Damages of Built Heritage in and around Kesennuma
気仙沼周辺の被害:まち、生活、建築
I. Tsunami Attacks and Damages to the Built Environment津波の襲来と建物への被害
Fig.1 Floating objects at Shikaori Area Fig.2 Damages along Higashi-Hama Road Fig.3
II. Geography and History
・内陸に金が産することから,その集積地として中世に人が住むようになったといわれています。この最初期の居住地が現在の気仙沼駅の近くに古町という地名で残っており,内湾から1km以上も入ったところです。その後,海岸線が後退して,また埋め立てが進んで,町が東側(海側)に順々に移動してきて,内湾地区と市街地が連続するようになりました。古町から新町,三日町,八日町,魚町,南町は火災によって建物が何度か更新されてきましたが,特に古町から森町にかけて間口3間の敷地割りがいまでもきれいに維持されています。
Fig.4 Kesennuma Bay and Inner Bay just after Tsunami Attacks Fig.5 Kesennnuma Map in 1925『気仙沼写真帳』より
・気仙沼は太平洋から奥に深く入り込んだ湾の奥に位置し、江戸時代その内湾が船着場&風待港になっていました。古町の方から東方向に吹く強い風に合わせて,一気に帆船は湾から沖に出て行きました。明治時代になって内湾岸が埋め立てられ、そこに市街地と漁業産業が集積してきました。丘陵斜面は社寺地や墓地になり,また丘陵地の谷間には醸造屋さんが蔵を構えました。このような地形と土地利用は長崎を思い起こさせます。
Fig.6 View of North Side of Inner Bay area or Sakana Machi, in 2012 Dec.
III. Buildings建物
--市街地は明治大正昭和と数回の大火に会い、明治時代以前の建物はほんの僅かしかありません。今回の津波被害にあったのは昭和4年大火の後に建設されたもので,昭和8年の昭和三陸地震津波の被害痕跡は見られませんでした。昭和4年直後に再建された建物にはワイヤーラス下地モルタル塗り仕上げが採用され、耐火対策に主眼が置かれていました。今日のワイヤーラスとは異なり,直径4ミリの鉄筋を用い、また壁厚も4センチほどあり、耐力的にも大きなメリットがあったといえます。具体的には,これで2階壁を作ると1階店舗の間口を2間とばせるようになりました。デザイン的には旧来の伝統的な外観を踏襲したものと、この機会に西洋風に作りかえたものがありました。関東大震災後に「看板」建築の姿で全国的に広まったと理解されていますが,すでに大正4年大火事後の再建で使われていたようです。これからもう少し調べます。
Fig.7 Kakuboshi Brewery Shop built after 1919 Faire Fig.8 View of West side of Inner Bay area or Minami Machi after 1929 Fire.
--大正8年大火->-古町から内湾地区までの殆どの建物が焼失->-土蔵造と木造軸組補強モルタル壁の導入
--昭和4年大火->-八日町から内湾地区までのほとんどの建物が焼失->-木造軸組補強モルタル壁の浸透
IV.Tsunami Attack and Damages津波の襲来と被害
気仙沼湾の奥深く入り込んだ津波はどん詰まりの鹿折地区に深い爪痕を残しました。住宅や店舗はすべてが奥の土地に流され,そこに大量の浮遊物が堆積しました。それに引き替え,気仙沼湾から西側に窪んだところにある内湾地区は,浸水しましましたがいくつかの歴史的建物が流されずに残りました。
Fig.9 大津波襲来から8ヶ月後の様子
1) Survived Buildings
--残った建物は,戦前から続く老舗といわれる店舗や付属の土蔵でした。内湾の岸にそった魚町側の通りには多くの網元や老舗が建ち並んでいましたが,津波から残ったのは男山本店(酒造店舗)他,数棟であした。南町側はフェリーの桟橋となっており,その奥は飲食店や居酒屋がひしめいていました。ここの建物はほとんどが木造で,ほぼすべて浚われてしまいました。魚町と南町の斜面に近いところの建物と八日町に近いところの建物は,浸水したものの,小さな被害で済みました。
--実は2000年頃,気仙沼市中心部のまちづくりグループが,街の歴史と古い建物を街の文化資源として掘り起こす作業を始めていました。長岡造形大学の宮澤先生の指導で「風待ち研究会」を立ち上げ,市内に残る建物を子細に調査し,5棟の建物をまず登録文化財にしました。その後,角星酒造店舗の2階に事務所を構え,登録文化財建物を核として魅力的なまちづくりを考えていました。津波によって建物二階部分だけ残り,そこに入ると直前まで角星2偕で侃々諤々議論していた様子がちらばったパネルやポスターから分かりました。ああ,これはなんとかしてつなげてあげないといけない!!!
Fig.10 Map of the Inner Bay Area in October 2011. Red Colored:List Heritage Blue Colored: Potential Heritage
2) Darumaotoshi Type Damage/だるま落とし倒壊タイプ
--2階建てあるいは3階建て建物の下階が津波に持って行かれ、最上階だけが元の敷地近傍に残された被害タイプ。下階の空間に水が充満し、ソリッド状態になっていたところに浮遊物が激突し、下階と上階を分割してしまったのであろうか。内湾地区には男山本店と角星酒造店舗がこれにあたる。
・Kakuboshi角星酒造店舗
Fig.11 Kakuboshi Brewery Shop before the Tsunami Fig.12 1st Floor taken away by the Tsunami
・Otokoyama男山本店
Fig.13 Otokomaya Brewery Shop before the Tsunami Fig.14 1st and 2nd Floor taken away by the Tsunami
3) Frontage Losing Damage Type往還側部分倒壊タイプ
--津波とともに浮遊物が速いスピードで通りに流れ込み、両側の建物の正面部分を奪ってしまうタイプ。内湾地区では東浜通の丘陵側がこれにあたり、武山米店両側の店舗部分がなくなってしまった。
Fig.15 Takeyama Rice Shop and neighbors along Higashi-Hama Road
4) Interior and exterior Damages内外装損壊タイプ
Fig.163 storied Timber Frame+Reinforced Mortar
Fig.17 Chida's House and Shop Fig.18 Interior Damage in Chida's House and Shop
5) Sinking, tilting, lateral gapping沈下、傾倒、基礎のずれ
V. Restoration Planning/修理修復計画
震災後,被災地の方々は自分の生活や生業を立て直すだけで手一杯で,実際それが最初にやるべきことであり外部の私たちも支援すべき事ででした。しかし,町の,地域の復興を考える余裕がでてきたら,地域の歴史文化を物語るものを蘇らせることに関心を寄せて欲しいと思います。歴史文化はその地域にしかないものであり,自分が自分であるように,地域が地域であることの基盤でです。
国や地方自治体の指定を受けた文化財は修理復原に公的支援がでますが,登録文化財はほとんど何もでません。登録文化財を「文化財」と考えるのは間違いで,地域の歴史文化を物語るものとしてで,所有者と地域社会が守って行かなければなりません。気仙沼市内湾地区は震災前から地域の歴史文化を守り,それを生かしたまち作りを考え,その結果として5件の登録文化財を持つようになりました。公的支援金はありませんが,このような災害があった場合地域の歴史文化の復興のために,さまざまな民間組織はまず被災した登録文化財を何とかしようと動き出してくれました。気仙沼市内湾地区の登録文化財は「文化財」だから支援が決まったのではなく,地域文化を残し継承すべきだという多くの内外の方の声に対して支援者の心が動かされたと私は理解しています。世界には愛すべき故郷を失った経験を持つたくさんの方々がいます。