AFNS NEWS LETTER No.27

AFNS NEWS LETTER

No.27 May 2021

アジア民間説話学会 [The Asian Folk Narrative Society]

日本支部事務局:立命館大学文学部 鵜野祐介研究室気付

〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1 tel 075-466-3142 e-mail: y-uno@fc.ritsumei.ac.jp

学会HP : https://sites.google.com/site/afns2011/ (年会費:正会員3,000円、準会員 [学部学生] 1,000円)

<巻 頭 言>

鵜野祐介

陽光を浴びて咲き誇るツツジの花に初夏の訪れを感じる今日この頃ですが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。東京・大阪・京都・兵庫では緊急事態宣言が発令され、私の勤務する大学もオンライン授業のみとなったため、ステイホーム生活を余儀なくされております。政府・自治体の後手後手のコロナ対策に歯ぎしりしつつ、一日も早い収束が待ち望まれる所です。

 昨2020年10月に中国・武漢市で開催予定だった第17回国際大会は、今年10月29‐30日、北京で開催し、日本と韓国からはオンラインでの参加となることが決まりました。現地へ行かなくてもご自宅から簡単に参加いただけますので、よろしければぜひご参加下さい。ZOOM入室サイトが分かり次第ご連絡いたします。

 今回のニューズレターは、今年(2021)2月21日にオンラインで開催した2020年度日本支部大会での3つの研究発表とこれに対するコメントで構成しました。いずれ劣らず読み応えのある内容です。ご寄稿いただきました6名の方、ありがとうございました。 

会費納入の振替用紙も同封させていただいております。ご納入の程よろしくお願いいたします。

それではどうぞお元気でお過ごしください。


2020年度活動報告

「日本支部2020年度総会・研究大会」

2021年2月21日、オンライン(ZOOM)

13:00‐13:05 開会の辞  鵜野祐介 

13:05‐13:20 総会

1.2020年度活動報告・会計報告
2.2021年度活動計画
3.その他 


13:25‐14:10 研究発表1 小山 瞳

「中国中世期の文言系説話における『もの言う動物』について」


14:15‐15:00 研究発表2 岩男久仁子

「旧制桃山中学校教師 河島敬藏 註釋『ÆSOP'S FABLES 英文伊蘇普物語註釋』について」


15:15‐16:00 研究発表3 酒井董美

      「『釜の下の灰坊』-山陰のシンデレラから-」


16:05‐16:25 追悼会 参加者全員 

「故 筒井悦子さんを偲んで 筒井悦子『昔話とその周辺』の朗読 他」  

                                                             

16:25‐16:30 閉会の辞  辻 星児 


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研究発表1

「中国中世期の文言系説話における『もの言う動物』について」

小山 瞳

 昔話や寓話では、動物が動物同士で会話をしたり、人間と動物の間で意思疎通が成立したりする。しかし、動物がものを言うことはやはり不自然だったのか、中国中世期の文言系説話において動物がものを言う例は多くない。

 動物がものを言う状況については、秦漢以前、『荘子』『韓非子』『戦国策』の「寓言」等に「もの言う動物」の例が散見するものの、漢代以降、「怪力乱神を語らず」(『論語』述而篇)を信条とする儒教が官学化すると、「もの言う動物」は見られなくなっていく。その後、「もの言う動物」が出現するのは『太平広記』巻440「王周南」(出『幽明録』)まで待たなければならない。

 従来、『太平広記』所収の動物説話には、古代インドのジャータカやアヴァダーナに由来するものがあるという指摘があり(鄧麗玲『漢訳仏典動物故事之研究』等)、これら外来の動物説話が漢訳仏典『生経』『六度集経』等として結実するなかで、表現技法としての「もの言う動物」が中国の説話の中に取り入れられていったと考えられ、上述の「王周南」はその証左だといえる。

『太平広記』の動物説話において、動物が人間に変身することなく、ものを言う例は24例であった。それらのうち、動物の言語を聞き分ける人物の異能力を話題としていると考えられる例を除外し、動物の発話が直接話法の形で表現されている説話に限定すると21例となる。これらの「もの言う動物」は、山魈や猩猩など架空性の強い動物や、鸚鵡など実際にものを言う動物であったり(巻460「鸚鵡救火」等)、長寿の動物が人間のことばを話せるようになったものであったり(巻440「天宝彍騎」等)、怪をなす動物がものを言ったり(巻440「王周南」等)、政変を予兆するものであったり(巻439「都末」等)、神仏との関わりにおいてものを言ったりするなど(巻109「釈智聡」等)、動物がものを言う場合、特別な場面設定が必要となる。昔話や寓話に普遍的にみられるような、動物同士でごく自然に会話したり、動物と人間が自然に会話をしたりする例は『太平広記』には見られなかった。このことから、六朝〜唐にかけての「もの言う動物」は昔話や寓話で見られる「もの言う動物」と分けて考える必要があるだろう。

 だが、これらの「もの言う動物」の説話には、亀と桑が不用意に人語を発したことで懲らしめられたり(巻468「永康人」)、猩猩が人語を話して象の通訳をして、象を蛇の害から救ったりするなど(巻441「蒋武」)、寓話のように教訓めいているものや、昔話のように創作に富んでいるものが含まれる。このことから、『太平広記』の「もの言う動物」の説話には、宗教伝説のように何らかの情報を伝えることを目的としたものもある一方、プロップも指摘するような“気晴らしのための”昔話(齋藤君子訳『ロシア昔話』(1986)p.38)に近いものもあり、中国中世期における説話の形成を知る上で興味深い資料を提供してくれている。


<小山氏発表へのコメント>   斧原孝守  

 まず『太平広記』など多くの漢籍の中から、人語する動物に関する説話を集成された小山さんの努力を多としたい。

 ただ発表を聞いて釈然としなかったのは、何をもって「もの言う動物」とするかという、対象範囲の問題である。例えば「もの言う動物」の事例の中に、「間接話法」として、ある動物の会話を聞くことのできる人間の話があったが、これなどは動物の話を聞くことのできる能力に興味の主眼があり、もの言う動物の例として挙げるには適当ではないであろう。また「動物(異類)と人間の間で意思疎通が成立する」例として、『荘子』の髑髏問答の話まで挙げられていた。しかし動物を異類として、そこに人間の髑髏まで含めるとなると対象の分界が立たなくなる。

 一口に動物がもの言うといっても、動物昔話から伝説・奇談まで内容は様々である。やはり対象の内容を限定し、それらを通時的に、そして地理的な分布も考慮に入れながら見て行った方が実り多いのではないかと思った。

 なお「もの言う動物」は、日本の昔話には一つのタイプとしてあり(『日本昔話大成』204B)、昔話に関心をもつ人間にとっては、いささか誤解を招きかねない題名である。とはいえ、これだけの説話の集成は「宝の山」である。それらを別の基準で見直してみると、思わぬ発見があるのではないだろうか。


研究発表2

「旧制桃山中学校教師 河島敬藏 註釋『ÆSOP'S FABLES 英文伊蘇普物語註釋』について」    

岩男久仁子

 今回取り上げるのは、河島敬藏のイソップ寓話集の英文注釈本、註釋『ÆSOP'S FABLES 英文伊蘇普物語註釋』1902(明治35)年12月28日印刷、翌年1月1日発行・濱本明曻堂出版である。河島敬藏は、日本で最初にシェイクスピア作品を翻訳し、また、数多くの英語学習のための教科書を作成した。私が所属している桃山学院に連なる旧制桃山学院中学校の教師でもあったため、彼の著書の1つである『ÆSOP'S FABLES 英文伊蘇普物語註釋』を調査することにした。

 この本は、タウンゼント版の(George Fyler Townsend訳G. Routledge社の版本の1901年出版のThree Hundred Aesop’s Fables)逐語解説集である。河島が出版した注釈本は英語学習用のもので、英文116頁に対して86頁にわたる詳細な注釈があるので、初級学習者に最適なものと思われる。この詳細な注釈も興味深いが、私は、この本にあるわずかな「前書き」部分に注目した。特に「紀元千六百三十二年佛人メゼリックに由て初めて世に公けにせられたり其後英獨の諸學者が研究に由て得たる者も亦此の如し」の部分である。タウンゼント版の“LIFE OF ÆSOP” の章に、「M. Claude Gaspard Bachet de Mezeriac (クロード ガスパール バシェ ド メゼリック)が1632年に『イソップの伝記』を出版し、その後、様々な研究者が調査した。」とあり、「Mezeriac氏の『イソップの伝記』よりも以前に出版されているプラヌーデスによる『イソップの伝記』(14世紀)が存在しているが、これは真実味が極めて少なく、イソップの醜い姿絵や疑わしい作り話として廃棄されつつあるものとされてきている」とも記述されている。

 今日では、数多くの「イソップ寓話集」が存在しているにもかかわらず、「イソップの伝記」が付いていないものが主流である。「イソップの伝記」は単なる「物語」(虚偽)であって「歴史」(真実)ではないからというのである。ここで、「イソップの伝記」が省略された理由の一端がわかったことは興味深い。そもそも「イソップの伝記」は、紀元後1世紀から2世紀にまでさかのぼることができる。イソップの為人、容姿や身分、数々のエピソードが詳細に語られ、彼が死ぬまでの栄枯盛衰がドラマティックに描かれたもので、「イソップ寓話集」の寓話部の前文や後書きに、寓話を作った人の紹介として掲載され、内容が物語として大変興味深いものである。しかし、現代の版本に近づくにつれ、扱いが「雑」になり、イソップの伝記が省略化されている。

 私は、イソップの伝記の内容に注目するので、人物の実在の確証がないだけで、「歴史」(真実)ではないもの=「物語」(虚偽)つまり「廃棄」となるのは、残念である。現代の「イソップ寓話集」は、絵本や児童書で、寓話が中心の本であるが、2009年に熊日出版から、現代語訳『Esopo-イソップの生涯の物語 天草本伊曽保物語より』(中川哲子/プロデュース 他)が出版されている。題名の通り「イソップの生涯」だけの本で人形・造形の写真やイラストを使い、読むだけでなく見るのも楽しい内容になっている。イソップの伝記が「文芸書」という価値がつけられた書物になっている。寓話部の本が出版されるといいのだが、その様子はまだない。


<岩男久仁子氏発表へのコメント> 辻 星児

 発表者の岩男久仁子氏は、イソップ伝やイソップ寓話の研究ですぐれた業績をあげておられる研究者であるが、同時に勤務校である桃山学院の歴史を調査する調査研究員としても活躍しておられる。今回の河島敬蔵(1859-1935)の『ÆSOP'S FABLES 英文伊蘇普物語註釋』(以下『註釋』)に関するご発表も、その中での調査研究からの成果である。

 ご発表では、まず、本書の註釈者河島敬蔵の紹介があった。河島敬蔵は明治期に活躍した英学者、英語教師であり、シェイクスピアを最初に翻訳した人でもあったという(1883年『ジュリアス・シーザー』の翻訳)。シェイクスピアの翻訳と言えば、坪内逍遥だと、一つ覚えの筆者にとって蒙を開かれた次第であった。(なお、その後、少し調べてみると、シェイクスピアの(まとまった)翻訳については、1877年に出された翻案(作者不詳『ヴェニスの商人』梗概)を嚆矢に、『ハムレット』などの翻訳(稿本)や筋書きが若干あるそうだが、本格的な翻訳(公刊)は、1883年のこの河島敬蔵のものと、井上勤の『ヴェニスの商人』(同年)が最初だそうである。そして、坪内逍遥の『ジュリアス・シーザー』の翻訳は、その翌年1884年とのことである。)


 さて、ご発表の中心は上記『註釋』にあるが、氏は、とくに本書の前書きに注目され、そこから、イソップの伝記の扱い方が歴史とともになぜ省略されていくのかを論じられた。興味深い指摘である。筆者は、以前キリシタン版『エソポ』や古活字本『伊曾保物語』を読んだ時、(現代のイソップ物語と異なり)イソップの伝記があるのを不思議に感じたが、その理由を今回のご発表を聞いて納得した次第である。この問題は、近世以降における歴史と文学との対立にもかかわることでもある。いっぽうで、発表者はイソップの伝記が「廃棄」されることを問題とされている。これも大変意義深い指摘だと思う。「イソップの伝記」は所謂「伝記」としてではなく、(歴史的存在のイソップとは異なる)「イソップ」の文学としての価値をもっているはずである。発表者のご指摘のとおりであると筆者も感じる次第である。

 なお、ご発表では、『註釋』の原典はTownsend訳のThree Hundred Aesop's Fables1901年版とされているが、それはどこかに記載があるのだろうか。同書は、1867年版(?)以降、さまざまな版が刊行されており、寓話の数や順序が異なっているようである。ご発表の資料には、『註釋』と1901年版などとの寓話掲載順の詳細な比較表が載せられているが、これを見ても、両者の順序が一致しているわけではない。また、たとえ『註釋』が1901年版を基にしているにしても、この不一致はなぜだろうかという素朴な疑問は生じる。

 最後に、河島敬蔵がイソップを英語教材として採用し公刊したのは、語学教育者として優れた選択であったと思われる。イソップ寓話は、短文が多く、また文法構造や語彙も概して基礎的であり、また各話がまとまった内容(特に教訓的で日本人が好む内容)であるなど、その後、イソップ寓話が教材として用いられるさきがけをなしたと言えよう。

『註釋』が出されたのは1902年であるが、明治の英語教育史では、この頃、大きな質的転換があったとされる(外山敏雄2015)。その流れの中でみても『註釋』の刊行は大変興味をそそられる。今回のご発表は、私のような、イソップには門外漢の者にとっても、大いに刺激を与えられるものであった。


研究発表3

「釜の下の灰坊 -山陰のシンデレラから-」

酒井董美(ただよし)

 第17回国際大会のテーマは「シンデレラ物語」と設定されていますので、山陰地方(島根、鳥取)をフィールドとして収録を続けている筆者としては、関連した昔話を、自身の収録した資料を基に発表したものです。

 そこで島根、鳥取両県からシンデレラ物語のモチーフを持っている昔話を3例ずつ取り上げてみました。語りをそのまま提示するのは冗長に流れると思いますので、内容は梗概にとどめておきましたが、せっかくの機会なので1970年(昭和45)4月26日に島根県仁多郡奥出雲町大呂の安部イトさん(1894年=明治27年生)の生の語りを聴いていただきました。私の勤めていた鳥上中学校の生徒も数名一緒に聴いていたものです。

 出雲方言の柔らかい語りで「灰坊」を「ヘイボウ」となまって発音なさっていたのも地方ならではの語りではなかったでしょうか。

 レジメではわが国に伝承されている類話の全体像を知るために、稲田浩二・小澤俊夫『日本昔話通観』に当たって一覧表にしておきましたが、伝承の認められるのが40%(19府県)ありました。

 筆者の例示したものでは、主人公が男性である逆シンデレラ型が4例、女性の場合が2例であり、話型を見てみると次のようになります。


島根県= ①天人女房=仁多郡奥出雲町大呂 →主人公は樵夫の男性

     ②難 題 聟=仁多郡奥出雲町竹崎  →主人公は若旦那の男性

     ③  〃   松江市八束町二子  →主人公は若者の男性

鳥取県= ①灰坊=西伯郡大山町高橋  →主人公は零落した長者の息子の男性

     ②蛇聟入り=八頭郡智頭町波多  →主人公は百姓の娘である女性

     ③  〃   西伯郡三朝町山田  →長者の娘である女性


 いずれにしても物語の主人公は灰坊と呼ばれ、雇われた家で釜焚きになっている点が共通しています。

 そして当初人びとから蔑まれていた人物が、後半では何者かの援助で見違えるばかりに変身し、雇われた家にいる相手から認められて結婚し、幸せになるという筋書きは、主人公が男女にかかわりなく、大筋で言えばグリムなどのシンデレラ物語の主人公として登場している「灰かぶり」と同じであると言えそうです。

 そしてこのような階級上昇の話は、人びとにとっての理想でもあるのでしょうか、洋の東西を問わず広く存在していると言えそうです。

<酒井氏発表へのコメント>  黄地百合子

 酒井董美氏の発表は、「灰坊」と呼ばれるシンデレラ型の話が、山陰地方で濃厚に伝承されていることについて考察されたものであった。私は以前「姥皮」の昔話の全国的な分布を調べたことがあるが、その際に「姥皮」の主人公の娘の名を「灰坊」と言う例が山陰地方で特に多いのを不思議に感じたので、大変興味深く聞かせていただいた。

 酒井氏は島根県と鳥取県で計六話の「灰坊」の話を採録されており、それらの伝承状況を詳しく分析された。注目したいのは、一例を除き、「灰坊」が「天人女房」や「難題婿」、「蛇婿入」など様々の話と結びつくこと、及び「蛇婿入」の後半として語られる二例の場合は「姥皮」の展開になり主人公・灰坊を女子としている点である。

「灰坊」(または「灰坊太郎」)の話は全国に伝承されているが、他の地域でも『日本昔話通観』のタイプ・インデックスにあるような継子譚のもの以外に、種々の話と結びついて語られることが多く、そして主人公は基本的に男子だという。酒井氏が紹介された中で「難題婿」の話につながる例は全国的によく見られるものの、「天人女房」と結びつくものは少ないようである。

 また、「姥皮」の主人公が女子なのに「灰坊」と呼ばれる話が伝わる理由は、基本的には「姥皮」と「灰坊」のストーリーにいくつもの共通点があるためだろうが、両方の話が伝承されている他の地域で「姥皮」の主人公を「灰坊」と言う例は稀なので、山陰地方での「灰坊」の濃密な伝承の影響が考えられる。それは、今回のご発表からわかるように、山陰の語り手の方々が様々な話と結びつけながら「灰坊」の話を好んで語ってきた、言い換えれば「灰坊」話の人気故ということでもあるだろう。お陰様で私がかつて感じた不思議さの謎が解けたと言える。酒井氏の発表によって、「灰坊」や「姥皮」という一話型の分布などを考察する際にも、各地域における伝承全体の実態を踏まえなければならないことを実感し、貴重なご教示をいただいたのである。

「灰坊」はATU 314「黄金の若者」と510B「ロバ皮」のモチーフを併せ持つとされ、おそらく外国から伝播したものと考えられている。そして、日本では様々な話と結合し波乱万丈の物語的展開を持つ形で伝えられてきたこと、また山陰地方・南西諸島を中心とする鹿児島県・岩手県など濃厚に伝承される地域が限定的なことなど、興味の尽きない話と思われる。

 最後に酒井氏は、初めは周囲から疎まれた主人公「灰坊」が何者かの援助もあって苦労の末に幸福になるというストーリーは、多くの人々にとって人生の理想を語る魅力的なものとして語られ続けたのだろう…とまとめられたが、それこそがまさにシンデレラのストーリーの根幹と思われ、大いに納得させられたのである。


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2020年度会計報告 (2019.2.1~2020.1.31)

<収入>

・前年度繰越金        402,079

・2019年度分会費          6,000

・2020年度分会費      72,000

・入会費         1,000

・利子               1

収入合計      481,080


<支出>

・通信費              5,043

・コピー代            660

・稲田コレクション整理費用  27,875 

支出合計           33,578


◆2020年度残金 481,080-33,578=447,502円

会計:宮井章子、会計監査 未了


2021年度活動計画

アジア民間説話学会第17回国際大会

 2021年10月29日(金)-30日(土)

 主催:中国支部(オンライン開催)
 主題:東アジアのシンデレラ物語

 日本側発表者(50音順):

  鵜野祐介、黄地百合子、斧原孝守、酒井董美


アジア民間説話学会日本支部2021年度総会・研究大会

2022年2月20日(日)13時-16時30分

立命館大学大阪いばらきキャンパス またはオンライン開催

(研究発表・話題提供を希望される方はお早めに事務局までご連絡ください。)


情報アラカルト

会員の著書・論文(敬称略、50音順)


◇鵜野祐介

・「不条理と向き合う地蔵説話の伝承 ―『笠地蔵』『みちびき地蔵』『地蔵の予告』―」、
                 うたとかたりの研究会『論叢うたとかたり』第2号、2020/05、pp.2-19

・『子どもの替え唄と戦争 笠木透のラスト・メッセージ』子どもの文化研究所2020/07

・『センス・オブ・ワンダーといのちのレッスン』港の人2020/12

・(分担執筆)川勝泰介編『よくわかる児童文化』ミネルヴァ書房2020/12


◇黄地百合子

・『伝承の語り手から現代の語り手へ』三弥井書店2020/07


◇斧原孝守

・(崔仁鶴・樋口淳との共著)『韓国昔話集成8 形式譚、神話的昔話、その他(補遺)』悠書館2020/04


◇酒井董美

・『鳥取のわらべ歌』今井出版2020/06

・『山陰あれこれ』今井出版2020/10

・『海士町の民話と伝承歌』今井出版2020/11

・『新山陰の民話とわらべ歌』今井出版2021/03

・『山陰の民話とわらべ歌』【改訂版】今井出版2021/04

・「現代に残る江戸時代のわらべ歌~野間義学『古今童謡』を中心に」、『鳥取民俗学懇話会会報』第13号、2021/03


◇高島葉子

・『畏怖すべき女神の源流 ― 最果ての妖婆たち』三弥井書店2021/03 


◇西村正身

・ハレ要約版『王子と苦行者〈ビラウハル〉の物語』試訳、「作大論集」第11号、2020/08、pp. 1-28

・ハレ要約版以外の『王子と苦行者〈ビラウハル〉の物語』所収話梗概(付:系統図)、「作大論集」第12号、2021/02、pp.1-20

・翻訳:アルバート・L・シェルトン『チベットの昔話』青土社2021/04


関連学会の大会情報


◇東アジア日本学会 国際学術大会

  2021年5月29日(土)

  韓国・光州市、全南大学校(リモート開催)


◇日本口承文芸学会2021年度大会

  2021年6月5日(土)-6日(日)

  東京・高千穂大学

(対面開催またはリモート開催)


◇日本昔話学会2021年度大会

  2021年7月24日(土)-25日(日)

  大阪大学(リモート開催)


◇国際口承文芸学会第18回大会

  2021年9月5日(日)-8日(水)

  クロアチア・ザグレブ市(リモート開催)


◇説話・伝承学会2021年度冬季大会

   2022年1月9日(日)

  (会場未定、リモート開催)




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< 編 集 後 記 >

昨年(2020)9月、本学会創設以来の会員で、日本で開催した国際大会や日本支部大会で何度も昔語りをしていただいた筒井悦子さんが、享年85歳で亡くなられました。その前年(2019)3月に出版された『昔話とその周辺 語りながら考えたこと』(みやび出版)を改めて読み返しながら、筒井さんの「ラスト・メッセージ」を噛みしめています。


  お話を語るようになってみると、蛙も兎も鳥もたにしも、あぶや蚊、時には樹木さえもが自分と同じレベルで生き、しゃべっているではないか。…人間と動物・植物といった上下関係ではなく、全く同胞として生きているのである。そして、それぞれがみな自分の物語を持っている。つまりただそこに「ある」のではなく、何らかの意味を持って「存在」しているのである。…昔話を語ってみると、この世には何と不思議なことや楽しいことが満ち満ちているのかと思えて嬉しくなってくる(p.140)。


 筒井さんのご冥福を心からお祈りいたします。(鵜野)