2025/09 wplace / SDS概論スタートアップ / 上方・江戸歌舞伎台帳
上方・江戸歌舞伎台本研究(デジタルアーカイブ)
台本・演出
江戸の荒事と上方の和事—宝暦期(1751-1764)四作品における身体・音響・科白の地域的対比研究:『諸腔奥州黒』の吃音なる紙漉き職人・太郎兵衛が「舌の糸筋切ったれば」と「左の小脇に刀を突き立て」武将・安倍貞任の威厳を取り戻す台詞術から『男伊達初買曽我』の「ハテ計男じゃない」という江戸弁の様式美、上方『津国十三渡』の金十郎の苦悩や『幼稚子敵討』のお町の悲嘆に見る和事の情の表現と対置させた宝暦期歌舞伎の一考、そして「ト書き」による演出の重要性
安永期(1772年~1781年)上方歌舞伎における多層的社会批評:『萬恵天目山』の「身は狸汁皮は冶屋のふいごとなした無念」という狸・金八の復讐心が産む神聖舞踊『三番叟』のナショナリズムの儀式劇と公家・泰村の「台所かいかね」という嘆きと江の島御前の館で交錯する優雅な舞と謀略のセリフが暴き出す権力闘争の劇的皮肉『北条五代記会説』、博多での描写「心は疾ふから本の女夫じゃと思ふているわいなァ」という「あんまり阿呆らしうて笑われもせぬ」と揶揄する『和訓水滸伝』の「~わいなァ」という上方言葉の響きにおける文化的自負
江戸中期上方の声:久松の「親達へ義理思ひ」という苦悩とお染の「恋に高く低いはなき物を」という叫び-油屋が舞台の世話物『心中鬼門角(1710)』-「月の夜塩を汲まふよ」と死後も恋の執心に生きる『松風』の亡霊、おはまの「女子の一生去らるい程の恥はないぞや」という家父長制への痛切な訴えが響く義太夫狂言『傾城建仁寺供養(1723)』、「こなたを叩いたは俺が悪かった」と忠義の矛盾を体現す時代物『女土佐日記』信田明神の白狐が「信徳丸両眼も