2025/09 wplace / SDS概論スタートアップ / 上方・江戸歌舞伎台帳
学部時代〜博士後期過程において複数マネージャー業(劇団ティンカーベル(2012-2015)、水族館劇場、ナウゼンレコーズ(2012-2015))、インディーズ・レコード、イベント(now&then records)、映像制作、舞台構築の裏方のお手伝い、マネジメント、裏方業務)を兼務していた最中で読んできた文献などの振り返り、研究者になって読むと「発見」が多くて。
・その後、2016年〜2017年には公益社団法人日本劇団協議会, 芸術団体における社会共著包摂活動の調査研究, 分析官という良い学びと調査に参画させていただく機会もありました。
☜水族館劇場 NADJA 夜と骰子(ダイス)とドグラマグラ(2012)
・水族館劇場には一時、団員として所属させていただいておりました。関係者の皆様、その節は大変お世話になりました。
・研究者への道に行くことを当時相談をさせていただいた故 桃山邑先生には大変感謝申し上げます。
また、色々お話しをさせていただいた故 鏡野有栖さんの急逝を大変残念に思います。故 桃山邑先生、彼女との対話も振り返りつつ、下記の文献に触れます。
彼らとの掛け替えないやり取りのメールや台本のやり取り、意見出しの痕跡は私にとって「永遠に宝物」になるでしょう。
PS
有栖さんが向こうに行ってしまったと聞いて何もできない状況でもあったので、とにかく関係していたもの、夢野久作作品などを久々に読み返しました。もちろん、桃山先生との議論の痕跡、「台本」と自分の書いた「提案書」も。読み返す羽目に。
なんと恥ずかしい。しかし、読み返して恥ずかしくなるもんはある意味だいじ。
私のセンスの無さ、クオリティの低さ、ボキャブラリーの無さに絶望しました。本題に戻りますが与えられた「標題」には、答えがない。結果として、研究の道を選ぶことになってしまいましたが、結果が見れることを見守ってほしいと思います。
桃山先生のいいところは私のような部外者の参入にも、ウェルカムでどんどん意見を率直にぶつけられたことでした。しかし、意見をぶつけることにより自分の「キャパシティ」と「ボキャブラリー」の少なさに驚くというオチがあり、コントのようでありました。本当に貴重な時間でした。メールはあんまり好きではないけれど、桃山先生らとのメールのやり取りが残ってて「メール」っていいなと。
しかし、桃山先生最後にやり取りしたメールでの台本の内容「NOSTROMO....」・・・・どこいったのでしょうか。この続きをどうしたらいいのかをすごく最近考えてしまいます。考えてしまうので、振り返ろうと思います。
黒・紅テント主宰・唐十郎が描く『泪橋(1983)』での『追われる者』たちの宿命的群像劇:元ホスト白井健一、戦争犯罪の娘・千鶴―廃墟のキャバレーから意識を失った千鶴を抱えて鈴ヶ森刑場趾、泪橋を渡る結末に見る、タイ・アユタヤの呪縛からの解放と「立会川」で『千鶴の指から指輪を外して投げる白井』における過去の断絶、鶏小屋での壮絶な肉弾戦からの再生という境界横断の演劇的儀式
・「その前のドブ板をわたって下に降りると」始まる唐十郎『ベンガルの虎(1973)』の地下世界空間の接続、錦糸町「水に悩まされる東京下町」のドブ板から異郷へ「白骨街道の果てに、人骨をふみ越えて」:「入谷朝顔市」に潜む「虎の仮面」を被る俗物隊長の地獄競輪の始まり〜「今日は日食なんですよ」変貌す花月園競輪場(白骨競輪と化す)で「産婆のお市」が売る「骨に変わる」「捨て車券」により「バッタンバンの墓地」の演出〜「あたしは形が欲しいんだ」と虎を求める水島カンナ、日常と非日常の境界崩壊による戦後日本の暴力的無意識の描写
・テニス試合から毒茸の論理ー地方の奇怪な事件群へ――夢野久作「ビール会社征伐」新聞記者VSビール会社の階級闘争、「きのこ会議」(1922)の毒茸有用性批判
・江戸川乱歩翻訳思想における人権意識における医学的客観化とココルウ精神描写における19世紀的偏見克服と現代的人権思想の先駆的表現—黒岩涙香「有罪無罪」翻案伝統の発展的継承とガボリオウ「首の綱」・ホフマン「運」・ド・ロルド「仮面城夜話」選択の文学史的意義及び大正期における探偵小説ジャンル成熟化への貢献
・夢野久作『ドグラ・マグラ』における精神病理学者「正木博士」の「胎児夢理論」と法医学者「若林博士」の「権威主義的診断」による診断過失女性殺害事件の責任回避システム:「呉一郎」の誇大妄想の治療ミスによる「呉青秀」化がもたらした科学・芸術領域権威による多層的人権侵害構造の医療法社会学的解明と教育における批判的思考力育成の意義の発見