昔話の始めの欠乏は必ずしも欠乏の解消では終わらない場合もあり、2人の論に反するとは言い切れない。欠乏のままで終わる内容は、日本の昔話でも散見される。学会の中での意見もあったように、日本の異類婚姻譚は結婚生活が破綻して別れることが多い(つる女房・天人女房・蛇婿入り等)。『さみしがりやトッケビ』が創作ゆえに、無理やり昔話の構造に当てはめようとしたから起こった疑問かもしれない。

32. 絵本『さみしがりやトッケビ』の構造分析

 鶏を使ってトッケビを脅した村人の立場を考えてみよう。プロップの構造分析の中では「補助者の機能 村人、鶏を集める」とある。グレマスの行為項構造分析においては「反対者 鶏」に対しての「補助者 人間」とある。補助者は援助者ともいい、主体を助ける立場である。「主体(トッケビ)」(主人公)が「客体(楽しさ)」を手に入れようとするのを村人は妨害するのだから、村人は「主体(トッケビ)」に対しては敵対者となり、村人(人間)は「補助者」ではなく、鶏と同じ「反対者」になるのではないだろうか。

 また、小括の行為項分析図は、主体をトッケビから人間にして一般化を図られたのだろうか。その場合、人間はトッケビと同じ「楽しさ」(客体)を求めることになるのだろうか。関の引用からも、現実生活とトッケビとの絡みがどう関わるのかよくわからないまま、「全体を通しての意味の隠喩」が結論となるのは苦しい。

43.絵本『こぶじいさま』の構造分析

   <第二のじいさんの構造分析図>

     発表資料

策略成功   こぶを取ってもらう

課題の達成  こぶは取れない(増える)

     訂正      ↓

策略失敗   こぶを取ってもらえない

課題の不達成 こぶは取れない(増える)

        

 発表資料のアンダーラインは、二重線が正しいのではなかろうか。『昔話と昔話絵本の世界』(藤本朝巳2000157)の中でも確認済。この本も参考文献の1冊であり、『こぶじいさま』の構造分析も同様にあげられているのだが。

 小括に関敬吾(1981:191)の文を引用されているが、構造分析と語りと聞き手の関係がよくわからず、ましてやトッケビとの関連も、もう少し段階的に説明が書かれていたほうがよかったのではと思う。

5)トッケビについて

 韓国のトッケビは、視覚イメージも元々乏しいうえ、妖怪などの絵の例がなかった(朴美暻2015:89)。また、日本統治時代に、韓国の小学校国語の教科書に「こぶとり」が載ってから、日本の鬼のイメージと韓国のトッケビのイメージが重なりあい、鬼のイメージが定着したともいわれる(金容儀2006:21)、という歴史がある。現在の韓国では、鬼のイメージから脱却しようと、自国文化のあるべきトッケビの表象を模索されている。

 トッケビは多くの性格を持つ特徴から、さまざまなイメージを自由に生むことができる。それが「トッケビらしさ」ではないか。いろいろなトッケビがあっていい。絵本作家の描く創造的なトッケビが今後も誕生することを期待している(もちろん、定着したイメージ作りも必要であろうが)。

 日本ではまだまだトッケビの存在感は薄い。尹氏がトッケビを紹介してくださった機会はありがたかった。性格は日本の河童と似ているというが、トッケビは河童以上の能力があり、さらに魅力的な存在だ。そんなトッケビで日韓をつなぐことができる尹氏だからこそ、今後もトッケビ紹介に汗を流していただけたらと思う。

*訂正箇所

  赤羽末吉の語りの引用部分の出典と参考文献の2か所で「赤羽茂代→赤羽茂乃」  

*参考文献

 ・アラン・ダンダス『民話の構造』大修館書店1980

 ・藤本朝巳『昔話と昔話絵本の世界』日本エディタースクール2000

 ・関敬吾『昔話の構造』同朋舎1980

 ・朴美暻『韓国の鬼』京都大学学術出版会2015

 ・金容儀『玄界灘を渡った鬼のイメージ』国際日本文化研究センター2006

研究発表2

中国歴史書外国伝に見える獣祖神話について

小山 瞳

中国歴史書の外国伝には獣祖神話がみえる。三品彰英『神話と文化史』は、これらの獣祖神話についてA型(人間の女性と動物のオスの婚姻)、B型の一(人間の男性と動物のメスの婚姻)およびB型の二(動物が母として子を養う場合)の例に分類する。この分類にしたがって、これら獣祖神話と中国10世紀に編纂された説話集『太平広記』所収の異類婚姻譚を比較すると、獣祖神話と異類婚姻譚にはいくつかの違いがあることを発見した。

たとえば、『太平広記』の異類婚姻譚では、一部の例外はあるものの、A型では子が何らかの迫害を受けるか殺されることになり、B型の二のような例は管見の限り、見あたらない。また、B型の一の場合、異類のメスは人間の女性の姿で出現し、獣祖神話のように動物の姿のまま婚姻に至るケースは見あたらない。そして、獣祖神話では獣祖にあたる動物が迫害されることはないが、異類婚姻譚では異類──特に異類のオスに多い──は迫害される。そこで、発表ではこの獣祖神話と異類婚姻譚の違いについて、「変身」「情愛」「資料の性質」を手がかりに、より詳しく考察を行った。

最初に「変身」について。異類婚姻譚では、動物の性別によって多少の違いはあるものの、多くの場合、人間に変身をする。一方、獣祖神話では動物の性別に問わず、人間に変身することはない。それは、一族の由来が動物にあることを強調するためであり、トーテミズムとも関連するだろう。そこには動物を祖先とすることを忌む観念は見えない。

 次に「情愛」について。獣祖神話では、異類と人間の婚姻関係の様相について多くは叙述されず、かわりに異類と人間の間に生まれた子について多くしるされる。一方、異類婚姻譚では、子に関する記述よりも、異類と人間が婚姻に至るまでの次第や、異類と人間の夫婦がどのような愛情で結ばれていたのかについて詳細に記述する。これは、獣祖神話が一族の由来を語ることを主題とするのに対して、異類婚姻譚は異類と人間の婚姻を語ることを主題としているからであろう。

 最後に「資料の性質」について。獣祖神話は歴史書にしるされている。護雅夫『古代トルコ民族史研究Ⅱ』の指摘にもあるように、獣祖神話の内容は、単なる説話として観念的に受け取られていたというよりは、一族の間で実際に行われていた祭祀儀礼や信仰と密接に結びつくものであろう。対して、異類婚姻譚は小説筆記に多くみえ、事実に基づく側面もあるだろうが、多くは創作とみられる。けれども、小説筆記所収の異類婚姻譚にも神話的要素をとどめる説話もみられ、異類婚姻譚と獣祖神話を明確に区分することはむずかしく、この点については今後の課題としたい。

 以上のように、獣祖神話と異類婚姻譚はともに人間と動物の婚姻を語るものの、その語り口や強調される点に違いがある。語られる動機や主題、資料の性質によって、そうした違いが発生するのだと考えられる。

<小山瞳氏発表へのコメント>

                 立石 展大

小山瞳氏による発表は、異類との婚姻に軸をおいた内容であった。小山氏はこれまでにも『太平広記』所収の話を取り上げて、人と動物の関わりを論じる研究を進めてきたので、そのテーマに沿った発表とも言える。漢籍に記録が残る神話と『太平広記』の「異類婚姻譚」の比較が中心である本発表は、神話については、三品彰英『神話と化史』の分類を切り口としている。小山氏のオリジナリティは、『太平広記』の話との比較分析にあった。

『太平広記』の異類婚姻譚について、発表内で取り上げた話は数話であったが、小山氏の研究の蓄積に基づいた統計も示されて、説得力を持つものであった。また、異類の変身や子どもの有無のみでなく、異類との情愛について注目した点も興味深かった。複数の視点を設定して、それぞれの描かれ方の多寡を分析することで、中国の獣祖神話と『太平広記』の異類婚姻譚の資料的な差異を浮き彫りにできたと言えよう。

今回は、中国の漢籍に載せられた獣祖神話に焦点を当てて論を展開したが、漢籍に残された神話は、中国神話のごく一部の記録であることは明らかである。さらに、『太平広記』の異類婚姻譚もそのままの口承資料ではないため、中国における普遍的な異類婚姻譚として扱うには慎重にならざるを得ない。今回の発表の結論を多角的に検証して、さらに中国における異類婚姻譚を明らかにするためにも、今後、近現代に採集された神話も含めた幅広い分析が必要となろう。小山氏の研究に対する旺盛な取り組みを鑑みれば、充分な成果が得られると期待する。

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2021年度会計報告 (2021.2.12022.1.31)

<収入>

・前年度繰越金        447,502

2019年度分会費          3,000

2020年度分会費       6,000

2021年度分会費      69,000

・入会費         2,000

収入合計      527,502

<支出>

・通信費              4,086

・翻訳料振込手数料        220

支出合計          4,306

2021年度残金 527,5024,306523,196

会計:宮井章子、会計監査 未了

2022年度活動計画

アジア民間説話学会第18回国際大会

 2022年 秋

 主催:韓国支部

 主題:家族

*コロナ禍の状況により2023年に延期する可能性あり

アジア民間説話学会日本支部2022年度総会・研究大会

2023年2月19日(日)13時-16時30分

立命館大学大阪いばらきキャンパス

またはオンライン開催

*研究発表・話題提供・昔語りを希望される方はお早めに事務局までご連絡ください。

情報アラカルト

会員の著書・論文(敬称略、50音順)

◇鵜野祐介

・「五十嵐七重の語りを聴く―小野和子の民話採訪と「未来に向けた人類学」―」、うたとかたりの研究会『論叢うたとかたり』第3号、2021/05pp.3-20

◇小山 瞳

・「文献紹介 『唐宋遺史』について」、『千里山文學』創刊号、2021/10pp.43-54

・「ラフカディオ・ハーンと日中怪異譚──「青柳の話」を中心に──」、大阪府立大学人文学会『人文学論集』40号、2022/03pp.21-40

・「日本の「説話」と中国の「故事」」、『千里山文學論叢』101号、2022/03pp.1-15

◇酒井董美

・『鳥取の民話』今井出版2021/12


◇西村正身

・「『王子と苦行者〈ビラウハル〉の物語』概説」、『作大論集』第13号、2021/08pp. 1-19

・「『王子と苦行者〈ビラウハル〉の物語』所収話の類話と文献」、『作大論集』第14号、2022/02pp.1-21

◇藤井和子

・『妖怪民話…聞き歩き』柏艪舎2021/12

◇尹惠貞

・『韓国絵本にみる絵本の言語文化』玉川大学出版2022/04

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書評「人間とは何者か

―藤井和子『妖怪民話…聞き歩き』を読む―」

                  鵜野 祐介

  今年(2022年)1月に亡くなられた立命館大学名誉教授の福田晃氏は、琉球列島の昔話や伝説などの民話を50年以上にわたって調査研究してこられた方であるが、福田氏に大学三回生の時に出会い、以来半世紀にわたって学恩を受けて来たという黄地百合子氏が、追悼文の中で次のようなエピソードを紹介している。酒席においてある学生から「先生はなぜ研究をされているのですか?」と質問された福田氏は、即座に「自分とは何かを知るためだ。自分とはひいては人間のこと」と答えたという(日本口承文芸学会会報「伝え」第70号、20222月発行より)。

  藤井和子著『妖怪民話…聞き歩き』(柏艪舎202112月)を読みながら私はこのエピソードを思い浮かべていた。琉球列島を含む全国各地の「妖怪民話」を20年以上にわたって聞き歩いてきた著者(藤井氏)の心を突き動かしてきたものもまた、とどのつまり「自分とは何か、人間とは何者か」という問いだったのではあるまいか。

著者のいう「妖怪民話」とは、説話研究者の間では「怪異譚」と呼ばれ、合理的には説明できない不思議な出来事(「怪異」)に人間が遭遇する話の総称である。20世紀後半の高度経済成長に伴う家庭や地域社会の構造的変化、さらには通信機器の発達やインターネットの普及に伴う大量情報消費社会の出現によって、「口伝えによる物語り」が絶滅の危機を迎えていると言われる今日、著者はこの危機意識から全国各地を行脚して、語り手の息づかいのする「妖怪民話」を訪ね歩いた。その末に著者がたどり着いたのは、不思議な出来事を通して普段の当たり前の生活の有難さを知ることができ、妖怪という存在を通して人間の弱さと強さ、愚かさと賢さを知ることができるという、民話に込めた先人たちの知恵だった。

本書には、「キジムナー」「エイ女房」「通り池の継子岩」「木の精の妖怪〝ヒーノモン〟」といった琉球列島に伝わる民話もいくつか収められているが、これらの話の背景にあるウチナンチュ(琉球列島の人びと)の暮らしぶりや語り手自身の横顔もあわせてたっぷりと紹介されている。それによって、突然に遭遇した怪異に畏れおののき、繰り返し訪れる理不尽さに唇を噛みしめながらも、ユーモアを忘れることなく、それでもまた上を向いて歩こうとしてきた先人たちのたくましさが、後の時代を生きる私たちにもより一層はっきりと伝わってくる。

生きる知恵が詰まった貴重な「聞き歩き」の記録を残してくれた著者に心から感謝するとともに、本書が多くの方に読まれることを願ってやまない。

(*本稿は著者・藤井氏からの依頼により「琉球新報」への掲載を目的として執筆したものであるが、55日現在、掲載未定である。)

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関連学会の大会情報

◇日本口承文芸学会2022年度大会

  202164日(土)-5日(日)

  札幌大学(対面およびリモート開催)

◇日本昔話学会2022年度大会

  202272日(土)-3日(日)

  関西外国語大学(対面およびリモート開催)

*詳細については当該学会HPでご確認ください。

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<編 記>

 この一年に、お二人の大学院生(肖塵嫣さん、尹惠貞さん)が入会されました。若い力が本学会を活性化してくれることは嬉しい限りです。

今回のニューズレターでは、発表者とコメンテーターとのやり取りを詳しく紹介しました。こうした形での親身あふれる批評や建設的な議論を通じて、互いに刺激し合い、励まし合って研究を進展させていくことは、規模の大きな学会にはできない、本学会ならではの特長であり、これからもそうした流れが続いていくことを期待しております。皆様どうか奮ってご発表ください。

 年会費の振込用紙を同封しましたが、オンラインでの振込も可能です。振替00900-3-92693(当座〇九九店92693)「アジア民間説話学会」までご入金ください。

 第18回大会を今年開催するかどうか、コロナ禍の先行きが見通せない中、韓国支部でも熟慮を重ねておられるようです。決まり次第ご連絡いたしますので、今しばらくお待ちください。今年度もよろしくお願いいたします。

(鵜野)