AFNS NEWS LETTER No.22

AFNS NEWS LETTER

No.22

May 2016

アジア民間説話学会 [The Asian Folk Narrative Society]

日本支部事務局:立命館大学文学部 鵜野祐介研究室気付

〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1 tel 075-466-3142 e-mail: y-uno@fc.ritsumei.ac.jp

学会HP : https://sites.google.com/site/afns2011/ (年会費:正会員3,000円、準会員 [学部学生] 1,000円)

<巻 頭 言>

鵜野祐介(日本支部代表)

「五月が来た、五月が来た、一年経つてまた五月が来た」(木下杢太郎)――。新緑の季節を迎え、会員の皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

昨年のちょうどこの時候(2015年5月3日)に亡くなられた詩人の長田弘さんのエッセイを読んでいたら、次の一節が目にとまりました。「街を歩く、ゆえに街あり。人は歩く、ゆえに人あり。そういう思いをなくしたくない。街歩きを楽しむことができるなら、そういう自分はまだ信じるに足るかもしれない。空を見あげると、気もちが開けてゆく。そういう五月が、今年も街に来ています」(『なつかしい時間』岩波新書p.13)。長田さんには『詩ふたつ』(クレヨンハウス)という、クリムトの花の絵を添えて、先に逝かれた奥様に手向けた2つの詩、「花を持って、会いに行く」と「人生は森の中の一日」を収めた絵本があり、これもまた5月になると開いてみたくなる一冊です。自分が一番好きな季節に、新緑の風景に包まれて長田さんは旅立っていかれたのだと、改めて気づかされました。

桜花舞い散る4月はじめに逝かれた稲田浩二先生のご自宅で、今年もお花見会が開かれました。ここに越して来られて間もなく植えたというソメイヨシノと枝垂れ桜が今年も見事な花を咲かせていました。「花(春のうららの隅田川…)」と「椰子の実(名も知らぬ遠き島より…)」を歌い、筒井悦子さんの昔語りを聴き、祭寿司や筍に舌鼓を打って、なごやかなひとときでした。

先日、親戚の法事の席で、「回向(えこう)」には「往相回向」と「還相(げんそう)回向」があり、「還相回向」には仏となった故人が親戚縁者を一堂に会させることで疎遠になっていた絆を取り戻させるという意味合いもある、との法話を浄土宗の僧侶からお聞きし、稲田邸で毎年開かれるお花見会も「還相回向」ではないかと思いました。

今年10月には、中国・北京市で第14回国際シンポジウムが開催されます。2年ぶりに中国や韓国の「同行の徒」と再会し旧交を温めるとともにアジアの民間説話について議論する機会を持てること、これもまた「還相回向」の場かもしれません。日本からは8名の方が参加の予定です。当地の大気汚染が改善されていることを願いつつ、5ヶ月後を待ちわびたいと思います。大会の様子は本ニューズレター次号にて詳しくご紹介する予定ですので、どうぞお楽しみに。

末筆ながら、先日の熊本地震で被災され、今なお困難な生活を送っておられる数多くの皆さまに、心からお見舞い申し上げます。

2015年度活動報告

「日本支部2015年度総会・研究大会」

(2016年3月5日、立命館大学)

<総会>

1.2015年度活動報告

2.会計報告(後述)

3.2016年度活動計画(後述)

<研究大会>

話題提供1 佐々木幸喜(岡山大学)

「「鼠の会議」の受容―猫の首に鈴を付けられない鼠たち―」

話題提供2 西村正身(作新学院大学)

「「古屋の漏り」の起源を考える」

昔語り 吉川紗代 (長尾おはなし会 )

「蛇婿入り」「古屋の漏り」「天道さん金の鎖」 (「奈良の昔話」より)

「報告を終えて」

佐々木幸喜

[はじめに]

アジア民間説話学会に初めて参加したのは、2014年8月のこと。岡山市で開かれた第13回国際シンポジウム大会のときでした。その後入会申込みを(全く迷うこともなく)行い、日本支部2014年度総会・研究大会も続けて出席するつもりでいたところ、残念ながら開催日が大学での業務日と重なってしまったため(早くも“皆勤”を達成することはできませんでした)、今回が2回目の参加となりました。

また、今回は参加だけではなく、報告という大変貴重な機会までいただきました。お声がけくださった鵜野祐介先生には、この場をお借りして改めてお礼申し上げます。

[報告内容の概要]

題目:「鼠の会議」の受容

― 猫の首に鈴を付けられない鼠たち ―

本報告では、「猫」もしくは「鼠」を題に含む話において、<猫と鼠の不和>(A2494.1.4)というモチーフがどのくらいの頻度で出現するかを確認する。その上で、その話型の一つである「鼠の会議」が日本や中国でどのように受容されてきたかを見ていく。本報告は「はじめに」「おわりに 今後の課題」「《参考》文学作品における「鼠の会議」の受容」を含む五章構成で行った。

まず、「はじめに」において本報告の方針を示した。「<猫と鼠の不和>というモチーフ」(1章)では、稲田浩二『日本昔話通観 第28巻 昔話タイプ・インデックス』(1988年9月、同朋舎)に拠り、<猫と鼠の不和>をモチーフに含む話型7つを紹介し、当該モチーフが話の結末に現れることが多い点を確認した。その上で、各話型とその伝承地域を整理し、表に示した。話型の種類が多く見られる都道府県として、沖縄県と新潟県が5話ずつ、山形県と福島県が4話であった。本報告では、県境を接する新潟と山形の話を三種類(①「猫」「鼠」いずれも題に含まれるもの ②「猫」のみが題に含まれるもの ③「鼠」のみが題に含まれるもの)に分けて取り上げ、それぞれの話の特徴と②③についてはもう一方の動物が当該話に出現する比率とを併せて述べた。その結果、①では猫と鼠とは敵対する存在として描かれること、②では猫は鼠を捕らえる存在として描かれること、③では鼠は猫を恐れる存在、場合によっては、猫の姿にだけでなく、人間が真似た猫の鳴き声にも恐れをなす存在として描かれることを確認した。加えて、猫もしくは鼠の登場が、必ずしももう一方の動物の登場につながるとは限らず、猫・鼠両方の登場は、その二種が敵対する存在として描かれることを意味することが明らかになった。さらに、山形県では、イソップ寓話に由来すると考えられる「猫の首に鈴」が採話されていることを確認した。

「<猫と鼠の不和>の一話としての「鼠の会議」」(2章) では、イソップ寓話および「鼠の会議」に関する言及を紹介した上で、日本における類話(稲田浩二・小澤俊夫責任編集『日本昔話通観 第6巻 山形県』[1986年12月、同朋舎]所収「893 猫の首に鈴」)、中国における類話 (辻元[訳]『中国少数民族民話』[2013年11月、未知谷] 所収[第40話 ネズミの会議]) を取り上げ、イソップ寓話との共通点・相違点を検討した。なお、『通観6』には、「翻案的だが掲げておく」との注記があった。典拠となるイソップ寓話では、年長者が猫の首に鈴を付けることを提案するのに対し、『通観』の話でその提案をするのは「若い鼠」である。これは、典拠通り、年長者の提案を周囲が実現不可能なものとして片付けるより、『通観』のように、「老鼠」が周囲に考えさせる方が理に適っていることを示すための改変だとは考えられないだろうか。一方、『中国少数民族民話』ではその提案をするのは「灰色ネズミ」である。他のネズミも色を持つことが示されている点を踏まえると、この話を語った"仫佬族"において色彩が表す意味についても考察する必要があるだろう。

参考資料として、日本文学における「鼠の会議」の受容とその方法について挙げた。取り上げた作品は、安部公房「プルートーのわな」(1952年7月『現在』創刊号)である。人口に膾炙しているからこそ、素材として効果的であったと考えられる例である。

[感想]

席上において、多くの方からご教示を賜った。ここでは、いくつかのご意見を紹介するとともに、それに対する今後の展望を述べることで、感想に代えさせていただきたい。まずは、①題名に拠って分類や集計を行うことについて。多くご指摘いただいたことだが、題名は確かに採録者の裁量によるものも少なくないであろうし、この情報のみで話型の集計を判断するのは安直だったと考えている。

②本文資料の原典にあたってはどうかというご指摘について。黄地百合子先生から頂いたものである。『通観6』において「猫の首に鈴」を収録する「佐藤家」とは、同書「資料目録」によると、佐藤孝一[述]、武田正[著]『佐藤家の昔話』(1982年8月、桜楓社)である。黄地先生のお話によると、佐藤家は御伽衆として知られており、「鼠の会議」を含むイソップ寓話の摂取も仮名草子を介して行われたのではないだろうかとのこと。つまり、「893 猫の首に鈴」は在地のものではなく、仮名草子に由来する可能性が高いとのご指摘を頂戴した。これについては、武田正「御伽衆の昔話--佐藤家のこと」(1974年1月『日本民俗学』第91号)なども参照しながら明らかにしていきたいと考えている。

それも含めて、③日本や中国で見られる「鼠の会議」が独立発生型なのか、あるいは伝播型なのかという課題についても検討していきたい。また、斧原孝守先生からは質疑応答の時間だけでなく、発表後にも資料や情報を種々ご提供いただいた。記して先生方への謝意を示すとともに、論文による発表で改めてご批正を乞いたく思う。

「古屋の漏り」の起源を考える(概要)

西村正身

1「古屋の漏り」(ATU177)の最古の類話は『パンチャタントラ』であるとされる。ATUがそのⅤ10とする典拠は不明である。これは現存する『パンチャタントラ』の小本(900~1100年頃)Ⅴ11、広本(プールナバドラ、1199年)Ⅴ9に当たる。田中・上村訳の小本により梗概を記す。

羅刹が王女をさらおうとするが魔法の枕をしているので(補足:J.ヘルテルは「護衛兵がいるため」とする)連れ去ることができない。夜毎に現われては彼女を楽しむが、その間王女は震え、熱を出す。ある日の夜、羅刹が彼女に見えるように部屋の隅に立っていると、彼女が侍女に、「見て、あれが夕方(ヴィカーラ)になるといつもやって来て私を悩ますのよ」と言う。それを聞いた羅刹は、俺の他にも「夕方」という名のやつがいて、やはり王女を奪えないでいるのだ(発表時口頭補足:王女の言葉がこのような誤解を招く表現だとは思えない。設定に無理があると言える)。そいつの姿や力を馬に変身して確かめてみよう、と思う。その日の夜、馬泥棒がやって来て、羅刹が変身した馬を最上の馬と思い、くつわをはめて乗り、鞭打つ。殺されると思った羅刹は走り出す。遠くに行ってから泥棒は馬をとめようとするがとまらない。これは羅刹に違いないと察した泥棒は、軟らかい地面があったらそこで跳び下りようと決心するが、羅刹がバニヤン樹の下を通ったので、枝(J.ヘルテルは「ニヤグローダ樹の気根」)をつかんで逃れる。両者とも、これで助かったと喜ぶ。ところが偶然にその樹上に羅刹の友の猿がいて、怯えて逃げていく羅刹に、こいつは人間だから食ってしまえと言う。羅刹は元の姿に戻り、恐る恐る引き返してくる。腹を立てた泥棒は猿の尻尾が目の前にぶらさがっているのを幸い、思い切り噛みつく。羅刹よりこいつのほうが強いと思った猿は、黙ったまま歯を食いしばり、痛みに耐える。それを見た羅刹は、お前は夕方につかまったな、逃げるやつが生き延びるのだと言って去っていく。

この物語が記録に留められたのは『パンチャタントラ』小本が最初であり、祖本に最も近いとされる『タントラ・アーキヤーイカ』(300年頃)にはない。パハラヴィー語訳本系にもないので、祖本にもなかったと推定できる。では、いつ頃誕生したのであろうか。祖本や『タントラ・アーキヤーイカ』よりも古いとするなら、この物語を逸することはなかったと思われるので、ひとまずその成立は300年頃から、小本の下限よりも少し前の800年頃までの間であろうと考えられる。

2 だが何もないところからいきなりこの物語が生まれたとは思えない。その切っ掛けになったと思われる物語が『タントラ・アーキヤーイカ』Ⅲ6にある。

貧しいバラモンが贈られた二頭の牝牛を子牛のときから育て上げる。それに目を着けた盗賊が盗もうと、日が暮れると出かける。途中、見知らぬ者が肩に触れるので「誰だ?」と尋ねると、羅刹だと言うので、「俺は盗賊だ」と応える。羅刹はバラモンを捕まえることにして、二人は隅に身を隠し、暗くなるのを待つ。バラモンが寝入ると羅刹が進み出る。すると盗賊が、「まず俺に牛を盗ませろ。それからやつを捕まえろ」と言う。牛の声でバラモンが目を覚ましてしまうと羅刹が言い、先陣争いをしているうちにバラモンが目を覚ましてしまう。盗賊が、「羅刹がお前を捕まえようとしているぞ」と言うと、羅刹も、「盗賊が牛を盗もうとしているぞ」と言い、二人とも立ち去る。

この物語はパハラヴィー語訳本系や『パンチャタントラ』広本にもあるので、『パンチャタントラ』祖本にも含まれていたと考えられるが、小本にははい。エジャートンの系統図によれば小本と広本は失われた共通の原典に遡り、広本は『タントラ・アーキヤーイカ』ともつながっている。この共通の原典と『タントラ・アーキヤーイカ』がまた失われた共通の版から派生しているので、小本Ⅴ11に相当する物語は小本と広本の失われた共通の原典(『タントラ・アーキヤーイカ』以後の成立)の段階で入り込んだものと推定される。350年頃以降から800年頃までの間であろう。この推定年代は別の方面からもう少し絞ることができる。

3 イソップ寓話Aes. 158「狼と老婆」が「古屋の漏り」に係わるかもしれない。腹をすかせた狼がある家まで来ると、老婆が泣きわめく子供を脅して、泣きやまぬと狼にやるよと言っているのを聞き、真に受けて待つが、何も起こらなかったという話である。この寓話は1~2世紀のアウグスターナ本に含まれている。これが『鸚鵡七十話』所収話と係わるかもしれないのである。該当する話は広本では52~54話、小本では42~44話である。広本から梗概を記す。

夫婦喧嘩の末に妻が二人の子を連れて出ていく。森を歩いていると一匹の虎が近づいて来る。気づいた母親は子を叩いて泣かせ、「私は虎殺しだ、あの虎を殺してやるから二人で分けてお食べ」と言う。それを聞いた虎は逃げ出すが、途中で会った豺に説得され、互いに頸を縛りつけて戻る。気づいた女が豺に、「どうして一匹しか連れて来ないのだ」と言うと、女と豺がグルであったと思った虎は逃げ出し、頸に繋がれた豺は引きずり回される。豺は、このままだと私の血を虎殺しがたどって来て、きっとあなたを殺してしまうだろうと言って、虎から逃れる。

実際に虎を目にする機会の多いインドにおいては、出会ったら何とか難を逃れようとするのが人情なので、この話の展開に無理はない。「古屋の漏り」の初期の類話はこうしたものであったと考えられる。この話と『タントラ・アーキヤーイカ』3・6が出会うことで、『パンチャタントラ』小本Ⅴ11の話が誕生したと推測することはおそらく可能であろうと思われる。泥棒と羅刹が盗みに入り、共に去るモチーフは『タントラ・アーキヤーイカ』に、別の動物を連れてくるモチーフは『鸚鵡七十話』に由来している。誤解・勘違いのモチーフは、位置は違うが、双方にある。樹の枝をつかんで、疾走する獣から逃れるモチーフもインドには古くからある(2世紀頃とされる『大荘厳論経』9・53など)。この推定が誤っていなければ『鸚鵡七十話』の話は300年頃から450年頃の誕生と考えられる。『パンチャタントラ』小本Ⅴ11に採り込まれた話は450年頃以降600年頃までには成立していたであろう。600年頃までと推定する理由は、西アジアの『シンドバード物語』の中に類話があり、その祖本の成立が650~800年の間と考えられるので、伝播に必要な時間を考慮すると遅くとも600年頃までには成立していたと推測しなければならないからである。いわゆる古屋の「漏り」というモチーフ(あるいはそれぞれの地におけるモチーフ)が加わるのは、またさらに後のことと思われる。「古屋の漏り」はこの類話の発展の最終段階に位置していると言える。類話が文献で確認されるのは『パンチャタントラ』小本(900~1100)が最古だとされるが、シリア語版の『シンドバード物語』は10世紀の成立とされており、成立年に幅が想定されていないことから、こちらのほうが文献としては最古のものである可能性もある。(補足:J.ヘルテルは小本の年代を1000~1100年としており、そうであるならその可能性はいっそう高くなる。)

「古屋の漏り」の類話に大別して、『鸚鵡七十話』系(『パンチャーキヤーナ・ヴァールッティカー』2「ジャッカルと虎と猿」、西岡直樹『インド動物ものがたり』「ジャッカルのほら」など)と『パンチャタントラ』系(日本の「古屋の漏り」など)の2種があることも、これまでの推定によって理解することができる。両系に共通しているのは(家の中の)人と獣/羅刹の双方が相手を目にしていることであるが、これがその後、人が獣/羅刹に気づいていない、あるいは見えていないという語り方に変化することで東アジアの類話が誕生したと考えられる。イソップ寓話Aes.158「狼と老婆」が「古屋の漏り」誕生に係わったとするなら、おそらくその段階のことであろう。互いに相手が見えないというモチーフが採り込まれたのである。外から家の中の人が見えないほうが、その人の発する意味のわからない言葉を誤解・勘違いする蓋然性も高くなる。未知の言葉であるなら何でもよくなり、ヴァリエーションも豊富になる。伝播した土地や国それぞれに合ったものに容易に変化していくことが可能になるのである。イソップ寓話の東伝にはソグド人商人が一役買っていると思われ、その活躍は6世紀頃から8世紀頃のことである。

柳田国男は「いわゆる『古屋の漏り』が狼よりもおっかない話などは、禅家か心学の説教にでもありそうな話で、その思い付きから見て少しも古いものではない」、「近世寓話」であると言っている(『桃太郎の誕生』「古屋の漏り」)が、その判断は正しいものと思われる。しかし、その基となった話はそれ相応に古いものであったのだ。

4『万葉集』16・3833に、「虎に乗り古屋を越えて、青淵に鮫龍とり来む剣刀もが」という境部王の和歌がある。作者は722年(養老6年)に亡くなっており、この歌の背後に「古屋の漏り」があるとするなら、これまでの推定から「古屋の漏り」はどれほど遅くとも7世紀後半までに日本に伝播して、なおかつ広く知られていたとみなさなければならないであろう。しかし、「漏り」をモチーフとする話の成立は7世紀以降のことと考えられるので、この歌の背後には「古屋の漏り」はないと見なさざるを得ないと思われる。

(資料・系統図・関連年表は省略)

【発表を終えての感想】柳田国男は、「今残っている文献のみによって、民間文芸の起源を推究しようとした方法は誤っている」(『昔話と文学』「笑われ聟」)と言っているが、今回の発表はまさに「今残っている文献のみによって」「古屋の漏り」の起源を考えてみたものである。異論の噴出を期待していたのだが、残念ながらそれはなかった。これからでも、ここはおかしい、こうは考えられないか、これは誤解だろうなどなど、御教示くだされば幸いである。とりわけ『鸚鵡七十話』所収話と『パンチャタントラ』所収話の先後関係や推定年代をどう判断するかが問題であろうと思われる。

2015年度会計報告 (2015.2.1~2016.1.31)

<収入>

・前年度繰越金 223,496(円)

・2013年度分会費 3,000

・2014年度分会費 6,000

・2015年度分会費 66,000

・2016年度分会費 3,000

・入会金 2,000

・利息 24

(2015年度総会・研究大会)

・参加費 20,000

・懇親会費 65,000

収入合計 388,520

<支出>

・通信費 892

・総会・研究大会諸経費 2,166

・懇親会費 80,100

支出合計 82,158

2015年度残金 388,520-83,158=305,362円

会計:山中郁子、宮井章子、会計監査:中塚和代

2016年度活動計画

A.第14回国際シンポジウム大会

2016年10月14-16日 中国・北京市

B.日本支部2016年度総会・研究大会

2017年2月25日(土)立命館大学

C.その他

入・退会者

(入会)黄地百合子氏、藤井和子氏

(退会)小田宏子氏(*ご逝去)

情報アラカルト

1.近刊情報

(会員の著書・論文、50音順・敬称略)

◆鵜野祐介

・『日中韓の昔話 共通話型30選』みやび出版 (2016/04)

・「「地方学」から「桃太郎伝説」へ―地域に根ざした誕生期児童文化運動の担い手たち」、子どもの文化研究所『研究子どもの文化』第17号 (2015/12)所収

・「殺された子どもの行方―昔話「継子と鳥」とATU720類話にみる〈あわい〉存在としての子ども―」、白梅学園大学子ども学研究所「子ども学」編集委員会編『子ども学』第4号、萌文書林 (2016/05) 所収

◆黄地百合子

・「昔話を聞くこと、語ること」、日本昔話学会『昔話

-研究と資料-』44号 (2016/03) 所収

◆酒井董美

・『ふるさとの民話』第13集 出雲編Ⅲ、第14集 石見編Ⅲ、第15集 隠岐編Ⅲ、ハーベスト社 (2016/05)

・「臼挽き歌あれこれ」、石見郷土研究懇話会『郷土石見』98号 (2015/05) 所収

・「吉賀町に見る山の信仰の名残」、『郷土石見』99号 (2015/09) 所収

・「島根半島の民話③ちんちんこまこま」、『島根半島四十二浦巡り』第12号 (2015/10) 所収

・「島根半島の民話④飯山狐」、『島根半島四十二浦巡り』第13号 (2016/01) 所収

・「民話「桃太郎」を考える」、鳥取短大北東アジア文化研究所『北東アジア文化研究』 (2016/03) 所収

◆佐々木幸喜

・「戯曲「最後の武器」にみる安部公房の翻案態度 ―加藤衛「世界に警告する」との比較から―」、『歴史文化社会論講座紀要』第13号 (2016/02) 所収

・「安部公房における科学と文学」、博士学位論文(京都大学)、(2016/03)

◆立石展大

・「中国貴州省の傘に関わる民俗と昔話」、昔話伝説研究会『昔話伝説研究』第35号 (2016/03) 所収

◆西村正身

・『シュカサプタティ(小本)』翻訳、私家版 (2015)

・『タントラ・アーキヤーイカ』翻訳、私家版 (2015)

・「王冠を戴く王と王妃と賢人シンドバードと七人の大臣の物語(アラビア語版「シンドバード物語」At)」翻訳、『作大論集』第6号 (2016/03) 所収

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(会員以外の関連図書)

・金賛會『お伽草子・本地物語と韓国説話』三弥井書店 (2016/02)

・高木昌史『グリム童話と日本昔話 比較民話の世界』三弥井書店 (2015/12)

・崔仁鶴・厳鎔姫『韓国昔話集成3 本格昔話(2)』

悠書館 (2016/03)

・日韓比較文学研究会編『翻訳 韓国口碑文学大系(1)』金壽堂出版 (2016/02)

・二本松康宏監修『水窪のむかしばなし』三弥井書店(2015/04)

・同上『みさくぼの民話』三弥井書店 (2016/04)

・福田晃・百田弥栄子・金賛會『鷹と鍛冶の文化を

拓く 百合若大臣』三弥井書店 (2015/12)

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2.関連学会等の大会情報

・日本口承文芸学会 2016年度大会

6月4-5日 北海道大学

・日本昔話学会2016年度大会

7月9-10日 高千穂大学(東京)

・第13回全日本語りの祭りin松江

9月4-6日 玉造温泉ホテル玉泉

・日本児童文学学会2016年度大会

10月29-30日 日本女子大学

*詳しくは各学会HP・ブログ等をご覧ください。

<編 集 後 記>

本号は、今年(2016)3月の日本支部2015年度大会で話題提供をして下さった佐々木氏と西村氏にご寄稿いただき、大変読み応えのある紙面となりました。

本学会創設以来の懸案だった『日中韓の昔話 共通話型30選』をようやく刊行することができました。監修・補足執筆をしてくださった皆様や、励ましの言葉をくださった皆様のおかげです。内容的に不十分な点が残っていることは承知しておりますが、これを一里塚として次の一歩を踏み出していきたいと思っております。ご注文の希望をはじめ本書に関するお問い合わせやご意見・ご感想は学会事務局まで。

今年度もよろしくお願いいたします。(鵜野祐介)