地域共生とか多様性とか

地域共生とか多様性とか(1/4)


  1月中旬、新年初のちまた公民館訪問となったこの日は、朝から雨がザーザー降っていた。今日はあまり人が来ないかもなあと思いながら長椅子でくつろいでいると、Kさんという男性がやってきた。60代ぐらいだろうか。腕や帽子には手作りらしいアクセサリーがついている。ここへ来るのは今回で4回目だそうで「自分の作業もできるし、誰かしらいるからおしゃべりもできるし、良いよね」と言う。そのアクセサリーはどうやって作ったんですかと聞いたら、百均で買った部品を使っていると教えてくれた。休日も色々な場所へ出かけているようで、趣味の話でひとしきり盛り上がった。


しばらくすると、レッツメンバーの大祐さんとくおんくんが、スタッフの蕗子さんと共にやってきた。同じくスタッフの杉田さんが主催する韓国語講座に参加するそうだ。公民館常連の村木さんも加わり、館内はたちまち賑やかになった。障害がある人とない人が自然と混ざり合っていく瞬間は、いつも少しだけワクワクする。


少し雑談した後、蕗子さんは「昼前に大ちゃんとくおんくんを迎えに来ます」と言い残して出ていった。出る直前、くおん君に「うるさくしたり、しつこくしたりしないでね」と念を押し、くおん君は「わかった」と真剣な表情で応じた。


というのも、くおんくんは人の名前や年齢、誕生日を覚えるのが得意で、興味を持った相手に猛スピードで「インタビュー」を始めるのだ。この日も私の年齢の確認から始まり、弟の年齢、誕生日、誕生日ケーキは何を食べたか、私の友人の年齢、友人の子どもの年齢、その子が一人でお風呂に入れるどうかなど、立て続けに聞いてきた。前回会ったのは数か月前なのに、その時に答えた情報はほぼ覚えていた。すさまじい記憶力。どんどん繰り出される質問に、こちらもまけじと答えていく。


私へのインタビューをひと通り終えると、今度は同じテーブルに座っていたKさんに質問をぶつけ始めた。初対面のKさんは少し面食らったようで、私に「ん?」と助けを求めてくる。あまりのスピードで、質問をよく聞き取れないようだ。くおんくんの特技や質問へのこだわりを説明しつつ、Kさんが聞き取れなかった質問を「通訳」する。介助者でも何者でもない自分がこうやって参加するのは不思議だな、と思う。くおんくんは途中からメモを取り始め、Kさんへのインタビューを続けた。テンションと比例するように、質問のスピードもだんだん上がっていく。Kさんは初めこそぽつぽつと答えていたけど、次第に疲れた表情を見せるようになった。


くおんくんが家族の誕生日を聞き始めると、Kさんの表情がさらに曇った。そしてお父さんの誕生日を聞かれた時、「もうすでに亡くなっているんだ。過去のことはあまり聞かれたくないな」とつぶやいた。おや、と思い、くおんくんに「そろそろ質問を止めよう」と声をかけた。すぐには止まらないんじゃないかと内心思ったけど、くおん君も何か察したのか、「うん」と言ってすぐに静かになった。


ああそうそう、他者同士で過ごすってこういうことだよね、と思った。一見すると、Kさんとくおんくんのコミュニケーションはうまくいかなかったように思える。でも、実際はそうではないと思う。嫌なことは嫌と言う。これ以上踏み込まないでね、とサインを出す。でも互いを排除することはしない。Kさんはそれをとても自然にやってのけていたし、くおんくんもすんなり応じていた。たぶん、色々な人と関わりあって生きていくためには、こういった形で探り探りコミュニケーションをはかっていくしかないんじゃないかと思う。

地域共生とか多様性とか(2/4)



ちまた公民館にはレッツのスタッフさんが交代で入っているのだが、その日の担当者を「店番」と呼んでいる。支援者ではなく、あくまで店番。訪ねてきた人に声をかけたり、イベントのお手伝いをしたりするけど、いわゆる福祉施設での振る舞いとは違う。見ていてとても面白い。


例えばこの日も、スタッフの杉田さんがみんなに「コーヒー飲みますか?」と声をかけてくれた。でも、淹れるのはあくまで自分たち。レッツメンバーの大ちゃんがお湯を入れようとしたとき、近くにいるKさんが「大丈夫?」と声をかけ、淹れやすいようにコーヒーフィルターをおさえてあげていた。同じくメンバーのくおん君は、困ったことがあるとすぐに杉田さんを呼んでいたけど、杉田さんは「今は韓国語講座をやっているから無理だよ。自分でやってみるか、他の人に頼んでね」と言う。くおん君が少し困った様子でこちらを見るので、私や公民館常連の村木さんが声をかける、といった感じだ。


私にレッツを紹介してくれた友人の高本友子さんは、レッツを「地域共生社会の実践の場」と表現していた。地域共生社会と叫ばれて久しく、もはや標語と化しているんじゃないかと思う今日この頃だが、確かにちまた公民館にいると解像度が上がっていく。そして、標語のように感じていたのは自分側の問題だったのだ、と気づかされる。


スタッフの久保田瑛さんは「ちまた公民館では、誰も排除しないと決めているんだよね」と言う。素敵な響きだけど、それは決して簡単なことではない。障害がある人と接して戸惑う人もいるし、障害の有無にかかわらず、気が合わない人同士もきっといる。摩擦も起きる。多様性には覚悟と胆力がいるなあと、つくづく思う。


それでも場を開放し続け、スタッフさんも含めて「一個人」として過ごすことで、希薄化していると言われる「ご近所づきあい」の延長線のようなものを築いているのが、ちまた公民館だ。そしてそのニーズは、実はとても根強いんじゃないかと思う。ちまた公民館にやってくる人たちを見ていると、人は「誰かと関わりたい」という切なる欲望を持っているのだな、と感じるからだ。


ちまた公民館で過ごす人同士の距離感は、「友人」と言うほど近くはない。名前や属性を知らずにおしゃべりすることなんてよくあるし、連絡先も知らない。たまたまその日居合わせた人同士でしゃべったり、しゃべらなかったりする。次いつ会えるかも分からない。


一見さりげない関係に思えるけど、実際やってきた人たちに来た理由を聞くと、「誰かしらいるから」「なんとなく気持ちが落ち着くから」と返ってくることが多い。ふわっとした答えが多いのは、「ひとりぼっちは嫌だ」という、切実で、本能に近いものがあることの裏返しなのではないか。


地域共生とか多様性とか(3/4)


 もうひとり、ちまた公民館常連のたっちゃんの話をしたい。彼は脳性まひ当事者で、普段は電動車いすで移動している。公民館では詩を書いて掲示したり、レッツや来館者への手紙をつづったりと、表現活動にいそしむ(いつか詩が曲になって、紅白歌合戦に出ることが夢だそうだ)。そしてめちゃくちゃ社交的で明るい。挨拶すると、はじけるような笑顔で応じてくれる。


 そんなたっちゃんがちまた公民館で過ごす上で、ひとつのハードルがあった。食事をするときに介助が必要なのだ。公民館にはお弁当を持参してくる人もいて、レッツのスタッフさんもよく昼休憩に食べにくる。でもたっちゃんの場合、自分で食事をとることはできるけど、準備や片付けの手伝いを要する。

 スタッフさんたちは、どうしようかと話し合った。支援はできるけど、それもちょっと違うんじゃないか、となったらしい。普段レッツでは障害がある人の介助をしているものの、たっちゃんは施設利用者ではない。スタッフがたっちゃんにつきっきりになるのもどうなのか。いわゆる福祉サービスと地域のはざまにある公民館ゆえの悩みだなあと思う。


 色々考えて出した結論は、「スタッフだけではなく、周りにいるを巻き込みながら、時々手伝ってもらえば良いんじゃないか」というものだった。たまたまその場に居合わせた人に頼んでしまうというアイデアだ。めちゃくちゃ面白い。


 スタッフの穂奈美さんが、たっちゃんの食事の場に居合わせた時のことを教えてくれた。その時一緒にいたのはガチャガチャおじさん(毎日ちまた公民館のガチャガチャを引いていく方で、いまや常連となっている。以前のコラムを参照してほしい)。穂奈美さんは「私を介さず、ふたりで話しながらやってみてください」と、少し距離を置いたところに座った。最初おじさんは「ええ、俺わかんないよ」と戸惑っていたが、たっちゃんが用意したメモ書きを見ながら、そして本人に聞きながら、少しずつ手伝い始めたそうだ。「最後のほうは、『俺が腹いっぱいにしてやるからな』と言いながら介助していたんですよ」と穂奈美さんは微笑んだ。


 スタッフの瑛さんは、ちまた公民館では「支援する側とされる側という関係性を固定させたくない」と話す。レッツは「専門職じゃないと福祉や支援に関われない」といった先入観を、発想の転換でひょいっと飛び越えて見せる。その最たる例が、今回のたっちゃんの食事介助だと思う。


私も以前までは「知識も経験もない自分は、障害がある人を傷つけたり、失礼なことをしたりしてしまうんじゃないか」とオドオドしていた。今も戸惑うことがたくさんある。でもわずか10坪の空間で、目の前の人に「ちょっと手伝って」と言われたら、分からないなりにやるしかない。疑問点は本人に聞けば良いし、何なら100%を目指さなくても良いんじゃないか、と思う。



地域共生とか多様性とか(4/4)


 実際、たっちゃんはちまた公民館での過ごし方をどう思っているのだろう。後日、無理を言ってオンラインで話を聞かせてもらった。事前に取材のことを伝えたら、何と原稿を用意してくれていて、スタッフの杉田さんが読み上げてくれた。


 たっちゃんは1976年に浜松市で生まれた。現在は、実家の離れでヘルパーの介助を受けながら一人暮らししている。もともと音楽や芸術文化のイベントに出かけるのが好きだが、外出する際は介助がつかないため、一人でバスを使って移動する。遠距離でも、電動車いすで走っていくことがあるそうだ(ちなみに雨の日は外出が難しく、ちまた公民館にも来られない。制度をどうにかしてほしい…)。


 今は週に2日間、ちまた公民館を訪れる。「おうちにいるのも良いけど、それだけだと色々な人に巡り合えないから」とたっちゃんは言う。公民館の常連さんやスタッフさんの名前を挙げ、「優しくしてくれる」「最近手伝ってくれるようになった」「僕のことを一番わかってくれている」と説明してくれた。


 管理されず、地域で自由に生きるという当たり前の権利のために、たっちゃんは自身の障害を周囲に理解してもらわなければならないという。「周りに分かってもらえていないと思うのはどんな時ですか」ときいたら、「外で物を落とした時」と返ってきた。「通りすぎちゃう人が多くて、なかなか拾ってもらえない。(持ち運んでいる)ホワイトボードに拾ってくださいと書いても、見てくれる人と見てくれない人がいる」。たっちゃんのこの時の孤独感を想像すると、胸がしめつけられる。


 一方、普段の自分はどうだろう。街中で困っている人を見かけた時、「急いでいるから」と心の中で言い訳しながら通り過ぎたことは、一度や二度ではない。ちまた公民館の中だったら声をかけるけど、外では躊躇してしまうことも多い。そんなダブルスタンダードな自分が、なんだか情けなくなってしまった。いやでも、いつも人助けをできるほど余裕はないかもな。いや、でもなあ。そんなふうに揺れ動く自分を認めつつ、ちまた公民館で実践されている「地域共生」のエッセンスを、日常生活にも少しずつ持ち帰ってみようと思う。