昭和2(1927)年
1月6日(KS):石巻水道計画、本年より工事に着手し明年中に完了する予定
1月7日(KS):大楽園地計画、漸く目鼻つく。遠田郡小牛田町○○○に長年の宿望であった大楽園地計画も協賛会の尽力によってこの処目鼻がついてきたので、来月下旬より素山の○○○。
[小牛田駅の西方数百mのところに素山野球場が現存しているが、それはこの大楽園計画の一つだったとは!!]
1月12日(KS) :開館を待つ、気仙沼町図書館。気仙沼町の新小学校庭に個人的寄付にて、気仙沼町では珍しいドイツ風の洋館で実に堂々たる姿。
1月14日(KS):鉄道敷設請願、委員等近く上京。古川町経済協会より請願により古川経由一関に至る。
[明治半ば、東北本線が松島から小牛田を通って一関に抜けるようになり、古川町はその後鉄道の重要性に気づき、新線敷設の請願を繰り返した、、、、、という。]
1月18日(KS):一方に偏った石巻町の発展。一年振り返り都市計画根本策樹立。
2月8日(KS):古材を使って渡波町役場建築費一万円に節約
2月10日(KS):住吉町新校舎。住吉小学校は昨年中、工事費3万円を投じて石巻第二のコンクリート2階建てとして工事中であったが、同校で棟上式を挙行するまでに
[完成するのはいいが、2階から遊郭が見えるという欠点がでてきた。]
2月15日(KS):凍てつく雪の見て、快い声の音は聞かれない。ますます需要が減っていく全国的に有名な以内石。
2月25日(KS):塩釜の文化村。梅の宮の住宅地、完成を前にして最近の塩竈町の発展は実にすばらしいものがあり、佐浦町方面にはいうまでもなく山の手は全部住宅地として開拓されつつある。
[塩釜神社の北側一帯が「梅の宮」文化村だっとは。当初の住宅は残っているのだろうか。初期の浄水場もあった。東北本線は「塩釜駅」から北側はトンネルとなり、塩釜神社と「梅の宮」文化村の下を抜けていく。「塩釜駅」の立地も不思議。]
昭和3年(1928)年
3月3日(KS):石巻駅改築、本年度も見込みがない。
同上 (KS):真向かいに遊郭が見える。住吉校改築敷地へどう施設する。
3月12日(KS):スレート事業、漸く活況を呈す。桃生郡十五浜村のスレート、東北6県はもちろん、東京、名古屋、大阪方面及び各植民地にまで販路を拡大する。
[十五浜とは旧雄勝町。大船渡線や気仙沼線などの敷設工事と共にスレートの需要が高まったのは納得できるが、大都市から植民地へはどんな需要があったのだろうか。雄勝からは内陸ではなく、海路石巻に運んだのだろうか。海路は運搬に手間取りそうで、雄勝から大八車なんかで女川経由で石巻駅に運んだのだろうか。]
3月22日(KS):石巻指物工芸研究所開所式。
[家具産業が隆盛だからこの研究所ができたと思うのだが、石巻界隈はそんなのがあったけ?]
4月2日(KS):基礎工事竣る。松島劇場の落成は6月上旬。
5月21日(KS):梅の宮の浴場。塩竈町新名所梅の宮なる文化村に。文化村住宅株式会社施設の一つとして工事中の温泉浴場は大体において○○が完成し、本月下旬頃から開場の予定。
[大浴場が作られていたんだ,,,,,]
5月28日(KS):毒蛇にかまれて馬鹿が直った。蓮田博士が目下研究中。
[これはすごいな、蓮田博士とは何者??]
6月26日(KS) :金に苦しめられる。松島公園施設、計画ばかりではだめ。県でも力こぶをいれてほしい。
7月17日(KS):見当がつかず、斉善家の財産。鉱山の評価が○○る困難。相続税は数百万円くらいか。
[この前後の年に斉藤家の相続税が誌面を賑わしていた。鉱山?、細倉鉱山??]
7月20日(KS):田尻軌道、認可取り消しか。田尻駅から田尻を経て田尻町に至る軌道敷設の件は、昨年9月8日許可されたが、いまだ年を経るも更に○○。
[これまたすごい計画だこと。現田尻駅は中心部から3㎞ぐらい離れたところにあり、そこから中心部まで軽軌道を走らせようというのか。]
8月14日(KS):ニコライ聖堂、再建。9月1日起工式をあげる。
昭和4(1929)年
1月8日(KS):石巻・古川間鉄道敷設工事、昭和5年度より着手。完成は昭和9年度の予定。
[大正元年に仙北軽便鉄道が開通しているから、この敷設は通常鉄道線への変更工事。]
同上 :ほうぼうに見える草葺きの屋根、屋上制限の猶予から市内になお1千戸もあり。
[これはどこのことがわからないが、不燃材料としてスレートの需要が高まった理由はこれ!!]
1月8日(KS):気持ちの良い建物できあがった常磐木学園校舎。ホテル倶楽部のよう。
1月10日(KS):繁華な街に、古川町の街灯基礎工事着手。
2月26日(KS):気仙沼町の大火で、大船渡線促進の要。4ヶ月以内に開業せしめたいと。盛岡建設事務所長語る。
[昭和初期は鉄道支線の建設ラッシュで、一関から気仙沼経由で大船渡に達する大船渡線、気仙沼大火からの復興のために建設が早まったのか!!そこにスレートも一枚絡んでいた]
2月28日(KS):気仙沼大火で、ちくわ注文が石巻に殺到。
3月30日(KS):気仙沼町に市街建物取締令、近く公布されん。
[気仙沼大火後の復興事業に先立ち、市街建物取締令が出され、不燃可が定められたとは知らんかった。男山、角星、千田さん、みんなの建物がモルタル塗りになったのはそのためなんだ。]
4月2日(KS):松坂屋落成(写真付き)
4月6日(KS):気仙沼町の区画整理、秘密主義を排して復興に努力。気仙沼町事業組合を組織、料理屋、置屋を一丸となし新たな花街を設ける。
4月9日(KS):気仙沼町区画整理、いよいよ決行。第2回地主懇談会で満場一致の計画の賛成。
4月19日(KS):保護建造物になる、岩出山の有備館。旧藩の学問所。
4月22日(KS):小牛田駅を中心に大都市建設計画。隣接町村を合併して大不動堂町を造る。
6月1日(KS):気仙沼町折壁間鉄道工事進む(写真入)
8月1日(KS):復興の気仙沼町にきのふ鉄道開通式。
9月18日(KS) :古川町の火の見櫓。
11月6日(KS):気仙沼町罹災住宅資金、31日認可される。償還期間は20カ年。
11月17日(KS):気仙沼中学新講堂、まもなく竣工。
昭和5(1930)年1月17日
1月17日(KS):漸く命脈を保つスレート工業。難関を突破するには合同経営に改むるより途なし。
[雄勝のスレート産業は昭和4年までは盛況だったが、5年からは需要が一気に冷え込んだということか。]
5月5日(KS):石巻物産陳列所開場。○○は町当局商工会○○下に観慶丸ビルに開設の準備中であったが、予定の如く内部装飾の○○○(写真付)
[観慶丸というのはもともとこの石巻物産陳列所として建設されたのか、あるいは陶磁器屋と建設中のものを改装したのか??]
1930年5月5日付け河北新報