The 110th Visit: February 26, 2017: Ishinomaki city石巻市訪問
-Attendance at Seminar of Study on Ishinomaki Local History.「よみがえる北上河口の歴史」セミナーへの出席
-Talking with Dr. Miura about Restoration of Kamiyama's House of Onozaki.尾崎の神山家修復に関して関係者との打ち合わせ
The 109th Visit: February 17, 2017: Ishinomaki city石巻市訪問
-Attendance at Committee for Restoration of Ishinomaki city's Modern Architectural Heritage.「よみがえる北上河口の歴史」セミナーへの出席
-Talking with Mr. Kobayashi, master-plasterer about Restoration of Mr. Saito's Dozo.斉藤家土蔵の修理現場の視察
The 103ed Visit, October 14~18, 2016: Supervision of Ishinomaki's Heritage Buildings.
第103回活動メモ:石巻市指定文化財の修理工事指導と実施設計指導
The 102ed Visit, September 6~13, 2016: Supervision at Kesennuma, Committee Meeting of Ishinomaki Modern Architectural Heritage
第102回活動メモ:気仙沼市内湾地区における修復工事監修と石巻市の近代建築修復委員会への出席他
・石巻市指定文化財「観慶丸」の工事監修、同「旧正教会石巻聖堂」の実施設計監修
・国史跡「斉藤家庭園」土蔵の修理工事の視察調査
・気仙沼市内湾地区の登録文化財の修理工事指導
The 101st Visit,August 13~16, 2016: Tour Survey of Heritage Restoration along the Sanriku Rias coastal line.
第101回活動メモ:石巻から三陸沿岸を北上し大槌までの復興状況の視察
The 100th Visit,June 18~21, 2016: Field Survey of DOZO Restoration at Kesennuma and Tome city
第100回活動メモ:登米市と気仙沼市において土蔵修復のための調査及び打ち合わせ本
・石巻市の史跡「斉藤家庭園」土蔵の修理をやっている小林さんらと大嶽山興福寺と登澤家土蔵造り店舗の調査
The 99th Visit, May 25~28, 2016: Discussion with Ootake-san Kofukuji Temple's Chief Priest of Restoration of the damaged Dozo, etc
第99回活動メモ:登米市大嶽山興福寺土蔵と気仙沼市本吉町登澤家土蔵の修理に関する打ち合わせ他
・大嶽山興福寺土蔵:日本ナショナルトラスト他への修理助成金申請の準備
・気仙沼市登澤家土蔵造店舗:修理の意志の確認と構造の調査
・観慶丸の修理工事現場の視察
The 98th Visit, April 17~21, 2016: Supervision of Restoration Work of Kakuboshi, Kesennuma
第98回活動メモ:気仙沼市の角星酒造店舗の復元工事の監修視察と石巻市尾崎の神山家の実測調査
・栄和建設さんの施工で角星酒造店舗の復原工事
・尾崎の神山家の実測調査及び神山さんと打ち合わせ
The 97th Visit, March 16~18, 2016: attending at Ishinomaki city Committee of Restoration of Modern Heritage Buildings
第97回活動メモ:石巻市近代建築修復保存調査委員会への出席他
・一関市大東町及び東山町の建築調査
The 96th Visit, March 16~18, 2016: attending at Ishinomaki city Committee of Restoration of Modern Heritage Buildings
第96回活動メモ:石巻市近代建築修復保存調査委員会への出席他
・観慶丸修理工事開始の報告
・旧ハリストス正教会石巻聖堂の修理実施設計について
The 95th Visit, March 2~5, 2016: Looking for site for Tohoku Heritage Centre Office
第95回活動メモ:東北ヘリテージセンター事務所の開設準備
・仙台市野草園裏手の中古物件の調査。
・仙台市泉区周辺での事務所予定地探し。
The 94th Visit, January 3~7, 2016: Kesennuma, Ichinoseki, Ishinomaki, Sendai
第94回活動メモ:修理修復事業の進捗状態の調査及び関連資料の収集
・一関市の花泉町、川崎町、松川町、大東町--農家の調査
・陸前高田市の矢作町--天然スレート葺き調査
・気仙沼市--内湾地区再開発状況の視察調査、リジリエンスに関するワークショップへの参加
・宮城県立図書館にて近代資料の収集
・石巻市にてハリストス正教会聖堂の解体部材の調査他
The 93rd Visit, December 4~10, 2015: Ishinomaki, Tome and Ichinoseki
第93回活動メモ:石巻市近代建築修理修復調査研究委員会への出席
・観慶丸の実施設計の検討
・気仙沼市内湾地区の再開発状況の視察調査他
The 92nd Visit, October 9~12, 2015: Kesennuma, Ichinoseki, Kurihara and Ishinomaki
第92回活動メモ:気仙沼誌かぜ待ち復興検討会他への出席
・気仙沼かぜ待ち復興検討会:ささ木三事堂と小野建商店土蔵の左官工事について
The 91st Visits, September 6~15, 2015: Ishinomaki and Ichinoseki
第91回活動メモ:気仙沼誌かぜ待ち復興検討会他への出席
・石巻市E家主屋・土蔵などの実測調査
・石巻市教育委員会との打ち合わせ
観慶丸の文献調査、天雄寺観音堂修理工事報告書のまとめ方
The 90th Visits, August 6~15, 2015: Kesennuma, Tome, Kurihara and Ishinomaki
第90回活動メモ:気仙沼誌かぜ待ち復興検討会他への出席
・気仙沼市かぜ待ち復興検討会2014年度総会
小野建商店土蔵の修理(扉と外構を除く)終了、角星酒造店舗の修理計画とささ木三事堂の修理工事の承認、基盤整備計画の進捗状態の承認、他
・一関市川崎町C板金において、天然スレート産業についての聞き取り
・一関市藤沢町において、菅原木工と天雄寺観音堂修理工事報告書に関する打ち合わせ
・一関市教育委員会H氏へ挨拶及び聞き取り
-一関市千厩町において、くらの交流施設及び美術館(土蔵)の修理工事を視察
-石巻市河南町のE家の登録文化財調査の打ち合わせ
The 89th Visits, July 16~18, 2015: Oosaki city, Tome city, Kurihara city, and Ishinoseki city
第89回活動メモ:石巻市近代建築修理活用調査委員会への出席他
・大崎市岩出山町森民酒造店建物の登録文化財の説明
・大崎市古川のO設計事務所と登録文化財の活用について相談
・気仙沼市登録文化財千田家修理工事に関して一関市O建設と打ち合わせ
・栗原市築館の石心にて、建築材料としての石についての聞き取り(未完)
・登米市興福寺六角堂調査
・一関市千厩、藤沢、花泉の土蔵視察調査
The 88th Visits, June 17~21, 2015: Sendai, Ishinomaki, Oosaki, Ichinoseki, Rikuzen-Takaza and Sumida
第88回活動メモ:石巻市近代建築修理活用調査委員会への出席他
・石巻市教育委員会にて観慶丸修理基本計画の検討
・大崎市教育委員会にて森民酒造店建物の今後について、同建物の現況視察
・宮城県教育庁文化財担当者と震災復興事業について意見交換
・大崎市S建設のM氏から昨今の建設業界について事情徴収
・陸前高田の気仙大工伝承館にて施設の見学と館員との意見交換
・住田町役所教育委員会文化財担当者及びまちづくり担当者と、被災歴史的建物の修復について意見交換
・一関市花泉町沼田のC家の修理活用について調査、五代目源右エ門の小川社長と一緒。その後同町老松のC家土蔵視察。
The 87th Visits, May 16~18, 2015: Sendai, Ishinomaki
第87回活動メモ:石巻市指定文化財「天雄寺観音堂」修理落慶式への出席他
・天雄寺観音堂落慶式への参加→感謝状をいただきました。課題として修理報告書をつくるか?
・尾崎集落のK家修理の準備→壁中塗り、登録文化財への申請
・旧河南町のE家の登録文化財申請
The 86th Visits, May 5~11, 2015: Ishinomaki, Oosaki, Ichinoseki, Kesennuma, Esashi, Sumita
第86回活動メモ:石巻市近代建築修理活用調査委員会への出席他
・観慶丸の修理補強案の検討
・一関市の菅原木工のもとで天雄寺観音堂の最終監理
・気仙沼市教育委員会にて,内湾地区登録文化財修理事業の打合せ
・旧江刺市及び住田町における震災被害調査
・宮城県建築士事務所協会
The 85th Visits, April 3~9, 2015: Kesennuma-city, Sumita-town, former Esashi-city
第85回活動メモ:気仙沼復興検討会,住田町と旧江刺市
・住田町と旧江刺市の農家の被災調査
The 84th Visits, March 6~10, 2015: Misato-town, Oosaki-city, Ishinoseki-city, Ichinoseki-city
第84回活動メモ:美里町,大崎市,石巻市,登米市,一関市
・大崎市教育委員会にて,登録文化財申請書作成についての打合せ
・美里町,石巻市,登米市,一関市において震災被害調査
The 83rd Visit, February 9~10, 2015: Ishinomaki, Kesennuma and Sumita
・石巻市雄勝町の天雄寺観音堂の修理監修及び上棟式出席
・気仙沼内湾地区の復興事業進捗状態の視察
・気仙地区、特に住田町の歴史的建築の震災被害と修復の視察
The 82nd Visit, February 9~10, 2015: Ishinomaki
・石巻市近代建築修理活用委員会への出席
・天雄寺観音堂の修理工事監修
The 81st Visit, January 31~February 1, 2015: Kesennuma and Ishinomaki.
・仙台の建築家の方と千田家、男山本店、武山米店他の修理実施設計に関する打合せ
・気仙沼内湾地区の復興事業の進捗状況の視察及び聞き取り
・天雄寺観音堂の修理工事監修
・石巻市中心部の復興事業の進捗状況の視察及び聞き取り
The 80th Visits, January 3~6, 2015: Ishinomaki, Shiogama and Kesennuma
・天雄寺観音堂の修理工事監修
・塩竃から気仙沼にかけての歴史遺産の修理状況の視察及び聞き取り
The 79th Visits, December 20~23, 2014, Visit to Sendai, Ishinomaki, and Kesennuma
第79回活動メモ:気仙沼(風検)と一関市千厩(雄勝)
・仙台の宮城県婦人会館で宮城県建築士会「ヘリテージ・マネジャー養成講座」で講義
・石巻市教で文化財修理スケジュールの確認
・旧雄勝町の天雄寺観音堂修理工事の監修業務
・気仙沼内湾地区の復興事業の進捗状況の把握
・復興住宅の建設と地元建築士・工務店の対応状況の聞き取り調査
The 78th Visits, November 14~17, 2014, Visit to Kesennuma and Ishinoseki
第78回活動メモ:気仙沼(風検)と一関市千厩(雄勝)
・旧雄勝町の天雄寺観音堂の修理工事の現場打合せ
・気仙沼千田家を開かれる文化財ディーへの出席
The 77th Visits, November 6~8, 2014, Visit to Kesennuma and Ishinoseki
第77回活動メモ:気仙沼(風検)と一関市千厩(雄勝)
・小野建商店の土蔵修理左官工事の終了確認。所有者さん、市教の幡野さん、及川左官
・ささ木三事堂の修理左官工事の打合せ。ここで大失態が八角!
・雄勝の天雄寺観音堂の再建工事の打合せ。
Fig.1旧田尻町の土蔵の解体現場 Fig.2 旧本吉町津谷の被災度蔵 Fig.3 Croquett's Shop at Kesennuma
{恒例のかぼちゃコロッケ+コーヒーをいつものお店でいただいた。おばちゃんと会うのは50回を越え、元気でね}
The 76th Visits, September 24-25, 2014, Visit to Kesennuma
第76回活動メモ:気仙沼(風検)
・気仙沼内湾地区の歴史的建物の位置づけと修復方法に関して、都市計画部局、風待ち復興検討会、事業担当建築コンサルタントで調整
これまで2年以上塩漬けでしたが、担当部局と再開発コンサルタントの協力で11月頃から目に見える形で前進しそうです。
・小野健商店土蔵の修理工事の監理
修理工事以外のところで課題がいくつかあります。かつての土蔵の姿や修理過程を写真以外でどのように見せるかです。費用の問題もあります。
The 75rd Visits: September 16~18, 2014, in Shiogama, Ishinomaki and Kesennnuma
第75回活動メモ:塩竃,石巻,気仙沼(科研)
1)塩竃市中心部の被災建物の修理活用状況調査他
・某老舗の土蔵:先の塩竃市中心地の損傷建物調査で見つけた置屋根土蔵を、今回拝見させていただくことができた。つい最近、白河の左官屋さんが修理に入られ、粗壁付けが終わったところだった。たいそうな修理代がかかるにもかかわらず、土蔵を守って頂いた所有者さんに感謝。聞くところによると江戸時代の建設。その脇に貼石蔵があり、腰壁が外に広がり、珍しいものだった。白河の左官屋、芳賀石材店、田中社寺。
・丘の上の土蔵:某老舗の土蔵ととよく似ていた。こちらの所有者さんは修理に苦慮されていた。
・数棟の石蔵:新たに石蔵を見つけ、その類似性から設計と構法の仕組みが判明した。
2)石巻市内の被災建物修理活用状況調査
・中心部にある石蔵の所有者
・上の川プロジェクトの視察
・復興まちづくり関係者への聞き取り
3)天雄寺観音堂修理に関して
・本吉町の佐藤建設さんが昭和53年に大修理をされたので、その時の経緯とやり方を知りたいと思い電話。佐藤建設さんは2006年に廃業しており、さらに今回の津波で家と作業場が流され、過去の記録がすべてなくなった。
The 74th Visits, August 15~21, 2014, Visit to Ishinomaki, Tome, Ichinoseki
第74回訪問:石巻、登米、一関(石巻市)
・石巻市近代建築保存活用専門委員会への出席
・花泉町のC家土蔵の調査
北上川河川改修のためこの集落は立ち退きを迫られた。
・気仙沼で使う平瓦手配の支援:「駒屋」修復でお世話になっている高浜の某瓦屋さんから適切な値段で購入することに。
The 73rd Visits, Aug. 7~10, 2014, Visit to Tagajyo, Shiogama, Ishinomaki, Tome, Kesennnuma
第73回活動報告:多賀城,塩竃,石巻,登米,気仙沼(科研)
・今回は,科研費「東日本歴建修研(東日本大震災で被害を受けた歴史的建造物の修復研究)」の一部を,学生4名を引き連れて行ってきました。
This tour is a part of research work of restoration of built heritage damaged by 2011 Earthquake and Tsunami of 2014 Scientific Research Grant Category C, and was carried out with my 4 students.
8月7日,東北歴史博物館にて, at Tohoku Museum of History, Tagajyo city.
・この博物館が開館してから一度も来たことがなかった。震災後月一度は宮城に来ているというのに。20歳前後の時,小牛田から仙台まで数年間通勤したことがあり,東北本線はなぜ古川を通らずに小牛田を通るようになったのか,東北本線がなぜ岩切で利府駅に分岐することはよく知っていた。今回は降り立ったのは山王と塩竃の間に当館会館と同時にできた国府多賀城駅。そうそう,岩切という駅名も石蔵調査にとって気になるところ。
・博物館は展示収蔵機能に重きを置くべきことは分かるが,この建物のように仕上げをコンクリート打ちっ放しにすると,なおさらコンクリートの塊だけが強調されてしまう。
・縄文式建物の復原
・江戸後期の石巻と古川の板絵
・仙台町並みの復原模型
・石巻正教会聖堂の模型
・今野家
8月8日,塩竃, Shiogama
・駅名「岩切」を調べねば
・塩竃旧市街--小さな町ですね
・石蔵
・醸造蔵
・石塀
8月9日,石巻, Ishinomaki
・石蔵
・醸造蔵
・石塀
・観慶丸
・登米に立ち寄り
8月10日,気仙沼,雨, Kesennuma, rain.
・ああ,残念
・千厩の菅原木工
The 72nd Visits: July 8~9, Visit to Ishinomaki, Kesennuma, Ichinoseki.
第72回活動記録,石巻,気仙沼,一関,7月8日〜10日
・今回はバンドン工科大学のイワン先生をお連れして,石巻,女川,気仙沼,一関に行ってきました。
This is a part of Scientific Research Grant Project, and I visited several sites with Prof. Iwan of ITB.
7月9日July 9 at Ishinomaki
ー石巻市教文化財担当者との打ち合わせ
1) 観慶丸と旧正教会聖堂については近代建築修理活用専門委員会の立ち上げ
2) 天雄寺観音堂修復については県教育庁文化財建造物担当者と建築史専門家による指導
7月10日July 10 at Kesennuma
ー気仙沼市教文化財担当者との打ち合わせ
1) 内湾地区再開発計画の進捗状況
2) 小野建商店土蔵修理の監理
3) 天雄寺観音堂の修理方針の確認
The 71th Log,May 1~4, Visit to Ishinomaki, Kesennuma, Ichinoseki.
第71回活動報告,石巻,気仙沼,一関,5月1日〜4日
December 31 2013, Story of "KAKUBOSHI Shop", it was rebuilt in same form after the 1929 fire.
・角星酒造店舗の2階に見える戸袋はハリボテです。『気仙沼写真帖(1977年刊)』に先代の建物が紹介されており,昭和4年大火後に先代の建物のデザインを踏襲して再建したことがわかります。先代の建物では2階窓は障子と雨戸で構成されていましたが,すでにガラス窓の時代となっており,さらに再建に際して2階を事務所として用いることにしたので雨戸は要らなくなったのですね。それでも慣れ親しんだ戸袋が欲しくて,人々は過去の記憶を辿って再建してきたことがよく分かります。ハリボテも意味があるんですね。
December 5, 2013, The Thrones of Creation of Restoration Scheme at Kesennuma Inner Bay Area
-2011年大震災から1000日を過ぎ,やっと気仙沼内湾地区の復興まちづくり計画がまとまりつつあります。それにともなって歴史的建築物の修復計画を再検討しなければなりません。結構頭の痛い問題なんです。小野健商店土蔵は揚屋しないでもいけそうなのに,住宅店舗をすでに70cmも揚屋してしまい,それとどう兼ね合いを付けるか。千田,角星,男山,武山の建物は木造建築禁止区域にあり,登録文化財だからといって存続が許されるのか,許されるのならどんな補強をしなければならないのか。武山は前面道路が拡幅されることになっていますが,後方はどん詰まりで曳き屋ができないなどなど。今が産みの苦しみなのかと思いますが,駒屋の修復監修と豊川の大橋家修理計画作成もあり,頭が回らない。さらに来年には、石巻の3件の修復プロジェクトが動き出します。
October 24, 2013, Great Disappointment, No Power to Save Konishi's Residence, Ishinomaki
-「無力,無力,ああ,無力」本当に小西家の存続に最大限の努力をしただろうか。通りに面する店舗が中の小西家住宅を隠してきたので,石巻では高齢者しかその存在はしられていなかった。解体決定という話は市の担当者から聞いていたが,他の市の事例もありそう急になるとは思わなかった。今回来てみたら,1週間前解体が終わっていた。表の商店が撤去されると小西家住宅が露わになり,昔の姿を思い出し方々,初めて見る方々,皆さんからその時の様子を聞いた。何人かの方は,解体が進むにつれていたたまれなくなり,市に電話したという。涙が溢れて止まらなかったという。ああ,あの時,市がだめでも財団に掛け合ってみればなんとかなったかもしれない。インターネットを通じて多くの人に実情を伝えていたら,なんとかなったんじゃなかったか・・・・・・・。小西家住宅ほど石巻の歴史文化を背負ったものはなかった・・・・・。
September 11 , 2013. Opening of Restoration Centre of Kesennuma Heritage Buildings
-千田家を応急修理し,風待ち復興検討会の仮事務所として活用することになりました。今日は工事について担当大工さんと事務局長の幡野さんと工事の打ち合わせ。それとともに内部の片付けと若干の内外装を私たちの手でやり,月末には一般公開できるでようにしたい。9月の連休,ボランティアを募集しています。『気仙沼歴史的建造物修復センター』の開所式を室内にパソコン一台おいて幡野さんと執り行ってきました。気仙沼港に初めて秋刀魚が水揚げされ,いくつかの店頭にならんでいましたが,まだまだ値段が高く,手が出せませんでした。来週来たときには買って帰れるかも。
January 19, 2012. Oosaki City
・19日は大崎市教育委員会を訪問した。旧古川市中心商店街では、これ までいくつかの活性化事業をやってきているが、歴史的建築物との連携がまったくできていない。残っている古い建物を一つでも二つでも市指定文化財や国登録文化にし、町固有の歴史文化を大事にしているという姿勢を見せるべきであった。 文化財が身の回りにあるというだけで住民の意識が高まり、また旅行者をひきつける。岩出山も旧 有備館という強い文化マグネットがあるにもかかわらず、その回りにある歴史文化を顕在化してこ なかった。震災復興事業の中でまちづくりを再考する機会があるとすれば、ぜひともこのようなこ とを検討していただきたいと感じた。
January 17~21, 2012. Kesennuma
・18日午後は気仙沼市役所へ。石巻から近いと思っていたら大間違い。志津川を通ってしまい、車で2時間半もかかった。気仙沼市中心部は、復興事業関係者でたいそう賑わっていた。旧市街地には数棟の登録文化財があり、所有者さんがまだなんらかの商売をしていることもあり、修理して使いたいと市教育委員会に相談していた。実際の建物状況を見る時間はなかったが、写真だけでも修理が無理なものもあった。それは軽微な修理では復原はできず、現行建築基準法の適用を受けてしまうから。文化財復興のシンボルとして土蔵を1棟でも修理復原するのはいいアイディアだと思った。旧市街からこの4棟が消えたら、戦前の建物がすべてなくなってしまう。
*この建物は竹 という身近な素材を使いながら、構造と幕は非常に特殊なものであった。アート、一服の清涼剤。
*気仙沼市中心街。南町には飲食店が、魚町は老舗商店が多い。フェリー桟橋に隣接している。
*土蔵は圧倒的に魚町の方に多く残っている。昭和初期に大火があり、その後再建されたものらしい。
建物は2mほど津波に洗われ、木造建築は1階部分が倒壊したが、RC造や鉄骨造は構造的には無事だった。しかし、地盤全体がが数十㎝沈下し、また不動沈下もあるらしく、現建物をそのまま使うことができるんだろうか。市は難しい判断を迫られているらしい。一部電気が来ているらしく、商売再開するための修理改装を始めている商店もある。
*市内有志が提案した人工地盤による市街地再開発案。5~6mの高さに活動地盤を作る。これ以外にも湾の手前に巨大防波堤を作るなどの案がある。
January 17~20, 2012. Ishinomaki, Misami-Sanriku
・17日(火)は3コマ授業と学長との面談があり、その後急いで5時半のこだまにのり、東京経由やまびこで古川駅到着、これが当日到着できる最終やまびこだった。
・18日石巻市教育委員会を訪問。事業実施対象物を「石巻ハリストス正教会聖堂」にすることでおおよそ合意。第三次復興交付金で工事ができるらしく、その前に教育委員会は用地探しと、復原方針の策定を行う。今回は、創建当時の姿に戻すことを考えているらしく、これまで私が関わった同教会聖堂建築研究の知識と人的ネットネットワークが生きる。
Activity Log, March - December 2011第1~18回活動記録
August 9, 2011, Visit to Kesennuma
-Although steel and timber buldings were destroyed by the Tsunami, some Dozos or earthern godowns keep standing on the original site. One of them is very old, probably built in the end of Meiji period just after 1896 Sanriku Tsunami. The Dozos were constructed constantly there with stone and brick. The Dozo protects properties from fire, but tsunami, structurelly they stand steaddily. However, Kesennuma got heavy damage in economic activity. Local industry need to return to same site to resume business as there is no much plain land.
-気仙沼は三陸海岸域で最も大きな町で、大島によって大洋の影響を受け ない良港であった。そうであっても、湾の一番深いところに位置する魚町旧市街地の海側では大きな被害を受けた。ところが、そこから一歩入った東浜街道沿いでは、一階部分に浸水が見られるだけで多くの建物が残っていた。気になったのが土蔵の存在で、和釘が使用されていることから、建設年代は明治時代にたどるであろう。それ以外にも、石造蔵、煉瓦造蔵が街道海側に林立し、まるで海からの高波や強風を蔵が守っていたような配置をしていた。このような地理的条件の場所では、居住地海側に堅牢な2〜3階建て建物を並べるだけで、避難までの時間を稼ぐことができ、有効ではないだろうか。
気仙沼市魚町の石造土蔵
-同左地区の煉瓦造土蔵女川のように建物がきれいさっぱり持って行かれたところでは不可能であるが、気仙沼では残された建物から過去の被害の状況や防災のやりかたを分析できると思われ、建築考古学的手法の適用が求められる。
August 8, 2011. Ishinomaki, Onagawa
-Ishinomaki Orthodox Church got heavy damage from the Tsunami, but surprisingly it still stands on the original site. I observed how big rubbish hit the building. There are some sacred properties in the second storey, such as ornament board, and should be preserved in somewhere. Although the old city center and port area were damaged by tsunami flooding, inhabitants started opening their business as long as their buildings are steady. As Japanese ordinary house is built by timber, inhabitants in coastal residential area lost thier houses and had took refuge to temporary shelter. Several NGOs are active in the shelter. Surrounding area of Ishinomaki city is commercially booming with special demands.
-Onagawa town was totally swepted away by Tsunami, nothing except some concrete boxes. Town office is considering the overall new town reconstruction plan, giving up whole old settlement area. Resotration project should be contemplated according to the site circumstantce. Onagawa town is open to the ocean with narrow bay, and no much plain for residential area.
・旧石巻聖堂は市に寄贈され、中島に再建された。今回の津波で大量の廃材の遡上にも持ちこたえたが、じっくりと見ると、廃材がぶつかった跡がまざまざと判別できる。廃材が津波でぐぐっと押し寄せてきたのではなく、時速数十キロでガツンと衝突してきたのであった。二階が聖所になっていたので、イコノスタス周囲には大きな損傷はなく、貴重なまぐさ板などは取り外して、保管しておくべきである。
ハリストス正教会聖堂の被害箇所 まぐさ飾りなどは早急に取り外し、保管した方がいい。
石巻市内から女川街道を走ると旧渡波町に入り、両側は住宅地が広がる。渡波はもともと万石浦入口の漁村で、
私たちにとっては電車で手軽に行ける海水浴場として有名であった。砂浜と松原が美しい浜であったが、住宅の
姿を見ると、おそらく30年ほど前に住宅地になったのであろう。浜近くの住宅は津波により全壊したか、一階部
分に大きな被害を受けた。そこから内側に百メートル入ったところの住宅の被害は軽微であった。このように小
さい面積の土地でも全壊、半壊、多少の被害と、大きな差があった。そのため、支援の仕方が難しいと思った。
1階だけ被害を受けた方の一部は、避難所を後にして2階に住み始めた人もいた。
渡波小学校には支援事務局の下に多数のNGOが支援活動を行い、EX青年海外協力隊組織には知人が働いていた。
また、他の市からの派遣職員さんたちもいた。献身的と表するにあまりある活動を行っていた。ちょうど、他県
のJAからの産物と仮設風呂の建設資材を積んだトラックが到着した。
石巻市渡波地区の住宅の被害、海岸線から近い住宅地 渡波小学校に設けられた避難所に到着した仮設風呂建物
女川町の建物はほぼ全て消えていた。数年前高台に町営病院が移され、ここから町内、湾内を一望できる。
石巻と違い、女川湾が大洋に開いており、また町が丘陵地に囲まれており、津波にまともに襲われた。ここ
では、住民は何もない町内に戻ることは出来ない。居住地の高台移転が計画されている。
女川町役場のある地域 女川埠頭(手前)と女川港(対岸)
May 4, 2011. Ishinomaki, Tsuyama
石巻に向かう途中の津山で、大きな竹置き場を発見する。珍しいので、車を止め、見るだけではもったいないので、音のする作業場の方に向かう。経営者のSさんが日曜日だというのに、作業場の掃除をしていた。つるべえの家族に乾杯ではないが、ここでたいそうな出会いがあった。このSさん、東北最大手の竹屋さんで、岡崎の竹廣さんとも取引しているという。そこから話しがどんどん広がって、なぜここに竹屋があるのかなどなど教えてもらった。北上川流域の丘陵部には竹林が多く、それは醸造用、建築用、竹細工用に卸す他、漁業資材に使われるのだという。津波後、桂島や万石浦では海苔牡蠣養殖が再開されはじめ、そこから取引がきてい る。秋田、青森は寒すぎていい竹林はなく、ここからそこら辺の酒屋さんに竹箍を卸してもいる。茅葺き用竹垂木をも卸しているというので、茅刈りと茅葺き屋に話しが及ぶ。北上川流域にはいまでも広大な茅刈り場が存在し、そのため茅葺き屋さんもいる。大卒者がここで茅葺き職人になったことがテレビでも紹介された。その中で最も活躍しているあのK産業さんと親しいという。Kさんは私が会いたい職人さんの一人である。Kさんは、2週間ほど前の朝日新聞に、家と作業場が津波に襲われながら、東京駅のスレート葺きを請け負っているため、遅滞なく仕上げようとがんばっているということで紹介された。
そこから石巻まで15キロ足らず、夕方5時近く、自衛隊車両とダンプに挟まれて走る。石巻の旧市街の鉄筋コンクリートと鉄骨造の建物は1メートルぐらい浸水し、内装、家財道具、設備はだめになったが、再利用はかのうであろう。大きな被害を受けたの直接海に面する河口近くの木造家屋で、津波に根こそぎ持って行かれた。ここ二、三十年くらいの間に宅地化したところである。十年ほど前、旧石巻正教会聖堂は中島に移築されており、家屋廃材や漁具に押し流されず、よくこの場所で耐えていた。建物自体は再建築しなければならないが、その姿に涙、涙、涙。地面にはありとあらゆる生活用品が埋もれ、その中で受話器の存在が心に響いてきた。会話は戻ってこない。
旧石巻正教会聖堂、「奇跡の教会」といっていい 同左の側面 建て直さないといけない
-実家に帰ってきて昔お世話になったMさんに電話。彼も志津川の視察から帰ってきたばかりだという。かつての会社が釜石にも支店があったため、私たちは仙台から釜石の間を頻繁に行き来し、よく知った土地であった。明日は気仙沼のK君と会う予定
May 4, 2011. The Tsunami Affected Area in Kesennuma City, Miyagi
5月2日早朝、車で気仙沼に向かった。実家からは佐沼、東和を通る西郡街道を利用するのが一番早いが、それでも2時間以上要す。江戸時代隠れキリシタンがいたところで、明治とともに正教会布教が最も成功したところである。東和から旧本吉町津谷までの一帯は林業が盛んで、かつては津谷農林高校(現本吉響高校)があるほどだった。その津谷の町自体は海とは丘陵によって隔てられており、津波とは縁がないはずだった。ところが、津波は津谷川を遡り、その奥地の宅地を襲った。旧市街地は丘陵部を走る街道沿いに形成され、津波の影響を受けなかったのに、そこは最近農地から宅地に代えられたところのようだ。ここ二、三十年の間に、日本各地で農地が宅地化されたが、どうして建築基準法、都市計画法、農地法の精神に基づいて農地を、環境を守ってこなかったのだろうか、宅地化を制限してこなかったのだろうか。無謀な土地利用としかいいようがない。
竹は塩に弱く、津波がどこまで川を遡上したのかは、竹の状態を見るとよい。津波というのは、川水とはまったく混ざらず、海水の状態で遡上してくることを改めて知った。津谷川の中流域までの竹は、塩害で枯れていた。太平洋に面する浜町ならいざしらず、こんな内陸の町まで被害を受けたのは、人災としか言いようがない。
津谷の丘陵部を降りると東浜街道とぶつかり、美しいリアス式海岸が始まる。街道もアップダウンを繰り返し、そのアップ地に古い集落が形成され、ダウン地に小さな浜が広がる。浜の様子がどのようなものであったのか、私は思い出すことはできず、手元に資料もない。そこは現在真っ平らになっており、陸側にうず高く家屋廃材の山が築かれている。それが浜の建物のなれの果てである。わかることは、かつては集落と浜は明確に分かれていたのが、いつ頃からか浜に大勢の人が住み始めたことである。JR気仙沼線のレールが無残にも陸側にめくれ上がっており、復興はいつになるのであろうか。
K君の家の位置をよく確認もせずに、私は南気仙沼でバイパスから市中心部に向かう旧道に入ってしまった。その沿道にはイオンなどの大型店舗飲食店が並び、ちょうど再開し始めたところで、大渋滞に出くわした。3年も使った携帯電話に活を入れて、K君に電話し、迂回路を教えてもらった。代々続く工務店は作業場や倉庫を持っているため、市中心部にはないのが普通。K工務店もそうで、自宅と作業場の建物は津波にも地震にもまったく被害を受けなかった。11時過ぎに到着し、地震津波被害やその後の仕事などについて話しをした。これまで付き合いのある方々の建物が被害を受け、その修理だけで手一杯の状態であった。各地からやってくるボランティアへの便宜提供もやっており、休日であるにもかかわらず電話はなりっぱなしである。とりあえず、地元工務店は修理可能であれば、それをやるだけでも大忙しであり、仮設住宅の建設や復興住宅の提案などには全く手が回らないことがよくわかった。町の森林資源や職人を利用して仮設木造住宅を建設しようというのは、津波や地震被害を受けなかったところでは可能であるが、被災地ではそれは無理な話であった。もともと地元大工が少ないところなので、資材が送られてきても圧倒的に職人が足りないのである。他方、大工の家族自体が被害を受け、仕事なんかしていられない状態もある。プレカットはやれるが、墨付けからの木工事はできないというのが、最近の多くの大工の特徴。気仙大工は遠くになりにけり。
文化財を含む古い建物の修理復原も徐々に始まるだろうから、その時には協同しようということでK君とは別れ、帰路につく。大崎市に戻り、地元ゼネコン勤務のMさんに会う。Mさんの会社も、贔屓の顧客の建物を修理し、解体し、新築するなどの対応で手一杯であった。そこで岩出山の重文指定の有備館が倒壊したことを知る。後輩のT君が2年前に修理復原の仕事を担当し、この1月に私も視察に伺った。その時、こんな三面壁なしの建物をどのようにして耐震補強したのか非常に疑問に思った。このような建物の補強をまったく見えないようにやるのは実際可能なのだろうかと。今回パタンと倒れ、関係者はさぞかしショックだったろう。その辺のことを駒屋では轍を踏まないようにしよう。
倒壊した有備館、ブルーシートが被さり、見えない。
May 3, 2011, Visit to Ichinoseki City, Southern Iwate Prefecture
・一関市中心部の老舗酒屋さんの世嬉の一は、その醸造蔵群を用いて、数年前から新た事業に乗り出している。文学者とも縁が深く、若かりし頃の井上ひさしも仕事をしていた。蔵が2棟、登録文化財になっており、そちらはほとんど被害がなかった。販売店とレストランにしている蔵が若干損傷したが、安全営業のためにすでに修理を終えていた。しかし、土蔵の扉は落ちたままだった。
March 20, 2011, First Visit to Northern Miyagi, Machi 15-18
江合橋の袂、盛り土が50センチ近く沈下 中北橋 の袂、ここでも盛り土が30センチ近く沈下
中田における電線の断線、南北方向に揺れた? 田尻の土蔵、1978年地震で持ちこたえたが、、
田尻のブロック塀、補強筋はいっている 田尻の神社の鳥居、石柱が折れてしまった