Damages of Built Heritage in and around Ishinomaki city
石巻周辺の被害:まち、生活、建築
I.Background背景
・Ishinomaki is the secand largest city in Miyagi prefecture, located at the estuary of Kitakami Old River. The early town was created behind hills of bay side along the dent river bank.
・石巻は,岩手県から宮城県へと南下する北上川の河口に開かれた街である。古い市街地は,北上川を1キロメートルほど遡った右岸に沿って開かれ,そこは日和山という南側丘陵の背後にあたり,外洋から襲ってくる高波や津波の影響を受けない場所であった。また,北上川水流は中島で左右に分かれ,市街地河が凸状になっているので流速は遅くなり,そこに河岸が形成された。川岸近くに倉庫が並び,その内側に飲食店,そして老舗問屋が店を並べていた。戦前は,船着場から上流の都市へ定期船が出ていたたこともあり,北上川流域の物流の拠点都市として大いに栄えた。
・近代になって幾度か大火に見舞われたという理由だけじゃなく,市史をめくってみても富を象徴するような建築が建設された形跡はほとんどない。上流の人口数万人規模の登米や佐沼などと比べても建築文化に乏しく,建築に投資してこなかったのであろうか。大火災後,昭和初期には全国的に特有の鉄筋コンクリート建築や木骨補強モルタル塗り建築がここにはほんの数えるくらいしか残っていない。
II.Tsunami Attacks and Earthquake大地震と津波による被害
Fig.1 Ishinomaki City Centre as of 2008 Fig.2 Ishinomaki City Centre, one year after the disaster
・上右写真は2011年3月の大津波後,1年半ほど経った時期の航空写真である。門脇と呼ばれる丘陵南側の土地は1960年代から埋め立てられ,産業用地になっていった。その後,しだいに住宅が建つようになり,それが今回綺麗さっぱりと流されてしまった。津波は北上川を遡上し,数キロ先の両側の家々に入り込んだ。中州以降の建物をなぎ倒すことはなかったが,大量の土砂と浮遊物が残され,復旧は大変な仕事であった。
・中州近くの旧市街地の建物は2~3メートルの高さの津波が襲来し,建物に大きな被害を与えた。それとともに約1メートルほど地盤沈下してしまった。
Fig.3 Survived Historical Buildings Fig.4 River front, taken by author in May 1, 2011
・中島から対岸の旧市街地を見る。すでに河岸の機能はなくなってから久しく,旧河岸の当たりには事務所や飲食店が入ったビルが建ち並んでいた。2階建て部分にボートが突き刺さっているのを確認できるであろうか。水位が高いのは地盤沈下したから。
III. Survived Buildings/残された市街地と建物
旧市街地東西を内陸側から北上川を渡り渡波・万石浦へ至る石巻街道が走る。津波に運ばれてきた浮遊物は,中島にかかる橋で止められ,代わりに道や空き地を通って市街地に入り込んだ。1階部分のガラスが壊れ浸水してしまったが,安普請の飲み屋街のものを除くと,ほとんどの建物はその場所に残った。
戦前の建物としては数件の割烹料亭と喫茶店,観慶丸,第2SSビルに加えて,2~3棟の土蔵のみ。この中で第2SSビルを除くと皆木造建築。
1)旧日本ハリストス正教会石巻聖堂(石巻市指定文化財)
これは旧市街地にあったのを20年ほど前に市が譲り受け,指定文化財として中島で公開することにした。旧市街地にあった当時,すでに何度か修理修繕がくり返されており,それを元の姿に復することなく現状のまま移築してしまった。今回の大津波では,大量の浮遊物の衝突を受けながらも,現地で堪え忍び,奇跡的に流されずに済んだ。壁は打ち破られ,内外装に大きな爪痕を残した。
2)観慶丸
昭和4年建設の木造3階建ての建物。北東側から大津波が押し寄せ,建物の西方向に押し,5センチほど基礎からずれてしまった。また柱の下部のモルタルに亀裂が生じ,柱内部に塩水が入った可能性がある。所有者はほそぼそと陶磁器やさんをやっていたが,震災後は店を閉じ,どなたかに譲ることを考えていた。
Fig.5 kankeimaru, May 2013.
3)小西家主屋
大正時代から昭和初期にかけて建設された住宅。取り壊しが決定。>>2013年10月解体済み。
Fig.6 Konishi's residence, November 2012 Fig.7 Broken Timber Post and damaged windowers
4)某家土蔵
これはどうなるか。
Fig.8 Clay-Covered Godown washed by Tsunami Attacks, November 2012
5)天雄寺観音堂(市指定文化財,旧雄勝町)
9月頃か修理計画作りが始まります。
Fig.9 Tenyuji Temple's Kwan Yin Hall Fig.10 Posts broken.
6)尾ノ崎民家(長面町)
こちらの方はfacebook「尾ノ崎古民家再生プロジェクト」をご覧下さい。
Fig.11 Damaged House to be restored Fig.12 Interior Ornaments
IV. Restoration/修理修復
・高度経済成長期に浜を埋め立て,そこに産業を誘致し,さらに商業や住宅も集積してきてしまった。人間が住むべきところはこのような危険性のないところとする。百年以上も住み続けられた土地はそれなりに理由がある。
1)Condition/要件
北上川に沿って防潮堤が建設され,また石巻街道が拡幅されることになっている。そして,そのまま直進して新たな橋梁を経て対岸に達する。第2SSビルと観慶丸の反対側が拡幅されることになっており,これらの建物は現在地に残る。
V. Personal Idea for Restoration of the Area/石巻旧市街地再生計画私案
MY IDEA FOR ISHINOMAKI RESTORATION/石巻旧市街地復興私案(as of May 2013)
1) Concept of Restoration/修理修復の目標
・日和山の背後に旧市街地が拓かれたのは海からの災害を考えてのことであり、その後幾度かの津波や火災の災害に耐えて数百年以上も存続してきた。建物はその度に再建され、実は古い建物は社寺を除くと思いの外残っていない。北上川流域地の出入口として経済文化の拠点であった石巻の歴史を考えれば、被害を受けながらも今回の津波から生き残った歴史的建物をまちのシンボルとすることは大きな意味がある。
2) Town and buildings in Restoration/予想される基盤整備
北上川に沿って防潮堤が建設され,また石巻街道が拡幅されることになっている。そして,そのまま直進して新たな橋梁を経て対岸に達する。第2SSビルと観慶丸の反対側が拡幅されることになっており,これらの建物は現在地に残る。
3) Personal Idea for Restoration of the Area/石巻旧市街地再生計画
・石巻街道の北側にある観慶丸と第2SSビルに,小西家主屋と旧三本木酒造の石蔵を加えて、住吉町までの一帯は石巻みなと歴史文化地区とする。旧ハリストス正教会聖堂はこの地区内に移築再建する。
・南側は残った割烹料亭や喫茶店の建物に馴染む商店街及び飲食店街とする。
・両地区は新高架橋梁スロープ下のトンネルを通って結ばれる。
4) Individual Building/個々の建物の修復
・Former Khristos Church Building/旧ハリストス正教会石巻聖堂
明治20年の建設当初の場所に近い,みなと歴史文化街内に移築し,建設当初の姿で再建する。
・Kankeimaru Department Store/観慶丸
修理耐震補強工事を施した後,震災復興記念館として利用する。
・Konishi's Residence/小西家主屋
修理計画と耐震補強が必要。その議論は始まっていない。→2013年10月に解体撤去された。
・Souma's Residence and DOZO/相馬家主屋及び土蔵→2016年12月26日解体撤去の予定